第101話 妖精と剣聖

 レイフォード家に潜入していたアラタの行方が掴めないという情報を受けたハルツは、それをどこまで伝えることがベストなのか判断に悩む。

 別れから立ち直り、精神的に一回り成長したノエルであれば、問題なく受け止められると考えた半面、もし普通に落ち込んでしまった場合取り返しがつかなくなるかもしれない。

 完全に人格を乗っ取られ討伐対象に指定されでもしたら両親のシャノンにもアリシアにも申し訳が立たないのだ。

 クラーク家から出て暮らしているハルツからすれば、あの2人は何を考えているのか分からないことが多く、怖いので何か用事が無ければ顔など合わせたくもないのだが、それが娘の悪い報告ともなればもう逃げだしたい。

 とにかくリーゼにだけは話しておき、周りと協力して対策を立てるべく彼女に貸した部屋に向かう。


 実家には劣るものの、趣味趣向を凝らして家を造るというのは非常に楽しいものであり、特に内装は彼のこだわりがこれでもかというくらい反映されている。

 材木の一部に天然のトレントを使用していたり、絨毯を作る為に材料となる毛皮の取れる動物の牧場を作ってみたり、妻が呆れ返るほどの情熱を注いだ家の階段を昇っていく。

 リーゼは彼の姪であり、物の価値が分かる淑女なので問題ないのだが、頭が痛いのはノエルとシャーロットである。

 彼女に貸した部屋はシャーロットに破壊され、内装もノエルのせいでめちゃくちゃだ。

 アラタのパーティー脱退について、もっとやりようがあったのは事実だが、自分なら生活に耐え切れず自らパーティーを出ていったのではないかと密かに思っている。

 階段を昇り、直線の廊下に出て視線を上げる。

 すると廊下の向こう側、貸した部屋の前に見たことの無い少女が立っていた。


 見習いの使用人だろうか?

 そんな話は受けていないはずだが……忙しい中聞き流してしまったのかもしれない。


「もし、そこの女の子——」


 ハルツはそこまで言いかけ、続きの言葉、『新しい使用人の子かな?』その言葉を失った。

 目の前に立っていたまだ年端も行かないように見えるメイド服の少女は、閉じている扉を開くことなく部屋に入っていったのだ、それは言葉も出なくなるというものだ。


 あんぐりと口を開いて、目の前で起きた超常現象を受け止め切れていないハルツの存在などまるで意に介さず、少女は部屋へと侵入する。

 その部屋の仮初の主は不在のようで、がらんとしているが内部はよく言えば生活感に溢れ、悪く言えば整理整頓の出来ていない汚部屋だった。

 シーツは取り換えられているようだがシワシワ、服は折りたたまれず放置、ハンガーにかける服は左右のバランスが取れておらず斜めに吊るされている。

 一番ひどいのは机の上で、いったいどうやってこの机は机としての役割を果たせばいいのかと嘆いているような様相を呈していた。

 金髪メイド少女はため息をつきながら、服を拾いシーツを治し部屋の清掃を始める。

 扉を開きそんな様子を恐る恐る窺っていたハルツは意を決して話しかける。


「もし、そこのお嬢さん」


「シルですか?」


 振り向きもせず、黙々と作業を続けながら聞き返した幼女にハルツはそうそう! 君君! と言った様子で見られていないにもかかわらずブンブン首を振りながら返事をした。


「そう! 君だ! 君は新しい使用人さんかな?」


「シルは……シルはアラタの使用人です」


 …………なるほど。


 恐る恐る、それでいて下手したてに、優しく、先ほどまでそんな様子で彼女に接していたハルツの醸し出す空気感がガラッと変わった。

 行方不明となったアラタ、その名前が出てきたことに驚きつつ、このタイミングでその名を出す存在に警戒して彼は腰に短剣があることを触って確認する。

 生憎普段の武器は持ち合わせていないが、最低限応戦することくらいは可能である。

 廊下側から見ると、姪の部屋の扉を僅かに開き、短剣に手を添えながら中を覗き込み、ハアハアと息を荒くしている家主兼叔父の姿がそこにはあった。


「叔父様! ついに乱心してしまいましたか!」


「リーゼ!? これは、違うんだ! 違うんだぁぁぁあああ!」


 のちに屋敷の主による姪へのセクハラ行為は冤罪だったことが明らかになるのだが、それまでの間女性陣のハルツを見る目はまさにゴミを見る目だった。

 ルークはそんな体験も悪くないから味わっておくべきだと言っていたが、既婚者でありただの人であるハルツは針の筵に座らされている気分だったという。


 こうして話の題材は本筋へと繋がっていく。

 アラタが去った後の屋敷で煙のように消えてしまったシルキーのシル、彼女が今このタイミングで現れた意味についてだ。

 ノエルの時に続き、またも食堂で話し合いの場が設けられたが主役のはずのシルはなぜかお茶を淹れる係に収まっていた。

 どうやってこの短期間のうちに使用人たちと打ち解けたのかは想像できないが、すっかり家の人間と仲良くなったシルは上機嫌で家事に勤しんでいる。

 ハルツとしては誤解の件もあることだし、自らの冤罪を晴らすついでに何故ここにいるのか問いただしておきたかったが、それとは別の懸念が頭をよぎる。


 聞けばこの少女はアラタの想いが生み出したシルキーと言う。

 そんな存在が姿を現し、一方でアラタの行方が掴めなくなったという情報が入っている。

 この2つは繋がっていると考えるのが自然だが、ノエル様のいるこの場で好き勝手に話をさせてもいいものか。

 ノエル様が剣聖のクラスに目覚めてからというもの、どうにも私の元には不運ばかりが運ばれてくるような気がするが、真偽のほどは考えたくもない。

 もし神がいるのなら、少しは私の臓腑の心配もしてくれると助かるのだが。


「シル、そろそろ話してくれないか。なんで、いや、姿を見せてくれたことは嬉しいがなぜ今まで……」


「アラタの行方が分からなくなりました」


 あちゃー。


 猿轡さるぐつわでもして拘束しておけばよかったと後悔したが、倫理的にどうなのという話と、先ほどの一連の嫌疑が有罪になってしまうハルツ、彼に出来ることは無かった。


 いずれにしてもアラタ行方不明と言う情報がノエル様の耳に入ってしまった以上、ノエル様が暴走するようなことがあれば私は……。


 最悪の事態に備え、動く準備だけはしておく面々、そして、


「そうか。教えてくれてありがとう」


「ノエル!?」


 リーゼが皆の声を代弁するかのような甲高い声で反応したが、ハルツにとってはこれも数あるパターンのうちの一つであり、そっと胸をなでおろす。


「アラタ様に2人のことを頼まれて、でもシルはお屋敷のことも頼まれたから……どうしたらいいか分からなくなって、急にいなくなってごめんなさい」


 エプロンの裾をぎゅっと握りしめ、尻すぼみになりながら生まれて間もないシルキーの幼女は精一杯のごめんなさいを2人に捧げた。

 そこまでするほどのものでもないのに、2人はそんな顔をしており周りもその顔を見て彼女たちがシルのことを許していることを理解する。

 が、


「シル」


 ノエルがゆっくりとシルへと近づき手を伸ばすと一同に緊張が走る。

 ハルツは迷ったがステイ、リーゼは一歩踏み出したがノエルを信じ止まる。

 他の面々も緊張した面持ちの中事の成り行きを見守っているが、誰も止めようとしないのはノエルの成長を肌で感じているからだろうか。

 ただ、シルは少し怯えて体をびくつかせると一歩後ずさり、『ヒッ』と小さく声を漏らす。


「……急にいなくなったりして、心配するじゃないか!」


 ノエルはシルの頭に右手を乗せて抱き締める。

 ポンポンと優しく頭を叩かれ、金髪を撫でられた赤子同然の幼女は我慢していた感情の堰が切れて声を上げて泣き始めてしまった。


「ごめん。怖い思いをさせてすまなかった」


「シルは! お2人のことが嫌いでした」


「「え」」


「だって、物は散らかして片付けもしないで、ご飯も全部シルとアラタが作って、シルが洗濯して畳んだ服もすぐグチャグチャにして、アラタも心の中で怒っていました」


「そうなのか!?」


「そうなんですか!?」


「そうです! 2人がアラタに一言、ありがとうって、ごめんねって言っていればこんなことにならなかったのに、そう思い続けていました」


「……すまなかった」


「でも、シルはお2人のことを頼まれました。だから、アラタがいなくなったから、代わりにシルがやらなくちゃ、頑張らなくちゃ……ごめんなさい、いなくなってごめんなさい!」


 それからしばらく泣き続けるシルが落ち着くことを全員で待ち、少し落ち着いたところでシルは仮の住まいとしてこの家にくことが決まった。

 その決定は表向き満場一致で受け入れられ、シルは屋敷に迎え入れられたのだが、ハルツにとってはまたしても頭の痛い話だった。


 冒険者を生業にしていると摩訶不思議な体験も多くするもので、シルキーのような不思議な存在も比較的抵抗感少なく受け入れることが出来る。

 ハルツとて冒険者であり、その範疇に含まれるが、シルキーが来てしまうことが問題なのだ。

 この家の主はどんな扱いを受けていようと、許可なく壁や扉や家具を破壊されていようとも、ハルツ・クラークなのだ。

 彼が所有する屋敷に仮とはいえシルキーが憑いてしまうことを認めると、アラタとシルがそう言う関係であるようにハルツとシルの間にもパスが確立されてしまう可能性が高い。

 そうなればハルツのプライベートな思考が駄々洩れになってしまい、悩みの種が尽きない彼の最後の砦である自己の心中にまで他人の駐留を許すことになるのだ。

 これを悲劇と言わず何と呼ぶべきか。

 こらから彼は思考する際にも言葉を発するときと同様に注意する必要がある。

 彼が人知れずため息をつくと、妖精と目が合った。

 目の端に涙が残っている妖精さんがにこやかに笑いかけたが、ハルツの目にはどうにも邪悪に映ってしまうのだった。


 まだ午前中、各々が持つ用事の為に解散したが、ノエルはシャーロットとの訓練の準備のために部屋に戻り、リーゼはハルツに付いてクエストに参加する為にこちらも部屋に荷物を取りに戻る。


 少し目を離した隙に頼もしくなってしまって、これでは私もうかうかしていられませんね。


 リーゼがそう考えたその時だった。


「リーゼ」


 2階の廊下でノエルに密着されたリーゼは状況判断に迷う。

 このままノエルを堪能してもいいのか、それともまじめな話なのか、前者であれ、と。


「どうしたんですか? こうするのも随分と久しぶりな気が——」


「怖いよ。アラタが行方不明なんだよ? どうしてそんな平気でいられるの?」


 シルを受け入れ、自らの過ちを受け入れたノエルは確かに成長したかに見えた。

 しかし、人前で虚勢を張るすべを身に着けて、周囲から見て成長したように見えたノエルの内面は未だ脆いままであった。

 確かに成長はしたのだろう。

 以前であれば周囲に不満をぶちまけて何とかしてもらうことしかできなかったノエルが、自分の中で折り合いをつけて前を向くことが出来るようになったのだから。

 それはリーゼにとっても喜ばしいことのはずだ。

 だがしかし、独りで抱え込み、本当に親密な人にしか弱みを見せないことは大人になるということではない。

 それはただ世渡りをしていくうえで必要な能力が身に付いただけで、決していいことではない。


「心配なんですよね。ノエルは優しい子ですから。でも私は……」


 さっきまであやす側に回っていたのに一瞬でこの通りである。

 リーゼの胸の中で泣いているノエルを彼女は少し強引に引き剥がし、綺麗な黒髪を撫でつつ頭を上に向け、


「私はそこまで心配していません。アラタが一度死んでいるからでしょうか、冷たいかもしれませんが、死んだわけではないんです、信じて待ちましょう? またアラタに会えた時、泣いていたら笑われますよ」


「うん、そうだけど……でもやっぱり怖いよ」


「仕方ありませんね。今日の訓練は私も付き添いますから」


 行方不明。

 アラタとリンクを持つシルまでが追跡できないと言っているのだ、彼がどうなったのか確定的な情報はないものの、ごたごたに巻き込まれている可能性は極めて高い。

 そしてその場合、死んでいる可能性も同じく………………。

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