後編 未来へ続け
七月二六日
車は九州自動車道の鹿児島北インターで高速道路を降り、三号線に入った。夕日が空を赤く染めはじめたころ、哲郎と徹が本日30回目の会話をはじめた。
「ハノーバーって、どんな状態になってるんだろう?」
「さあな。たぶんこの写真…!?」
「なんだ」
「この機関車もハノーバーだ!場所も加世田だし…」
「じゃあこの機関車だな」
夜のラーメン屋での夕食のあと、哲朗たちはホテルのセミダブルルームで眠りについた。
翌朝、哲郎は朝早くに目が覚めた。しばらくすると徹が目をこすりながら起きた。
「事件だ」
徹は言った。
「刑事・民事の事件じゃなくて、発見という事件だけどな」
哲朗に本を差し出した徹は、開かれているページを指差した。
「国鉄の機関車の納品表だよ」
「それがどうしたんだよ」
「九六は、59632を含む四五〇両が満州に送られて、還ってきていないということになっているんだ」
「じゃあ、59632はどうして日本に?」
「それはわからない。自由研究にしたら面白そうだけど」
「そうだね」
「今日はハノーバーを見に行くわけだから、何か情報が得られればいいけど」
「今日中に連絡とらないと」
「そろそろ朝ごはん食べよ」
「レストランは一階だな」
「エレベーターどこ?」
「まずうちの母さんと父さんを起こさないと」
食事中の話題は、機関車だった。
「何の音か当ててみて」
徹が携帯の録音音声を流した。
「油ぼろ(油をしみこませたぼろ布)を火格子にばら撒いて、点火した使用済みぼろ布(掃除用)を放り込んで、薪を放り込んで、ほかの機関車から蒸気をもらってブロワをかけて、ほどよく燃えてきて石炭を少しずつ放り込む音。燃える音からして、D51《デゴイチ》かな」
「正解。一度でいいから、ボイラー焚いてみたいよね」
マニアックな会話をしながらの食事は終わった。二人はハノーバーのアル場所に向かって歩いた。地図を頼りに進むと、そこには鉄屑の山があった。機関車の壊れたボイラーの底には、さびて穴の開いた火格子が敷かれていた。鉄屑たちのボロボロに赤さびた様は痛々しかった。
生きているような奇妙な雰囲気をもつ機関車がいた。徹は機関車のプレートを見て、言った。
「まちがいない、これが例のハノーバーだ」
そのとき、何やら話し声が聞こえた。
哲朗が少し顔を上げると、車体の向こうに眼鏡をかけた中学生ぐらいの少女がいた。哲郎は気になって話しかけようとしたが、一瞬
「こ、この機関車と話していましたか?」
少女は、上ずった声で答えた。
「そ、そうですけど?」
「僕も、その機関車と話しに来ました。僕はクルミ市の小学校に通ってる、大田哲郎といいます。牧村鉄道の小樽機関士について知っていますか?」
「うーん…たぶん私のおじさんだよ」
「どこにいますか」
「この町で働いてるよ」
「連れてきてもらえますか?話が聞きたいんです」
「いいよ」
少女は自転車で去った。
「ありがとうございます!おーい徹、見つかったぞ」
徹はハノーバーと話していた。
「僕たちは、小樽っていう機関士を探すためにここに来たんです」
「もう少しで来る。哲朗君がさっき話してた子に頼んで呼んだからね」
「そうなのか?哲郎!」
「そうだよ」
二台の自転車が近づいてきた。一台は先ほどの少女のものだ。もう一台には、銀縁メガネをかけた老人が乗っている。哲郎たちは老人に話しかけた。老人はケ100に会いに来ると言った。
「八月一三日に行く。ああ、やっとケ100に…ありがとう、わざわざ来てくれて」
「いえいえ」
八月一三日、午前一〇時。クルミ駅の改札口に、小樽が現れた。
「うちの帆乃香がお世話になってる機関車を訪ねてきてくれてありがとう。ケ100が教えたんだって?」
「あの人、帆乃香っていうんですね」
「ケ100はどこだい?」
「空き家になった鉄屑屋の屋根の下です」
「そうか」
「じゃあ行きましょう」
三人が鉄屑屋の前につくと、哲郎は小樽を促した。
「話しかけてあげてください」
小樽はケ100に話しかけた。
「やあ」
「今までどこ行ってたの?」
「おまえがどこに持って行かれたかわからなかったから、ハノーバーの近くに住んでたんだ」
「そうなんだ。今の生活は幸せ?」
「ああ、幸せだ」
「そう。よかった」
「なんで聞いたんだい?」
「哲郎君たちにだけ言うけど、幸せなら私がかかわる必要は、なし…かな」
「いや、そんなことはないでしょう。今以上に幸せになってもらえばいいんです」
小樽は、自由研究のことに話を移した。徹は携帯を取り出し、哲郎はメモをとり始めた。
「一九七〇年に高校を卒業した私は、牧村雑業に入社したんだ。社長は
小樽の話は長かったが、ケ100は静かに聞き入っていた。
「そういえば本は来月発売だよ。五百円で」
小樽の話は、家族の話に移った。
「なんでハノーバー先輩は言わなかったんだろう」
ケ100はハノーバーを呼んだ。
「なんで小樽さんに伝えてくれなかったんですか?」
「小樽の姪っ子の帆乃香ちゃんの未来のために言わなかったんだ。このままでは不幸になる」
「百ちゃん、できるなら幸せにしてやれ」
「わかった。今幸せにした」
小樽は何がなんだかわからないようだったが、ケ100に頭を下げた。
「本当にありがとう。またな」
哲朗たちは小樽に大きく礼をした。
「ありがとうございました」
小樽は歩き出した。夏の日差しの下で、小樽の足取りはスキップをしているようだった。
十二年後、哲郎はとある電気製品メーカーの開発部に就職した。そして哲郎の仕事初日、歓迎会の席で職場の全員の自己紹介があった。哲郎は、小樽という名前の女性に注意をひかれた。その女性は、小樽帆乃香と名乗った。哲郎が話しかけようとしたとき、小樽は何かに気がついたようだった。そして宴会が終わったあと、帆乃香は哲朗に話しかけた。
「あ、君はあの機関車の?あのときの大田君?」
「そうです」
「ちょっと話いい?話したいことがあるから」
帆乃香は哲朗の手をとり、駅に向かって歩きはじめた。
「私、太田君のことよく覚えてるんだ」
「なぜまた」
「太田君が好きだから…かな」
帆乃香は冗談っぽく言って、哲朗の手を握った。
「あじあ」に乗った日 古井論理 @Robot10ShoHei
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