第118話 30mmレンズに映った濁世

「んあー、寒っ」


 半地下で、それなりに手の込んだ造りをしている隠れ家だが、生憎暖房器具の類は備え付けられていない。

 それでもベッドにもぐりこんでぬくぬくできるくらいの環境が用意されているのだ、これ以上は何も言えなかった。

 黒装束が手元にある為、潜伏場所にそこまで気を遣う必要はないのかもしれない。

 しかし、屋敷に襲撃をかけられたことを思い出すと、油断してグサリはごめんとばかりにアラタは安全牌を切ることに徹する。

 今日の午後3時、特配課は所定の場所に集合するように命令が下りている。

 暗号文が彼の脱走前と同じものであると仮定するなら、という前置きがあるが、どちらにせよそれ以上手掛かりの無いアラタは現場に向かわざるを得ない。


午前11時、少し早めに昼食を済ませると、アラタはゆっくりと外に出る準備を始めた。

 刀などの武器、一昨日ドレイクからもらった望遠鏡。

 黒装束、各種小道具。

 そしてもう一つ、彼の手元には拳大の球がある。

 何もない昨日、隠れ家で魔術の練習をしているとドレイクが訪ねてきたのだ。

 彼はアラタに花火を手渡した。

 火薬があることにも驚きだが、何故花火? そんな疑問の方が優先された。


「猟犬の違法行為を確認次第、これを打ち上げよ。ワシが向かう」


「殺すんですか」


「いや、ワシが後を追って拠点で捕らえる」


 それだけ言うと、さっさと帰ってしまったのだ。

 火薬があるのなら大砲は? 銃は? そんなことを考えていたアラタだが、今それは関係ない。

 重要なのは、この花火を使って自分は元仲間を売り渡すということだ。

 特殊配達課、かつては共に任務に従事し、戦い、修羅場をくぐり抜けた仲。

 出会いも、分かれも、衝突も、和解も、色んなことがあった。


「裏切り者が板についてきたな」


 冒険者パーティーから抜け、その後の秘密組織も脱走した。

 そんな自らの経歴を振り返り、自嘲気味に笑うと荷物を全て持って出かけていくのだった。


 時間は正午を少し過ぎた頃、11月上旬、今まで少し寒い日が続いていたが今日の日中は暖かそうだ。

 雑踏の中を通り過ぎていく黒装束、普通なら目立って目立って仕方ないのだが、外套の効果で不思議と意識はそちらに向くことは無い。

 存在自体が薄まっているような感覚、向こうは認識できていない為、アラタを避けようとしてくれる親切な人はいない、というよりいたらまずい。

 人混みの中を縫うようにすり抜けながら歩く彼の目に一人の女性の姿が留まった。

 子供、と言っても彼女の実子ではないが、数人の子供を引き連れて両手に荷物を持っている修道服の女性。

 孤児院のリリーを見て、手伝おうと彼女の方に動きかけて、そしてすぐに立ち止まった。


 何やってんだ俺。

 切り替えろよ、けじめはつけろよ。

 俺はもうそう言うことが出来る人間じゃなくなっただろ。

 自分の意志で、そうするべきだと思って、そうしたんだろ。


 そうして男は人混みを避けて裏路地の方へと歩いて行った。


 正直エリーが相談役達の操り人形で、彼女自身は真っ白であるという可能性はほぼない、というよりゼロだ。

 多分エリーも色々裏でやっていて、それを擁護……っていうかあの子がこの先生きていけるように動いている俺はきっと間違っている。

 それでもあの子の為に何かしたくて、持っていたものを捨てたりしてまで、ここにやってきた。

 たとえ嫌われても、憎まれても、何とも思われていなくても、あの子のことを、レイフォード家を止めなきゃいけないんだ。


 時計の長針が3周した時、アラタは3番街105通り近くの建物の屋根にうつぶせになっていた。

 正確な集合地点からおよそ300メートル、街中でこの距離間であれば早々気付かれることもないだろう。

 アラタは特配課時代、索敵を担当していた経験からそう判断し、見晴らしのいい屋根の上に陣取った。

 ポンチョを少し上にずらし、フードが望遠鏡ごと自分を包み込むようにする。

 レンズを除くと、薄暗い視界の中央に人が映る。

 黒装束に身を包んだ人間を認知するにはコツがいるのだが、アラタは条件を満たしている。

 ノイマンも、クリスも、コーニ―も、分隊長は3人とも確認され、残りのメンバーもはっきり見えた。

 花火を用意しつつ、監視を続行する。

 普通武装した大人数が一箇所に集まれば何事かと騒ぎになり、場合によっては警邏が出動してくる事態になるだろう。

 ただ、その辺りも含めて黒装束という高価で高性能な魔道具が全てを隠してくれる。

 彼らに慣れて、魔道具の効果にも耐性が付き、既に存在をはっきりと捉えているアラタ以外には、視えていないのだ。

 アラタがただ、観察を続ける。

 続ける以外ないのだ、何もアクションが起きないのだから。

 分隊長も、平隊員も、皆そろいもそろって時間まで待機中、彼らに出来ることは何もない。

 本部からの指令なり、追加の命令なりを誰かが持ってきて、それから動き出す。

 彼もこの集合方法を経験したことがあるが、実は何もありませんでしたとあっさり解散になってこともある。

 任務内容不明、つまり事前準備が不可能、不必要、大したことない任務に当たることが大半であるのだ。

 現在時刻は15:20、普段なら定刻前に誰かが任務内容を全員に伝え、行動を開始するのだが、今日は誰も動かない。

 受け身の状態のまま待機しているから状況に変化がない。


「あ、動いた」


 望遠鏡の先で、ようやく動きがあったかとアラタが思った時、結局動いたのはクリス一人で他はまとまって待機したままだ。

 何かの手違いで誰も任務を知らなかったみたいで、クリスがレイフォード家に指示を仰ぐために動いた。

 アラタは望遠鏡から目を離すと体の向きを変え、空を見上げた。

 乾いた空気で空は晴れ渡り、もう少しすれば雪も降るのだろう、青い空が見れる時期もそろそろ終わる。


「そもそも、現場を押さえようってのが間違っているんだよなあ」


 現代に比べて、証拠をそろえることの難易度が非常に高い異世界、現行犯の価値は跳ね上がる。

 つまり実際に犯行に及ぶ、そこまで事態が推移してから確保する、それがカナンの犯罪捜査の基本だ。

 まだ起こっていないことを理由に貴族を強制捜査して、しらを切られたらそれまでだから。

 ただそれではワンテンポ遅い、アラタはそう考えている。

 専守防衛じゃないけど、一発やられてからしか動けないなら相手は一発で全部壊しに来る。

 普通の人の生活を守りたいのに、壊されてから動くのは矛盾している、そう思った。

 けれども写真やパソコン、監視カメラの無い世界でどうやって解決すればいいのか、そんなアイディアが彼に浮かぶこともなく、再びアラタは望遠鏡を覗いた。


 そこには、30mmレンズの先には、異世界の濁世が映っていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「クリスが帰ってくるまで、ここに居続けるのは変じゃないですか?」


「うーん、確かに」


 エストが言っているのはつまるところ、後ろめたいことをする集団がこうして一所に留まり続けるのはリスクが高い、ということだ。

 外套があるとはいえ、これだけ集まればそれなりの手練れが偶然通りがかれば気付かれる。

 そんな偶然を回避すべく、ノイマンに進言し彼も同意の意味を込めて集合をかけた。


「移動だ。一度解散、1時間後にこの場所に再集合。私はここにいるから何かあれば知らせろ」


 この場所からクリスが向かった学校まで、そこまで距離はないがそれでも5分10分で往復できるような場所ではない。

 猟犬たちはそれぞれ別々の方向に歩き始めた。

 二人一組、裏路地を縫うようにその場から去ろうとする。


 ——違和感。


 何故殿下、エリザベス・フォン・レイフォードはこのような連絡手段を使用し続けるのか。

 結果今日のように伝達ミスで2度手間となり、大幅に時間を無駄にしてしまった。

 合理的で、理性的で、聡明な彼女の印象に対する違和感。

 本当に伝達ミスなのか?

 仮面の奥でノイマンが飼い主に対する疑いを抱いた瞬間、疑念は確信に変わった。

 舗装された石畳の上を魔力が駆け抜け、規則的に配置された増幅装置が結界強度を引き上げる。

 魔石の容量がある限り、脱出不可能な牢獄を構築する為に。


「全員退避! 結界だ!」


 ノイマンが叫んだ次の一コマで、A2、ガスの頭は閃光と共に消し飛んだ。


「殲滅しろ」


 無慈悲で無機質な声に続き、突如出現した完全武装の冒険者たち。

 武装の上には4m四方の布。

 それらを取り払い、投げ捨て、そうすると彼らの存在感が露になる。

 特配課は知っていた。

 その布切れの絶大な効果を。

 気配遮断を誰でも扱える、それ以上の効果をもたらす魔道具を。

 余りにも一瞬の出来事で何が起こったのか理解不能なノイマンだったが、身体は訓練で染み込ませた動きのままひとりでに動き出す。


 ……くそっ。よもや我々が隠密行動で後れを取るとはっ!


 油断がないと言えば嘘になる。

 昼下がり、加えて事前に何の準備も必要としない今回の任務、時間が過ぎても行動開始できず弛緩した空気感、どれも私たちにマイナスに働いている。

 だが! 何よりもあり得ないと思ったのは…………


 彼の頭の中にあったものは主への懐疑心。

 違和感を覚え、疑念を抱き、それが確信に変わった。

 もう疑いようもない、レイフォード家は特殊配達課を潰すのだと。

 しかしそれでも彼は事ここに及んでも、それでも殿下を信じていたかった。

 あの美しい姿を、自らが汚れることも厭わない清濁併せのむ強さを。


 ギデオンが、アガが、イノクが、ドルフが、次々と仲間が討ち取られていく。

 特殊配達課が出来てから長い月日が流れた。

 それでも終わる時は一瞬なのだと、目の前の光景がそう告げている。

 自分たちは死ぬのだと、廃棄されるのだと教えてくれている。


「殿下…………」


 恐らく殿下はこの件には関わっていない。

 このやり口、相談役達の仕業か。

 いや、流石に知ってはいるだろう、俺がそう思いたいだけか。


 路地を駆け抜け、敵の攻撃を躱し、行き止まりに当たる度に道を引き返し、障害を飛び越え、逃げ続ける。

 その間ノイマンはひたすらに考え続けた、主の意志を、考えを。


 まだ大公選までは時間がある、それなのになぜこのタイミングで我々を?

 いや、それは相談役が決めたのか。

 それならどうして? 我々は邪魔なのか?

 何に対して? 我々が何をすると? 何をしたと?

 何もしていない、何もしていないのなら何かをするというのだろうか。

 これから我々特配課が独断専行に走るようなことがあるのか?

 そこまでのことが発生する?

 犯罪なら、殺人なら、恐喝なら、人身売買なら今までもやってきた。

 なら理由はそれではない。

 我々の行動原理、それは殿下の為に、殿下の目指す国の、世界の為に。

 殿下? 殿下の身に何かあったのか!?

 そんな様子は……いや、これからそれをするのか!


 何度目かの行き止まり、結界の縁にぶち当たり、引き返そうと反転、冒険者たちの間をすり抜けようと試みた。

 正面突破を図る彼の目の前で冒険者の壁が綺麗に二つに割れる。

 誘っているのか? 彼がそう感じたのも束の間、冒険者たちが作った道はノイマンの為のものではない、ノイマンを倒すためのものだった。


 矢のような何かが凄まじい速度で迫る。

 躱せる、そう判断し剣を構えつつ体を右に倒した。

 身体強化をかけている彼が飛来するそれを矢ではないと理解したのは、回避できない位置までそれが迫った後だった。


 人だ。


 矢のような速度でやってきたそれ、その人は鋭い突きを放ち、ノイマンはそれを紙一重で回避した。

 矢を撃ち落とすつもりで剣を構えたままだったら、まず間違いなく死んで生きただろう。


「ゔっ!!!」


 顔の左側を通過した両刃の剣を目で後追いしながら、右脇腹に到達した衝撃に声を漏らす。

 蹴りの勢いが彼の身体を吹き飛ばし、ピンポン玉のように路地裏をバウンドさせた。


「殺しはしない。貴様には聞きたいことがある」


 あーあ、骨が折れてやがる。

 逃げ切るのは無理か。


 戦うしかないと腹をくくり追手に正対すると、そこにはレイフォードより年下に見える赤い瞳、ポニーテールの少女が立っていた。

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