第117話 デッドエンドの意味

「えー、雷、風、雷、雷。おぉー」


 口にしながら魔術を発動する。

 正確には魔道具に向けて属性を付与した魔力を注ぎ込んだだけだが、これには正式な手順があり、正しく実行することで解錠することが出来る。

 魔術師たちが好んで使用する、専用の錠前だ。

 決められた属性の魔力は回路にスムーズに誘導され、決められた位置に蓄えられる。

 既定の量充填された魔力は電源として働き、重そうな石の扉を開けた。

 これがドレイクの用意した隠れ家、そこまで広くないが中々の造りをしている。


 アラタは入ってすぐ、玄関を兼ねているのか少し段差になっている所でブーツを脱ぎ、荷物もそこに置く。

 薄暗い廊下だが、アラタが通ろうとすると明かりが灯り、彼を驚かせた。

 こんなところで自動照明に再開するとは思っていなかったのだ。

 建物は半地下にあるようで、廃墟となった邸宅を隠れ蓑に上手く擬態している。

 がれきも撤去することなく、ただ放置されている屋敷を何故片づけないのだろうと不思議がるが、ここは日本ではない。

 フリードマン家は離散し、事後処理も適当なまま事件が終わってしまったのだ、こうなってはもう朽ちるに任せるというやつになる。

 風呂は無かったが、シャワーがあり、トイレがあり、寝室があり、そして何より紅茶のセットがあった。

 他の保存食や食べ物は何一つとして備蓄していないくせに、これだけを念入りに準備している所を考えるとうちの師匠は紅茶中毒なのではないかとアラタは心配になってくる。


「まあいいや」


 一通り内装の確認を終えると玄関に戻り荷物を寝室に引っ張り込む。

 着替えなどの衣類、武器、治療に必要な道具、食事を摂る為の調理器具、食器、その他生活に必要な最低限(アラタ基準)の物資の数々。

 荷ほどきを完了し、引っ越し終了と思った時、リュックの下に一つ、残っていたものがあることに気付いた。

 本、暗号貫通を習得するためのドレイク謹製の書物だ。

 レイテ村で【痛覚軽減】に目覚めた時、シャーロットとの訓練の中【身体強化】を発現した時、彼らは一様に口にしていた。

 スキルは経験を積むことで、必要に応じて芽吹く、と。


 多分、この何の規則性もなさそうな文字列を読もうとする、その行為が暗号解読に挑む、そう言う意味だったのかも。


 アラタはスキルの謎を明らかにしようとする研究者ではない。

 彼の知っていることは多くの人が知っていて、その彼らが言うのだ、スキルとはそう言うものだと。

 ドレイクの事だ、魔術的なアプローチを施しているのかもしれない。

 いずれにしろ、彼に【暗号貫通】をもたらしたこの本の仕組みは謎のままだ。

 貴重なもの、それを使い終わったからと言って捨てる気にもならず机の上に無造作に置く。


「……これ、前までは、なかった、よな」


 その本を机の上に置いた時、妙な違和感があった。

 その正体は僅かにはみ出たページ。

 リュックに入れていた間に折れてしまったのか、そう考え本を手に取り、ページを開く。

 すると折り曲がってしまったページだと思っていたそれはヒラヒラと床にゆっくりと落下した。

 当然それを拾い上げ、何が記されているのか読もうとする。

 しかし、この世界の文字をある程度習得したアラタでも読むことが出来ず、スキルを起動する。

 解読結果が朧げに浮かび上がり、暗号は解読された。


『私を殺して』


 この前これを確認した時、多分こんな紙は入っていなかった。

 あるとすれば屋敷から逃げ出す直前か?

 いや、それよりも前、これはエリーからのメッセージだ。

 エリーにこの本を見せた時、多分その時だ。


 アラタはそれをくしゃくしゃと丸め、ポケットに突っ込んだ。

 静かな足取りで台所へと向かい、ある物を探す。

 隠れ家というだけあって、暖炉など煙の上がる道具の類は一切なく、台所やシャワーに至るまで魔道具が導入されている。

 お目当てのものが見つからなかったアラタは特に不機嫌になるわけでもなく先ほどの紙を取り出し、手をかざす。

 火花が一瞬散ったかと思うと、燃え移ったのかエリザベスからのものと思われる手紙は灰になった。


 これはいらない。

 俺はエリーを殺すわけじゃないから、助けに行くんだから。

 レイフォード家の不正の証拠を集め、大公選までに今の勢力図を塗り替え、逆転させて、対抗勢力のノエルの父親を勝たせる。

 エリーを連れ出し、この国から逃げるところまでがゴールだ、失敗はできない。


 食べ物も何もない隠れ家に嫌気がさし、取り敢えず食料を買い出しに街へ出た。

 黒装束に仮面、怪しいことこの上ないが、認識されなければそれに越したことは無い。

 ドレイク曰く、前の服では特配課に見えてしまうが、この服ならば問題ないと豪語していた。

 そんなご都合主義な、そう思ったアラタだが、いざとなったら彼のところまで逃げて巻き込んでやる、そんな情けない決意の元久しぶりにゆっくりと市街地を練り歩き、平和そのものに見える日常を目に焼き付ける。


 ウル帝国軍の駐留、滞在を許したとして、そうしたらこの景色は無くなってしまうのだろう。

 帝国軍がいかに統制の取れた組織だったとしても、往来を歩く彼らを阻むことはできないわけで、駐留権を認めるだけで済む訳が無くて、要求はどんどんエスカレートしてやがてこちらが耐え切れなくなる時を虎視眈々と待つ。

 俺ならそうする。


「しっかし」


 何の変哲もない純度百パーセントの日常、平和。

 今彼はそれを噛みしめていた。

 レイフォード家に言ってからも街に出ることは多くあったが、あまりの忙しさに外の様子を気にする余裕などまるでなかったのだ。


 こうして見ると、初めてアトラの街に来た時のことを思い出す。

 多分中世? に似た感じの街並みなんだけど、それにしては人工物の寸法が正確すぎる気がする、なんていうか……小綺麗なんだよな。

 まあ俺中世なんて知らないけど、一体何世紀の話? って感じだ。

 店に並んでる食い物にハエがたかっていないし痛んでもいない。

 路地裏は多少汚いけど、伝染病がどうこうなるレベルではないと思うし、見た目の時代感よりずっと進んだ世界だ。

 俺からすれば過ごしやすいから楽でいいなくらいの感想しか出てこないけど、プロの人に見てもらったら凄い喜んでもらえそうだ。


 アラタは市場で見たことの無い果物を1つ、興味本位で購入する。

 仮面を外すわけにはいかないので金を少し多めに置き、拝借してしまうのだ。

 齧ると人工甘味料みたいな体に悪そうな味の果汁が溢れ出し、危うく金貨200枚の黒装束に付きそうになった。

 そうしてぶらり散歩を続けていると、偶然ギルドの前を通りかかる。

 アラタは中に入ってみようかと迷ったが、優れたクラスやスキルを持った連中にどれほどこの外套が役に立つか分からないと、その場を通り過ぎた。


 ノエル、怒っているだろうなあ。

 リーゼも多分カンカンだ、怒っていないのはシルくらいだと思う。

 全部終わって、もう一度顔を合わせることになったら、俺はどんな顔をすればいい?

 仕方がなかった、でも、ノエルからすれば約束を破って逃げ出したみたいに見える、というかそれでしかない。

 やめよう、今は考えなくていい。


「どうかしましたか?」


「……いや、なんでもない」


 ギルドに用のあったノエルは何を感じたのか受付で書類を記入する手を止めたが、すぐにその『何か』は感じられなくなり、記入を再開した。


「…………あった。後は」


 ギルドを通り過ぎた後、路地裏を縫うように通り抜け、何かを探している。

 そして時折足を止めると何か紙に書き記し、再び歩き出す。

 その繰り返しが何セット行われた時だろうか、彼は狭い路地の壁に寄りかかり、メモした内容を読み上げる。


「2日後、3番街105通りに15:00集合、了解っと」


 紙を燃やし証拠を隠滅すると、隠れ家に向けて今来た道を引き返していく。

 メモを取っていたのは特配課のサイン、屋敷に戻れないときでも命令を把握するための仕組みだが、内容はアラタが逃走した後も変わっていない。

 誘っているのか、それとも別の意図があるのか、なんにせよ当日は現場に行かなければ。

 アラタは翌日、更なる情報収集と準備に費やし当日を迎えることとなる。

 バラバラの道が交差しようとしていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


 ノエルとリーゼがギルド2階の会議室に足を踏み入れた時、そこにはすでにハルツを始めとしたクレスト家派閥の流れを汲む冒険者たちが所狭しとぎゅうぎゅうになっていた。


「もっと広い場所は無かったのか」


 そう零したノエルだが、彼女の席はしっかりと用意されていて、人で埋め尽くされている中でも不快にならない程度のスペースは確保されている辺りに彼女の特別扱いが透けて見える。

 ギルド内外を問わず、会議をできる広さの部屋など数えきれないほどあるが、余人には聞かせられない秘め事を話し合うことが出来る場所はそう多くない。

 この部屋はそんな数少ない場所のうちの1つであり、音声遮断の結界機構が組み込まれた上級冒険者御用達の部屋だ。

 厳密には完全に音を遮断できるわけではないのだが、厚く造り込まれた壁と現代で言うノイズキャンセリングの概念を応用した密室空間は、内部から発せられる微弱な波形信号を逆位相の信号と合わせて放出することで機密性を高めている。

 集合時間よりも少し早いが、招集を掛けられたすべての人間が揃っていることを確認すると、ハルツより上座に座る人物、Bランク冒険者のレイヒム・トロンボーンが椅子から立ち上がり、会議を開始した。


「えー時間厳守に感謝いたします。話というのはそう、ティンダロスの猟犬の動きを掴んだ」


 猟犬の名を耳にした一同にどよめきが走る。

 彼にとってこの反応は予想通りの様で、畳みかけるように続けた。


「情報を掴んだのは特務警邏の連中だ。奴ら耳だけは早いからな」


「ねえねえ」


 ノエルは背後に控えているリーゼに話しかけようとのけぞり、顔を上げる。


「なんですか。今はレイヒムさんのお話を聞くところですよ?」


 優しくたしなめ話を聞くように促すが、そんなこと知らんと言わんばかりにノエルは続けて、


「なんでこのタイミングで警邏は奴らの動きに気付けたの?」


 ティンダロスの猟犬、正体不明の犯罪集団。

 闇オークションなど、大きな事件の裏にその姿を見ることもあれば、先日のイーデン・トレス討伐、あれも一部情報筋では猟犬の仕業だという話もある。

 要するに正体が掴めないのだ、それを今になってどうして見つけられたのか、ノエルはそれが知りたい。

 だがその答えはリーゼだって知りたい、知らない、知っているならもっと出来ることは沢山あるから。


「大公選前に猟犬討伐。功績は我々が頂く。各々、準備の方をお忘れなきよう」


 レイヒムからの話はそれで終了し、残りは事務方の人間からクエストの詳細な説明が行われ、会議は終了した。

 猟犬とはノエルが15歳、リーゼ17歳の折、一度衝突しこれを退けている。

 それから幾度となく疑わしい敵との邂逅はあったが、蓋を開けてみればハズレばかり、真実は闇の中に隠れてしまってばかりでその正体に触れることはできなかった。

 それだけ猟犬は正体が分からず、実体の掴めない組織なのだ。

 ただ一つはっきりしているのは、彼らが現場で執行許可が下りるほどの犯罪者認定を受けており、今回のクエスト内容も捕縛ではなく殲滅であるという点だ。


ウル帝国歴1580年11月5日発行

カナン公国 冒険者ギルドアトラ支部

クエスト名:反社会的組織(仮称 ティンダロスの猟犬)の殲滅

クエスト難易度:A

参加者:Bランク冒険者レイヒム・トロンボーン以下15パーティー53名

場所:アトラ3番街105通り

時刻:15:30

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