七、三番勝負の二 〜剣競べ〜

 一戦目の余韻もそこそこに、勝負は続く。

 帝と斎は頭弁に促されるまま西の端にあった壇を下り、次の舞台である庭の中心へ移った。


「二番勝負は剣競べです。使用するのは木太刀。いずれかの剣が使用不能となる、あるいはどちらかが降参するまで打ち込み合っていただきます」

 

 向かい合うふたりの元へ頭中将がやって来て、それぞれへ剣を渡す。どちらも同じ形のやや短めの木太刀だった。木製なので刃はないが、それなりに重量がある。打ち所によっては人を殺せる武器だ。

 当初公卿会議では「そんな物騒なものを帝に向けてよいのか」というのが議論になったが、花琉帝自身が「構わない」と答えたので今回に限りお咎めなしとされている。


 西の斎は剣を両手に握ると、一度深く呼吸する。それからまっすぐ正眼に構えた。一方東の帝は、感触を確かめるように一度だけ軽く振る。右手の中でもてあそぶように握り直して、左足を引き半身に構えた。片手一本に納まった剣先は、地を向いている。


「(蔵人少将どのはああ見えて、剣の腕は右近衛府でも一二を争うという噂だ)」

「(ああ、同期の武官を軒並み負かしたというのを聞いたことがある。だが帝の剣の腕についてはわからないな……)」


 ひそひそと後輩の蔵人達が噂し合う。

 斎は小柄な体躯と身軽さを活かした独特の剣術で、見た目以上の手練れとして知られている。今回の勝負で剣競べを指定したのも、彼女の自信の表れだ。一方の帝は、そもそも剣を取るべき立場ではないのでその実力はまったくの未知数である。


 帝と斎の合い間に横たわる一丈(約三メートル)ほどのに、静かに風が吹き抜ける。場に緊張の糸が張り詰めた。


「はじめ!」


 静寂を断ち切る頭弁の合図。その瞬間、斎は飛び出していた。目にも留まらぬ早さで距離を詰め、玉砂利の地面を蹴って宙に飛ぶ。中天の太陽を背に、帝の頭上へ剣を振り下ろした。


「はぁああああああ!」


 一打目で帝の脳天を狙うとはなんたるおそれ知らず。相手が誰であろうと決してひるまない斎の気迫に、観客は息を呑んだ。

 しかし渾身の一撃は上段で真っ向受け止められる。そのまま帝が剣ごと押しのけると、斎の小さな身体は反動でくるりと回転、後方に着地した。だが膝をついたと思ったのも束の間、しゃがみ姿勢のまま飛び出して素早く足下を薙ぐ。


「おっと」


 帝は冷静に、後ろ足を軸に半歩下がった。畳みかける斎の攻撃は止まず、すぐに下から伸び上がるような一撃。帝はすれすれで上背を反らして剣先をかわし、同時に剣身を滑らせることで斎の剣の軌道を変える。左へ受け流されて、しかし斎はすぐさま踏み込み斬り返す。


「まだまだっ!」

「そうこなくては」


 斎は片時も攻撃の手を休めない。俊敏さを活かして反撃の隙を与えず、果敢にふところに飛び込んでは何度も何度も打ちかかる。その懸命な姿は、思わず声援を送りたくなるような熱狂を人々へもたらした。

 一撃、二撃、素早い打撃を加えるたびに観衆の注目が斎へ傾く。だがその中に、ひとりだけ冷静な者がいた。


「帝の動き……まるで舞でも舞っているようだわ……」


 ぼそり、と麗景殿の女御がつぶやいた。


 斎の太刀を受け止め、時に受け流す帝。猛攻をすべていなしてはいるものの、耐えしのぐのみで自ずから仕掛ける様子がない。それどころか一歩二歩、攻撃を避けるごとに後ろへ追い詰められているようにも見える。

 だが彼が半身を返して下がり、木太刀を振り抜くそのたびに。二藍の袖が優美に膨らみ揺れて、ひるがえる。たしかにそれは舞のようであった。


 誰もが皆、ふたりの息もつかせぬ戦いに目を奪われていた。しかしいよいよ剣戟も大詰めを迎える。斎の攻撃をかわしつづけた帝は、ついに後がなくなってしまった。庭の端、仁寿殿の前に植わる紅梅の近くまで追い詰められている。すぐうしろは石畳だ。


「(もらった!)」


 ひゅ、と鋭く呼吸して、同時に斎は全力で一歩を踏み出した。力強く利き足を踏みしめ、足下の玉砂利が飛び散る。剣先がまっすぐ帝の上体を捉えた。これが真剣ならば心臓をえぐり取るであろう必殺の一撃。観衆から悲鳴が上がった。

 だが、突先が届くまさに直前。ふわりと羽根のように――わずかに数寸、帝の身体が右へ触れた。斎は驚き目を見開いたが、今さら動きを修正できない。切っ先は風を切る音と共に帝の左すれすれの空を穿つ。そして次の瞬間、斎は太刀ごと突き出した右手首を掴まれていた。


「あぐぅっ!」


 そのまま思い切り腕を引っ張られて帝と共にくるりと旋回、ふたりは寄り添い合って舞うように丸い軌跡を描いた。一見動きは優雅だが手首を掴む帝の力は強く、斎は思わず剣を落としてしまう。


 からんからん。

 明るい音を立てて斎の木太刀が地面に転がった。気付けば彼女の身体は帝の腕の中、大袖に包まれるように抱き込まれている。仰け反る斎に顔を近付ける帝の身からは、荷葉の甘く爽やかな香りがした。


「まだやるかい?」

「いいえ……参りました……」


 剣競べで剣を落とせばすなわち敗北。美しい顔に眼前でにこりと微笑まれて、斎はくやしそうに口を引き結ぶ。少しだけ言い淀みはしたものの、素直に負けを認めた。ところが帝は、すぐには斎を離さない。


「なかなか腕を上げたね、セイ

「ええと、あの、主上、お離しください」

「一体この小さな身体で、どこからそんな力が出るのかな」

「ひぃ、顔が近いですから、主上」

「――そ・こ・ま・で・です」


 庭の端まで歩いてきた頭弁に引き剥がされて、ようやく花琉帝は斎の身体を解放した。その途端、斎は飛び跳ねるように帝の腕の中から離れて後ずさる。全力で打ち込みつづけた息切れと抱きしめられた緊張のせいで、小さな肩は上下してぜーはーと荒い息をしていた。一方の帝は「たまの運動は疲れるね」などと扇を扇ぎはじめるが、表情は涼しげなままだ。

 頭弁はやれやれとふたりに背を向けると一度咳払いする。気を取り直したところで、高らかに勝敗を宣言した。


「二番目。剣競べは東の方、帝の勝利」


 おおおお、とひときわ大きな歓声があがった。すっきりしない幕切れだった歌競べと違い、誰の目から見ても鮮やかな帝の勝利だった。さすがの左大臣もこれには物言いの付けようがなく、黙って歯噛みしている。


「いや~、面白くなってきましたなあ」

「ほほほ、あのちんまい蔵人少将もなかなかやるではないか」

「(蔵人少将……次で負けたら承知せぬぞ……!)」


 ぎちぎちと檜扇を握りしめる左大臣の隣で、右大臣と内大臣はのんきに笑っていた。


 これにて勝負は一勝一敗。決着は三番目の弓競べへともつれ込んだ。

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