第119話 先に行くよ

 後ろに束ねられた黒髪。

 燃えるように赤い瞳。

 俺はこいつを知っている、というより誰でも知っている。

 有名人中の有名人、今回の大公選候補者シャノン・クレストの一人娘、【剣聖】ノエル・クレスト。

 アラタがここに来る前、暴走して引きこもっているという話は知っていたが、立ち直ったのか?


 ノエルの背後には仲間の冒険者たち、背後は強力な結界で封鎖済み。

 特配課お得意の逃げや潜伏は通じない。

 ノイマンは外套と仮面を脱ぎ捨てた。

 アラタ達B,D分隊がドラールの街でイーデンを討伐した際、彼が軽装に切り替えたのと同じ理由だ。

 逃げ切れない、正面戦闘しか選択肢がない時、より動きやすい格好になるのは当たり前だ。

 服の下の筋肉が露になり、それだけで彼の周囲の温度が僅かに上がる気さえする。

 折れたのは肋骨のみ、あれだけ吹き飛ばされたそれで済んだのは幸運だ。

 背後に控える冒険者の数が増え続ける。

 それは他に回っていた人員の受け持ちが完了したことを示している。


 ティンダロスの猟犬は、特殊配達課は殲滅されたのだ。

 恐らく残っているのはノイマンただ一人。


「30%」


 そう呟いた少女は突貫、距離を詰めてノイマンに斬りかかった。

 躱しきれ……た、辛うじてノイマンは攻撃を避け、その場から飛びのくが冒険者の援護射撃が彼を逃さない。

 火球が直撃、黒装束の防御で火傷はないが衝撃は伝わる。

 飛びのいた先でよろけた彼にノエルの2撃、3撃目が襲い掛かった。

 躱し、剣で受け、下がり続け結界まで追い詰められ足から魔術を起動した。

 土棘、それをアラタに実戦で使えるレベルにまで仕込んだのは彼だ。

 敷き詰められた石板はひび割れ、隙間から造形された棘が殺到する。

 その数10、剣で捌き切れるものではない。


「40%」


 そう彼女が口にすると、棘の動きが急激に鈍くなり、そして停止した。

 まるで魔力が枯渇し正確に手順が完結しなかった時のように、地球の重力に押さえつけられるように、これ以上は無理と叫ぶように。

 開いた呼吸、間合い、その隙間を通すようにノエルは剣を滑らせた。

 重厚な金属音が辺りに響き、意表を突かれたノエルと歯を食いしばるノイマン、両者の間に何とも言えない空白の時間が流れる。


ここに来てクラスの差が勝負を分けることとなった。

 ノイマンのクラスは大工、このシチュエーションで発動するような能力はない。

 ノエルのクラスは剣聖、このケース、本人の思考が一瞬止まった隙に体は勝手に最適解を導き出した。

 首を狙って斬りつけた横向きの斬撃、それを左前腕に仕込んでいた手甲とガントレッドで防がれた後、左手を柄から離す。

 右手を前方へ押し出すように差し出し、開かれた手の上をガントレッドとの接触点を支点に柄が半回転する。

 ノエルが右手を握りしめ、その中に柄があった時、逆手に持たれた剣の柄はノイマンの方向を向いていた。

 アドリブ、クラスの補助によりセミオートな動作のなすがまま、首元めがけて柄を差し出し、金属の棒は男の喉仏を砕いた。


「ごぼぉ、ごぼっ」


 ノイマンは【痛覚軽減】を持っている、突きを食らった痛みはさほどでもない。

 しかし、甲状軟骨、つまり喉仏が破壊された衝撃、それにより時間と共に気管が閉塞する可能性が極めて高くなる。

 窒息してしまうのだ、本来であれば迅速に呼吸系、循環系、中枢神経系を調べ、適切な処置を行わなければ最悪命に関わる。

 溺れる、地上でありながら水の底に沈んだように溺れてしまうのだ。

 呼吸に支障をきたし、残り時間が生まれてしまったノイマンはそれでも武器を構える。

 剣、ガントレッド、長い間付き合ってくれた相棒たちに今一度力を求める。


 レイフォード家で落ちこぼれていた自分を見初めてくれて、個性豊かな仲間に出会わせてくれて、分不相応にも特殊配達課の課長、隊長にまで抜擢してくれた。

 例えこうして処分されることになっても、それはいつか来ることだと分かっていた。

 大公選が終わる前にその役目を終えることになるとは思っていなかった彼だが、目の前にいる敵対勢力の娘、道連れにするにはこれ以上ない相手だ。


 ノイマンは呼吸を整えようと必死に潰れた喉を上下させるが、もう彼にそれはできない。

 掠れるような音で、空気が出たり入ったりするだけ、肺までそれは届いていない。


「諦める気は無いようだな」


 ノエルの語り掛けに覚悟を決めて頷くノイマン。

 ならば致し方なし、ノエルは強く一歩踏み出す。

 先ほどよりも更にはやく距離を詰め、手練れのノイマンでさえ目で追いきることが出来ない速度で剣を振り下ろした。

 血が飛び彼から分割された『元』ノイマンの右腕が建物の壁に当たり、べしゃりと地面に落ちる。

 額には尋常ではない量の脂汗が噴き出し、悪寒が体中を駆け巡るが、汗をぬぐう右腕は既に無くなり、左腕も右腕を押さえるので精いっぱいだ。

 滴る汗を拭くことも出来ず、地面に水滴が垂れては冷えた石畳を濡らすが、その一部は落ちることなくノイマンの眉とまつ毛をすり抜けて目に入る。

 汗が目に染みる不快感などすでに覚えぬほどの激痛に顔をしかめながら壁にもたれかかった。


 …………ここまでか。

 最後までお供出来なかったのは心残りだが、まあいい。

 この仕事をして、この人生を歩んだことに後悔は無い。

 人に自慢できるものではなかったが、自分自身に誇ることのできる人生だった。

 まさかお前に託すことになるとはな、アラタ。


「ごほっ……ア、げほぉ、げほっ、かっは……」


「ノエル、捕縛します」


「いや、もう無理だ。私がやる」


 ——殿下を頼むぞ、アラタ。


 最後の景色は薄汚れた裏路地の汚い地面だった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「カヒュッ、ヒュー、ヒュー」


「敵は残りわずかだ! 残さず仕留めろ!」


 私は……足の感覚が、そうか、右足、無くなっていたのか。


 部隊が再編される前も後も、どちらもB2として分隊長のクリスを支えていたルカは、半分になり、ぼやけた世界を胡乱うろんな表情で眺めていた。

 建物に背を預け、壊れた人形のように座ったまま失血死するのを待つばかりだ。

 彼女の周りには冒険者が数名、息絶えるのを見ていた。

 これ以上傷つける気も無ければ、助ける気もない。

 彼らからすれば捕虜は欲しい、助からないと判断されたのかもしれない。

 太陽に照らされてキラキラ光る重装備の彼らの鎧がルカの目に入る。


 …………いいなぁ。

 かっこいいなぁ、私の黒いやつと交換してほしい。

 私も、私だって出来ることなら真っ当に生きてみたかった。

 普通に働いて、普通に恋して、普通に結婚して、普通に死にたかった。

 あー、クリスちゃん、逃げて。

 エリちゃんは好きな人を見つけた。

 次はクリスちゃんだから、きっとイケメンの優しい人に出会えるから。

 私の分まで…………


「確認しろ」


「…………死んでいます。次に行きましょう」


 彼女の亡骸の向こうでは、エストが捕まることを避けるために喉に剣を突き立てて自害していた。

 他の仲間も、ことごとく戦死か自害を選び、討ち取られていった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「こっちはこれで終わりだ。他は?」


「はい、自殺者多数、取り逃しゼロ、今のところ捕縛もゼロです」


「……そうか、死なせないのは難しいな」


 時間にして僅か数分、アラタが言葉を失い、介入する隙も無いほどの短い時間でクエストはほぼ完了した。

 後は結界起動前に外に出てしまった最後の1人を仕留めれば任務完了だ。

 レイヒムやハルツからすれば、特務警邏との合同クエストになった点は不満だったが結果には十分満足していた。

 大公選候補者シャノン・クレストの一人娘ノエルに危害を加えようとしたこともある組織だ、出来る限り早めに潰しておきたかった。

 ティンダロスの猟犬という呼び名がささやかれるようになってから5年以上、ようやく終止符が打たれたと彼らは喜んだ。


※※※※※※※※※※※※※※※


 時を同じくして、学校への道を歩くクリスは何も知らず突然冒険者たちに取り囲まれた。


「貴様ら何者だ」


 ……外套の効果を無効化している。

 明らかに手練れ、私を狙ってこの場にいるということは、先ほどまでの動きも監視されていたのか。

 だとすれば……いや、それは考えても仕方ない、今は逃げる!


「今だ!」


 魔術師風な冒険者たちを中心とした結界が組みあがる。

 風が吹き抜けた後、クリスは理解した。

 自分はとうに詰んでいたのだと。

 おそらくそれなりの等級の冒険者たち、隙の無い布陣で遠距離から魔術と弓で仕留める構えを見せている。

 半円状に陣形を組み、結界外から攻撃を仕掛ける。

 外から内の攻撃はスルーされる仕組みの様で、冒険者たちは一切の躊躇なく彼女に攻撃を開始した。


 数撃躱し、数撃撃ち落とす。

 しかし攻撃は10をゆうに超え、人一人が捌き切れる量ではなかった。

 矢が上腕に突き刺さり、短剣が地面に落下する。

 予備のナイフを手にしてみるも、まともに使えない利き腕、逃げ場のない戦場。

 絶体絶命、死の間際発射された敵の攻撃を双眸に映しながら、彼女は奴隷から拾い上げてくれた主に思いを馳せるのだった。


 死ん——————


 風と雷、それに加え土属性の魔術が冒険者と結界の両方に接触しかなりの衝撃に耐えきれず吹き飛ばされる。

 外部からの干渉により、必殺の攻撃は多少軌道を変え、クリスは紙一重で致命傷を避けた。

 攻撃が足に当たり、座り込む彼女だが命に別状はない。

 その彼女の目の前には、自分と同じ、しかし外套が半分の丈しかない、黒装束に身を包んだ刀の使い手が立っていた。


「立てるか。こっから逃げるぞ」

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