第120話 交差する道

 眼下に広がる阿鼻叫喚の殺戮地獄を、アラタはただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。

 距離的には左程離れていない。

 それでも今から結界を破壊し、侵入し、冒険者50名以上を相手取り彼らを助けることは不可能だ。

 倒れていく元仲間たち、彼らは完全に不意を突かれ、大した応戦もできないまま大半が討ち取られていく。

 それほど相手は精鋭ぞろいで、準備に準備を重ね、このクエストに挑んだのだ。


「ノイマンさん……みんな…………」


 見知った顔が望遠鏡に映し出される。

 特配課も、冒険者も、双方に面識があり、双方の立場で働いたことがある。

 アラタからすれば、同士討ちにも等しい悪夢だ。


 ノイマンさん……ドルフ、エストさん、ルカ、クリス……クリスはどこ行った!?


 気付いた時、アラタは走り出していた。

 屋根の上は酷く不安定だ。

 瓦のような、元の世界でも主にヨーロッパを中心に使用されているスレートという建築素材がある。

 人工のものは今の日本でも広く取り扱われているが、天然物となると高価かつ施工能力を持つ業者の少なさから、東京駅の屋根など使用先は限られる。

 こと異世界では天然スレートが主流の様で、アトラの街の屋根はほとんど天然スレートで構成されていた。

 アラタが思い切り踏ん張ると割れたりずれたり、とにかく破損する。

 屋根の傾斜に沿って割れたスレートが地面に落下するが幸い通行人はいないようだ。

 当の本人は通行人の安全など頭の片隅にすらないだろうが、疾走するアラタはクリスと彼女を取り囲む重武装の一団をその目に捉えた。

 クリスは既にはっきりと姿をさらしており、黒装束の効果で隠れることも出来ない。


 ポーチから小包を取り出す。

 その中には正露丸のような黒い丸薬が数個。

 走りながらそれを服用すると、アラタは水も使わず飲み込んだ。

 彼は走りながら刀を抜き、賭けに出る。


 もし結界が外から入れないのなら、クリスはそのまま死ぬ。

 でも敵は外から仕留めようとしている、なら最低でも魔術や刀は通るはずだ。

 ドルフには魔術戦闘を教えてもらった。

 緊迫した場面で正常な思考を保つコツはルカから教えてもらって、見て盗んだ。

 オレティスにはクリスの過去を、何かを飲み込んで生きていくことを教えてもらった。

 クリスには、隊長には何度も助けられた。

 無口な人だけど、仲間想いのひとだ。


 彼らやその主であるエリザベスを裏切りそこから去ったアラタだが、仕事は辛いことばかりだったが、同僚たちのことを救いようのない純粋な悪人だとは最後まで思えなかった。


『大丈夫、お前なら出来る』


 血の1週間の初日が終わった時、自分に自信がないことを打ち明けた。

 それに対するノイマンの答えがそれだった。

 豪快に笑いながら背中を叩いてきたあの日の記憶がはっきりと浮かんでくる。


 ——大丈夫、俺なら出来る。


 クリスが自らの死を確信し受け入れた時、敵の魔術は数多の雷に、遠距離武器は風の刃に阻まれた。


「立てるか。こっから逃げるぞ」


 クリスは自分たちの元を去っておきながら、今こうして己を助けんと手を差し伸べ、敵の攻撃から救ってくれた男を見て、なぜ自分たちの居場所が漏れたのか想像した。


「貴様……どの面下げて……くっ」


「心は元気そうだけど体は限界みたいだな」


 アラタはクリスの股に手を通し、身体を持ち上げた。

 ファイヤーマンズキャリーと呼ばれるこの運搬方法は、実際の重量より持ち上げにくいと言われている脱力した人間でも比較的容易に持ち上げることの可能な持ち方だ。

 この裏切り者は許せないとクリスは拳をぶつけるが、いかんせん先ほどアラタがギリギリ間に合わなかったせいで満身創痍、力のこもっていないパンチはアラタに気付いてすらもらえない。

 そう言えば私を攻撃した敵は、ちょうど朧げな意識の中でクリスが考えた時、


「追え! 猟犬の仲間だ! 絶対に逃がすな!」


 こいつはもう仲間では……この姿を見れば誰でもそう考えるか。

 黒装束に身を包み、私を助け逃げようとするこいつは特配課の一員に見えるのだろう、それが例え裏切り者でみんなの仇だったとしても。


 そこまでで彼女の意識は途絶えた。

 意識を失ったことで体感的にクリスは先ほどより重くなったわけだが、元々軽い体つきだ、ノイマンやオレティスを抱えて訓練したことを考えれば少し重いリュックを背負っているのと大差ない。

 アラタはそのまま入り組んだ路地の中に入り追手を撒こうと逃走を開始した。

 彼の攻撃を受けた冒険者たちは、死者こそ出なかったもののそれなりのダメージを追い、追跡できる人間も重装備が裏目に出て鎧を脱ぎ捨てている間にアラタの姿は消えてしまった。

 ティンダロスの猟犬討伐クエストは失敗したのだ。

 結果は特配課の生き残り一人と、その協力者を取り逃がすという何とも後味の悪い結果となる。

 アラタそう未来を思い描き一安心した。

 しかし、


「止まれ! 賊め、もう逃げれれないぞ!」


 ……最悪だ。

 個人的に今一番会いたくなかった奴が出た。

 リーゼも、ハルツさんも、その仲間も一緒か。

 揃いも揃ってぞろぞろと、詰んだかな。


 彼の目の前にはノイマン達特配課の主戦力を相手にしていたグループが、背後からはクリスを仕留め損ない追いかけてきたグループがいる。


 正体を明かして降参するか?

 先生に尻尾切りされなければ俺はただの潜入捜査で済む、実際そうなんだし。

 けど、クリスは違うだろ。

 確保したのは俺の手柄だ、俺が権利ってか優先権を主張するか?

 多分ダメなんだろうな、望遠鏡で覗いてた時、特務警邏の野郎がいた。

 あいつらは一緒に任務をやったこともある、なのに敵にいた、かすめ取られてそれまでだ。


 …………俺にもっと力があればよかったのにな。

 人ひとり庇うくらいの権力があれば、ここで仲間の所に合流して、特配課の生き残りも保護出来て、話はそれで終わりだ。

 でも、そうならなかった、そうできなかった。


 決めただろ、エリーを止めるって。

 その為なら何だってやってみせる。

 どんな最期を迎えても、たとえ死んでも、俺は俺の決めた道を進み続ける。


 背負っていたクリスを降ろし、刀に手を掛けた。

 仮面に隠された素顔を見ることは出来ないが、特徴的な武器を引き抜くだけで、彼を知っている者は十分理解した。


「………………は? お前は、いや、そんな」


 力の抜けた声をノエルがあげている間、アラタは魔力をこの場でほぼ使い切るつもりで練り上げ、消耗度外視の短期決戦に出た。

 乱入前に摂取した丸薬の効果も丁度ピーク、興奮作用、鎮痛作用、魔力増強、身体能力増加、薬物の効果をその五体で感じながら一歩前に足を踏み出す。


「避けろ!」


 ハルツの号令を受けた冒険者の身体は自然と回避する体制に入る。

 何を避けるかなんて知らないにもかかわらずに、だ。

 これがBランク冒険者、【聖騎士】ハルツ・クラークの能力だが、これだけ多くの人数を鼓舞する能力にまで昇華した者はそう多くないだろう。

 彼らが回避に動き出したそのコンマ2秒ほど後に、石畳は音を立てて割れ、土の棘が地面から放たれた。

 あと少し回避が遅れていたら怪我では済まなかった。

 そんな状況に冷や汗をかく冒険者が大半の中、ハルツが声を発するよりも更に前にアラタへ向けて走り出していた剣聖の少女は、目にも止まらぬ速度の刺突を繰り出しフードを捉える。

 剣を横に振って穴の開いたフードを引き裂く。

 剣聖の力を行使しているノエルの攻撃を回避する精鋭、彼女も躱されることを予期していたのかそのまま顔を斬りつけた。

 これも身を捩って回避し、お返しとばかりに刀の柄を防具の隙間に打ち込まれ僅かなうめき声と共に距離を取る。

 斬りつけた際ヒモが切れたのか、仮面が落ちそうになる。


「おっと」


 頭を隠すフードはすでになく、見覚えのある髪型が露になっている。

 左手で仮面を押さえる謎の人物は、刀を持った手では片手しか使えない。


「……何で」


 ギリッ。


 周囲に聞こえるほどの歯ぎしりを鳴らせて再び突撃するノエル。

 仮面を押さえながら応戦する彼の形勢は非常に悪い。

 クリスを殺されないように守りながら戦い、それでいて剣聖と正面から斬り合わなければならないのだ。

 このままでは長くは持たない。

 土棘で遠ざけた敵まで戻ってくる。


 仮面は諦めるか。


 両手で刀を構え、撃ち込んだ真っ向斬りは間合いの外、外れた。

 10mほど距離を取り、ノエルが顔を上げると、そこには待ち望んだ人が立っていた。

 破れたフード、落ちた仮面、露になった顔には頬に一筋の切り傷、攻撃は掠っていたみたいだ。


「帰ろう?」


 自分でも何を言っているのか分からないが、ノエルは剣を収めてアラタに手を伸ばしている。

 彼はまだ戦闘態勢のまま武器を構え、こちらの様子を窺っているというのに。


「今ならまだ間に合う。だから、ね? 今投降すれば悪いようにはしない」


 ——待って、違う、そうじゃない。

 ——本当に私が言いたいことじゃない、違う、違うってば。

 ——やめて、私のふりをしないで、お願い、なんでも言うこと聞くから。


 ——嫌だね。やっと面白くなってきたんだ。


「……悪い」


 アラタの中から自分の姿が消えていくのを感じて、ノエルは焦り、早口でまくし立てる。


「その女を渡せ! 冒険者資格はく奪では済まないぞ!」


 ——違う、ただ私は傷つけてごめんなさいって、ただ仲直りを……


「俺にもやることがある。こいつは渡せない、また殺すんだろう」


 ——そんなことは……


「当たり前だ、そいつはティンダロスの猟犬だ! 討伐命令が出ているんだぞ!」


 ——やめて、もうやめてよ。

 ——私の身体なのに、なんで言うこと聞いてくれないんだ。


「悪い」


 水陣、炎弾、氷結。

 水陣で作り出した水を炎弾で蒸発させ水蒸気を作り出す。

 氷結で辺りの気温を下げ、凝結した水蒸気が霧状の水滴になる手助けをする。

 冬の入り口、湿度がやや低いのがネックだが、魔術で十分補えている。

 アラタは刀を仕舞い、仮面を当てながらクリスを担いでその場を後にした。

 気配遮断、仮面、黒装束を持つアラタを相手に視界まで奪われた。

 冒険者たちは今度こそ完全に討伐対象とその逃走を幇助した男をロストしたのだ。

 霧が晴れた時、敵はそこにおらず、クリスの零した血痕すらそこにはなかった。

 まさに煙のように。


「またやってしまった」


 隅でうずくまり、顔を膝にうずめたままノエルは小さく吐き出した。


 あんなに頑張ったのに、今度こそ制御できると思っていたのに。

 なんで私に意地悪するの?

 私はアラタに謝って、仲直りして、また一緒にクエストに行きたいだけなのに。

 酷いよ、お前も、アラタもひどいよ。


 肩を震わせているノエルを、リーゼは慰めようと言葉を探し、頭を撫でようとしたがかける言葉が見つからない。


 せっかくここまで頑張ったのに、貴方がそちら側にいるとは思いませんよ。

 そんなのあんまりです。

 私だって悪かったことはあって、反省して、また同じ時を過ごしたいと願っているのに、貴方はいつも最悪の場所に立っている。


 死ぬような怪我人がいないことが幸いだったが、目の前で泣き崩れるノエルを見てハルツは一体何を思ったのだろう。

 作戦の失敗を受けてレイヒムは何を考えたのだろう。

 ティンダロスの猟犬の討伐は完遂されなかった。


 ——嫌いだ、お前も、アラタも、全部嫌いだ。


 ——あぁ面白かった。私はお前もアラタも好きだぞ? 最高の玩具だ。


 ——ぶっ殺してやる。


 ——いいね、けど私はお前だ。その怒りは私が外に向けて晴らしてやるよ。


「ノエル、とにかく立って、帰りましょう」


「全部ぶっ壊してやる」


 手を差し伸べた時、小さく一言、殺意の籠った言葉と共に、リーゼの腕に浅く切り傷が走った。


「つっ! ノエル!?」


 まずい、まずいまずいまずい!


「リーゼ! そこから離れろ!」


 剣聖の暴走が始まった。

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