第39話 決意新たに
「…………た。……新。起きて、寝坊するよ!」
「ん。……もう少しいいでしょ」
「いいわけないでしょ! ほら、早く大学行くよ!」
夏の暑い日、新はかけていたブランケットを剝ぎ取られて渋々起き上がる。
夏休みが明けて少し経つ。
8月、通り魔事件に巻き込まれた彼は少しの間入院生活をしていたが、今は元気に学校に通っている、元気に……?
「ハルー、俺今日は休むよ」
「何言ってんの! いいから早く行くよ!」
ダメ大学生のお手本のような彼を辛うじて学生足らしめている彼女の名前は清水遥香、高校三年生から2人は付き合っているが偶然新が進学する大学に彼女もいた。
もっとも、学部は違うから講義を一緒に受けることもないが半同棲状態の2人は一緒にキャンパスに向かっている。
元々近所に住む顔見知りだったが成長するにつれ2人は疎遠になっていった。
だがある時、道でばったり再会した時から2人の時間が動き始めたのだ。
彼女は新が刺されて入院した時も彼の家族より先に駆けつけて看病していた。
「ねえ、臨死体験したことある?」
新が1人暮らしをしているアパートから大学までは徒歩で向かえる距離にある、同じ道には一限から授業がある学生たちが同じ方向へ歩いているわけだが、そんな中新は切り出した。
「この前の事? 私は……小さいときに」
「あっ、ごめん。いや、この前の事なんだけどさ、俺、2人になったんだよね」
「また変なこと言ってる。最近変だよ?」
「二人でじゃんけんして、異世界に行く奴を決めたんだ。俺は勝ったからここにいて、もう1人は……そんなわけないか!」
「新最近本当に変だよ。病院行く?」
「ハルが厳しいからストレスで変になったのかも。優しくしてくれたら治るかも」
「はいはい、じゃあ私はこっちだから。また後でね」
「うん、俺今日バイトだから」
「はーい」
遥香は理工学部の校舎が多くある方向へと歩いていき、経済学部の新はそのまま正面の建物へと向かう。
新は秋葉原で受けた傷跡を服の上からさする。
あの時、確かに俺は二人いて、確かに誰か別の奴がいた。
じゃんけんに勝った後、負けた方の俺は……
「アニメの見過ぎか」
今日は2コマ受けて、1コマ代返すればいいか。
あとは麻雀やって、バイト行って、それから……
「つまんねぇ」
※※※※※※※※※※※※※※※
「駆けつけるのが遅れて申し訳ございませんでした。お二人を危険な目に遭わせてしまい申し開きの余地もありません」
あの場で孤児院に入り治療をすることもできたが、彼らにも時間が必要だとドレイクはアラタを抱えて自分の家に戻ってきていた。
ノエル、リーゼ共にその場で完治可能なレベルの怪我だったが、アラタはかなり弱っていた。
受けたダメージもそうだが、ポーションによる一時的な能力向上の反動が影響して治癒魔術では治せない程衰弱していた。
治癒魔術は非常に優秀な技能だが、受ける側にも最低限の体力が要求される。
大がかりな外科手術が患者の体に負荷をかけるように、本来自然治癒させるべき事象に干渉する分治癒魔術を施せない事例と言うのはことのほか多かった。
アラタに対してできることは、傷口を消毒し、骨折箇所の固定を行った後ベッドに寝かせることだけであった。
治療を終えたドレイクは貴族の子女2人に向かって謝罪した。
深々と頭を下げて、誠心誠意、自らの不徳を2人に晒した。
だがそれは彼の視点であって、助けられた二人からすればお門違いもいいところだ。
助けに来てくれただけでも感謝すべきことなのに逆に謝られたのだから。
「止めてください! あなたがいなければアラタは今頃……」
「いえ、ワシは弟子がこうなることを見越したうえで2人に付けました。こやつは結果的に護衛としても責務を果たせなかった。それはワシの責任でもあるのです」
「そんな……」
「とにかくお二人とも、自分を責めることなしないでくだされ。2人にも休息が必要じゃ」
ドレイクは治療に使った道具や布などを持って部屋を出ていった。
部屋には寝ているアラタとそれを見つめる2人だけが残される。
「なあリーゼ、私はどうするべきだっただろうか」
彼女の視線の先には傷だらけになった異世界人の姿がある。
「シャーロットさんの言ったことは正しかった。私はそんなつもりなかったけど、ただ一緒に冒険者をやりたかっただけなのに。それも間違っていたのかな」
ノエルの声は震えていた。
普段能天気な彼女の心は未熟そのもので、こんな状態で平静を保てるほど強くできていない。
リーゼはそんな彼女を優しく抱きしめて頭を撫でる。
真っすぐな黒髪は日本では珍しくないがカナンでは少数派だった。
「ノエルは間違ってないですよ。あなただって前に踏み出したじゃないですか」
「でも……でも結局力を押さえるので精いっぱいで、何もできなかった」
「伯爵の切り札を無効化したんです、向こうも焦っているはずですよ」
「でも、私は……自分が可愛くて、自分じゃなくなることが怖くて、動けなかったんだ!」
今回の一件は貴族たちの政争のほんの一部に過ぎない。
当主でもない貴族の子女たちにたった一人仲間が出来ただけでこのありさま。
2人からすれば正直ここまでされるとは思っていなかった。
純粋な人の悪意に晒されるには2人はまだ幼すぎる。
アラタの元居た世界ではリーゼでさえもまだ成人していないのだ、この事態を予見し手を打つことが出来ないのも仕方がないことと言える。
だがここは異世界にあるカナン公国、謀略渦巻く貴族の治める国ともなれば実権を持たずとも、精神的に未熟でも敵は敵。
敵勢力は徹底的に排除しなければならない。
自分たちの生きる世界は年齢など関係なく弱いものは食われる世界なのだと2人に実感させるには十分な出来事だった。
「……まだいけます」
寝ていたアラタの口が開いた。
椅子に座ってその様子を見ていた2人は思わず立ち上がったが意識を取り戻したのではなく、まだ夢の中にいるようだ。
アラタはブツブツとうわごとのように何かを呟き続ける。
「遥香、ありがとう」
「つまんねえ」
「もうどうでもいいんだ」
「慎太郎、頑張れ」
時折出てくる人の名前らしき単語に2人は覚えがない。
ならアラタの元居た世界の繋がりなのだろう、そう2人は想像する。
彼がこうして傷ついている理由は自分たちにある、そして無意識に考えるのは元の世界の人たちの事。
自分たちのせいで目の前で寝ている彼が追い詰められたという事実が2人に重くのしかかる、そんな時、彼は目を覚ました。
「ぅん……痛ッ! …………はぁー、あの後、俺は」
「ごめんね! アラタ、ごめんね! 本当にごめんねぇ!」
「あの、ノエル……痛い、痛いから離し――」
涙ながらに謝罪しながら抱き着いてくる少女にアラタは困惑しながら締め上げられる痛みに耐えていた。
息を吸うと体中が痛む、あちこち骨にまでダメージが入っているのだ。
ノエル最近泣きじゃくってるのよく見るな、そう思ったがそんなこと言えるはずもなくされるがままになっている。
「助けられなくてごめんね、動けなくてごめんね、あの時もっと早く私が動いていれば、私が!」
「ノエル」
「むぎゅう」
泣いているノエルを見かねたのか、それとも抱き締められる痛みに耐えかねたのかアラタはノエルの顔を両手で挟み引き剥がす。
「いつも泣いてんな、ほんとに。17だろ? 人前であまり泣くな、俺まで恥ずかしくなる」
「だって、だって!」
「リーゼを見習え。これくらいふてぶしくないと世の中やっていけないぞ」
「ちょっと! 私だって心配して……アラタ、ごめんなさい」
「気にすんな。俺たちみんな被害者、加害者は別だろ?」
「起きたようじゃな。体はどうじゃ?」
いつの間にか部屋の中にいるドレイクは替えの包帯を持ってきたようで体中に巻かれた血の付いた包帯と取り換える。
「魔力が練れないです。ポーションの副作用で合ってますよね?」
「うむ。出し惜しみしないのはよいことじゃ。結果負けてしまったがな」
「いや、俺だいぶ善戦しましたよね? 先生が邪魔しなければあいつだって……」
そう言いながらアラタは部屋の隅に刀が立てかけてあるのを見つけると立ち上がり刀を手にする。
しかし部屋を出ようとしたところでまたもアラタの体は動かなくなった。
「先生! なんでまた邪魔すんですか!」
「おぬしはアホか。向こうがノエル様やリーゼ様に危害を加えなかった理由はなんじゃ? 貴族だからであろう、それは向こうも同じ、分をわきまえよ」
「そんなの知らないですよ。一発入れるまで気が収まりません」
一連の出来事の中でアラタは意外と好戦的であるという新しい側面が垣間見え始めているが、それはそれで問題である。
ドレイクの言う通りこの国で貴族に認められている特権はあまりにも大きい。
下手をすれば一発レッドカードよろしく処刑されてしまうこともある。
ノエルやリーゼのような者が例外中の例外なだけで本来であれば出自の知れない下賤なアラタのような人間を側に置くこともないのだ。
「そう早るな。闘志があるのは良いことじゃがそれよりも先に身の回りのことを何とかすることが先じゃろう」
「そうですね。ここまで大ごとになれば後始末が大変です」
アラタと出会うまで、ノエルのしでかした後始末全般を担当していたであろうリーゼも今回のことを考えると頭が痛くなってくる。
「後始末って? みんなでゴミ拾いでもするの?」
「無効試合になった決闘の後処理、街中を騒がせたことに対する事情聴取、アラタの治療、孤児院の一件、他にもいろいろあります」
そんなに面倒くさいことになっていたのか。
正直もう何もしたくない。
イベントはやるまでが楽しいのであって後片付けはそれに含まれないから。
「その前にお二人とも、今後はどうするのですか?」
「私は冒険者を続けます。フリードマン伯爵家は敵ですから、今後は叔父様や家の力も借りるつもりです」
「私もだ。アラタに手を出しておいてただで済む訳がないだろう。私も戦うぞ」
「そん――」
そんなに簡単に決めていいのか。
そう言おうとしてやめた。
2人とも完全にやる気スイッチが入っている。
アラタは心配してくれて嬉しいやら、これからも面倒ごとに巻き込まれるやらで感情が完全に迷子になっていた。
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