第38話 賢者の愚行
フレディ・フリードマンと言う男の容姿は、一言で言ってしまえばイケメン、だ。
個人の趣味趣向は置いておくとして、客観的に評価すれば初対面でマイナスなイメージを持たれることは少なく、今回のような最悪の出会いでもなければ彼と言う人物は概ね好印象を持たれることだろう。
だが彼も自覚しているように、気持ちが昂るといやらしい笑みが顔に張り付いてしまってこちらはあまり評判がよくない。
彼は人前でその顔をしない様に心がけていたし、よほどのことがなければぼろを出すこともなかった。
そう、よほどのことがなければ。
貴族の子女に付き従う護衛と話をするのがよほど楽しいのか、それとも一方的に人を傷つけることに快感を覚える質の人間なのかは分からないが、アラタを見つめる彼の顔は邪悪なまでに歪んでいた。
――雷撃……起動しないか。
「無駄だよ、魔術回路に干渉できるスキルホルダーがいるからね」
他人の能力を自慢げに語るフレディの前でアラタへのリンチは続く。
蹴られ殴られ、骨にひびが入ろうが出血しようがお構いなしに暴力は続く。
その間ノエルが剣を抜き動き出そうとするたびにフレディは何かが書かれた紙を目の前に出し、リーゼが歯を食いしばりながらノエルを止める、そんなやり取りが数度繰り返された頃、理不尽な暴力にさらされた被害者が牙を剥く。
こいつ俺のこと勧誘する気ないだろ。
ただ邪魔だから殺す気なだけだ、くっそムカつく野郎だ。
この街に来てから俺が被ってきた被害のほとんどはノエルとかリーゼのせいじゃなくて、こいつが仕組んだことってことだろ?
……やってやるよ。
アラタは魔力を練る。
回路は構築しない。
回路に干渉されるなら回路なんていらない。
理屈の上では確かにそうだ、魔術回路に干渉できるスキルという彼の言葉通りに能力を受け取るなら、回路を構築しなければ、魔力操作自体に影響を与える能力ではないということだ。
だがその理屈は、理屈は理屈でも屁理屈だ、本来なら決してやってはいけないこと。
回路を構築せずに魔力を練り続けるとどうなるかをアラタは既に身をもって知っている。
これから起こることに備え身体強化をかける。
アラタを見ているフレディもアラタが魔力を練っていることは理解しているようである、しかし彼の側にはスキルホルダーがいた。
「魔術は発動できないって言ったよね?」
少し呆れたように言い放つフレディに対してアラタはにやりと笑い、
――雷撃!
バチバチと音を立ててアラタを中心に光が走る。
彼を拘束していた奴をはじめ周囲の人間に電撃が命中し拘束が解け、その隙にアラタは距離を取る。
落とした刀を拾いあげ再び構えた。
「このくそ餓鬼がぁ……。おっと、口が滑りました。おい、やれ」
本性を垣間見せた男の号令で再び黒装束たちが襲い掛かる。
再び刀を手にしたアラタだが、この数の敵に対処するだけの力はもはや残っていない。
致命傷を避けるので精いっぱい、斬撃を受け、打撃を食らい、魔術で削られる。
ここで倒れるわけには、ノエルが動けない理由も、孤児院の子供の安全も、何一つ分からない状態で、動けるのは俺だけで……俺しかいない、そう、俺しかいないんだよ。
鮮血が飛び散り片膝をつく。
いよいよ限界が近づいてきて、だがそれでも攻撃が止むことはない。
アラタの視界が朧げに、意識が朦朧としてくる。
「もうやめて! アラタが死んじゃう! やめてってばぁ!」
「リリー! アラタを助けてください! 早く!」
孤児院の中ではシャーロットがまだ暴れている。
それを抑える職員たち、アラタに見せた本気で門を開けようとしているが向こうも必死の抵抗で彼女の猛攻を凌いでいる。
それだけ向こうにも切迫した事情があるのだ。
姐さん、門は……開かないか。
それを期待してここまで来たんだけどな。
事前準備の差と言うか読みの甘さと言うか、流石にしくったかなあ。
「止め、アラタ君を逃がさないように囲んで待機」
力を使い果たし意識を保つのがやっとという状態のアラタは体のあちこちからポタポタと血を垂らしている、出血量も限界に近い。
「君はかなり強情だね。本当にうちに来る気はないのかい?」
「ケホッ、あんたはハナから俺なんかに興味はない。ただ邪魔だから消そうとしているだけだろ」
「うーん、私としては君に来てほしいのだけど。そうだ! 2人に君を解放してもらうというのはどうだろう? ノエル君、リーゼ君、彼を解放してあげてくれませんか? 強化術式は使いませんから、これ以上は命に関わりますよ?」
多分こいつは、俺が邪魔と言うより……2人の側に誰かがいることを嫌がっている?
「アラタ、ここでお別れです。もうここで十分ですから……私たちは2人でやっていきますから」
「ごめんね、アラタ、ごめんね。アラタとはここで……ここで……」
……二人とも、突き放すのかいかないでほしいのかどっちかにしてほしい。
大体リーゼ、お前まで泣いていたらハンカチ足りないだろ、俺はハンカチなんか常備してないんだから。
「はいストップ。もしお前たちが本当に俺にいなくなってほしいならいなくなる。けどもし……そうじゃないのなら、そんなに泣いて、それが噓泣きじゃないなら……言ってくれ。必要だと、立てと言ってくれ。そしたら俺、また頑張るから」
シャーロットに詰められた時と同じくらい泣きじゃくっていた少女は、剣聖の力をその身に宿す少女は剣を握る。
公国を守護する聖騎士は、杖を握りしめる。
「いいんですか? 今度暴走すれば帰ってこれなくなりますよ?」
フレディはノエルの抑止力としての役割を果たしている紙を今一度見せびらかす。
それを見るノエルの眼にもう迷いはない、そんなノエルをリーゼが止めることもない。
「私は、私たちは貴方とパーティーでありたいです。だから一緒に立ってください」
「アラタ、冒険者はまだアラタが知らない楽しいことであふれている。だから一緒に行こう」
フレディはニヤニヤしながら彼女たちを見ている、彼にとってこの状況も楽しめるということか。
「交渉は決裂のようだね。アラタ君、君はやはり暴走した冒険者に殺されたことにしよう」
そう言うとフレディは右手に持つ紙をビリビリと引き裂く。
アラタには何が起こっているのかさっぱりだったが、その後ろでノエルが苦しそうに胸を押さえ始めた。
「耐えてください! 夢だったんでしょう! こうして冒険者として生きることが、それをあなたが望んだんでしょう!」
「う……うん、そうだっ、もう手放さない」
ふらふらしているがノエルの眼はしっかりとフレディを見据えている。
斬るべき敵として、アラタを傷つけた憎むべき敵として。
「暴走しなかったのは想定外でしたが、それでも苦しいでしょう? 無理をすれば戻ってこれませんよ」
2人が吹っ切れたとはいえ、ノエルは戦える状態になく、リーゼと満身創痍のアラタでは戦力不足もいいところである。
客観的に考えた場合のこの状況における最適解は一度アラタがフレディの軍門に下ることである、しかしそれはない。
打算や将来や大局など彼らには関係ない、今起きていることがすべてなのだ。
「本当にこれで最後だ、アラタ君、君が欲しい。ともに来たまえ」
「……死ねよ、てめえ」
アラタの返事を待って黒装束たちがアラタとリーゼに襲い掛かる。
あー、嘘なんかつくんじゃなかった。
本当はもう立っているだけで限界だ。
でもこれでよかったのかな。
ここで折れたら、ここで曲げたら俺はまた死ぬ。
元の世界で野球を諦めたあの日みたいに。
諦めるほうが後で何倍も辛いことを俺は知っている。
凶刃が迫る。
苦し紛れに構える刀では敵の攻撃は防ぎきれない。
刹那。
一陣の風がアタリを吹き抜けた。
アラタはこの風に覚えがある。初めて魔術を習ったあの日、身動きが取れなくなり魔術の凄さを体感した風を俺は知っている。
「先生……」
「すまんの、用事があったのじゃ。じゃがそれも済んだ」
黒装束たちは全てドレイクの手によって拘束されている。
先ほどまで苦しんでいたノエルも今は落ち着いていて、ただ一人フレディだけは自由に動ける。
だが彼一人自由だったところで状況は変わらない。
「これはこれはフリードマン伯爵様。少々オイタが過ぎますな」
「賢者ですか。あなたほどの御方が、よもやそちらに付くとは」
フレディからすれば彼がアラタ達の味方に付くのは選択ミスらしい。
「アラタ君への嫌がらせはあなたの面子を立ててこれで終わりにして差し上げます。でもあなたは選んだ、そちら側について私たちと違う道を歩むことを選んだ。せいぜい後悔のないように。アラタ君、こちらに来たくなったらいつでも来るといい。歓迎しよう」
アラタの中で何かが弾けた。
「……殺す」
彼の肉体の限界はとうに来ている。
今の彼の体を動かす力は体力でも魔力でもない、怒りと言う名の気力だ。
アラタは大地を蹴り距離を縮める。
一刀のもとに斬り捨てようと刀を振りかぶった。
「死ね!」
捉えた!
そう錯覚するほどの手ごたえは刃先からではなく、急激に体に制動がかかったことによる反動からやってきていた。
初めて出会った時、いやそれ以上の力で俺の体を風が包んでいる。
「先生! 放してください!」
「アラタ、少し眠れ」
「何を……?」
ガクリと動きを止めたアラタをドレイクはそっと地面に下ろした。
「弟子が失礼しました。ノエル様、リーゼ様へのこの扱いとお相子と言うことでお願いします」
アラタの急速な接近は黒装束も対処できていなかった。
フレディは少々面食らったような顔をしていたが平静を装い、
「え、えぇ。いいでしょう。ではこれで失礼します」
フレディと黒装束たちは大通りを引き返していった。
こうしてアトラの街の冒険者たちを巻き込んだ騒動は一応の決着と、次なる争いの始まりを告げたのだった。
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