第134話 非公式戦闘
鈍く残る痛み。
【痛覚軽減】を起動すれば、蚊に刺されたようなものだが、それでも多少痛みが残るところを見ると、アラタの左肩はどこかにヒビが入っているのかもしれない。
床の至る所から感じる魔力。
もちろん自分のものではない。
敵、それも子供のもの。
見た目は小学生か上がりたての中学生程度、本来なら圧倒的身体能力の差でぶん殴るところだ。
しかし、こと異世界ではそれほど単純ではない。
身体強化の熟練度次第では、子供と言えども決して慢心できないくらいの膂力を以て攻撃してくる。
「っ! 下!」
アラタが叫ぶと、その直後に3本、石の棘が隆起した。
バックステップで距離を取りながら躱し、視線を上げる2人。
敵が来る、そう構えるクリスに対して、襲い掛かったのは、本だった。
「これは……なるほどっ」
飛来する書籍を躱し、土棘同様対処したクリスは本が飛んできた方向に一瞬だけ目をやると、仕掛けを理解した。
本棚から数冊、本が落ちている。
その奥には少し奥行きの浅い部分がある。
壁に魔力を流し、本棚の後ろから突くことで本を飛ばす、簡単な仕掛けだ。
但し、仕掛けとしてシンプルな構成だからと言って、実現することは簡単ではない。
棚の背板を突き破り、部屋の中央付近にいるクリスやアラタのところまでそれを飛ばす瞬発力と精密なコントロール。
このガキ、見た目以上にやりにくい相手だ。
小さく舌打ちをしたクリスは一時撤退も含めて立ち回りを考える。
このまま戦う、これは不利だ。
仕切り直して有利な状態で勝つ、これでは他の者に赤マントがウル帝国の者だとバレ、かなりまずい。
真実を知っても問題ないのは、この
彼らの到着を待てば、もっと大勢の人間が押し寄せてくる。
…………ここで勝つしかないか。
——アラタ、聞け。
——はい。
——離脱は出来ない、だが場所が悪い。場所を変える
——了解!
——10秒後にやる。
——了解!
赤マントは出入り口を押さえたいのか、扉の前に陣取ったまま動こうとしない。
子供の方が数度斬りこんできただけで、ほとんど魔術を使った攻撃しかしてこないのだ。
ただ、それでもこの閉鎖環境では十分脅威であり、2人は出来るだけ早く仕切り直しがしたかった。
珍しく曇っていない透明なガラスで作られた窓を何の躊躇もなく、クリスは短剣の柄で叩き割る。
隣のアラタはびっくりだが、彼女が背を向けている分、フォローしなければならない。
水弾と雷撃、さらに斬撃まで飛んできて、いよいよアラタもしんどくなってきた。
その後ろではクリスが窓枠を破壊し、外に飛び降りる。
「え」
「お兄さん、裏切られたね!」
「ちちち違うし! ……マジ?」
動揺を隠せないアラタだが、実際の所別に疑ってはいない。
問題ない、そう心に語り掛けてくるから。
……10秒。
カウント終了、その瞬間、床に亀裂が走る。
地震が発生したかのような揺れ、本棚から本が落ち、壊していない方の窓が割れ、部屋が歪む。
敵2人は当然驚く、想定外のことが起こっているのだから。
しかしアラタは驚かない、そしてその差は戦闘中如実に表れた。
ゴロゴロと雷の鳴るような音の後、3人の居た部屋の床が、そっくりと抜けた。
急に空中に放り出され、周囲には瓦礫が飛び回っている。
完全に姿勢を崩した2人に対し、アラタは敵を見据えている。
そんな彼らの下、床が抜けて瓦礫の隙間から1階の大広間、その中心に見えたのはクリス。
彼女が窓から飛び降り、部屋の真下に再度侵入し、【魔術効果減衰】の対象範囲外から戦場をひっくり返したのだ。
ガラガラと崩れ落ちるフィールドの中、魔術的拘束が緩まったのを感じたアラタは身体強化を重ねがけする。
攻撃魔術を使用するのではなく、支援系である身体強化。
彼の眼には建物の破片、その中でも特に大きなものがいくつか見据えられている。
空中で刀を構え、近くの破片を蹴る。
それにより1階へ落下する速度は増すが、落下方向も変わる。
目指すは大人の敵、魔術効果減衰を解除することが勝利への道だ。
「ふっ!」
地面すれすれで弧を描いた刀は敵を斬ることが出来たのか。
その答えを確認する間もなく3人は落下し、崩落の粉塵で視界が遮られた。
これではアラタの【暗視】は使えないし、それは相手も同じ。
であれば彼のすることは半分決まっていた。
煙が晴れた時、そこにいたのは2人。
2人ともボロボロながら使用人の服を身につけており、大人の方はセットした髪が乱れている。
子供の方は、髪型こそ無事なものの、破片がぶつかったのか額から出血していた。
「あれ……あいつらは——」
しゃべってはいけない。
男がそう言おうとしたその時、すでに遅かった。
影から忍び寄る存在が2つ。
【気配遮断】、黒装束、仮面。
持ちうるものをすべて使い、最短距離で殺りに行くアラタとクリス。
子供の真後ろと右横、完璧なタイミング。
【以心伝心】で呼吸を合わせることのできる2人ならではの奇襲、入った。
アラタの視界に、横から割り込んできた奴がいた。
子供の方を庇ったのだろう、本人は無防備極まりない。
——かかった。
彼の心の中の呟きは、スキルを通じてクリスにも伝わる。
その情報は今更彼女の行動を変えるには至らない。
かかったから攻撃を変更するとか、キャンセルするとか、そう言ったことは、だ。
変えたのはメンタリティ。
アラタの方に敵がかかった、ならば自分は心置きなくこちらを叩くことが出来る、そう言う考えだ。
「うっ」
「うぁ!」
1階、ダンスフロアにうめき声が重なる。
片方は峰打ちで胴体を横薙ぎにされた衝撃で漏れたもの。
もう一つは短剣の柄で喉元と鳩尾を少し外して突かれた声。
勝負ありだ。
廃墟のような荒廃したダンスホールで、仮面を着けた2人は立っていて、使用人姿の2人は倒れている。
ショーテルを手に取り、2,3度振ってみるクリス。
「しっくりこないな」
そう言うとそれを遠くに放り捨てる。
鉄パイプを転がしたような音が響き、残るは2人が苦しむ声だけだ。
アラタは掌に魔力を集中させる、雷属性の魔力だ。
練られた力は回路を通じて光り、パチッと瞬くと、消えた。
「魔術は正常に使える」
圧倒的有利を確認すると、拘束用のロープを取り出した。
対魔術師用の、魔術回路を編み込んだ高価な拘束具だ。
魔力を練れば、魔術回路に吸収される。
吸われた魔力は意味のない魔術となって発散し、敵を縛り続ける。
まず子供から、彼らの中では子供の方の危険度が上らしい。
次いで大人の方、拘束が完了すると、無理やり立ち上がらせて歩かせる。
口には布を丸めた物を詰め、その上から猿轡をする。
「何事だ!」
屋敷の正面玄関にハルツが飛び込んできたのは、2人がちょうど外に出ようとしていた時だった。
逮捕された犯人宜しく、黒い外套を頭から被せて隠密効果を高める。
その分2人の視認性は上がってしまうが、彼らには仮面と【気配遮断】があるから問題はない。
玄関を通り、その正面の扉をくぐると例のダンスフロア、つまりその惨状はハルツから丸見えだ。
「これは……アラ、A、説明してくれ」
アラタと言いかけた彼だが、ギリギリ踏みとどまって頭文字で呼ぶと説明を求めた。
ラトレイア伯爵家には、一応任意同行という形を取ってご同行願っている。
それを何をどう考えたらホールの天井が抜けるようなことになるのか。
これがリーゼのやったことなら小一時間では済まないくらいの説教が待っているのだが、生憎彼らはかなり自由な立場で、その後ろ盾はあの暴れん坊賢者、アラン・ドレイクと来ているのだ、迂闊なことはできない。
「赤マントを捕まえました」
「おお! よくやった……いや、そう言うことではなくだな」
「ただ、先生の言ったように帝国の人間っぽいです。この戦闘は無かったことにオネシャス」
彼はそう言うと、クリスと共にその場を後にしようとする。
後はよろしく、そう言い残して。
「おい待て! それじゃあこの状態はどう説明するんだ!」
「直すしかないでしょう。その辺りもおねげーしやす」
「しかないって、私は……いつも損な役回りを………………」
ラトレイア家に踏み込み、これから金眼の鷲の捏造もしなければならないのに、彼のキャパシティはとっくに超えていた。
立ち尽くすしかない彼の肩を、タリアとジーンはそっと叩いた。
「やるしかないわ」
「そう。やるしかないのよ」
返事はなく、がっくりとうな垂れる中年冒険者の姿がそこにあった。
「これからどうする?」
「ドレイクの家に行くほかあるまい。後でリリー・フレイルも呼ぼう」
「おっけー」
一応大通りを避け、裏路地を通り抜けていく。
本来ならそこはならず者たちの巣窟なのだが、先だっての作戦ですっかり大人しくなり、残るものもほとんどがクリスの指示を聞いてくれる。
フリーパスで通り抜けていく2人と、それに連れられて行く2人。
彼ら4人が繰り広げた戦闘は、ハルツ・クラーク必死の修復作業によって無かったこととなり、多額の修復費用をハルツはドレイクに請求することとなった。
それがきちんと支払われたのかは定かではないというのだから、彼も難儀な役回りを受け持ってしまったのだと同情するしかないだろう。
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