第121話 消えそうな程寂しくて

 アラタとの再会、そして別離をトリガーとして、剣聖の暴走が始まってしまった。


「対象は……くそっ、対象はっ!」


「止めて叔父様! ノエルはまだやれます!」


「隊長! これ以上持ちません!」


 しばらく状況を静観していたレイヒムだが、ノエルの管理を受け持っていたハルツが動けずにいると、仕方なさそうにため息をつきながら下知を下す。


「対象を、Cランク冒険者ノエル・クレストをAランク討伐対象に認定、レイヒム・トロンボーンの責任で対象の討伐に移行する」


 結界が解除され、冒険者たちが陣形を組みながらノエルに接近する。

 リーゼは正気に戻るように叫び続けているが、その声はれていてもはや言葉としての体を成していない。

 恐れていた事態がついに起きたのだ。

 ノエルのクラス【剣聖】に宿る人格との交代、それは死ぬまで殺戮を繰り返すただの機械に成り下がることを意味しており、この国では剣聖を処理しなければならなかった。

 元の人格が主導権を取り戻せばその限りではないが、今の傷ついたノエルにそれを期待することはできない。

 執行能力を有する組織の長は剣聖を討伐する責務を持つ、それがレイヒムの役割だ。

 彼の指揮の元、行動する冒険者たちも法律は理解していた。

 それほど闇に堕ちた剣聖が危険な存在であることは周知の事実であり、それは相手がクレスト家の一人娘であるノエルであっても例外では……ないのだ。


「みんなやめて! ノエルを斬れるわけないでしょ!」


 そんな趣旨の叫び声を上げているが、意味など伝わらないレベルに彼女の声は掠れていて、のどが裂けたのか口元には血が滲んでいる。


 近接戦闘を得意とする冒険者たちはノエルの剣の間合いに踏み込むと、四方から襲い掛かる。

 だが理性を失っているといっても、彼女のスキル【剣聖の間合い】の恩恵は勇者のそれよりも強く大きい。

 同じくらいの強さの魔物を仕留めるのなら既に決着はついていただろう。

 見ず知らずの黒装束なら既に敵は生きていないだろう。

 しかし、彼女はクレスト家たった一人の跡継ぎで、いつも元気に笑っていたノエルで、今まで幾度となく共に戦ってきた冒険者仲間で、表の世界を生きる冒険者達では、敵であるティンダロスの猟犬を討伐することはできても、先ほどまで肩を並べて戦っていた仲間を殺すことなど夢のまた夢だった。

 何号か攻防が繰り広げられた後、一度距離を取ったノエルと冒険者たちは呼吸を整えながら次の動きに思いを巡らせる。

 既に何名も戦闘不能に陥り、決して軽くない傷を負っている者もいる。

 今はレイヒムとハルツが先頭に立ち戦っているが、討伐の指示を出した彼でさえ躊躇して満足に武器を振るうことが出来ていないのだ。

 その態度は部下へと伝染して、既にこの場でノエルを仕留めることのできる人間はいなくなっていた。


 レイヒムは力の入らない手を睨みながら、剣聖討伐の難しさを体感している真っ最中だ。

 さっきまで同じようにティンダロスの猟犬を相手にして勝利したのだ、出来ないことは無い。

 それでも手はすんでのところで力を緩めて彼女の防御を間に合わせてしまう。

 冒険者たちに打つ手なし、かと言ってノエルに自分たちを殺させるわけにはいかない一同だが、これほどの相手に余計な思考をしていては命を落とす。

 現に戦闘不能に陥っている仲間たちはあと一歩のところまで迫りながら、攻撃の手を緩めてカウンターを食らったものばかりだ。

 どうあっても仕留める気のない彼らに出来ることなし、そんな空気感を察知してかノエルは今までより更に速く距離を詰め、前衛の冒険者たちの間を通り抜けた。

 彼女の狙いは後方の近距離戦が得意ではない者たちだ。

 ハルツやレイヒムの援護があればノエルとも渡り合えるくらいの猛者だが、今2人は前にいて突破されたばかり、自分たちを守る存在はどこにもいない。

 ハルツも、レイヒムも、他の冒険者たちも間に合わないと思ったそこに、横から入ってきた人とは…………


「ノエルゥゥゥウウウ!!!」


 負傷した者の側に初めから付き添っていて、けれども五体満足な冒険者。

 明らかにノエルの動きを予測して動き出していたリーゼの両手には1本の槍が握られている。

 彼女も聖騎士、ハルツと同じクラスを持ち、ポテンシャル的には彼を凌駕すると言われている新進気鋭の冒険者、ノエルが生まれたころからの付き合いである彼女の眼には大粒の涙が溢れていた。

 取り返しがつかなくなる前に、それは2年前ノエルが暴走しかけた時に彼女がリーゼに頼んだことだった。

 そうならないように頑張りましょうと、彼女は約束することを拒んだ。


 今まさにこうなってしまった以上、ノエルを送るのは私の役目でしょう!

 物心つく前からの付き合いで、妹がいない私の可愛い年下の子で、兄妹の居ないあの子の同年代のお友達として、主従関係に似た関係を持つ私だからこそ、でしょう。

 あのバカな異世界人がいたら同じことをしたでしょうし、代わりの意味も込めて、私が——


 ノエルはリーゼの攻撃を避けることが出来なかった。

 視界にははっきりと入っていたのだ、避けられなかったのではなく、避けなかったのかもしれない。

 剣聖の人格が主導権を握っている状況の出来事だ、今となってはどちらが正しかったのか確かめる術はない。

 そしてリーゼの持つ槍の穂先がノエルの心臓に突き刺さろうかという瞬間、


「それはまずいな」


 槍の先端が消し飛び、リーゼはノエルに体当たりした。

 中庭のようになっている路地裏の広場に切り落とされた槍の穂が落ちる音と、2人が倒れ込む音が同時に聞こえた。

 まるで時間が一瞬止まったかのように、ほんのわずかな時間の静寂ののち、ノエルは手にしている剣の鋒を突き出そうと振りかぶった。

 そしてリーゼの喉元に剣が突きたてられようとしたその時、今度は剣が宙を舞い、今起きている事象にフリーズしているハルツの横に、ガランと音を立てて落下した。

 音を合図に、目の前で起きたことの原因よりも、状況にたたき起こされたかのようにレイヒムが叫んだ。


「確保! 今なら丸腰だ、殺すな!」


 リーゼの治療を受けていた負傷者たちがノエルに覆いかぶさると、次々にノエルの手足を押さえに飛び掛かった。

 リーゼもまとめて抑え込まれ、冒険者たちはノエルの手を掴んでいるのかリーゼの足を掴んでいるのか分かっていなかったが、それでも数十人の人間は剣聖に飲まれたノエルを討伐することなく無力化することに成功したのだ。


 ハルツは奇跡にただ感謝するほかなかったが、リーゼの持つ槍が斬り飛ばされたことと言い、ノエルの剣が弾き飛ばされたことと言い、この窮地を救ってくれた名も知らぬ誰かに感謝の念を抱くと共に、いったいどれほどの技量を以てすればあの状況で正確に武器を破壊することが出来るのかと背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。


 記録ではこの日、ティンダロスの猟犬構成員一人の逃走を幇助した元Eランク冒険者アラタと、Cランク冒険者ノエル・クレストが問答、アラタの逃走後剣聖の人格が一時的に顕現し、レイヒム・トロンボーンが指揮を執り無傷で拘束したとある。

 しかし事実は多少異なることを現場にいた彼らは知っていた。

 この件に関しては緘口令の類は敷かれることは無かったが、誰の口からも語られることがなかった。


 ……繰り返すが、緘口令の類は敷かれていなかった。


※※※※※※※※※※※※※※※


 ノエルが滞在しているハルツの屋敷で目を覚ましたのは、クエスト当日の夜だった。

 間借りしている部屋は綺麗に整理整頓がなされていて、彼女がしたものではないと一目で分かる。

 服は綺麗に収納され、布団もシーツも清潔かつきっちり、部屋にはゴミ一つ落ちていない。

 そんな普段の様子と異なる部屋だが、異なる点はほかにもあった。


「……そうか。当然か」


 彼女の部屋には武器装備の類が1つもなく、一切合切全て没収されたのだと推察される。

 ノエルは記憶を辿り、自分が剣聖に飲まれたことを理解し、それならなぜ今こうして自分が表に出ているのか不思議に思った。

 だが答えは簡単で、あの時完全には主導権を渡していなかった、それだけだ。


 あの場で殺されて当然の状態で、リーゼが泣いていて、多くの人を傷つけて、それでも私は今こうして……

 起きよう。


 そう思いベッドから起き上がろうとしたノエルが腹部に覚えた違和感と、思い通りに動かない体に顔をしかめる。


「ん? これは?」


 違和感の正体は鎖だった。

 ノエルの指の太さほどもあるしっかりとした鎖。

 それは手首足首に加えて腹部にもしっかりと巻かれていて、起き上がることすらできない。


「ノエル様、お気分は如何ですかな?」


「ドレイク……殿、私は」


 さっき見た時はいなかったのに、いつの間にかドレイク殿は椅子に座ってこちらを観察している。


 椅子を反対向きにして足を開いて座り、賢者の様には見えないし、年相応にも見えない。

 纏う雰囲気こそ落ち着いていて年長者のそれを感じつが、立ち居振る舞いはアラタと同世代と言われても分かるくらいの軽さを持っている。

 周囲の状況を正確に把握できているが、それがどんな意味を持つのかいまいち理解が追い付かないと言った様子のノエルを眺めて、ドレイクは少し笑い、年寄りらしからぬ真っ白な歯を覗かせノエルの拘束を解き始めた。


「ドレイク殿? 私は」


「問題ありませぬよ。試しにほれ、起き上がろうとしてくだされ」


 既に彼女を縛るものは何もない、今ノエルの人格が剣聖のそれなら彼女はドレイクに襲い掛かるだろう。

 しかし自信満々に言い放つ彼の言葉に従い、ノエルは横を向きベッドを手で押して起き上がろうとした。


「お? おぅおぅおぉ!?」


 起き上がろうとすると起き上がることが出来ない。

 圧迫されている感覚も無ければ全く動けないという訳でもない。

 ただ、この寝台から起き上がろうとする行為がキャンセルされている、そう言い現わせばいいのか、正しいのか分からないがノエルは目を白黒させながら呻いている。

 起き上がることを諦め、仰向けに天井を見上げたノエルを見て満足そうに頷きながらドレイクは優しくささやく。


「ワシは行かねばならない所があります。この部屋の中でなら自由に動けるようにしました。ノエル様がこれからどうなさりたいのか、ワシが戻って来るまで考えておいてくだされ」


 彼はそう言うと部屋を後にした。

 ノエルはドレイクの言ったことを確認するように、先ほどと同じことをしてみる。

 起き上がることが出来た。

 立ち上がることも、歩くことも、座ることも。

 ただ、窓を開けることはできても外に出ることはできない。

 扉も同様に、そこから出ることはできない。

 ノエルはベッドに腰掛けると、『どうしたいのか』それについて考えた。


「……グスッ…………スンッ、スンッ、リーゼ……アラタ、アラタァ。会いたいよ、1人は寂しいよ。ンック、誰か、手を握って……」

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