第136話 穀潰し共
「アラタ、暇」
「じゃあ筋トレする?」
「飽きた」
ラトレイア家に踏み込み、キィとリャンを仲間に迎えてから約1週間。
2人の裏切りを防止するための魔道具の製作も終了し、彼らの首元と体内には魔力結晶を核とした炸薬が入っている。
ドレイクの任意のタイミングで起動できるという危険極まりない代物だが、アラタやクリスでは制圧されかねない。
その点彼であれば24時間365日、実質的に隙なしであり、2人も従順な下僕の仲間入りを果たすわけだ。
囚われの身となった彼らは何をすることになったのか、答えはそう、筋トレである。
外に出ることも出来ない彼らは必然的にドレイクの家の中で一日を過ごすわけだが、戦力として数える以上鍛錬は外せない。
アラタとクリスの監視の元、彼らと共に汗を流す。
それが2人に課せられた初めての仕事だった。
まあ、これはアラタ達にも言えることだが、給料をもらっていないのに仕事と呼ぶのもいかがなものか、そう言うツッコミどころもこの生活にはある。
しかし衣食住が保証されていて、今のところ特にドレイクの役に立つ何かをしたわけでもない。
このまま毎日が過ぎるのも悪くない、そんなことをリャンが考えていた矢先のキィの発言だった。
暇ではないのだが、キィの言いたいことも分かるとアラタは頭を掻く。
「そんなこと言ってもなぁ。先生、2人の分の黒装束は出来ましたか?」
1人の食卓から2人へ、そして3人へ、そしてさらに5人へ。
大人数の食事は決して悪いものではないが、それにしてはこの喧しさは老人の身に余る。
いつもなら好きな時間に起きて、好きな食べ物を好きなだけ食べることが出来たのに、今は弟子が起こしに来て、決まった時間に、決まった食事を口にする。
これは重大なQOLの低下であり、その元凶にこう言われてはドレイクも少しムッとする。
「黒装束は出来たがの、お主、支払うあてはあるんじゃろうな?」
「はは、俺死んでるんですよ? どうやって雇ってもらうんです?」
「右に同じく」
「自分も表立って動くのは少し……」
「僕働きたい!」
「キィ、お前はまだ働いていい年齢じゃない」
アラタがドレイクと出会ってから、実は今最も彼を追い詰めているのかもしれない。
「この穀潰し共が」
彼はそう言い残すと、食事を終え退出する。
少なからずアラタを利用していた経緯がある彼の義務として、この4人の生活費を出すのは当然である。
単純なただ飯食らいなら家から叩きだすこともやぶさかでないが、こいつらは有事の際働く。
今にして考えてみれば、金眼の鷲の運用方法に近い。
飲み食いを好きにさせ、居場所を提供する代償に言うことを聞かせる。
ドレイクが本気になれば、暴力と恐怖で働かせることも不可能ではないが、そうしないのは優しさと面倒くささだろうか。
食事の後、筋トレは飽きたと
「筋トレしとけば大体うまくいくんだけどなぁ…………」
キィに断られ、悲しみに暮れる彼がよほど不憫だったのかクリスとリャンは練習に付き合ってくれたが、【身体強化】なしの鍛錬はかなり堪えた。
まず単純に、身体が重い。
そして次に、体力の消耗が早い。
これは魔力を使う機会がない故の体力消費スピードが上昇する現象であり、それだけ魔力が万能エネルギーであることの象徴でもある。
クリスはパワーを必要とするメニューに弱く、リャンは柔軟性とバランス感覚が足りていない印象だ。
性差が出たようにも見えるが、無意識に足りない部分を魔力で補っていた分弱点が露呈した形になる。
そしてこの練習の発起人はというと、
「リャン、こいつは……」
「アラタ殿、キィにこれをやらせようとしていたのですか」
「シッ、シッ、そうだけど、シッ、ダメ? シッ、シッ」
最近アラタの事を少しづつ理解し始めたクリスだが、また分からなくなった。
代わる代わるシャワーを浴び、最後に出てきたアラタはドレイクに呼び出された。
まだそこまで化学薬品が発達した世界でもないのに、ドレイクの家に置かれているシャンプーやボディーソープからはどこか懐かしさすら感じるくらい良い匂いがする。
某弱酸性ボディーソープのような優しい匂いがアラタは結構好きだ。
まだ少し濡れている髪を拭きながら師の後について部屋に入る。
以前クリスが担ぎ込まれた時、リリーやシャーロットが彼女を処置した部屋だ。
今は元の空き部屋となっていて、クリスの部屋は別に用意されている。
元は完全なまでのがらんどうで、床、壁、窓しかない部屋だったが、今は中央にテーブルが置かれている。
その上に並べられているそれを見て、アラタはこれから何を言われるのか理解した。
そう、仕事の時間が来る。
「補修も込みで4人分の黒装束、完成じゃ。これを身につけての初任務は既に受けた」
「ありがとうございます。で、任務の内容は?」
マントがケープに変更されている。
アラタのそれは、元々足りない材料で出来ることを、という意味でのそれだったが、今回はどうやら違うようだ。
「お主が実際に使って、再度検証した結果、隠密作用をもたらすのに丈は左程必要ではないことが判明した。なら動きやすい方が良かろう?」
「そうですね、自分もそう思います」
彼がドラールの街でイーデン・トレスと戦った際、戦闘に差し支えるからと言って仮面と外套を脱ぎ捨てた。
ケープとてそうなる可能性があるが、マントよりはましだろう。
出来るだけ隠密性を残しつつ、それなりに運動性能も向上させる。
そこに魔道具師としてのドレイクのこだわりが垣間見えるが、使い手であるアラタがどこまで理解できているかは不明だ。
アラタは補修も含めて黒装束を再び用立ててくれたことに感謝を表しつつ、彼が受けた任務の話に話題を振る。
「これが必要ってことは、諜報か戦闘ですか?」
「いや、今日の所は警備になる」
警備、なら戦う可能性は…………
アラタの顔から笑みが零れた。
「へぇ」
「今回ワシは行かぬ。現地に到着したらハルツ殿の下につけ」
こうしてアラタは4人分の黒装束を抱えて、彼らの元へ戻り、3人を引き連れて家を出た。
会場は知らされていないが、ドレイクも知らないとのことだった。
まあ警備の内容的にも戦闘にはならない、であるなら問題なかろうとのことだ。
そう言う隙が非常時に明暗を分けると思うのだが、と考えたところでどうにもならない、アラタは現地に到着してから敷地の調査を行うことに決めた。
ラトレイア家に突入した時と同じように、ハルツ邸に集合する。
増えた黒装束に彼も驚いていたが、戦力が増えるのはいいことだと笑った。
時間は正午を少し過ぎたところ、連日の寒さにも慣れ、この時間帯なら黒装束が少し暑苦しいくらいだ。
会議用に
他にもアラタの目を引いた道具や設備はいくつかあったが、今回はそれを使うことは無いらしくハルツが説明を始めた。
「今日はクレスト公爵家主催のパーティー、というのは表向きで、実際は今後の大公選に向けた重要な会議が開かれるとのことだ。我々はその警備、いいな?」
「はいハルツ」
「はいルーク」
ハルツの説明に対し手を挙げたのはルークだ。
「アラタ達もそうだし、Bランクの俺らを必要とするその心は?」
「…………大人の事情だ」
苦虫を嚙み潰したような反応に、ルークは意外そうな顔をする。
他の面々もそうだ、ルークがしたような問いを彼に投げかければ、ほとんどの場合合理的で納得できる答えが返ってくる。
だが今回はそうではなかった、それはかなり物珍しく、そして雲行きの怪しい話だった。
一同に流れるイヤーな雰囲気を作り出してしまったハルツは、しまったと思いながらその改善に乗り出す。
「戦闘ではない、戦闘になることは無いんだ。皆はただ何事もないように警備をしてくれたらいい」
取り繕うような彼の態度が、余計空気を悪化させてしまったのは自明だった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「失礼。モーガン殿、もう一度言っていただけるかな?」
「構いませんよ。クレスト公爵殿、御息女であるノエル・クレスト様を私にください。そう申したのです」
「舐めるなよ若造が!」
豪華だが決して広くない秘密の会議室に、そんな怒号が響いたのは丁度ハルツが休憩から戻ってきた時だった。
会議室内に控えているのはハルツのパーティメンバーであるルークとタリア。
そしてトイレから戻ってきたハルツだけで、室内にいる十名からの貴族のお歴々を警備する。
残るレイン、ジーン、黒装束たちはというと、会議のカモフラージュの為に開催された食事会の警備に回っていた。
——クリス。
——何だ?
——食べたいならハルツさんに言えば帰りにもらえると思うぞ。
——お前が頼んでくれないか。
——何で?
——卑しい女だと思われたくない。
——俺が卑しく思われるのはアリなのね。
2人は今、大広間のカーテンの裾に隠れながら警戒任務中だ。
彼らの会話から分かるように、会場は安全そのもので外部からも内部からも襲撃がある気配はない。
眼鏡をかけたアホ毛が特徴的な小学生と、その引率のこれもアホ毛が特徴的な女性。
これにちょび髭のおじさんがいれば確実に殺人事件が発生するのだろうが、その辺りはあらかじめアラタが弾いている。
冗談はさておき、会場に一定以上の年齢層の人間が少なく見える。
現在議論が紛糾していることをアラタ達は知らないが、アラタの仮面の先には2人の女性の姿が映っていた。
「ノエル様、お元気そうで何よりです」
「リーゼ殿、私の事を覚えておいででしょうか。私は数年前あなたに——」
なんて言うんだっけ、こういう感じのゲーム。
イケメンたちに言い寄られてそれを楽しむやつ。
…………ギャルゲーだ!
ニアミスで乙女ゲーとギャルゲーを取り違えてしまった彼だが、その間違いを指摘できる存在はこの世界にはいなかった。
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