起床

幼なじみの献身

 蟻が列をなしている。


 上も下も分からない真っ白な空間。遠近感をバグらせるその景色は、果てしなく続いているようにも見えるし、実はさほど広くないようにも見える。



 そのなかで映える、墨のような色の小さな体。そしてとても頼りなさげなか細い6本の脚で力強く進んでいる。


 視線で辿っていくとその列の最後尾、1匹だけ集団から少し離れたところにいる蟻。



 懸命に集団に追いつこうとしているが、上手くいかず距離は離れる一方である。



 



 ──夢か…。


 目を覚ますとまず、火照った体の熱に不快感を催す。夢の中とはいえ蟻を潰した感覚が指に残っている気がする。


 重たいまぶたを無理やりこじ開る。俺は寝起きはいい方だった。テキパキと布団を3つに折り畳み棒立ちで欠伸をする。部屋の電気はつけていないし雨戸も閉めているから視界は真っ暗だ。


 暑いので着ていた白いノースリーブを脱ぎ捨て流れで背中を掻く。


 突然、6畳の部屋にひとつしかないスライド式の扉が開いた。寝起きの眼に新鮮な朝の光が飛び込んでくる。それに目を細めていると。


「きゃー!!」


 と、悲鳴が聞こえ勢いよく扉が閉められた。


 いや…それはこっちのセリフなんだが。


 閉められた扉を今度は自分で開けるとその先はダイニングキッチンだ。我が家は1DKで母親と二人暮し。だが、そこにいるのは母親では無い。


 ダイニングに入ると台所用スポンジが飛んできた。


「なんでそのままなのよ!服を着なさい変態!!」


 そう俺を毒づくのは加瀬夏海かせなつみ。同い年の幼なじみだ。


 白を基調とし、藍色の襟、臙脂色のスカーフで彩ったセーラー服を着ている。これは彼女の通っている高校の制服であり、時代も相まってコスプレに見えるが、そうではない。



 髪の毛はたしか、小学生の頃から切ってなくて、腰辺りまである。1度気になって切らない理由を聞いた時は願掛けだといっていた。


 その髪を赤いリボンで2本に結んだ長いツインテールが彼女のトレードマークになっている。


「いやココ俺の部屋だし。俺の勝手だろ。てか俺が上裸なことなんて割とよくある事だろ。いい加減慣れろ」


「なんで瑞々しいFJKが家族でもない男の裸を見慣れなきゃならないのよ!穢らわしい!」


 なんだよ“穢らわしい”って。“汚らわしい”よりもより汚そうな表現だな。


「服を着ないと朝ごはんは作ってあげません」


 その脅迫は俺にとって甚大な効果を発揮する。俺は一般的な意味合いよりも過激な意味で夏海に胃袋を掴まれているのであった。


「ごめんなさい」


 寝室に戻り汗でほんのり湿ったノースリーブを着用し食卓につく。


「しかし今日は暑いなぁ」


 キッチンで作業する夏海の方を見る訳でもなくボソリと呟く。


「そうねぇ。しかもこの家、エアコンどころか扇風機もないから」


 自然の風頼り。


「いや、正しくは扇風機はあるんだ。コンセントが折れてて挿ささらないだけで」


「同じよ、そんなの。扇風機から電力を引いたら3時間のタイマー機能しか残らないじゃない」


 やめろやめろ。貧乏がバレる。


「高い扇風機は3時間のダイヤルじゃなくてボタンで操作するらしいぜ」


「なんですって!じゃあ、夜寝る前にタイマーセットしようとしたけど暗いから右回しか左回しかわからなくなる現象は起きないの?」


「あぁ、それどころか羽がついてないのもあるそうだ」


「えぇー!そんなことしたら宇宙人の真似が出来ないじゃない!」



 俺も夏海も同じアパート「メゾン・ヒラサワ」の住人だ。夏海は早朝から深夜まで働き詰めの俺の母親に代わって家事の世話などを無償で(自主的に)してくれている。


 夏海が朝食にしては少し多いんじゃないかと思われる量の白米を盛った茶碗とウィンナー二本と半熟目玉焼きの入った平皿、そして味噌汁を配膳してくれる。


 まじでありがたい。


 それくらい自分で作れるだろと思われるかもしれないが、いざやると毎日のことなら尚更すごく大変だから。


 本当にいい友達をもったものだ。

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