マンダリンオレンジの国
新幹線からの景色は荒廃した景色だけでなく少しでも立ち直ろうとする農業を見ることができた。リニアの半分くらいの速度で進むので景色を眺めることができる。
キリカは目を凝らしてみていると農業を盛んに行っている。作付面積も広いがどれも核の冬によって環境が崩されてしまった。農地にはか細い枝が張り、そこに弱弱しく葉がついている。辺り一面茶畑が広がっていたがチラホラ非合法なモノも含まれているようだった。作付面積に対して作業を行っている人はすくなくて、途中電照栽培の光景が目に入ったがオートメーション化されていて、建物の中は完全に地上のそれを模擬していて、電照装置も時間によって色が変わるようだった。台中まではそれほど遠くなくて二時間弱でつながっている。ここから高雄に向かうとなると三時間程度かかるので数万キロという距離を移動するリニアと比べればどれだけ遅いのかは自明で、景色の流れ方はリニアも考えられていて、近くの景色は見えないように高高架化している。新幹線は地面を走る区間もあるようなので景色が過ぎるのはずっと速いところもあるのだろう。新幹線というものに初めて乗車したのだけれど標準軌を用いているためリニアのそれと比べると幾分狭い。特徴的なのが個室なしの空間で、八両編成から十二両編成で高雄まで走る。途中駅は私の乗った新幹線は桃園から台北、台中に台南、そして終点の高雄までを約五時間強でつなぐ路線だった。十五分おきに台北を出発するのでどの時間に乗ってもいいのでスメリアからのリニアで一日一本という事情と比べるとかなり多い。
台中でプラットホームに降りると何の匂いだろうか、何かが栽培されているのだろう。やはり少し粉っぽい匂いがした。
台中は学研都市で有名であり、医療水準こそ台北より劣るものの研究者たちはこぞって集まりは研究を重ねて論文を掲載している。コンピュータを用いた演算では世界の一位二位を争うレベルの研究を行っていて、スーパーコンピュータの世界では台湾は製造においても演算においてもトップに君臨する。街はBRTにより、よりクリーンなエネルギーを用いて運行されている。BRTというはザックリいえばバスという長いタイヤのついた乗り物であり、道路上を自由に動くことができる乗り物だった。BRTのシステム開発も台湾が担い開発から運用まで自国で運用していて、台中はそのパイロットテスト地として運行されていた。
新幹線の台中とローカル線の台中は多少離れていてローカル線で二駅ほど乗ると街に出ることができた。楊氏に教えられて台中を回ってみる。目標とするのは東海大学だったがほかにも研究都市として様々な大学や企業が入り乱れており、ところどころで試験運用しているシステムがあった。学校区以外での台中はあれた街だった。移民はいないが違法なモノをやり取りしてる東側もあった。学校区は西側に集中していて居住スペースは西側に集中しているといった具合だった。相変わらずTWBのICカードをタッチするのだけれど、楊氏にもらった衛星通信端末を用いて自分の位置を確認する。通信端末にもICカードをタッチする部分があって、ユーザー認証をICカードが一手に担う形だ。台湾以外での地域でも使うことができるが、国々の決済方法によって使い方は様々だった。が、とはいっても台湾のような決済方式を用いている方が異例で、アジアの大抵の場所はHSBCの口座を紐づけることで使用することが可能だった。街のデータは台湾では国内にいなければ手に入らないようになっていて、かなり閉鎖的なシステム運用になっていた。現在地を確認してホテルへと足を運ぶ。インペリアルホテルは台中にもあったので台北にいるうちに予約を取った。今回は一か月程度の時間をもらっていたのでまずは怪しいところではなく、学校区から夜市もかねて足を運ぶことにする。学校区まではBRTで四十分ほどなので、道中様々な景色が見える。非常に閉鎖的な街の様でそれは新幹線の乗降客を見ても明らかだった。新幹線の駅ではICカードをタッチするので外来者の移動はすべてマーキングされて生府により管理されていた。なお台湾には台北以外にWHOの支配下に置かれている街はないので台中では特にお咎めはないのでその辺はスムーズで楽だった。夜市は相変わらずの品ぞろえで、動物の肉から野菜、さらには昆虫までとバリエーションに富んだ夜市だった。学校区を歩いていると緑地帯が数多くある。そこでは学生が議論をしたり、休憩を取ったりと様々な使われ方をしていて、自然を使うという点においては台北よりも幾分進んだ街のようにも思える。屋台は台中大学の周辺で行われており、東海大学の近辺では夜市は行われていない。というのもビジネス街の側面があるためである。台中大学前の夜市は朝方にまで及んで開いている。朝になると殺風景になり、さらに昼間になると学生の登校時間がすぎますます閑散とする。BRT網では比較的人口が集中しているところを引いているのでどこの夜市も活発だった。
日も変わったしそろそろ帰ろかと思ったがまさかこんな真夜中にBRTは走ってないだろうと思っていたがしっかりと走っていた。少し時間は空くけれど概ね二十四時間走っているのだろう。台中の交通事情は非常にクリーンで個人の車はあんまり見かけることがない。昔から100㏄以下の二輪車の需要はあるようだがそれを抜けばほぼ街を走っているのはBRTだた。ホテルへと戻ると私はおもむろにテレビをつけた。中国の言語なんてほとんどわからないので字幕を付けて観ることにした。ザックリであるが現在の世界事情の話をしていた。核の冬は減少傾向にあるらしい。それもこれも台湾やスメリアで開発されている核を無効化する装置を用いて生きていくには余分な放射能や空気中のちりをフィルターを通してクリーンにするためだとテレビでは言っていた。ふとスメリアの街を思い出す。階層が下へ行けば行くほど日に当たらない仕事が増えてくのだけれど、上層では公園があり、日が当たって木漏れ日を楽しむ少女たちの光景が浮かぶ。今もあのタイプは東屋にあるのだろうか。そして誰かが遊び半分に触ってジャムっているのだろうか。いくつもの国を回ってきたが、スメリアと比べれば雲泥の差だった。他国は核の冬にやられ、陽の光が入らないことで永久凍土となっていて、産業の衰退どころか、人っ子一人いないような地域もあった。それと比べると台中の水準はまだ低いもののかなりましな方なんだろうなと感じた。相変わらずじゃりじゃりするのは変わらないけれども。
さて夜市を楽しんで翌日に控えた金城氏の仕事に備えて部屋に戻ってからは指の訓練がてらタイプの練習をしていた。少し、バネが弱ってきた気がする。分解してバネを調整しようにもどうやらバネがへたっているらしい。その日のうちに修理したくて、文具屋を訪ねるとこの機種のパーツは持ち合わせていないようだったので、文具屋ではなくどうやら何でも屋なるものがいるらしく路地の奥深くに入りこんだ。人込みからは少し離れた場所にそれはあった。店頭には何でも屋と中国語で書いてある店がある。店の中に入るとほのかにガス灯で明るい工房だった。私はタイプの修理を頼むとバネを新調してくれた。ついでなのでジャムる事もあるのでOHを頼んだ。それなりに裏で使うように持っていた現金を持っていかれたけれどもタイプの調子は良くなったし、ジャムってもすぐに戻るようになったのでよしとすべきか。
翌日には東海大学の建築学科に足を運ぶ大学の入り口から歩いて五個目くらいの建物でえ、白くのっぺりとしているのが特徴だった。本によるとこれをモダン建築と呼んでいたらしく、それの名残らしい。中に入ると配管が露出していて、それに加えて書類をやり取りするためのモノレールみたいなものが頭上を通りすぎる。懐古派なのか最新機器がそろってるのかモノレールのような古い機器は初めて見た。金城研究室は建物を入って三階の角部屋にあて、奥の方からはほのかだが蒸気が漂っていた。
「金城様、お待たせいたしました。スメリアより参りました。キリカと申します」
丁寧にお辞儀をすると金城氏は笑っていた。何が面白いのかわからないけれども、私はそんなに嫌な気分ではなかった。きっと歓迎されているのだろう。研究室にはほかにも学生と思われる数人の人がいた。みなすべてプログラミングを行っているのだろう。黒い画面に白文字でタイピングするその手は止まることがなく永遠とカチカチ打鍵していた。
「キリカ、待っていたよ。スメリアから連絡をもらった時は驚いたけどね。まさかこんな若い子が来るとは思わなかった」
話をしていると研究室の学生がお茶を持ってきてくれた。台湾流のおもてなしの一つで台湾のお茶を出すのだそうだ。この時は茉莉花で湯呑のなかではなが開いていくのがとても面白かった。スメリアにはおもてなしという考えはなくて基本的には移民の処理がほとんどなので外来者というのはあまり多くない。台湾のお茶はハーブを感じさせる風味とお茶独特の甘みを感じさせた。早速作業を始めようと伝えると来てから一日は体を慣れさせるといいとのことだったがその時の私はまだ本質を理解していなかった。
研究室を出るころにはとっくに夕方になっていた。BRTに乗ればどこにでも行けるのだから噂に聞く東側に行けば何か得られるものがあるかもしれない。と思ったのが間違いだった。東部には合法な品物から非合法な品物、それに加えて非合法なコトを商売にするバイヤーたちが軒を連ねていた。私のこの服で出歩くには不釣り合いでどうにも浮いてしまう。一元であることが見え見えだった。それでも折角の台湾の夜市だから見ておきたかったBRTの駅に着くとまず異質な空間であることが一目でわかる。BRTの駅は非常にクリーンで自動改札がありホームでBRTが来るのを待つことになる。ところが東側では改札は壊され、日よけになるシェル状の構造物にはいたずら書きがされている。治安が悪いのはすぐにわかったし、市もこの通りなのだろうとあまり期待はしていなかった。いざ足を運んでみると夜だというのに市の中を子供が騒ぎながら道路を走っている。この時間になると市が広がるので車の往来はなくなり比較的安全なのだけれど、それでも得体のしれない市でこんなにも子供が楽しそうに走っている姿を見ると安心した。しかし一度市の中に入ってしまうとマニアックな店が軒を連ねていて市から出るには何時間かの時間を要した。結果としては合法なものは高値で取引されている。紙は貴重とは言えども市場の2倍はくだらなかった。インクリボンも互換リボンではなく純正リボンが売っていたのでどこかのルートで流通しているのだろう。一般には非合法なモノを取引するのに多く用いられるようだ。新幹線のなかから見た農作物を乾燥させたであろう品物から人間の臓器までとにかく驚くくらい非合法なものであふれていた。周りの客はスーツを着て一般人を装っているが非合法なモノを扱う人間こそフォーマルな恰好をしているようだった。各々の承認は顔にしわが寄っていて、いかにもな玄人だった。看板にはその日取れた商品の情報がのっていたが臓器はASKがついているほうが多かった。警察はなぜこんな取引を撲滅しないのかときになるが、これも立派な経済活動なので取引の減った現代においては貴重な経済活動なのだろう。ふと文具屋に立ち寄り、インクリボンを買おうとする路地裏に案内された。なぜインインクリボンを売るのにこそこそしなくてはならないのかと思ったら、男の手から出てきたのは乾燥大麻だった。インクリボンというのが大麻の隠語だったのだ。私はこんなものいらないといってもキャンセルは認めない、もしくはここで消えてもらうといわれ、しぶしぶ買って帰ることにした。市の中に数ある路地裏や細い通路は違法取引する場所のようでこれ以上に深入りしない方が賢明だと判断した。金城氏が言っていたのはこういうことかと納得してしまった。大麻は違法であり、台湾では厳しく罰せられる。ゆえに私は右ポケットに入れられた小袋をBRTの駅に設置されているゴミ箱に捨てた。
部屋に戻ると修理してもらったタイプを打つ、カシャカシャという子気味良い音とともに滑らかにキィが動いてくる。技術をとっても台湾はスメリアよりも進んでるのかもしれない。一般市民にこのレベルの技術を持っている人を知らないし、台湾は技術で生活している人も少なからずいるわけだから何か壊れたときはこの国に頼るのが安心だろうとも感じた。
シャワーを浴びてタイプのメンテも終えると私はベッドにもぐりこみ睡眠をとる。
翌日は朝早くに東海大学へと足を運んだ。朝一で来る大学はまだ学生がいなくて、教会の広場にも数人が寝ていた。教会がとても有名な大学なので一目見ておこうと来たのだがあまりの大きさに驚いた。ミサというのはこじんまりしたところで行うのが普通だと思っていたので天井が高くて柱のない建築物に違和感さえ感じた。この広場を中心として大学全体が広がっている。1号棟から26号棟まであったが途中で歯が抜けたように現存しない号棟もあるようだ。とりわけ一号棟は古くて、きっと事務棟なのだろうと簡単に想像ができた。12号棟は実験棟らしくシャッターが開いていて再生コンクリートの棒が転がっていた。柱なのか、梁なのかよくわからないけど、とにかく棒だった。建物は全体的にきれいで古くても精々100年程度のモノかと推察できた。コンクリートでできた建築物は光を効率的に反射するために白い塗装が施されていた。18号棟に行く頃には面会にはちょうどいい時間になっていた。
ノックをする。
「どうぞ、入りたまえ」
「おはようございます。金城様」
「あぁ、お早う。悪いが私は昨日から徹夜でうまく話すことができないかもしれない」
「左様でございましたか、大丈夫です。言の葉を紡ぐのは得意ですので」
「ところで昨日より目が霞んでみえるのですが」
「ちょうど新しい蒸気機関の開発をしててね」
「マザーにはスメリア建国の際、金城氏の蒸気機関の技術が大変重宝されたのだろ聞いています。現在まで蒸気機関で成り立つ街ですのでその功績は多大なもの考えられます」
「あの時は旧来の蒸気機関を応用するのが限界だった」
そういうとスメリアで用いられた蒸気機関のモックアップを見せてもらった。
「基本はタービンを回すんだがこのタービンを回せるだけの圧力がないと全く意味がないんだ」
技術やではないわたしには何を言っているのか細かいところまではわからなかったけれどどうやら難しい技術で、スメリアという土地だからこそ成り立ったということだけは簡単に咀嚼することができた。
「さらに古くはピストンに湿気を流しこんで熱することで空気の膨張を使って動力としていた時代もあるんだよ」
すると隣のモックアップを見せられた。これは、列車?だろうか水蒸気を入れる場所が水色に塗られ、熱する部分を赤色に塗り分けてあった。
この日は研究に関する説明が主で特に手紙を書くような場面はなかった。一か月あるのだからゆっくり進めていけばいいと思っているのかもしれない。
「ここに力が加わることでタービンを回すんだが変換効率が悪いのが良くも悪くも特徴のひとつなんだ」
懇切丁寧に蒸気発電の話を次の日も聞いていた。ガスタービンを応用した蒸気タービンによる発電方法。地熱発電に近く地熱と蒸気を混ぜ合わせることでより効率よくタービンを回すことができるらしい。問題はオルタネータにあって発電するには蒸気だけでは回転させることができず蒸気は補助的役割を果たしている。モーターで低回転で回して蒸気の流れを作る、その上に蒸気の圧力が加わることでタービンを高速回転させる仕組みだ。タービンの大きさも三種類から四種類用意して圧力に応じて使い分けるのが現在のトレンドらしい。スメリアに用いたのは二つのタービンを用いた発電方法でスメリアの地熱事情から安定した蒸気を得ることができるため基本的に二つを併用しているらしい。スメリア建国時には多くの研究者が目をつけていて、タービンの枚数は違えどモーターを用いない完全自立型発電が用いられた。現在は土地の特性柄スメリアのような安定した蒸気を期待できる国は少なく、不安定な場合も考えモーターをつけることが多いらしい。タービンにモーターをつけるという発想は古くは風力発電から、核汚染前はジェットエンジンの始動に多く用いられた手法だという。もちろん今では核の冬で曇っている中に塵やゴミが入っているからジェットエンジンはたちまち詰まってしまい止まってしまうことも多いから動翼を用いた飛行機が一般になっている。スメリアに駐機している飛行機もこのタイプで滑走路を利用せず斜めに上昇する鳥形の飛行機だった。昔は飛行機というとビジネスに利用していることが多かったが空港の数が限られているうえ、駐機場は塔の上部に設置されることから低い土地では不利になる。それ故、リニアを用いた移動手段が一般的になっていて、台湾ではとりわけ電力効率を考えた結果新幹線が採用されたようだ。リニアだとスピードが出すぎるため、今以上んに一便毎の間隔をあけなければならず結果として輸送量は変わらないかリニアの方が少し少ないらしい。寝台が利用されない理由もこの効率主義の国ならではの仕組みだと理解できた。BRTも実は電気を中心に使ったハイブリッドシステムを採用しているらしくとても静かだったのはこの技術の恩恵が大きいようだった。BRTではディーゼル機関と電気モーターを用いる手法だがメインエンジンは空調や発電に用いられる。内燃機関というのはとにかく空気にうるさくて、フィルターを介して吸気するがこのフィルターが曲者ではるか昔は小さいフィルターで何年も走ることができたのだけれど大きいフィルターを一か月に一回は掃除をしなくてはならず、自動車も段階的に電気に変わっていった。もちろん一部メーカーではガソリンエンジンを用いた車両もあるらしいが嗜好品の類に分類されるらしい。
技術的な話を主に二週間ほどかけて説明され、なぜかタービンの組み立てに手伝わされていた。
「君は勘が鋭い、良い技術者になれる」
「いえ、私は手紙屋なので」
「そうか、この手先はタイプからきているわけか。興味深い」
「そうなのでしょうか」
「なかなかこの期間で組み立てまでできる学生は少ない」
「いよいよ明日から手紙を書いてもらおうかな」
「やっとですね。明日はタイプをお持ちします」
翌日金城氏のもとに向かう。ホテルを出ると雨が降っている。核の雨だ。放射性物質が中に含まれていて、人は皆傘か合羽を余儀なくされる。口に入ると被ばくする可能性があるのでマスクをする姿も見受けれられた。BRTの中でもマスクをした人が目立ち、傘は乗車前に除染機器がおいてあり無効化したもののみ持ち込みが可能だった。ゲートが開くと私は傘を除染機器で振り払いバスが来るのを待った。バスに乗り込むと皆バス内では会話がなく、静かにモーター音だけが響き渡った。東海大学の駅に着くと何人かが一斉に降りた。どうやら学生が多いらしい。学生の波に揉まれながら教会前までたどり着く、芝が水を含んで青々しくしている。光はそんなに多くないし雨もそんなに強くないので重々しい輝き方だった。いくつかの棟の間には喫煙所があってそこで学生どうしが話しているのが目に入った。スメリアにも職人等の少ないコミュニティが喫煙を嗜んでいる事があり、国内でもた煙草を買うことができた。ただスメリアではあまり多くの課税対象ではなかったしどちらかというとアルコールを嗜んでいる人の方が多かったように思える。アルコールには多くの税率がかけられていて、病院代から一部人間の生活費が捻出されていた。またスメリアでは自動車という概念がなかったのでこの点は香港でも思ったが新鮮だった。いつも通り建物の間を歩いていくといつも通りの20号棟にたどり着くとリノリウムの床を進んでいく、階段があって3階に上がって奥の研究室にたどり着いた。よくよく見ると部屋の扉の右側には掲示板があって学生の名前と学籍番号の横に成績らしきアルファベットが書かれていた。約半数はAと書かれていた。一部学生、特に金城研究室の学生欄にはSがついていた。のちに聞いた話によると特に贔屓しているわけではなくて金城研究室の学生がとりわけ優秀なのだということが分かった。
「おはようございます」
「また随分早くきたね」
「先生の指導の結果です」
学生たちが言うように金城氏のことを私は先生と呼ぶようになっていた。先生は大体朝早くに来て夜遅くまで学生の相手をしているらしい。学生と話している姿は非常に楽しそうだが何か少し残念そうな顔をしている。
「いかがなさいましたか」
「君は鋭いね」
「いえ、少し残念そうなお顔をされてましたので」
「ここにくる学生は確かにみんな優秀だ。だがそれを生かす仕事にはありつけないんだよ」
熱力学や機械工学の学生のいく場所は新開発ができるような会社ではなくて、商品を納入する会社に行くことがほとんどで新開発される商品に触れることはかなり少ないらしかった。開発のほとんどは学校に頼っているため学校に残らなければ新商品の開発には携われない。開発は多岐にわたるので先生方が考えられた機械を先生が組み立てるらしい。ゆえに最終工程に関わる機会多く、学生も基礎理論を学ぶより実験をする方が楽しくこの研究室にたどり着くらしい。
「では早速手紙を書こうか」
ここ数週間で叩き込まれた知識にも関わらず私は研究室においてあるものは大体理解できるようになっていた。タイプを持ってきたのを忘れてしまうくらい没頭していた。
「忘れていました」
「何をだい?」
「あ、いえ、タイプを持ってきたのを忘れていました」
「仕事道具だろ。それを忘れたら失格だよ」
「先生の講義が楽しかったからです」
外の人用の席に案内されて、椅子の横にタイプを置いていたので持ち上げて机の上に置きタイプのカバーを取る。
「どうぞ」
紙をローラーに挟んでタイプができるようにすると、先生はぶつぶつと話し始めた。
「Dear stuate君の送ってきた子はとても優秀だ。数週間でガスタービンの本質を覚えてしまった。こんな優秀な子なら私のところに欲しかったな。」
少し自分でタイプしながら恥ずかしくなった。スタウトというのは私の国の創始者にあたる人物で今でも国内の政治家の中ではトップに君臨する人物だった。
「君の国は今どうなっているかな。きっと蒸気を用いた様々な研究をしているんだろう。」
スメリアの蒸気機関は進んでいて動力としても用いられるし、もちろん電気に変換され電灯を灯すのにもつかわれている。
「もう何十年前だろう。君と蒸気機関を完成させたのが懐かしい。スメリアには長くいってないが研究開発の状況はどうだい。連絡くれると嬉しいな」
スメリアからだと検閲に引っかかってしまうのでたいていの場合は経由国で破棄されてしまう。こちらからスメリアに出すときには必ず鉛で厳重に保護したうえで送る。そうでないと途中の検閲に引っかかってしまうからだ。中国を越えるあたりで検閲が一度入るが鉛なら通すことができる。問題はモスクワを越えることができるかで、多くの国は越えることができない。スメリアというお墨付きのもと輸出することができるのだ。他国からはなかなかスメリアに向けて手紙を出すのは難しい。先生も何度となくスメリアに手紙を出したことがあるらしいが一度も返事がないという。スメリアとは普通の国とは異質な存在で先進国の中でも特に目を見張る存在らしい。外交政治もうまくいっていて、手紙のやり取りや物品の輸出もできるらしい。スメリアの内政に詳しい先生は他国から見たスメリアという国を教えてくれた。他国に比べて歴史が短いがかなりの技術的な発展を遂げているのが特徴で、優秀な政治家が集まっているのだそうだ。それ故対外に対しては強硬な姿勢を誇示し続けているらしい。スメリアの国名は古くはシュメールという名前をもじって作られたのだという。スメリアのパスポートを持っている者を煙たがる人は一定数いて、キリカも身分を隠して入国するのはそういった理由があるらしい。パスポートはJPから始まる数字で日本という国のパスポートらしい。
先生の手紙が一通り終えるとまずは郵便庁に行って手紙を出す。スメリアまでは航空搭載で向かうらしいので台湾の検閲さえクリアすれば途中の国をはさまずに送れるとのことだった。
対話の最後に先生に聞いたことがある。
─今後未来はどうなっていくとお考えですか─
先生はこういった。
─技術は革命的に広がりを見せている。この動きが海外で活発になれば今後また戦争にんることがあるかもしれない。スメリアのような城塞国家ができる可能性も否定できないね─
城塞化している国はほかにも少なからずある。モスクワも一部を城塞化しているし、日本もトウキョウという場所だけはクローズドにしているらしい。
「先生一か月ありがとうございました」
「なに、君に教えるのが楽しかったからこちらからも御礼したいくらいだ」
先生は上機嫌だった。一礼して立ち去ると何か雲の所為もあってか少し寂しくなった。先生との数週間は好きなものを好きなだけ触らせてもらって、タイプしているときも楽しかった。私はいつも通りマザーに手紙を書くと、台南へ向けて夜行新幹線に飛び乗った。
マザー、私はこれから台南へ向かいます。高雄までの間は新幹線での移動がメインなの移動中にタイプします、郵便は届いてますでしょうか、次はjuice氏のもとへ向かいます。リニアでの移動はまた帰るときまでお預けの様です。日本までは寝台新幹線が通っているとのことでその中でまたマザーに手紙を書いて日本に着いたら手紙を必ず送ります。園はきれいに保たれていますか。東屋でタイプライターをいじっている日々が懐かしく感じます。また、連絡を入れます。
そうして深夜の新幹線は台南へと向かうのだった。
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