帰宅

隠し事

 家に帰るとテーブルにラップされたカレーライスとレシート、置き手紙が置いてあった。置き手紙には『21時頃に伺います』と書かれている。


 時計を見ると、あと数分で21時になる所だった。


 昼食は大体外食で済ませるのだが、朝と夜は夏海に作ってもらっているのだ。家の冷蔵庫の食材は勝手に使っていいと言っているが足りないものがあった場合こうしてレシートを渡されその分きっちり払うようになっている。


 ─しまった。夏海に夕飯はいらないとLINEするのを忘れていた。


 実はバイト自体は18時までで上がりだったのだが、偶然同じタイミングで退勤だった五十嵐先輩に誘われて夕飯を奢ってもらっていたのだ。


 せっかく作ってくれたのだし無理してでも食べるか、それとも正直に事情を話して謝るか。そんな事を考える間もなく夏海がやってきた。


「失礼しまーす!」


 上下少しくすんだピンク1色の半袖半ズボンの部屋着姿というかなりラフな格好だ。普段は2本で結んでいる髪を後ろで1本にしている。髪は普段よりツヤがあって風呂上がりだということが予想出来た。甘い香りが漂っている。


「ああ、夏海」


「どうだったー?今回のカレーは自信作だったんだけども──て、あれ?」


 夏海の顔からスッと表情が消えた。そして少しして口角を上げた。笑った、というよりは本当にただ、口角を上げただけという印象だった


「ごめん。今帰ったとこなんだ」


「あっ、そうだったんだ。遅かったね。えーと、じゃあこれはカレー?」


「夜は食べてきちゃってさ」


「へぇ、夜ご飯食べてくるなんて珍しいじゃん」


「うん。実は、バイト先の先輩と仲良くなってさ、奢ってもらっちゃった」


「そうなんだ!良かったじゃん」


「そうなんだよ!聞いてくれ。なんか店長も先輩もいい人でさ!ここでなら長くやって行けそうだなぁって」


「へー!なんか私もうれしいや!」


「ははっ、…あ、なんか昇給もあるみたいで2ヶ月続けたらテストを受けて合格なら時給30円上がるんだって」


「じゃあ昇級したらなんか奢ってよ」


「はぁー?普通逆じゃない?俺の昇給祝いでなんか買ってよ」


 俺がその日にあったことを夏海に話すのなんてだいぶ久しぶりな気がした。


 しかし、この時の俺は嬉しい出来事に浮かれていて、夏海に謝らなければならないことがあるのを忘れていたんだ。


 夏海が切り出した。


「そうそう。日曜の文化祭、何時くらいにくる?」


「あ」


 夏海の表情が固まる。俺の反応になにかしら不穏なものを感じたんだろう。


 俺はゆっくりと話し出す。


「…あのさ」


 夏海の不安げな表情が酷く痛々しくて──いや、自分の責任なのだから痛々しいと表現するのはズレているか。痛々しいなんて思う資格は俺にはない。


「今度の日曜、バイトになった」


 こちらをのぞき込む夏海の目が少しだけ大きく開かれた。そしてスローモーションのようなゆっくりとした瞬きをする。


 ──え、と消え入りそうな声でそう言った。


「店長にさ、入れないか?って言われて断れなかったんだ。ごめん」


「それってさ…ほんとに断れなかった?」


「どういうこと?──」


 俺の言葉に食い気味に、遮るように、迎え撃つように彼女は言った。


「いや、こっちのセリフなんだけど」


 悲しみ、失望、怒り、─様々な感情をごちゃ混ぜにしたようなそんな表情。俺は夏海のそんな顔を初めて見た。


 こんなに怒るとは、悲しむとは想定していなかった。


 そこから彼女は捲し立てる。


「私との約束より仕事が優先なわけ?そんなに職場の人に気に入れたい?あんた不器用だもんね、今までバイト先の人と仲良くなったりした事ないんでしょ」


 犯罪者を断罪するが如く夏海は俺を罵倒した。


 何一つ言い返せることはなく。ただ「ごめん」としか言えなかった。


「妙子おばさんも言ってたよ。圭吾は働きすぎだって」


 大田妙子、俺の母親だ。


「あんたのお父さんみたいにならないか心配してた」


「不器用で、見た目の割に気が弱くて流されやすくて、優しくて。悪い会社で働きすぎて死んだあんたの父さんみたいにならないかって」


 父さん。俺が小さい頃に死んだからってのもあるんだろうけど、遊んでもらった記憶はほとんどない。ただ、何をするにも働くことを優先するあの人を俺は恨んでいたことを覚えている。


「お母さんに心配かけてどうすんのよ!」


 その一言は…その不本意な一言だけは俺は聞き逃せなかった。


「そ、それは違う!俺は母さんに少しでも楽をさせてあげたくて…家族でもないのにわかったようなこと言うなよ!」


 俺は怒鳴ってしまった。怒鳴ってしまいながら不味いと分かっていた。けれど声は止まることはなく、言い終わって後悔した。自分より体の大きな存在に怒鳴られ、萎縮させてしまったかもしれないと思ったが、彼女はそんなタマでは無かった。


 寧ろ大きく息を吸い両の拳を握りしめ言った。


「だからっ!そのお母さん心配させてどぉすんのよっていってんの!本末転倒でしょ!?」


 続ける。


「それに、私も心配してるんだから」


 更に。


「私は家族じゃない?…そりゃそうだ。親でもないし、姉でもないし、妻でもないし、…彼女でもない。そんな私が貴方の生活を支えてるんだけど」


 ──なんでかわかる?


「普通さ、幼なじみといえどただの友達が毎日朝ごはんと夜ご飯作って振る舞いに行く?」


「ディズニーランドとか文化祭に2人っきりで行こうって誘ったりする?」


「私がどんな気持ちであんたを誘ったのかわかる?」


 ──なんでかわかる?




「好きだからだよっ!!」


「じゃないと、2人で文化祭回ろうなんて…誘わないよ」


「鈍感なあんたの事だからこれでもとぼけたことを言いやがりそうなので恥を忍んでもう一度ちゃんと言います」


「加瀬夏海は大田圭吾くんの事が、好きなんですぅ!」


 怒った口調のままあっけらかんにそう言った。


 そして「皆まで言わせるなよ。まったく」と言い残し出ていったのだった。


 俺の感情をぐちゃぐちゃにして、最後に全てを吹き飛ばす激情を残して

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