第87話 重ねる想い

「おはようエリザベス! 今日も授業の見学?」


「おはよう。そうなの、大公選で忙しい時期だけど外せない仕事ってあるのよね」


 エリザベスは寝不足なのかやや眠そうで、身だしなみを整えて誤魔化しているのかもしれないがアラタからすれば少しやつれているのでは? そんな風に見える。


 大公選は授業でやったな。

 確か今の大公が退位するから新しい人を選ぶって話だった気が……多分合ってるだろ。


「その、俺に手伝えることある? 大変そうに見えるから」


 何気ない提案だったが、彼女からすれば嬉しいのか面白かったのか、とにかく笑っていて、そんな彼女の顔を見てアラタも嬉しかった。


「ふふっ、ありがとう。アラタさんは優しいのね」


「よく言われます」


「そうね……じゃあお言葉に甘えて、少しお手伝いをお願いしちゃおうかしら」


 エリザベスの頼み事は全然少しではなかった。

 体力には自信のあるアラタがへとへとになるくらいの仕事を彼女は振り分け、ヒイヒイ言っているアラタの隣でそれ以上の量の作業を捌き、それでいて『今日はアラタさんが手伝ってくれたから早く終わったわ』なんて言うものだから、公爵の仕事はなんてブラックなんだとアラタに固定観念を植え付けるのには十分すぎた。

 彼に割り振られた仕事は主に書類の運搬、関係各所がエリザベスに宛てた書類に対する彼女の返答を送り、学園内の者なら自ら赴き返事を伝え、レイフォード家に関係のある者は執事らしき格好をした初老の男性に直接まとめて手渡した。

 学校の内外を走り回り、彼女の手となり足となり奔走したアラタは下手なクエストを完了した後よりへとへとだったが、エリザベスの顔を見るとそんな疲れも吹き飛ぶというものだ。


「アラタさんがいてよかった。今日は本当に助かったわ、ありがとう」


 なんて言われてしまうのだ、これがあればアラタは何日でも働くことが出来る。

 それくらいアラタはエリザベスに対して特別な想いを抱いていたし、それ以上に恐ろしく仕事のできる彼女を尊敬の目で見ていたというのもある。

 とにかくこの人の力になりたい、そんな思いを胸にアラタの一日は終了した。


「これ、今日のお礼。持って行ってみんなで食べて」


 手渡されたのは木の箱、しかし残暑の厳しいこの季節にはありえないくらいの温度、これは――


「保冷バッグ!?」


「あら、物知りね。新鮮なお魚さんです。お醤油も入れておいたからまたお刺身が食べられるの」


「何で、いや、こんな高いものもらえませんよ!」


「いいの。アラタさんったらすごくおいしそうに食べるんですもの。それじゃあまた」


「あ、はい。お疲れ様でした」


 アラタは学校の彼女の部屋から退出し、廊下を歩いて行く。

 レイフォード家の執事とすれ違い会釈を交わし、建物の外に出ると日は落ち、まだ少し明るさを保っているもののすっかり夜になっていた。

 恐らく彼女はまだやることがあるのだろう、アラタのいる場所からでは見ることが出来ないが、今日手伝っただけでエリザベスと言う女性がどんな人なのか感じることが出来た。


『アラタさんがいてよかった。今日は本当に助かったわ、ありがとう』


 あの人以外にありがとうなんて言われたのはいつのことだろう。

 そういやつい最近レオナルド君を助けて言われたな。

 でも、うちの連中ときたら……やめよう、それは良くない。

 別に感謝されたいからやっているわけじゃない、それは変だ。


 アラタが屋敷に帰宅すると、台所から夕食の匂いが漂ってきて鼻腔を満たす。

 自分がやらなくても誰か違う人が料理をしてくれるというのは彼にとっては極めて新鮮で、それでいてありがたい話だった。


「ただいま、シル」


「おかえりなさい。それは何ですか?」


 シルは子供の見た目をしており、そのせいで厨房に立つには背が足りない。

 そんな子が台の上に足を置いて自分たちの夕食を作ってくれている姿を見れば、世のお父さん方は涙してしまうだろう。

 調理風景はともかくとして、アラタから知識と技術をある程度受け継いでいるシルの作る料理はしっかりと美味しく、手際も良かった。


「これも頼めるか?」


「アラタ様、これは何ですか?」


 魚に関する知識もあるはず、そう思っていたアラタはあれ? と思ったがいい機会だとシルの隣に立ち魚の捌き方や調理方法を教える。

 家事に関することであれば何でもかんでも興味津々のようで、アラタが文字を習うよりシルが家事を習おうとする姿勢の方が前のめりだ。

 一通りの手順を終え、人数分の料理が完成したところで配膳に移る。


「シル、ありがとうな」


「シルを生んだのはアラタ様ですよ?」


「だから俺のおかげ? シルキーは変な考え方をするんだな。後アラタ様はやめてくれ、アラタでいいよ」


「アラタさ、アラタは優しい、いい人、だから好き」


「あはは、褒めすぎだよ。でもありがとう」


 ノエルとリーゼは今日、冒険者ではなく貴族としての用事があったようで夕食が完成した頃には既に入浴を終えていた。

 目の前のご馳走に眼を輝かせながらパクパクと食べていく姿を見て、アラタは別に感謝を言葉で伝える必要なんてないじゃないかと思った。

 目は口ほどにものを言う、口にしなくても分かることもあるからだ。


「アラタ、生の魚なんて珍味、高かったんじゃないか?」


「ああ、それな。エリザベスがくれたんだ、今日ちょっと一緒でね」


「エリザベス?」


「そういやこの前頼まれたの忘れてた。なんか仲良くしたいからよろしくって、こっちは歩み寄る用意があるとかなんとか」


「…………ご馳走様」


 空気が変わった。

 まだ料理は残っているというのにノエルは席を立つ。


「おい、まだ残って」


「いらない。アラタが食べれば」


「は? 意味わかんねえよ、急にどうした」


「…………裏切り者」


「ちょっとノエル、その言い方ではアラタも分かりませんよ。それにアラタにそんなつもりがあるわけが――」


 エリザベスの名前を出した途端に雲行きが怪しくなった食卓、突然不機嫌になったノエル、それを嗜めるリーゼ、意味不明だがあまり気持ちの良くないアラタ、この空気感が何を意味するのかまだ分からない生後数日のシル。


「私の父上は大公選の候補者だ」


「は? だからなんで……あぁ、仲良くするなって言いたいのか?」


 事情を察したアラタは少しイラっとする。

 釘を刺されたと思い、僅かに圧がこもった声で聞き返すと、ノエルはそれを肯定した。


「そうだ。学校も辞めるんだ、文字なら私が教えるから」


「意味不明。俺が誰と仲良くしたって関係ないだろ」


 せっかくの貰い物を、せっかく2人で調理したものを、気に入らない人からの贈り物だったからと言う理由で要らないと言い放ったノエルに対するアラタの心象は最悪だったし、日頃のストレスも相まって我儘な年下の少女はエリザベスと対照的に映った。

 だがそれはいつもの事、それくらいで怒るアラタではないし、相手も明日になれば忘れるだろうとスルーすることにした。


「食べないならそれでいいよ。ただ、食べ物だってタダじゃない、食べずに捨てるなんて論外だからな」


 それくらいの注意で済ませる、アラタはそのつもりだった。


「アラタだって、私たちの仲間なのにあいつと仲良くするなんてありえない」


「だから知らねえって。いい加減にしろよ、しつけえな」


「アラタに生き方を教えたのは私たちだ、あの女ではない。それにアラタは私たちに借りがあるはずだ」


「だから?」


「だから…………だから……」


 それくらい彼も理解している。

 ノエルが守ってくれなければ、リーゼが治療してくれなければアラタは既に何回か死んでいる。

 だが、それを恩着せがましく言ってほしくなかったし、人の弱みにつけ込んで言うことを聞かせようとするノエルが酷く子供に見えた。


「はっ、だからなんだよ、言いたいことがあるなら言えよ」


「ノエル、もうやめてください。今のはノエルが悪いです」


 リーゼも止めに入り、ギスギスとした状況に変わりはないが、取り敢えずその場はそれで収まった。

 言い方がアレなだけで、ノエルの言うことも全くの筋違いという訳ではなく、そしてアラタからすれば要領を得ない発言であり、神経を逆撫でされる話であっただけだ。


 食事を片付け、風呂に入ろうと廊下を歩いていたアラタの前にノエルが立っている。


 謝ろうとしているのかな、何か教えてくれるのかな、そう言った期待をアラタはした。

 そしてそれなら自分も少し大人げなかったと謝ろうと、そう決めた。

 しかしそんなに簡単に話が進むのなら人が争ったりすることは無い。


「アラタ」


「なに?」


「前に言っていたな、元の世界に帰りたいと、元の世界には恋人がいると」


「あ、あぁ。まあ、そうだな」


 何の話だ?


「アラタはレイフォードに対して特別な気持ちを持っている、違うか?」


「……持っていたら? ダメなのか?」


「ダメだ」


 彼とて一人の人間、キャパシティと言うものは存在する。


「さっきからうるせえな。なんでお前に指図されなきゃいけねえんだよ。なんだよ、エリザベスと仲良くしたっていいだろ」


「アラタは恋人の姿を重ねているだけだ、レイフォードそのものが好きなわけじゃない」


「てめえに何が分かるんだよ。ダメなのかよ」


「ダメだ」


「はぁ? …………お前」


 彼女を見ていると在りし日の思い出がよみがえってくる。

 幼き日の思い出が、再会した後の思い出が。

 何気ない日常が、暗闇の中から引っ張り出してくれた手を、顔を、口を、思い出す。

 それくらい大きな存在、離れ離れになって、瓜二つな見た目の人間と知り合いになれば、アラタが遥香の影を重ねるのは仕方ない、責めることではない。


「そんなことしても無意味だ」


「黙れや!!!」


 屋敷に響き渡るほど大きな声、何事かとシルとリーゼが様子を見に来た。

 ノエルはビクッと反応して黙りこくっている。

それでもアラタの怒声は止まらない。


「てめえみたいな我儘な奴が指図するんじゃねえよ! ああ!? エリザベスが今日何してたのか知ってんのか!? 今頃まだ仕事してんだよ! 夕方には帰ってきて、俺が用意しておいた風呂入って、シルが作ってくれたメシ食って、挙句いらないから残す野郎が……知った風な口きくんじゃねぇ!」


「何を言ってもダメダメ言いやがって、家族がいるのに家出して冒険者するような奴には理解できるわけねえよなぁ! 重ねたっていいだろ! こっちはもう二度と会ねえんだよ! 帰りたくても帰れねえんだよ! ウッぜえなぁ! そんなに嫌なら俺を元の世界に返してくれよ、帰らせてくれよ! てめえにそれが出来んのかよ!」


「……そんなの、そんなつもりじゃ」


「じゃあどういうつもりなんだよ! 意味わかんねえんだよ! そんなんだからいつも泣いてばかり、泣けば解決すると思うなよ!? このクソ泣き虫ボンボンが!!!」


「アラタ!」


 ノエルはとうの昔に泣かされている。

 アラタがとどめを刺して、なおも攻撃しようという所でリーゼの一喝により空気が凍り付いた。


「チッ、言い過ぎた」


「えっえぅっ……グスッ、スン、スン」


 せっかくの一日も、終わりが最悪ならその日一日が最悪の物になってしまう。

 出会って初めて本気でアラタはキレた。

 異世界人とこの世界の住人、思った以上に溝は深いのかもしれない。

 深くなってしまったのかもしれない。

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