パステルレッドの国

 夜の新幹線は闇の中を大きな音を出しながら高速で進んでいく。私はマザーへの手紙をタイプし終えるとぐっと眠くなってきて、混雑している新幹線の中でリクライニングを少しさせ、眠りに落ちた。

ふと、頭の中に楽園の風景がよぎる。新緑色の芝に燦燦と日が当たり部屋の中から私は外を見ている。広場のちょうど中央に東屋があって子供たちが戯れている。広場を走り回って追いかけっこしている子たちもいる。年齢がみんな一緒なわけではないから、東屋でゆっくり読書をしている子もいる。あれは誰だったっけ、あまりにも目まぐるしい私の環境の変化に私が追い付いていないようだった。ここまで色々な人に出会い色々な様子を見てきた。モスクワの蒸気がむんむんとした景色に水蒸気のもわっとする匂い、市では冷凍食品を売る商人たちの姿、インクリボンを求めて街を散策する私。いつも以上にいつもがいつもではなくなってきている。私はどこにたどりつくのだろうか。ひょっとして旅路の終わりにはふわっと消えてしまうのではないかという恐怖すら感じた。しばらく日を浴びていない気がする。当然台中はクリーンで少しは浴びれたのだけどスメリアにいたころは毎日が晴れていて、雨の日なんていうのは月に数回程度しかなくて、日がな一日を広場で子供たちがじゃれあっているのを見ながらタイプしていた。屋根のある場所でベンチに座りながら外を見ていると時々直射日光が当たって眩しく感じる。日が身体に当たるととても温くてすっと通る風が小気味よい。私たちの世界は狭く簡潔していた。夜になると各々部屋に戻り二段ベッドが両端に置かれた部屋で各々の時間を過ごす。談笑したり、読書したりする子がいた。ベッドの手前にはデスクがあり、私のデスクはきれいとは言えないし、海外に出る寸前の話になるけれど棚には沢山の辞書が置いてあった。デスクにはアジアの辞書が広げたままで勉強している最中にそのままほったらかして寝てしまったのだろう。次の日も、また次の日も外国語の勉強をつづけた。マザーにアジア行を告げられてから日本語の児童書を取り寄せてもらい翻訳をしていた。しかしこれは誰にも言うことは許されてなくて、かといって隠れながら勉強はしていなかった。プロトタイプとしてアジアへと私は誘われたわけだけれども、今でも幸せな旅をしている自信はあった。ところどころでつらい経験もしたけれどマザーに紹介された人は誰もいい人ばかりで手紙を書いている時間が今では幸せに感じる。タイプで物語を綴っていくのと同じように言葉を紡いでいくのは素晴らしい経験だったし、しゃべった言葉を文章に書き替える時の紡ぐという行動に幸せを感じていた。勉強したおかげと言えば簡単に聞こえるかもしれないがそんなに勉強をしたわけではないからわからないことも多い。唯一できた日本語でやり取りしてくれるのは旅では本当に助かる。そういえばリニアの中では色々な言葉であふれていたなと考える。昼夜を問わず超高速で走る鉄道は大陸を横断しドイツ語からロシア語、中国語まで色々な言葉にあふれていた。それが今中華圏に入って中国語しかないことを考えると異世界に入った私は淘汰されてある国に落ちてしまったのではないだろうか。香港での広東語は癖が強くてなじめなかったが台湾人の話す中国語は少しやんわりしていてわかりやすい。時折辞書を開き、読み方を確認して意味を知ってしまう。そんな日常の繰り返しだった。台北、台中と街を歩いて私は次はどんな毎日が待っているのだろうか。


新幹線の中で夢を見ていた。私の短い人生のの中に様々な人が介入し始めている。すごく濃厚な飴を口の中に入れた時のような本の少しずつのエッセンスが私の中ににじみ出てきて、ほんのり私の気持ちを甘くさせる。夜な夜な走る新幹線もあと数十分で台南に到着するようだった。

新幹線は徐々に速度を緩めていく、耳の中がすぅっとする感覚があった。街の明かりが線になっていたのが段々と点になっていき。だんだんと街に活気が出てくる。ホームの間近に見た駅前の景色は殺風景で明かりだけがともっていた。ホームに降りると途端に台湾の風が吹く。

「臭い…」

独特の食文化の所為なのかそもそもの生活の香りなのかどうかはわからなかったが台湾は私には臭覚的刺激が強かった。新幹線の中は常に空調で入れ替えを行っていて、かつ田舎を来るのでほとんどが田畑だからあの街独特の臭いは感じなかった。衛生環境も悪いのだろうか。そういえば台湾に来てから驚かされたことが二つある。リニア含め街ではトイレを流すときに紙はトイレに流してはいけない。代わりにサニタリーボックスが置いてあって、そこに捨てるように紙切れが一枚貼ってあった。二つ目の驚きは新幹線は駅、列車ともに取りれに紙を捨ててもいいということ。当然サニタリーボックスは置いておらず、子供用のおむつまでトイレに流していいとのことだった。新幹線のトイレは街のトイレのようにだらしなく水を出すわけではなくて、ほんの少しの水と蒸気の陰圧を使ったシステムを用いているようでシュコッっと気分良く吸い取ってくれた。新幹線。日本の技術とは聞くが少し衛生面はいい国なのかもしれない、と期待させた。ホームでは回送の新幹線が轟音を鳴らしながら出発を待っている。車内ではあんなに静かだったのに設備がこんなにうるさいとは思っていなかった。基本的には架線にパンタグラフを当てて電気で走っているのだろうが一部設備で蒸気を使っているらしく客室のドアとドアの間からは少し蒸気が出ていた。

改札機に端末をタッチするとそのまま改札が開き通れる状態になり抜けて街に出ると夜の静寂とともに少し肌寒く感じた。インペリアルホテルは本当に万能で国内全域をカバーしているのではないだろうか。ほかのホテルの方が豪華だが格式高いホテルではないようで泥酔した人がホテル前で寝ていたり、ホテル前で食事や商いをしている人をうかがうことができた。泊まるホテルは玄関にはドアマンがいて、ふかふかの絨毯が敷いてあり私はドアマンに荷物を預けるとその気持ちのよさそうな絨毯の上を歩いてフロントまで歩いて行った。

「おかえりなさいませキリカ様お待ち申し上げておりました。」

そのあと名前を名乗っていたのだが覚えはない。台南の此処は質素だけど少しグレードが高い部類に入るのだろう台北・台中ときて一番案内が丁寧だった。今日から二週間の宿としては勿体ないくらいだと感じた。ドアマンがそのまま接客を行うシステムらしく荷物をもって後ろに立って待っていた。ドアはというとほかの若い髪の短い男性がドアノブをキープしていた。チェックインを終えるとドアマンにルームキーを見せ、と言っても端末がキーになっていて端末の画面を見せるだけなのだけれど。エレベーターホールに案内された。

「二五階でございますね。お客様は運がよろしいですね。スウィートルームでございます。少々手狭なスウィートではございますがゆっくりおくつろぎください」私にはどうでもいい情報だった。エレベーターに乗り二五階を目指す。これも日本製のエレベーターらしく回数表示の下に日本語が刻印されていた。重力変化を感じさせないようにすぅっと上がっていく。日本という国はどんな国なのだろう。スメリアにもこのような技術はなかったように思える。無論楽園にはエレベーターなどなく階段をみんな駆け上がるのだったが。スメリアを出る時、リニアのホームに向かう時だが一回だけエレベーターに乗ったことがある。。一日一本の定期便なので時間になるとそこそこ混んでくる。エレベーターも混んでいて乗り心地なんて気にするどころではなかった。目的階に到着すると目の前に日本庭園が広がる。と思いきや中華とのあいのこで電飾がしっかり気に縛り付けられていて枝という枝から光が落ちている。しかしセンスは悪くないなと感じた。部屋は庭園をはさんで反対側に用意されておりちょうど街の眺望を望める場所だった。

「キーをこちらへ」

言われた通りに端末をタッチすると奥の方からかシャリと音が聞こえドアノブが落ちるようになる。ドアを開けるととにかく気になっていた臭いが全くしなかった。完全に空調が手入れされているのだろう。無臭とまではいかないが幾分軽減されていた。ドアマンは部屋の前までのサービスらしくドアのところで別れた。私はまず三時間の移動の疲れを取りたいと思い、シャワーを浴びようと思ったが今まで煮なかったものがそこにはあったかカブリオールレッグのついたバスタブだった。よく使い方はわからなかったがバスタブに直接蛇口が向かっており、金色のボタンが二つあった。渦巻のマークとコップに水をためたようなマーク。最初に目に付いた渦巻のマークを押すとけたたましい音をたててどこかから吸う音がした。バスタブの下だ。しかも洗浄を兼ねているのかちょうど穴のある横からシャワーがでてバスタブ全体に水がかかるようになっている。おそらく絶対私はボタンを押し間違えたのだろうと思い。すぐに反対のボタンを押したが動くのをやめてはくれなかった。バスタブをあきらめテレビでも見ようとリビングルームにやってきてテレビをつけた相変わらず言葉はわからなかったし、相当外で身体が冷えたのだろう、くしゃみをしてまた浴室へと向かうのだった。

機械は止まっていてさっきと反対側のボタンを押す。するとなんということだろう蛇口からお湯が出始めた。しかし一体これは何リットルの水を使うのだろうか。贅沢な設備だった。湯船にお湯がたまると同時に音楽が鳴る。チープな音だったけれどこれでお湯につかることができる。暑い国なので浸かることで余計に暑くなってしまうのではないかという不安感は少しあった。私は全室のシャワールームで身体を軽く流した後、湯船というのに初めて浸かった。水の中に入るという感覚を持ち合わせていなかったので不思議な感覚だったが、浸かると気持ちいいという感覚が先行した。疲れがだんだんと取れていくような気がした。疲れとともに睡魔が私を襲ってきた。ここ数日の移動と金城氏の前でしっかりと書いていたせいか、とても疲れていたらしい。

結局私は湯船に二時間ほど浸かっていた。体が少し火照っていて、部屋の冷房を打ち消してくれる。すぐさまベッドに飛び込み私はすこしの睡眠をとる。どうせ二週間あるのだから一日くらいゆっくりしてもいいだろう。

目が覚めると夜の市の時間が近づいていた。しまった、かなり寝てしまった。夜について夜まで結局寝てしまったので一晩と同じ感覚だ。Juice氏への訪問は明日に控えているのにだらしない。台南の夜の市へと繰り出した。市へ行く途中色々なところで壁画を目にした。どれもパステルカラーで彩られ街全体を明るくともすような絵が連続していた。時折よくあるいたずら書きの類もあったが、ほとんどがアーティスティックであり、アートの街を連想させた。市の中も独特で食べ物はさほど変わりがないが、その中に絵画の商人が数件混じっていた。どれもとても上手で手を伸ばして表面に触れてみた。絵画に触って怒られたがそんな事は関係ない、この絵画の質感がどんなのか本能的な行動だった。パステルいインクは表面はざらついていて何度も塗りなおされた跡がある。油絵というのに近いのだろうか。本来油絵というのは特別な画材を用いて漆喰のように塗っていく。縫って乾燥したところから上に色を乗せるのである。そうすることで独特の立体感がでる。一方で油絵具はヒビが入りやすく管理には特別な手法を用いるとされている。市に並んでいるものはそういったものの模造品で、しっかり値段が付いたものは絵画を買うと裏から油絵を持ってきてくれる。と、私はインクリボンの在庫が少ないことを思い出し文具屋を探す。文具屋の前に着いたはいいが残念ながら夜市の時間には営業をしていないらしく、時を改めることにした。ホテルに戻りタイプの練習をする。手紙を簡単に書いた後、厳重に鉛の封筒に入れマザーへと送る手立てをとる。台南はどうやら昼間の方が活気づいているらしく夜の街はほかの都市と比べると静まり返っていた。食事と画商が軒を連ねていてそれ以上のものは手に入らないらしい。

翌日夕方にはJuice氏との顔合わせが待っていたので目が覚めると同時に文具屋へと急いだ。バスで数分の距離にあるのでさほど遠くはない。昨日の市は嘘のように片付けれらていて道にはゴミが散乱していた。ところどころに泥酔した若者が街の花壇に腰を掛けていた以外は人の街然としていた。インクリボンを買いに文具店に入るや否や

「スメリアからの旅人かい?」

と言われドキッとする場面があった。スメリアからの情報はほとんど消していたのだけれど

「服を見ればわかるよ。台湾人みたいにだらしない服装をしていない、それに君はドレスじゃないか。そんな技術力があるのはスメリアしかしらん」

スメリアでは当たり前の服装でも確かに台湾のそれとは違う雰囲気を醸し出していたのでそれで感付かれていたみたいだ。

「それでなんの様だい?」

老婆はそういうと私は欲しいもののリストを渡した。

「ほう、インクリボンと紙だね。インクリボンは色々あるけど機種はないんだい」

私は自分のタイプの機種を伝えると奥の方へ老婆は行きビニールに包まれた新品のインクリボンをもってきた。

「これでいいかい?一体いくつ必要なんんだい」所望の数を伝えるとまた老婆は奥へと身をひるがえしインクリボンの箱を持ってきた。「他国ではさぞかし高かったろう。こんな機種使っているものはそう多くない。上に文具自体が孤島しているのだからしかたないがね」

値段はというとモスクワと比べるとかなり安かった。品質も良く、うまく転写されずに再度タイプする必要もなさそうだ。台中でOHしたおかげかジャムる事も減り、仮にジャムったとしてもすんなりと戻っていく。逆に持ち出した時よりもいい状態なのではハイだろうか。

翌日Juice氏に会いに向かう。夕方の予定をしていたので朝はタイプをもって散策することにする。アートの街というのだろうか、夜市でも少し垣間見ることができたけどもどこまでもカラフルだった。民家の壁の色が青だったり、はたまた朱色に塗られていたりと本当に様々だった。階段が多くギャップは多く、街は駅を中心に放射上に広がっていて途中行き止まりもあるから、そしたら引き返し、また行っては引き返しの繰り返しだった。段々になっている街並みは古い文献にあったローマによく似ているような感じがしたが建物は木造にモルタルを塗っただけの簡素な作りをしている。特徴的なのが窓にはすべて格子がはまっており、セキュリティが厳重にされているところだ。どうにも治安とアートは両立できないのかもしれない。

 Juice氏は街の中腹にある丁度入り組んだところで分かりにくかった。家の前には表札はなくただICをタッチする機会が取り付けられていた。端末をタッチするとベルが鳴り奥から声が聞こえてくる。ICをタッチした時点で誰かわかるようにしているのだろう。

「君かい、待っていたよ」

「スメリアより参りました。キリカでございます」

「今ちょうど忙しいところなんだ。中に入って待っていてもらってもいいかい」

誘われるままにリビングに通され私はお茶を出され待たされる羽目になった。お茶は茉莉花。香りが甘美で味も申し分ない。中で開く花がお茶をより楽しくさせてくれる。一五分ほど待っただろうか。

「やぁやぁ、待たせたね。Juiceだ。よろしく」なんもなかったように少し息を切らせながら挨拶をした。

「君のことはスメリアから電報が届いていたから知っている。どうやら手紙を出してくれるらしいね。スメリアからの電報は届くのだけれどこちらから電報を送ることはできないから困っていたんだ」

「左様でしたか。なんでもお申しつけください」

ああ悪いがそうさせてもらうと一言いい奥の部屋にまた戻ってしまった。それから十分程度待っただろうか、書類を沢山持ってでてきた。

「君も察しているだろうがJuiceというのは私のこちらでの偽名だ」

「察しておりました。アジアでは珍しいお名前ですので」

今度はそうかい、たすかるよ。と言い書類を机の上に置いた、少し机が撓むのではないかと心配するほどの書類の量だった。

「君にはこの書類を手紙にしてもらうことにしよう」

「なに、技術書だよ。しかも漏れたら困るやつ」私に金城研究室でタービンを組み立ててたから少しは勘が付いたつもりでいたが今度はややこしい電気回路の図で全くわからなかった。「これは」

「見ての通り、電気の回路図だ。蒸気タービンを用いて発電した電力を増幅させるためのシステムだ。画期的だろ?」私にはどこが画期的なのかはわからなかったが電気を増幅させる技術というのはないらしく、タービンから取れた電力は直接変換され町中に流れているらしい。ものすごく多弁であり、話すのが速かったのでついていくのに必死だったが何となく言っていることはわかった。

「スメリアで使うといわれて頼まれてた代物だ、実験もしてある。金城氏にも送ってお墨付きた」

金城氏はそんな話は全くしていなかった。蒸気タービンの話をずっと続けていたし。

「彼も饒舌だろ。スメリアの人間はみんなよく話すからな」

「いえ…」

「あれ?おかしいな」

顎に手を当て首を傾げた。スメリアで読んだ漫画でよくある考え込む時のワンシーンのテンプレートの様でとっさに笑ってしまった。

「君もそんな顔ができるのか」

はっとした。私としたことが、乱してしまった。Juice氏は金城氏と同じく電気回路の話から始めた。どこか似ている人たちが集まっているのだろう。どの分野も好きな人たちばかりで、そんな人たちが労働者たちに面白おかしく説明しながら建国していったのだろう。ホワイトボードを使いながらにこやかに説明をしていた。金城氏より幾分若くて、こんなによく知識が入ったものだなと感心する。私たちは楽園が楽園で遊んでいた時間もきっと彼らは研究を重ねていたのだろう。若くして研究者になるような人材は実際スメリアには存在しない。労働階級の人間か、生活する女たちにあふれていた。生活層の人間たちはそれこそ笑顔であふれていたが労働層の人間たちは生き生きと働いていたのかはなぞだった。スメリアはとても住みやすい国と言われているけれど、それは一概に治安がいいだけとも言い難いのだろう。住めば都という日本の言葉があるけれど住んでも都じゃない地域なんて山ほどある。アフガニスタンは核戦争の発端で今でも核戦争を行っている。アフガンは除染されていないから人間は四十年ほどで寿命を迎える。それも大抵が癌の発生によるものだ。スメリアは核を無効にする装置のおかげもあってそのような疾病で亡くなる人は少ないという。私たちは楽園から出る事を許されていないから実情がどうかは知らないが、まだ小さいころ楽園に入れられる前には親という存在がいて私を可愛がってくれた。しかし、いつの日か人に囲まれ、楽園へと連れていかれた。楽園はとてもすごしやすかったが皆一様に親から離されて連れてこられた者ばかりだった。何のための楽園だったのかそれを考えてしまうと怖くて考えるのを辞めた。

「じゃぁ手紙をかいてもらおうか」

「はい、だれに宛てますか」

「実は楊に書いて欲しいんだ」

「スメリア…ではなくてですか?」

「ああ、彼の国も検閲がひどくてね。もちろんスメリアにも一通書いてもらうよ」

「スメリアではどちらに?」

「私宛でいい」

「Juice氏宛て…ですか?とどくのですか?」

「私も私書箱を持っていてね。それを管理してくれる人がいるんだだから大丈夫」

ニコニコしながら今度は口元で人差し指を立てた。Juice氏の話は電気回路の話から始まりどれだけ自分の研究が素晴らしいのかを説得された。一次二次タービンで得られた電力の位相をずらすことで高電圧を発生させるということだった。高圧電源は電力損失がなく伝送できるため200V のスメリアからしてみたらかなり高効率で電力を運べるということだった。

「で、ここの電力損失をなくすことで…ちょっと、手紙になってるかな」

「はい、なんとか手紙にしております。」

本当に何とかだった。

「説明書のような文章ですが」

「それは困るなぁ、うん、やり直そう」

数枚紡いだ言葉たちを一気に破り捨てられた。残念な気持ちでいっぱいだった。

「本日はここまででよろしいですか?」

「ああ、そうしてくれるか?」

はい、わかりましたと、私は机にあるタイプを片付け始めるとまたお茶が出てきた。ここ最近では飲んでいない。“紅茶”だ。

「こんな茶葉がとれるのですか」

「ここはお茶の国と言っても差し支えない、どんなお茶もあるし、どんなものでも手に入るよ。君が見てきたようにね。」

見透かしたように話す。確かに豪放なモノも非合法なモノも見てきたからどんなものでも売っているのはわかるのだけれどこれだけ上質なイングリッシュティーが手に入るとは知らなかった。

「今度そのお店、教えていただけませんか」

「高雄の方だから少し遠い。私も使いを出して手に入れている逸品だ。その時に立ち寄るといい。明日地図を用意しておこう。」

帰り際入り組んでいる街のところどころに夕日が差している。陰と日のコントラストが美しくて壁画のカラーがまたそれを助長させるような気がした。インペリアルホテルに入る。寒くてさらに饒舌なJuice氏の話を聞いていてどっぷり疲れてしまった。バスタブというものを使ってゆっくり体を休めようと私は思いスイッチを押す。昨日と同じように蛇口からお湯が出てくる。昨日は気づかなかったのだけれど入浴剤なるものがバスタブの横においてあるのに気づいた。封を切ってバスタブにそれを入れるとマーブル色にお湯がぐるぐると回ってだんだんと混ざりお湯は一色になった、赤くて見てるだけで暖かい色だと感じた。早速シャワーを浴びて言葉の通りざぶんとお湯につかるお湯が湯船の淵がら流れ出し、水をこんなに贅沢に使っていることがお湯の気持ちよさに加えて気持ちをよくさせた。お湯の中で足をバタバタさせるとお湯に波ができる。この現象をなんというのだろうか。今までお湯につかることがなかったから。その初めての体験と今まであった人達の口調でなんでも論理的に考えてしまうようになった。スメリアにいたときに本では読んだけれど温泉というのが日本にはあるらしい。それもこういった体験をできるのだろうか。それとも人が浸かるのではなくて見世物なのだろうか。そう考えながらお湯に入っていると頭が急に重くなってきたのでバスタブから出た。金色のカブリオールレッグに水滴がついて私の顔をすごく小さいけれど映し出す。ぼやっとしている間抜けな顔だった。バスタオルで身体を拭き着替えを済ませてからリビングに戻り、タイプを続ける。今日の話を事細かに記しておかなければ明日の手紙に支障が出ると感じたからだ。手紙を書くのは時に自分の言葉を紡ぎだすよりも多くの力を必要とする。だから予習をしておかなければならないこともある。それを痛感した。弾丸的にあふれ出すJuice氏の言葉には対応しきれないと感じたのである。ベッドの中でタイプした言葉を一読し、浅い眠りを取る。まだ夕方なので市が経つにはもう少し時間があるからだ。市の時間になると私は目を覚まし夕食を取りに向かう。台南の市は闇市的なモノだけではない。良質な食事もとることができる。しかしどうしてだろう。どこに行っても市は臭い。市のどこに行っても臭うし、なんなら街全体が臭くなってしまったようにも感じる。なので歩いて市まで行くのは難はない。匂いの方向に向かえばいいのである。ここで私は大きな失敗をすることになるのだった。

市に着くと昨日と同じように画商と食事を提供する商人たちが軒を連ねている。昨日と違う少し南の市に来たのだけれどさほど変わりはないらしい。ただ違うのは市の中に食堂と言えなくもない屋内で食事ができる施設があることだった。私は好奇心のままに食堂に入ってみることにした。メニューと生暖かい水が置かれる。河麺というものと豆腐を頼むことにした。数分すると先に豆腐の方が出てきた。その臭いに卒倒された。

「臭い…」

正真正銘の台湾の臭いの原型だった。みんな豆腐をおいしそうに食べているから私も頼んでみたものの実際にはパン的な位置づけの食べ物でメインディッシュの横に常において食べるのだがメインディッシュが出てくる時すでに遅し、もうなんも食べる気がしなかった。河麺は平べったい面でソースかなんかで味付けされていてそれなりにおいしかったが結局一口しか手を付けずに店を後にした。お金を払う時、店主は首をかしげていたが、これは食事が全く進まない。仕方なく市で肉の串焼きを買うとまた私は失敗をした。部屋に戻ると袋の中には牛の部位と思われる串焼きが数本と明らかに昆虫の部類に入るものの串焼きが入っていた。あきらめて全部ゴミに捨てるが臭いがどうしても気になってしまい。申し訳ないと思いながら窓からそれを投げて捨てた。次の日からは河麺を持ち帰りにして、それでも臭いが少しマシな駅前のベンチで食べることにした。相変わらず駅前は泥酔した者や通勤で帰ってきた高給取りなのだろう新幹線の改札から出てくる人たちにあふれていた。物価は台北、台中よりもかなり安いので酒類も安いのだろう。煙草を吸う人も多い。WHOのおひざ元の台北では見かけなかった光景である。食事を終えると部屋に帰ってまた湯船に浸かる。そして朝起きてJuice氏のもとへ通うのが日課になっていた。

「今日で書き終えられるかな」

「だといいですか」

一週間通い続けては破り捨てられ通っては破り捨てられを繰り返していたのでメンタル的にはかなり来ていたが何とか形になりつつある。というかJuice氏に対する理解ができるようになっていた。かなり理論派で自室の模型で日々研究を続けていた。もちろん検閲などはいったら捕まるのでICで必ず誰か確認してから返事をするようにしていた。紅茶が気に入ったというと毎日のように帰りに出してくれた。これではまるで勉強を終えた子供におやつを出すようなものではないかと感じたけれど黙っておいた。

「楊氏への手紙はこれで終わりでよろしいでしょうか。相変わらず説明書のような文章ですが」

「楊にはそれくらいがいい。彼のもとに情報を集めておけば何かの時に役立つだろう。」

「では早速スメリアに…」

「それは明日…」

「そうすると私はブッキングオーバーになってしまうのですが…」

宿を取っている期間は二週間それがリミットだった。すると

「ああ、それなら大丈夫、私の方から連絡しておこう」といい宿に戻るとなんもなかったようにまた一晩過ごした。

結局いた時間は三週間だった。タイプで書けない技術書の図を含めて私書箱を管理してくれているであろう人へ向けた手紙が一通。それで話は唐突に終わりを迎えた。

「今日で君もいなくなってしまうのか残念だなぁ」

「毎日引き裂かれる方の気持ちに立ったことがありますか」

「ないね」

「でしょうね」

私はダメ元で聞いてみたがやはり全く気持ちを理解してくれていなかった。手紙が書き終えると全部で三通。郵便省へ出しに向かった。スメリアのスタンプを封筒に押すと快く職員はそれを手に取り、下にあるであろう箱へと投げ捨てた。鉛にで加工している封筒だから多少の重さがあったといえどもアジアの人間はどうにもものを乱雑に扱う癖がある。効率だけを考えているのであればそれでいいのかもしれないが、愛想というものはないのだろうか、夜市には逆に愛想しかなかったけれど。

私は一週間ブッキングオーバーした宿を後にして新幹線の駅へと向かう。次は高雄である。台湾新幹線の終着駅。どんな街なのだろう。台南はアーティスティックな街で彩り豊かな国だったので高雄も同じような街なのかと期待に胸を膨らませて新幹線に乗るのだった。


 マザー私は台南へと来ました。ついに折り返し地点でしょうか、日本へはまだまだ遠いですが、日本を大層楽しみにしております。台湾も残ること高雄のみ。高雄ではスタウト様の弟子のリリック氏に会います。今回の旅で一番年齢の低い方と聞いております。建国後、スメリアと深く親交を持っている方と聞いております。私の度も順調です。今でもみなは元気にしておりますでしょうか。私は帰るのが楽しみで仕方ありません。仕事をしっかり片付けて、帰ります。もう数か月、お待ちください。必ず帰ります。


こうして新幹線は走り出す。

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