第86話 クラスを持たない落ちこぼれ

 過去に例がない、クラスを持っていない落ちこぼれの中の落ちこぼれ。

 誰だよ、そんな適当な嘘を言ったアホ。

 今目の前に立っている男の人がそうだって言うのか?

 立ち居振る舞い、視線、姿勢、体格、醸し出す雰囲気、全部本物じゃないか。

 僕みたいな12歳の子供にも分かるほど強烈な殺気を放っていながら、優しくて、差し伸べてくれた手は暖かさに満ちていた。

 僕はあの日の出来事を一生忘れることが出来ないと思う。


※※※※※※※※※※※※※※※


 この授業を一コマ手伝って銅貨20枚、銀貨なら半分くらいか。

 バイトとしてなら悪くないけど、これじゃいつまでたっても学費返済なんてできない。


 彼が学費を返すためには結局のところ冒険者で危険度の高いクエストをこなすほかないわけだが、そんな彼が受講し、尚且つ補助も行うのは戦闘訓練だ。

 非常にわかりやすく、生徒に人気の科目でもある。

 学校に通うような子供たちは比較的裕福な家庭の子供が多く、学校で習うまでもなく武器の扱いを心得ている子も珍しくない。

 クラスが発現する前の子供でもスキルは発現する。

 来たる15歳の誕生日までにできるだけ濃い人生を送って欲しいという親心なのだろうか。

 とにかく生徒のほとんどが戦う術を多少なりとも持っている状態で、セーフティーを十二分に駆けた魔物相手に戦うこの授業は茶番ではあるが人気の理由だった。

 相手の攻撃はこちらに当たらずこちらの攻撃だけが当たるのだ、中学生くらいの子供たちには気持ちいいだろうし、そもそもそれを目的としているのだろう。

 魔物の脅威に対抗する術を教える授業のコマは別に用意されている。


「よし! 僕が一番だ!」


 ピカピカの鎧、俺が使うようなタイプの奴じゃないけどいいなあ、高そう。


 新品の黒いランドセルを背負って黄色の帽子を身に着けて学校に通っていたころを思い出し、アラタは年の離れた弟を見るような目になっている。


 ……一応準備だけしておくか。


 事前の説明で安全は十分確保していると言っていたが、十分とか絶対とか必ずといった言葉をアラタは信用していない。

 どうにもこの緩み切った雰囲気は練習中に怪我人が出るときのそれに驚くほどよく似ていた。

 経験則で何かあるんだろうなと察知したアラタは刀を腰に差し、魔力を練っておく。

 練っておくと言っても本当にそうすると魔力を留めるのに体力と集中力を浪費するのでその手間、これから魔力を練るぞー、という所で止めている。

 もしなにも無かったらしばらく力んだだけで体力は無駄になるが仕方がない、少し疲れるくらいは諦めようと集中し続ける。


「う…………なんで……うわぇ!」


 アラタは溜息すら出なかった。

 そんなことする暇も無ければ、想定内と言うかそれ見た事かと言った感じなのか、そんなことを考えている場合じゃない。


 この授業の内容は4本のぶっとい鎖で拘束したミノタウロスを遠巻きに攻撃するというもの、その前提が1人目の挑戦者で脆くも崩れ去った。

 動物園でライオンにエサやりをしていたら突然柵が倒れたのと同じ、魔物の前足で攻撃までされている、防御を間に合わせ即死しなかっただけで十分凄い。

 重厚な金属音と共に鎖が弾け、魔物が雄叫びを上げる。

 不意打ち同然の初撃を防げただけでも学生にしては十分すぎる腕前なのだが、腰が抜けたのか男の子はへたり込んだまま動けずにいた。

 アラタは抜刀してミノタウロスへと走っている。


 生徒、魔物、距離、足らな……結界、起動!


 走りながら極力スピードを落とさないようにナイフを地面に突き立て、遠隔で結界を起動する。

 男子生徒を殴り殺そうとした一撃を見えない壁に防がれたミノタウロスは拳に感じた想定外の衝撃のまま後ろ向きにのけぞった。


 ここまでくればもう大丈夫。


「悪い、死んでくれ」


 魔力を纏った斬撃が残滓を残しながら魔物の首をしっかりと捉え、頸動脈を断ち切る。

 そしてそのまま背後から心臓付近を串刺しにされた魔物は絶命し、倒れた。

 その間時間にして僅か数秒の出来事だったが、そのほんの数秒の間に人が1人死んでいたかもしれなかったわけで、自分の判断は間違っていなかったと思いつつ、アラタはなにか陰謀めいたことを感じずにはいられなかった。


「あー危なかった。レオ、レオ……レオナルド君、だよね? 大丈夫?」


 初撃を防いだまでは良かったが、尻餅をついたまま動けずにいた生徒はただ一言、


「あ、ありがとう、ございます」


 そう言うだけで精一杯だった。

 学校の理事長であるエリザベスの目の前で起きた重大なインシデント、大ごとにならないはずがなく、この授業の責任者である講師は彼女にどこかへと連れていかれた。

 入学初日から年下の子供にいじめられていた18歳の評価は、クラスのない落ちこぼれのヒモから強いヒモへと格上げされたが、アラタはどこかズレている自分への評価に首をかしげるのだった。

 その後すっかりと打ち解けたアラタと生徒たちだったが、いくら金がないとはいえほぼ小学生の子供に翌日の昼食を奢ってもらうのは如何なものかと思われる。

 そんなこんなで入学2日目、人の金でランチを楽しんでいたアラタは昨日の戦闘訓練を担当していた講師に呼び出された。


 食べ終わって話しているだけだったから別に良かったけど、次の授業の準備もしていないと彼の脳裏には次の時間の小テストが浮かんだが、まあ何とかなるかと忘れることにした。


 学校の廊下を歩き、昨日の件について改めて感謝と謝罪をされた。

 後で聞いた話だと、確かに鎖の安全管理は適当だったかもしれないけど、それは先生のせいではなく魔物の管理を請け負っていた業者の責任だ。

 結果的に先生が責任者だから悪いのは先生だというのが大人の世界らしい。

でもそれはそれで可哀想な気がする。

 レオナルドが死んでいたらまた別の意見になっていたんだろうなと、アラタは自分のどっちつかずな性格を感じながら、ある部屋の前に連れてこられた。


「ではアラタ君、後は頼んだよ」


「何がですか?」


「入れば分かる」


 そう言って講師の男はどこかへと言ってしまった。


 学校の中でも事務とか学園の運営組織とか、そう言ったセクションが集まる区画、なんかここだけ絨毯敷いてあるし、壁も綺麗だし、ドアもデカいし、なんかいい匂いがするし。

 この部屋に入る、でいいんだよね?


 アラタは恐る恐るドアを2回ノック、した直後足りないと考えてもう一度ノックする。

 三回目のノックは急いでしたので少し強めに音が鳴り、慌てたアラタは返事も聞かずにドアを開けようとしてしまう。

 しかしそれも思いとどまり、数ミリ扉を押したところで再び元の位置に扉を戻す。

 焦りに焦ったアラタの奇行、中からもそれは分かったのか楽しそうな笑い声と共に、『どうぞ』という返事が出てきた。


「しっ失礼しまっしゅ!」


 盛大に噛んだアラタは口の内側をガリっと噛んでしまい、血の味を感じながらやらかしたと思った。

 一連の所作の中で彼が正しく行うことが出来たことは何一つない、もし相手が礼儀に厳しい人ならこれからお説教タイムが始まってしまう、とアラタはリーゼのことを思い浮かべる。

 しかし、扉を開けた彼の前の人物は、怒るどころかおかしくて仕方がないみたいで終始笑っていた。

 アラタは彼女を知っている。

 この組織の理事長、エリザベス・フォン・レイフォード公爵だ。

 癖のない黒髪、肩の上までで揃えられた髪型、黒い瞳、身長、体格、何から何までそっくりだった。


「ふふふ、こんにちはアラタさん。ふふっ、緊張しないで、昨日のお礼を言いたいだけよ」


「あ、はい」


「うちの生徒、アラタさんもそうだけど、レオナルド君を助けてくれてありがとう。本当に感謝しています、これは心ばかりのものだけど」


 そう言いながらエリザベスは小袋をアラタに差し出した。

 中を見なくても分かる、これは金貨である。


 金は欲しいけど、これはなんか違うっつーか、いやでも……金が欲しいなあ。

 いやでも、ここで貰ったら負けな気がする。


「いやいや、もらえませんよ。気持ちだけで十分です」


「うふふ、アラタさんならそう言うと思ってました」


「……あっ!」


 彼女の手に取りだされた袋の中身は金色には光っておらず、茶色い個体である。

 ここで不浄なものを想像した人は心が汚れてしまっているので心の洗濯に行くことをお勧めするが、エリザベスがアラタに渡そうとしたものはチョコレートだった。

 騙された? というよりからかわれたアラタは何とリアクションを取ればいいのか分からずフリーズしたが、彼女からすればそれも期待した反応だったみたいで楽しそうにしている。


「ごめんなさい、貴方は本当に期待を裏切りませんね」


「自分は貴方に裏切られてばかりなんですけど?」


「あはは、私はアラタさんを裏切ったりはしませんよ?」


 どこまで本気なのかアラタには測りかねるが、どうにも掌の上で弄ばれている感が拭えないので早めにこの部屋を後にしようとする。


「待って、私これからご飯なの。一緒にどう?」


 俺もう昼食べたし……


「あーあ、このままじゃ頼んでいたお弁当が1つ無駄になっちゃうわ」


 そう言いながらチラチラと見てくる彼女の視線にアラタは耐えきれるのか。


「……是非ご一緒させてください」


 耐えきれなかった。


 一口に弁当と言っても、プラスチック製の二段弁当もあれば重箱に入った豪華絢爛なものまで様々だ。

 2人が食べているそれは、どちらかと言えば重箱寄りだった。

 この辺で新鮮な魚はあまり流通していないはずなんだけどな、とアラタは刺身を口にする。

 そもそも醤油をこの世界で初めて目にしたのだ、久しぶりに味わった調味料は口内に染み渡る。

 既に昼食を取っていたアラタ、しかし目の前のごちそうはすいすいと彼の腹の中に収まっていく。

 自身も食事をとりながら、美味そうに食べるアラタを見つめるエリザベス、ここが異世界でなければただのカップルの日常風景だが、アラタからすれば似ているだけで相手が違う。

 弁当をほとんど食べ終わり、次のコマの授業のことなどすっかり忘れているアラタに理事長はある話を切り出した。


「アラタさん、ご飯美味しかった?」


「ええ、とっても。醤油を見たのは久しぶりです」


「そう、それは良かったわ。それね、お隣のウル帝国から購入したものなの」


「へー、そうなんですか」


 ウル帝国、帝国と言えばウル帝国歴、現在はウル帝国歴1580年である。

 アラタにはその程度の知識しかない。


「今この国が二分されていることは知っている?」


「いえ、全然」


「ウル帝国とは色々あってね。最低限の交流はしつつあまり関わるべきではないという派閥と、お互い良い関係になれるはずだから広く国交を持つべきだという派閥。私は後者の派閥のトップなの」


「はぁ」


 政治や国際関係の話はアラタには難しすぎる。

 新鮮な魚や醤油を使った弁当を食べさせてくれて、こんな話をして、エリザベスの意図は比較的わかりやすいと思うのだが、アラタにはそれが分からない。

 まだ押しが足りないかと感じた理事長は尚も話し続ける。


「私はね、二つの派閥が1つになれると思っている。お互いの主張を擦り合わせて、良い答えを出すことが出来ればと思っている。ノエルちゃんやリーゼちゃんに話してみてくれない? 私は歩み寄る用意があるって」


「はぁ、はい。やってみますけど」


 弁当を食べている間までは良かったが、そこから先はよくわからない話をされたなと思いつつアラタは部屋を後にした。

 当然その後受けた小テストは追試、リーゼ様ノエル様勉強を教えてくださいと懇願しなんとか翌日の追試を乗り切った。

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