人付き合い
案内された控え室は長方形の部屋で、その長辺に更衣室とデスクがある。そしてそれは部屋の半分を占めていて、残りの細長いスペースには長机とパイプ椅子が4つ置かれている。
そのパイプ椅子のに若い男性が座って足を組んでスマホを見ていた。
「うん。えっとね、彼は五十嵐くん。大学生でバイトリーダーね」
俺が彼をじろじろ見ていたのがバレたのだろう。店長は頼んでもないのに説明してくれた。
自分の話をしていると気づいたようで五十嵐さんは立ち上がりこう言った。
「うわぁ若い!高校生かな?よろしくね!」
「あ、はい。よろしくお願いします。大田圭吾です。」
まぁ正しくは高校生ではないんだけど。それを言うと面白がられ質問攻めに逢いそうだと思ったので省いた。
「店長は教えるのヘタだから困ったことがあったら俺に聞いてね〜」
「おいおい、言うね!五十嵐くん。全く」
店長は怒ったような素振りでは無く、ただお互い軽口を言い合ってるという感じだった。とても暖かい雰囲気で俺の緊張ももう解けていた。
「あー、はい。分かりましたじゃあ困ったら五十嵐さんに頼りますね」
「えー!大田くんまで僕をいじるの?」
そう楽しそうにツッコむ店長と、腹を抱えて大袈裟に笑う五十嵐さん。上下関係も緩そうなここでなら俺でも長続きするんじゃないか、と安堵した。
「大田くん、聞いてくれよ!店長はもう30も後半なのに結婚してないんだぜ」
「へぇそうなんすか。けどまぁ今どきは独身貴族って多いってききますけどね」
「おぉ!そうだよな!よかったぁ味方がいて。もう五十嵐はことある事にそれでいじってくるからさ」
「大田くん。実はこの話には続きがあってね。噂なんだけど店長は人生で1人も──」
何かを言いかけた五十嵐さんを店長が遮った。
「ちょっとまったー!その話は無し!!」
手を叩いて笑う五十嵐さん。
「なんすか!遮るってことはこの噂ホントなんすか?」
「うーん。明言は避けておくよ。世の中にはねぇ知らない方がいいこともあるんだ」
神妙な面持ちでそういう店長が面白かった。
そこからもとても話しやすい2人と少しの間談笑していた。その後の事だった。
「おや、そろそろ開店準備を始めないとお客さん来ちゃうよ」
店長が言い出した。
「そおっすねー。はぁだりぃ」
五十嵐さんがスマホをカバンに放り込んだ。
「うーん?佐藤さん来てないね」
店長は壁に貼ってあるシフト表を指でなぞりつつ首を傾げた。
「佐藤さんってあのおっさん?」
「そおそお」
「飛んだんじゃね?」
“飛ぶ”とはバイトを無断欠勤しそのまま辞めてしまうことを言う。
「電話してみる」といい店長がポケットからスマホを取りだし掛ける。が、出ないらしく大きくため息をついた。
「うん。これは飛んだかもね。あの人遅刻も多かったし。困るなぁ…これからも来ないとなると今週のシフト、キツいぞ」
店長はデスクに向き合い、その上にあったパソコンを操作し始めた。
「これだからフリーターは嫌っすよね。大体あの年で定職にもつかずに何やってんだか」
「こらこら、あんまり口悪く言うなよ」
「だってそうじゃないですか?責任感がないって言うか。周りの迷惑とか考えてなさそう」
この五十嵐さんの尖った発言には店長もフォローはせず寧ろ流されるように足を揺すりイライラし始めているようだった。
俺のことを言っている訳でもないのに、なんだか水中にいるみたいに息苦しい。
「今週きついなら俺、いつもより多めに入りますよ」
「うん。ありがとう五十嵐くん。…あぁでもどうしても日曜日の人手が足りないな」
「あぁ、日曜日俺元からロングで入ってましたしね。困りましたね。ただでさえ日曜日は忙しいのに」
嫌な予感はしていたのだが、そこで五十嵐さんと目が合った。
「あ!じゃあ大田くんに入ってもらったらどすか?」
時間を止めて逃げ出したい気持ちに襲われたがもう遅い。
「うん。確かに、早いうちに忙しい日に慣れてもらいたいしね。どうかな?大田くん、入れる?」
2人の視線が俺に注がれる。日曜日…予定はある。夏海の学校の文化祭だ。しかし、バイトを断った時の2人のガッカリする顔が目に浮かぶ。きっと2人とも表面上は仕方ないと言ってくれるが、心の中では使えない奴だと俺を評価するだろう。
嫌な思い出が頭をよぎる。
とはいえ、ここで俺が取るべき選択なんて街頭でインタビューしたら7割くらいの人の意見は一致するんじゃないだろうか。倫理的には勿論先約だった夏海との約束を優先すべきなんだ。
しかし、俺の思考は打算に塗れ、双方のリスクを天秤にかける。
夏海は俺が約束を破ったら悲しむだろうか。文化祭は来年以降もある訳だし、気を使って誘ってくれただけで、学校の友達と回った方がいいに決まってる。それに、見知らぬ男と一緒にいたら他の生徒があらぬ噂を立てるかもしれない。
ようやく巡り会えた働きやすそうな職場。そうでなくとも俺は少しでも多くの時間働いて、母親に楽をさせてあげたいという気持ちがある。そもそも、俺には休日に遊びほおけていられるほどの金銭的余裕はないんだ。
「あー、その日は入れますよ!」
笑顔で、──少なくとも表面上は闊達な笑顔でそう言った。
では心はどうだろう。「入れます」、その一言を言ってしまった時──いや、自分に散々言い訳をし、“言えた”時。喜んだ2人の顔を見て俺は『良かった』と思ったのではないか。
最初から俺は悩んでなかった。
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