第138話 強気の理由

「不調って何ですか?」


「納得できず、話し合いが終わらなかったということだ」


 会議の翌日、ハルツ邸に呼ばれたアラタはクリスと共に彼から昨日の事の顛末を聞いていた。

 大公選後の貴族たちの利益を調整する会議は不調に終わり、第2回、第3回と会議が続く。

 従って警備の仕事も継続することになる、というのがハルツからの言葉だった。

 アラタが不調に終わるという言葉の意味を理解した所で、ハルツの仲間のレインから差し出されたのは何やら頭の痛くなりそうな図が描かれている紙だ。

 数字や図形、正確にはグラフだが、それが記述されている書類を手に、ハルツの言葉を聞いたアラタは自分の耳を疑った。


「兄上からの頼みでな、冒険者や一般人としてこの調整に意見が欲しいと言われた。忌憚のない意見が欲しいとのことだったが、その為にはまず勉強しなければならない」


「勉……強? 誰が?」


「我々が」


「正気ですか?」


 仮面の奥から聞こえてくる声は一時期に比べれば随分明るくなった。

 今なら仮面を外して会話することも可能かもしれない。

 ただ、今のアラタからは以前とは別の絶望感が溢れている。

 野球以外の事でアラタが何かを勉強しようとすることは基本的にない。

 異世界に来て、必要に応じて仕方なく文字を勉強しようとしたり魔術を学んだりしていたが、そこまでモチベーションは上がらないのだ。

 魔術を学び始めた時は物珍しさからテンションの上がっていた彼だが、以降は生きるために、強くなるために学ぶだけで冒険者を辞めた後は魔術を学ぶこともやめるつもりだった。

 彼の苦手分野は多岐に渡り、国語、数学、理科、社会。

 英語はそこまで苦手ではないが、学校のテストは死ぬほど苦手である。

 神奈川県選抜で海外の選手と試合経験のある彼だが、あの時会話が成立したのは向こうがゆっくりはっきりと話してくれたことと、野球という同じスポーツに魂を捧げた故のシンパシーありきだ。

 アラタの特性として、文字を見るとまず眠くなり、次いで講義が始まると眠くなり、それを我慢すると頭が痛くなる。

 総じて、勉強、中でも座学はアラタが非常に苦手とするところだった。

 彼に正気かと問われたハルツは苦笑いしながら答える。


「残念ながら正気だ。皆でよい答えを出そう」


 恐らくポーズだけで採用されることは無いだろうがな。

 彼は彼で、心の中では拗ねていた。

 画期的な案を提示した所で、兄の手柄にされるかつまらない貴族の意地で却下されるに決まっている。

 それぞれが別種の絶望を胸に、ハルツ・クラーク主催カナン公国利益調整会議に向けた勉強会が始まった。

 参加者はハルツとそのパーティー、黒装束一同、そしてドレイクだ。


「いたぁ」


「起きろ」


 アラタとクリスのやり取りは5分おきくらいに行われ、アラタが寝落ちしかけるとクリスがシバくというサイクルが確立された。

 次に脱落したのはルーク。

 金勘定は得意だが、利権や権益がどうと言った話は冒険者に縁がない。

 ハルツも同じく徐々にやる気が失われ、それでも発起人というか、兄から命じられた為仕方なく体に鞭打って知識を頭に詰めていく。

 タリア、ジーン、クリスは特に問題ないようで、ある程度情報が理解できたところで話し合いを開始している。

 やれ公共事業だの鉱山採掘権の再検討だの、アラタでは立ち入れない領域の話が展開されている。

 リャンとキィは現在勉強中である。

 キィにはレベルの高い話の為、今回は家で休んでもいいと言っていたのだが、仲間外れみたいでイヤだと言い、リャンについてきて勉強している。

 本当はリャンと離れるのが嫌だったのかなとアラタは推測したが、言わないのは優しさだ。

 リャンの方は流石というか、もともとある程度知っていた部分もあるのだろうが早々に勉強を終え、キィに教えるポジションに収まった。

 本来なら女性陣に交じって建設的な意見を述べる立場なのだろうが、帝国の人間だからかあまり興味ないようで特段呼ばれることもない。

 この辺りはまだ溝があるようで、ドレイクが監視しているからと言ってあまり重宝されることも無いようだ。

 レインも一足遅れてタリア達の所に参加、話に混ざることになる。

 残されたのはアラタ、ハルツ、ルーク、この3人だ。

 そしてそれを教えるのは教師ドレイク。

 生徒たちの知能の低さに辟易しつつ、それでも教え続けてくれる彼もかなり優しい。

 アラタなんてさっきから同じ質問を3回くらいしている。


「先生、レイフォード家の派閥が今持っている権利を取り上げちゃダメなんですか?」


 それもしないわけではないが、とドレイクは前置きしつつ、本日何回目になるか分からない教え子の疑問に答えた。


「そんなことをすれば貴族が二つに割れ、最悪内戦になる。相手を納得させつつ、大公選の最中支えてくれた者たちに報いる。そのための調整じゃろうが」


「なるほど」


 なるほどと言ってみるが、アラタにはいまいちピンと来ていない。

 貴族からすれば、権益とは生まれた時から持っているものでいわば生活必需品だ。

 しかし彼からすれば、権益は初めから持っているものではなく、今持っているものでもない。

 その辺りのギャップが彼の学びを妨げているのだが、もしハルツの兄イーサンの言葉を言葉通り受け止めるのなら、そのギャップから生まれるひらめきこそ彼が求めていることになる。

 どこまで彼が本気で期待しているのかは知らないが。


 金にこだわりすぎなんだよ。

 金、金、金カネかね。

 今ある権利と利益で十分だろ、何欲掻いてんだよ。


 アラタの勉強が上手くいかないストレスは貴族に向けられたが、そうした所で勉強は終わらない。

 素人の彼らに名案が浮かぶことは無く、結局その日出た意見は普通のものしかなかった。

 レイフォード家派閥に所属する貴族からある程度権限を取り上げ、それを再分配する。

 そして彼らには新しい都市開発をお願いし、中央から遠ざける。

 この意見をハルツは兄に報告し、ひとまず次の会議に回されることになった。

 ハルツはこの意見が兄のところで却下されなかったことが意外に感じたが、イーサンも意外と困っているのかもしれないと思った。

 政治や貴族の世界は門外漢な自分にこのような話を持ってきた時点で、いつもとは違う何かを感じていた。


 実は兄も明暗が浮かばず、藁にもすがる思いで自分に話をしたのではないか?


 それならば少しは役に立ちたいと考えるのがハルツである。

 冒険者になり、家を任せっきりにしていて、それでも文句ひとつ言わずに快く送り出してくれた兄の役に立とうと彼の身体には力が入った。


 そして次の会議の日を迎える。

 会場は同じくクレスト家。

 以前と変わらぬ面子に、以前と変わらぬ構成の警備。

 今回会食などは開かれていない分、アラタ達も会議の参加者の警備に回る。

 会議を行っている部屋の中で任務にあたるのはハルツ、ルーク、タリア、アラタ、クリス。

 その他は外で巡回警備を行う。


「それでは前回に引き続き、調整会議を行います」


 イーサンの言葉で会議が開幕した。

 それぞれの求める権利や報酬、それらを再確認した後、クレスト家から出せるものや大公の権限で引き出せる便宜、貴族院で可決できる法や改革案など、話す内容は多岐に渡る。

 アラタやルークは開始数分で話についていくことを諦め、それなりに予習してきたタリアやクリスですら中々理解の追い付かない部分も多い。

 そして会議が進んでくると、前回よろしく議論は紛糾し収拾がつかなくなる。

 互いに譲れない部分が多すぎるのだ。

 有力な貴族たちは彼らの中で優劣の争いをして、末端は自分たちがこの会議に呼ばれるような家である為に、貴族として生きるために必死だ。

 他家の得を許さず、自家の利益を最大限追求する。

 これでは話がまとまるはずもない。

 決定するのは事前に仕込みが完了している部分だけで、肝心の大公選でクレスト家に味方することで得られる旨味の調整がつかない。

 カナンに2つしかない公爵家、持っているタネの量も質も参加者垂涎必至のモノばかりだが、それだけに会議は荒れに荒れる。

 各種鉱山や森林資源などの収集権、現在レイフォード家の色が濃いギルドと警邏の監督役職の新設、タリキャス王国との交易や交易路の管理維持、他の国々に繋がる街道の整備や運用、他にも多種多様な事業が所狭しと並べられ、それらを取り合っていく。


 ——クリス。


 ——寝るなよ。


 ——寝てないって。あいつ、話まとめる気あんのか?


 ——まあ…………無いだろうな。


 2人の視線には先日も伯爵とひと悶着あった男が映っている。

 アルベルト・モーガン子爵。

 彼は先ほどからことあるごとに誰彼構わず噛みつき、話を流れさせていた。

 自分の損というか、他人の得が気に入らないのか知らないが、纏まりかけた件も彼の言葉で振出しに戻ってしまう。

 周りも周りで、子爵ごときにいいように言われ、言い返すこともない。

 シャノン・クレストが何も言わないのが不思議に思ったアラタはクリス先生に助けを求める。


 ——公爵は何で何も言わないのかな?


 ——それだけモーガンが力を持っているということだろう。


 ——子爵なのに?


 彼からすれば、爵位で劣っている若い衆が肩で風を切っているのが理解できない。

 権威主義というほど酷くはないが、アラタは先輩至上主義の閉鎖的な世界で生きてきた男である。

 まず年上に逆らうという発想自体があまり出てこないし、自分が力を持っていたとしてもそれをひけらかすことは顰蹙ひんしゅくを買うだけであることを知っている。


 ——昨日何を学んでいたんだ。子爵にはあれが付いている。


 ——あれ? どれ?


 ——父親から受け継いだ傭兵たちだ。とにかく数が多いらしい。


 ——だから?


 クリスの答えだけではまだ理解できないアラタに対し、クリスは続ける。


 ——頭数が多く、素行が悪い。どこか見覚えがないか?


 ——金眼の鷲。


 ——それだけではない。方向性的にはギャングやチンピラの方が近い。あまり敵対すると仲間の事業でも邪魔してくるという話だ。


 クリスの説明が続く中、モーガンの言葉の矛先は行くところまで行ってしまう。


「先ほどからクラーク伯爵殿は何も意見をお出しになられていないようですが、方策なり権利なり、出すべきものがあるのではないですか?」


「先ほども出したのだが、モーガン殿に一蹴されてしまいまして」


「ああ、例の敵対貴族に都市開発をさせるあれですか。中央から離れて行動させれば恨みを持った向こう側が一斉蜂起しますよ。最悪内戦になります、少しはマシな意見を出していただきたい」


 モーガンの反論も的を射ている分、余計質が悪い。

 それにしても、同じ派閥の仲間で、爵位の上のイーサンに対するこの態度。


 ——めっちゃ尖ってるじゃん。とげとげじゃん。


 分かっているのか微妙な軽いアラタの反応に、クリスはそれ以上の説明をすることなくスキルを切った。

 こうして2回目の会議も不調に終わり、彼らの警備任務は次回も行われることとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る