第130話 以心伝心

 一睡もせず日課の朝練を終えたアラタは、朝食の準備に入る。

 昨日、というより今日の出来事はあまり気持ちの良いものではなかった。

 改めて悪事を見逃すという行為の罪深さを痛感したのだ。

 助けられる、しかし助けない。

 それは助けられるだけの力がないよりも遥かに重く、深い罪だ。

 だが、今までそうやって特配課は成果を上げてきた。

 他にやり方なんて知らない。

 朝食を取り終えたアラタは部屋に戻り出かける準備をする。

 ドレイクに付き従い、これから打ち合わせだ。


 クリスは寝るようで、ドレイクと2人でハルツ邸を目指す。

 同行すると言っても2人は並んで一緒に行くわけではない。

 いつものように黒装束に魔力を流し、気配を消しながらドレイクの後方10mをついていく。

 思いがけず刀が人に当たることの無いように、狭い場所や人混みの中を歩くときは刀を地面と垂直に近づくように差す。

 抜き打ちをするときにコツが必要だが、黒装束を身につけるようになってから彼はこうして刀を差すことが増えた。

 むしろこのスタイルでいる時間の方が長いかもしれない。


 ハルツの屋敷に到着すると、刀を差し直す。

 これから戦闘になる可能性はほぼないが、出来ることならベストな状態を、それがアラタという人間だ。

 特配課全滅の一件があってから、初めてハルツの元を訪れた時を除いて、仮面を取るように言われることは無い。

 フードを被ったまま、仮面を着けたまま屋敷に上がる。

 魔力を流していないのではっきりと姿は見えているが、アラタに話しかける者はいない。

 いつもの会議に使う応接間に通されると、アラタはハルツの後ろに立つ。

 彼の席も用意されているのだが、特に座るつもりはないらしい。

 背もたれ付きの椅子ではいちいち刀を外す必要があり、煩わしいのだろう。


「ドレイク殿、昨日の顛末はどうでしたか?」


 昨日の深夜の出来事、まだハルツの所に詳細な報告は行ってないみたいだ。

 彼の格好も客人を相手にするように着替えたのだろうが、まだスイッチが入り切っていないゆったりとした感じが伝わってくる。

 それは彼のパーティーメンバーも同様で、ジーン、タリアはしっかりと余所行きの顔をしているが、レインは部屋着のまま、ルークに至っては目が閉じている。

 こちらは寝ていないのだけれど、そんなことも頭の隅に思い浮かんだが、憤ったところで眠気が解消されるわけではないとアラタは諦めた。


「アラタ、報告を」


 ドレイクは葉巻に火を点けると、一吸いしてからアラタに振った。

 彼は朝食時に詳細な報告を受けているが、話より喫煙が先らしい。

 これが終わったら長めに寝よう。

 そう心に決めたアラタは最後のひと踏ん張りと意気込む。


「昨日、ラトレイア家は無病息災を願った行事を夜通し行いました。その際金眼の鷲は途中で家を出て何者かと接触、小包を受け取って屋敷へと戻りました。相手の詳細は不明ですが、赤いマントの男と子供の二人組でした。報告は以上です」


「うむ、ご苦労。恐喝の件も頼む」


 そこまで言うのなら自分から話せよ。

 そう思ったがいつも通り心に秘めたまま、言われるがままアラタは説明を再開した。


「2人組と接触後、屋敷へ戻る金眼の鷲は中年男性から金銭を脅し取りました。男性はギルドに出入りする魔力結晶の卸売業者であることがクリスによって確認されています」


 寝る前にクリスの男の人について聞いておいて良かったと感謝する。

 新参者の自分は論外だが、長い間特殊配達課としてこの街に根を張っていたクリスは実はとても貴重な存在なのではないかとアラタは考え始めていた。

 改めて彼女を助けることが出来て良かったと思う。


 アラタの報告が完了すると、ハルツとドレイクを中心に今後の方針と計画が練られ始めた。

 眠気と戦っている彼は話半分程度に耳に入れては横に流していたが、要約すると次のようになる。

 まず、ラトレイア家に家宅捜索に入る口実を得た。

 恐喝の被害に遭ったという男性、その人の身元がはっきりしているなら好都合、適当に理由をでっちあげて強制捜査に踏み切る。

 細かい口実はハルツの案で行くことになった。

 魔力結晶に関わる仕事だということで、管理していた高額な魔石を奪われたと主張し、邸内に踏み入る。

 証拠をでっちあげれば、金眼の鷲の部屋からでも魔石が出てくれば管理責任を問うことが可能になるからだ。

 と、ここまで話がまとまったところでタリアから待ったがかかる。


「あのさ、本当にやってないのなら金眼の鷲を魔術かスキルで検査されたら終わりじゃない?」


「金眼の鷲? あやつらが証言をすることは無い」


 ドレイクがさも当然かのように返す。

 タリアを始めとして、アラタも、他の面々も、ハルツ以外は状況が理解できない。

 皆が彼の方を向く中、ドレイクの代わりにハルツが疑問に答えた。


「金眼の鷲には死んでもらう。少なくとも死んだ者の部屋から魔石は発見される」


 そう言うことか、とアラタはため息をついた。

 法も、モラルも、倫理も、そんなもの少しも役に立たない。

 そう言う世界に来たことを、アラタはたまに実感する。

 自作自演もいいところだ、バレるバレないは置いておくとして、日本ならそんなことをしようという発想がまず出てこない。

 異世界、カナン公国の適当な、汚れた部分を目にして、アラタの心はどんどん離れていく。

 まあ彼とてその一員であることに変わりはないのだが。


「重要なのは赤マントをどう抑えるかだよな」


 話題を切り替えたのはルークだ。

 この作戦の最も重要な要項、それは正体不明の赤マントの身元を明らかにすることだ。

 恐喝事件とそれを材料にした魔石強奪事件など些事に過ぎない。

 ラトレイア家は商家から貴族に成り上がった一族である。

 現在も領地を代官に任せっきりにして、首都アトラで商売に精を出しているような生粋の商売人なのだ。

 もっとも、商才が評価されていたのはビヨンド・ラトレイアの父親までだが、彼も父親に倣いアトラに長らく住み、金儲けに忙しい。

 商売の強さには様々な要素が絡むが、その内の一つにネットワークの広さがある。

 顔が広い、それは商いの巧さに直結する。

 であれば、フレディ・フリードマンが奴隷商取引の大物だったように、彼も裏の取引や他国との強いパイプを父から受け継いでいるはず、そう言う認識だった。


 それらの点から考えると、赤マントは公に出来ない取引相手、更に運が良ければ彼らは他国の人間であるおまけまでついてくるかもしれない。

 そうなればラトレイア家はかなりまずい。

 いや、クラーク家やクレスト家からすれば美味しい話だ。

 私設部隊のポンコツのせいでかなりの大物を釣り上げることが出来るかもしれないのだから。


「ただ」


 葉巻を吸い終わったドレイクが再度切り出した。


「ルーク殿の言う通り、赤マントが最重要なことに変わりはない。が、情報が少なすぎる。アラタ、何故昨日赤マントを追跡しなかった?」


「金眼の鷲から目を離すわけにはいかず、かと言って別れることは緊急時の対応性に欠けます。よって金眼の鷲の監視を優先しました」


「レイフォード家の秘密主義の弊害じゃのう」


 任務遂行が優先事項であることは否定のしようがないが、特殊配達課においては最優先ではなかった。

 部隊に人死にが出た際の補填の難しさ、身元がバレないようにする手間。

 それらを勘案すると特配課は少々臆病ともとれる行動原理を有していたのだ。

 それが今、少し無理すれば有益な情報が獲得できる機会を見逃すことに繋がる。

 しかし、特配課と比べても今の隠密行動可能な人員の数は非常に少ない。

 何せアラタとクリスの二人しか実働部隊がいないのだから。

 分からなかったものは仕方ない、そう目を伏せながらドレイクは新しい葉巻に火を点ける。

 彼が吸い始めたら長くなる。

 そう察知したハルツは話を畳みに入った。


「とにかく、アラタ君は赤マントの捜査を頼む。有益な情報が入り次第、再度会議を開き、作戦実行に移る。では今日はこれで」


 彼が2本目の葉巻を一吸い二吸いしたところで会議は終了、解散と相成った。

 調査は引き続き行われるが、取り敢えず今は寝たいと足早に家に帰り、シャワーを浴びて寝た。

 髪を乾かした後のフワフワした感じと、布団の感触、冷たい空気とは裏腹に体温で暖められたベッド、至福の昼寝を堪能した。


 昼食を抜かして爆睡したアラタが起きたのは午後4時ごろの頃だった。

 これ以上寝ては夜寝られなくなる。

 夕食の準備の前に体を動かしておこうと地下訓練場に入り、1人自主練に取り組む中、アラタは自身の様々な変化を確認していた。


 価値観や倫理観、そう言ったものが塗り替えられていくのを感じる。

 良い悪いで言えば間違いなく、言い訳のしようがないくらい悪い。

 悪いに決まっている。

 でも、それなら俺にどうしろと聞きたくなる。

 しゃあないだろ、誰だってこうなるよ。


 1人になると自分のことをあれこれ考える時間が増えすぎていけない。

 アラタは自己と向き合うことをそこそこに、客観的に自己評価を下す。


 刀の腕、ぼちぼち、悪くない。

 体術、まだ自信のある相手には厳しいけど刀アリならそこそこ。

 魔術、それだけは厳しいけど搦め手として使うなら様になっていると思う。

 スキル、最近はあまり増えていないけどしょうがない、【身体強化】はある程度育ってきたように思う。

 エクストラスキル、【不溢の器カイロ・クレイ】。

 とんだ糞スキルだと思っていたけど、最近はそうでもないと思っている。

 伸びしろが欲しいと言って、あいつが渡してきたスキル。

 効果は何となく想像できる。

 魔力量が増えていることもそう言うことなんだろう。


 総じて、俺はぼちぼち戦える。

 過信しているわけじゃない、強い敵と当たれば多分死ぬ。

 でも、結構強い相手とでも逃げるだけなら何とかなるんじゃ、そう思う。


 刀を収め、汗を拭きながら階段を上がる、これから夕食の準備があるのだ。


「お、クリス」


「今終わりか」


「うん」


 それだけ言うと2人はすれ違い、別々の方向へと歩いて行く。


 ——今日の夜ご飯何だろう。


「今日は魚の干物があるからそれ焼くよ。後は昨日の残りかな」


「え?」


「いや、お魚。嫌だった?」


「いや、だから」


 何か嚙み合わない。


「夜ご飯何かなって聞いたから、魚だよって」


「違う、そうじゃない。私は……」


 困惑するクリスを見て、アラタは『珍しいな』という感想と僅かな新鮮味を抱いた。

 普段クールな彼女を見ていると、こんな顔もするんだなとギャップを感じる。


 ——こんな顔って、どんな顔だ。


「だから、こう、キュッって感じ」


 ——アラタ、分かるか。


「だから何が?」


 ——口だよ。動いてない。


「あー、なるほど」


 さっきからクリスの口が動いていない。


 ——分かるか?


 ——うん。


 テレパシーみたいな感じか。


 ——テレパシー? これは恐らく【以心伝心】というスキルだ。


「へー」


「多分私とお前の専用回線だ。後でドレイクで試してみる」


「はーい」


 新しいスキルが発現したというのに、アラタの反応は淡泊なものだった。

 その程度ならハンドサインで事足りるからだ。

 テレパシーとハンドサインとでは大きな違いがあるのだが、その違いが分かるほど彼の頭は良くない。


 ——ご飯まだかなぁ。


「まだだぞ」


「心を読むな!」


 ——そんなこと言っても……どうすんのこれ。


「どうもこうもない。オフにしろ」


 アラタはスキル操作の感覚でスキルをいじろうと試みたが上手くいかない。

 スキルがないみたいだ。


「これ、クリスのスキルだろ」


 ——む、そうか。すまないな。


 プツンと線が切れ、会話が終了した。

 距離の制限とかあるんだろうけど、なかなか便利なスキルだな、とアラタは感心した。

 自分が進化する瞬間には何度も立ち会っているけど、人にスキルが発現した瞬間には初めて遭遇したから。

 俺の力じゃないけど、俺が成長したみたいにちょっと嬉しい。

 他の皆もこんな気持ちだったのかな。


 ——ふふっ、繋がりか。


「案外感情豊かなのな」


「うっうるさい!」


 クリスの声が階段に反響して、やがて消えた。

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