第131話 何をするにも金が要る

「お嬢さんや」


 ハルツ邸での会議と、クリスが【以心伝心】に目覚めた翌々日、昼過ぎに戻ってきたクリスに対して、ドレイクはかなーり下手に出てみた。


「なんだ」


 素っ気ない返事に苦笑いしながら、老人は言いにくそうに話し始めた。


「確かにワシは、ハルツ殿同様援助は惜しまぬといった。じゃが、これはあまりにも……返す当てはあるのかのう?」


 クリスが何を返さなければならないのか。

 それは勿論金である。

 彼女を治療する際にかかった経費はアラタから支払われているため話は終わっているが、彼が今話しているのはそれについてではない。

 昨日彼女がドレイクの名前でありったけの金貨を用意し、それをアトラのアウトローたちにばら撒いたのだ。

 先だっての治安改善作戦にもめげず、元気に違法行為に手を染める彼らに対して、クリスは1人当たり金貨5枚で雇った。

 日本円で50万円である。

 それが前金だというのだから、末端の人間のやる気もそれは上がるというものだ。

 本来その手の依頼がしたいのなら、取り仕切る組織に金を払い、そこから話が始まる。

 しかし窓口としての役割を果たせるような大きめの組織は軒並み潰された後、今いるのは有象無象だけ。

 となれば仲介手数料なしでカス共をインスタントに雇用することが可能であり、その為に彼女は金貨500枚を投入したのだ。

 その費用を全てドレイクからの持ち出しとして用立てて、実行したのだから彼女の倫理観は狂っているに違いない。

 そんなクリスに対して、返す当てがあるのか、そう聞いても意味のないことこの上ない。


「返す当て、か…………いつかな」


「…………あのバカ者が。あやつに支払わせてやる」


 クリスに借金を背負わせても支払い能力がないことは分かり切っている。

 彼は彼の弟子にその尻ぬぐいをさせることに決め、そんな彼はというと、クリスの命令を受けて西へ東へと走り回っていた。


「あーしんどい。もう無理。帰って寝たい」


 彼は今、正規非正規関係なく、アトラにある宿屋を訪ねて回っている。

 死刑執行された身、黒装束のままでは怪しすぎるし、かと言って身元を明らかにするわけにもいかない。

 そんな時、役に立つのがスキルというものだ。

 クリスのスキル、【十面相】は決められた10種類の顔に変装できるというものである。

 非常に役立つスキルだが、変えることが出来るのは顔だけ、しかも張りぼてだから触ると違和感がある。

 最大同時に10人まで、そして同じ顔を同時に使えない。

 ここまで説明を聞いて、アラタが購入した屋敷を襲撃したのは特配課だったのかと詰め寄る彼だが、クリスは知らぬ存ぜぬで通すつもりらしく、彼も諦めた。

 それを自分自身ではなく、アラタに使用した。

 見た目を幼さの残る甘いルックスに仕立て、直近で宿を出入りした怪しい二人組を探して来いとのことだ。


「この顔ってお前の趣味?」


「黙れ」


「はい」


 アラタは鏡で顔を確かめ、自分であって自分ではない不思議な体験をしつつ、アトラ中の宿を探し回っていた。

 その頃クリスはというと、再び家を出て裏街道へと足を運んでいた。


「どうだ?」


 鼠がいてもおかしくないようなごみの散乱した裏路地、そこには生ごみ特有の鼻につく匂いが充満している。

 クリスが話しかけたのは、そんな場所にぴったりな強面スキンヘッドの男だ。

 彼の腰には当然のようにナイフがちらついており、実際に使用するかどうかはさておきその鯉口は非常に軽いと考えられる。

 クリスは彼と既知の間柄の様で、挨拶も抜きに報告を聞いた。


「姐さん、ご無沙汰しておりやす。赤マントの件ですが、まだ掴めていやせん」


 姐さん、やす、やせん、妙な口調のハゲは控えている手下らしき者の1人から紙を受け取ると、そのままそれをクリスへと流す。


「汚い字だ」


「勘弁してくだせえ、ワシ等字なんてからっきしでさあ」


 彼女の言ったように、記されている字はかなり汚く、学校に通い始めたころのアラタといい勝負だ。

 ミミズの這ったような字。

 消しカスかと思ったくらい汚い字。

 とにかく汚い線は辛うじて人語を理解できなくもない構図を描いていて、クリスは顔をしかめながらそれを解読した。


「…………分かった。今のリストにある屋敷は見張りを残せ。何かあるか?」


「その、金の方が……」


 先ほどドレイクからあまり金を使い過ぎないようお願いされたクリスだが、まだまだ金は必要みたいだ。

 こうして彼女が取り仕切る人間の頭数は想像を遥かに超えてくるのかもしれない。


「いくらだ?」


「大体金貨100枚程……」


 ツルッパゲの言葉尻の弱さには、多少の後ろめたさや希望の無さが垣間見える。

 もらい過ぎかな、やっぱり駄目だったかな、そんな感情だ。

 恐らく犯罪行為に手を染めるような彼が、そこまでの罪悪感というか常識を持ち合わせているのか不明だが、下手に出る以上何らかの思いはあるはず。

 クリスはそれに応えるように、懐からずっしりと重い袋を取り出し、手渡す。


「何に使ってもいい。求めるのは成果だ、それを忘れるな」


「それは勿論です」


「いけ」


「失礼しやした。おい、行くぞ」


 ものの数分、男は路地の向こう側へ消えていった。


 こうして両名がそれぞれの役割を果たすべく、奮闘している間、金眼の鷲に目立った動きはなかった。

 手の空いていない彼らの監視の目は今はない。

 しかし、そんなものがあっても無くても、彼らは今日も呑気に邸内でくつろいだり、ギャンブルに行ってみたり、朝から飲んでみたり、好きなように人生を謳歌していた。

 そんな彼らの様子ががらりと変わったのは、ドレイク一派が赤マントについて調査を開始して4日後のことだった。

 ラトレイア家の人の出入りが激しくなり、外に出ている金目の鷲は緊急招集、ここまであからさまに何か非常事態が起こったことを喧伝するケースもそう多くないだろう。


 当然アラタ達はハルツ邸に集合、持ち寄った情報を基に計画を立てる運びとなった。


「クリス殿、情報共有を」


 彼女は主にスキンヘッドの男から受け取った紙数枚を出し、それを基に状況をまとめる。


「赤マントや怪しい2人組に懸賞金を賭けて捜索させた。結果恐らく奴らはラトレイア家に匿われたわけだが……ここにある場所も一応候補として挙げられている。留意してほしい」


 クリスが提示したのはラトレイア家を除いて3箇所。

 まずレイフォード家、これは仮に囲われたらどうしようもない。

 だが今のところそれらしい連絡は入っていなかった。

 次に特務を含めた警邏組織の目ぼしい施設。

 これもダスターから連絡があるはずだが、まだないから可能性は薄い。

 最後に冒険者ギルド。

 ここも何かあればハルツの元に情報が届くはずだが、今のところ動きはない。


「伯爵家で決定だな」


 ルークがしめるように言い、それで話はついた。

 ラトレイア家に金眼の鷲が行った恐喝の件で立ち入り、ありもしない行為をでっちあげ、赤マントの正体を押さえる。

 いったん休憩を挟み、そこから先は各種手続きや突入の詳細な打ち合わせが始まることになる。

 テーブルを組み替え、今よりも更に大人数が参加できるように配置換えを行う。

 椅子を外に出し、代わりに机を搬入する。

 その机の上に置かれた書類、白紙の紙、ペン。

 そうした作業を行っている時、アラタはクリスに視線を送り、以心伝心を起動するようにそれとなく促した。


 ——何だ?


 ——あのさ、俺さ、ここ最近ずっと宿の事調べてたじゃん?


 ——そうだな。


 ——あれ、本当に意味あった?


 日陰者たちに金を渡し、赤マントを捜索させ、大きなところに逃げ込んだところを押さえる。

 この作戦において、宿を調べるというのは大事なことだった。

 宿を調べなければ、標的は次から次へと居場所を変えるだけで見つかることは無い。

 お前を探している、見つけるのも時間の問題だ、さあどこに逃げ込む?

 そう選択の余地を狭めるための仕事なのだが、貧乏くじであることも事実だ。


 ——意味はあった。ただ役には立たなかった。


 ——なぁにい!? お前チンピラ共に金配ってたんだろ、俺にも寄越せ!


 ——もうない。全部使った。


 ——じゃあ体で払えや!


「ゔぉえ!」


「アラタ、どうした?」


「いえ……なんでも」


 2人で運んでいた長机を思い切り押し付けられ、腹部を締め付けられたアラタは思わず吐きそうになった。

 相方のクリスはすました顔で作業を続けている、それがアラタには我慢ならない。


 ちくしょう、いつも俺の事こき使いやがって。

 お前マジ覚えとけよ!? あんまり調子乗ってるといつもつけてるサラシ隠すからな!


 ——聞こえているぞ。


 ——はぃ、すみませんでした。


 こうして2人が秘密裏にくだらないやり取りをしている間にも計画は立てられ、進行していく。

 そして、3日後にラトレイア家に討ち入り検査、そう決まると、会議は終了、解散した。

 クリスの挙げていた3箇所には人を配置して、動きがあれば知らせる。

 しかし基本はラトレイア家の屋敷、アラタとクリスは同じ班、最前線に立つことになり、各々必要な準備をして前日を迎えた。


「アラタ、クリス殿」


 立ち入りを翌日に控えた日の朝、ハルツはドレイクの屋敷を訪ね、2人を呼びつけた。


「おはようございます。ご用件は?」


「今すぐ出る。今日ラトレイア家を叩き潰す」


 予定外の言葉だったが、想定内の言葉だった。

 予定を早めて行動する。

 こちらにアラタや特務警邏局長という内通者がいるように、相手にもそれがいる可能性が高い。

 故に急な予定変更、アラタは急いで装備をつけつつハルツに聞く。


「人員は?」


「お前たちと私たちのパーティーだけだ」


「検挙は無理があるでしょう」


「問題ない。ゴロツキ共に周囲を固めさせた、捜査関係は片付いてからの方が都合がいい」


 それだけ言い切ると、丁度アラタ、クリス両名の準備が完了し、2人は立ち上がる。


「ラトレイア家強制捜査、開始だ」


 情報の流出を恐れ、一日前倒しに開始した立ち入り捜査という名の討ち入り。

 この采配が吉と出るのか凶と出るのか、それは始まってからのお楽しみ。

 大公選の中でも記憶に残る、金眼の鷲殲滅作戦、開始である。

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