エメラルドグリーンの国

 セム氏と別れ、私は次の目的地に行くべく中環に向かう。メトロの中は相変わらず冷房が効きすぎていてどんなに着込んでいても寒い。それでも香港人ってすごくて半そでで乗っては本を読んだり、旧世代の端末でゲームをやったりと元気だなと感じた。私は中環から再びリニアに乗って移動をする。北京行の経由便に乗ることになる。経由便なので北京まで約12時間かかる。その間に誰がどこで降りるのか知る由もないけれど入れ替わり立ち代わり人が変わっていく。核汚染の所為もあるし、世界中にいる半数以上が難民なので乗れるだけの経済力がない。それでもリニアの中は混んでいて、駅に止まるたびに総入れ替えとなる。私は途中駅の上海まで向かうがここから約6時間の移動時間となる。高速鉄道は基本的には寝台を備えている車両が多いのだけれど、この北京行は個室はあるものの個室で寝るほどのスペースはなかった。しかも広軌規格でできているから速い。それでも北京まで十二時間かかるのだから椅子では苦痛でしょうがないだろう。中廊下型で両端に部屋が広がっているのが特徴的だろう。今までのリニアは片側に廊下があって個室内は広かったからそれに比べると幾分狭く感じるのは仕方ないことだろう。しかしオートロック式になっているのでパスポートでロックをかけることができる。これは非常に便利な機能だと思った。今までキィは番号式だったのでいちいちかける度に入力しなくてはならなかったので面倒だった。タイプを入れてパスポートをもって私は食堂車に行く。部屋が部屋なら食堂車も食堂車で、二階建てになっている。上にカフェがあり、下に食堂がある。しかも一両の長さが長いので非常に広い空間が広がる。上海までの間は食堂車のカフェで本を読みながら過ごしたり、部屋に戻ってタイプをしたりしていた。六時間後、上海に着くとどっと疲れていた。2人掛けの椅子が二脚あってその間に机があるので寝るに寝られなかった。車窓から見える景色も荒廃した景色がずっと続くので飽きてしまった。

 上海に着くとホームは蒸気で立ち込めている。広軌のリニアはその速度が速すぎるために駅に着くごとに冷却を行うのでそのための蒸気だった。私の国の蒸気とは違ってここではただ蒸発する気体でしかなくて、それ以外の役割はないらしい。リニアの駅も上海は豪華で数十メートルはあるだろう屋根の下にプラットフォームが広がっていて、そこにリニアとメトロが並ぶ。リニアのホームは電飾を用いて近代的になっているがメトロのホームは中環のリニアの駅と同様にただコンクリートで作られただけの段だった。上海は東アジアのハブにもなるので非常に大きい。二十数本のホームがありそのほとんどがリニアのホームだった。ホームは近代的でリニアのホームから出ると同時に出入国の手続きを行うゲートが備わっている。何の問題もなければゲートが青色になり問題があると赤色になりブザーが鳴る。上海は移民を認めていないのでパスポートを持たない者が入国することは禁じられているし、トランジットも許されていない。そのため、ブザーが鳴ると審査官が多く集まって取り押さえるか、そのまま上海には下りずに次の都市に向かうくらいしかできなかった。私は事前に作っておいたパスポートを開けてみた。今までこれと言ってパスポートの内容は気にしなかったのだけれど、香港ではパスポートを見せると査証を発行してくれた。名前を聞かれることもなければどこに何をしに来たのかも聞かれることはない。ただただ入国審査を通すだの仕事でパスポートを持っている人間にとってはなんてことのない作業に過ぎなかった。パスポートを開けてみるとまず写真に目が行った。写真機に初めて立った瞬間だった。緊張したこわばった顔をしていて、今にも泣きそうな顔だった。その左に生年月日と名前が書いてある。

「キリカ…」

これがアジアを旅するためにマザーからもらった名前だった。ローマ字表記でKIRIKAと簡単に書けるし、ローマ字表記ならアジア圏のどこの国でも通用するからこの名前にしたらしい。パスポートの発行は密に行われていて、スメリアが発行するパスポートにはパスポート番号にSMの文字が刻まれるからスメリアの本国出身ということがわかる。私のパスポートは公式にスメリアから渡されたものではないのでJPと書かれていた。これは日本のパスポート番号で様々な国のパスポート番号をスメリアの奥深くで発行しているようだった。上海で出国ゲートを出た後は台北行のリニアに乗り換えた。台北行のリニアの技術には日本が深く関わっているらしく、ロングノーズが特徴的だった。実際に乗ってみると大陸横断リニアと比べると幾分豪華な印象を受けた。個室の間仕切りに主にカーテンを使っていたが、ここでは自動ドアになっていて、部屋の前に立つと瞬時にパスポートとの認証が行われ自動ドアが開く。上海までのリニアでさえ技術がすごいと感心したのだけれど、台湾のリニアはそれを凌ぐ勢いだった。白を基調とした車内は一般的だけれどところどころに技術がちりばめられている。ドアは完全自動だし、テレビまでついている。食堂車はないがその代わりにコンシェルジュが各車両に居て、頼んだ食べ物を運んでくれる。ほとんど部屋から出ることはないし、強いて言うならば読書のためにロビーカーに出ることだろうか。リニアの個室とは先頭五両のことが殆どでロビーカーは一番後ろについているから十七両編成の中を移動するのは結構大変だったりする。今まで乗ったリニアと違ってレールがなく宙に浮くタイプだったので振動がなく快適だった。時折何かがこすれるような音がする以外、ほかに不満はなかった。上海から台北までは四時間ほどかかるので私は上海までの眠れなかった時間をここで費やすことにした。

 台湾に近づいていくと車内改札でパスポートをチェックされる。コンシェルジュが手にすっぽり収まる程度の端末をもってパスポートをタッチする。すると査証が発行されて、晴れて入国審査が完了する。台北についてから現地の通貨に換金しようとすると、台湾では紙幣が存在せずすべてがIC決方式になっているとのことだった。香港では国際通貨を使えるHSBCに口座を開いていて台湾の現地通貨には対応していたが電子決済システムには使えないことがわかり急遽WTBに口座を作ることになった。台北駅は台湾の中核を担う大きな駅であり、台湾のメトロや独自の高速鉄道である新幹線が走っていた。駅舎は大きいが上海に比べると国内線が殆どなので幾分小さいと感じた。台北駅を出ると到着ロビーに入る。到着ロビー内は待ち合わせしている人が多いのか、人でにぎわっていた。かき分けるようにしてメトロの入り口に向かう。乗り換えはTWB発行のICカードをタッチするだけなのだが、まず私は口座を作らなければならないのでメトロに一番近い階段から地上階へと出た。地上に出ると少し煙たい感じがする。口の中もザラザラするような気がする。気がするだけで多分実際はなっていないのだけれどそれくらいガスっている。空は暗いしその上に視界がひどいのだから何となく察することができる。ここも工業都市なのだ。香港はモノづくりというよりトレードがメインだったから製造自体はほとんど行っていない。スメリアは火を用いない加工手法を用いているので街の空気は比較的クリーンだった。顔をあげてみればエアコンの室外機があって、下を見れば地下鉄の音がゴトゴトとなっていてほんのすこし揺れてもいる。さてTWBは駅の目の前の金融街の一角にあってHSBCも隣にあるのだけれど証券の取り扱いをしているのがHSBCで個人通貨のやり取りはしていない。ビルの中に入るとカラッとした暖気がドアから出てくる。外は永久凍土になっているから、非常に寒かった。それでも外いきの服を着ている私からしてみたら中に入ると暑いなと少し感じた。着ていたコートを脱ぐと案内係の人に要件を聞かれた。最初は中国語で、わからないというと英語で案内してくれた。銀行口座を作ってIC利用したいというと口座開設用の用紙とパスポートを提示するように案内された。順番が近づくにつれて私は前の椅子に近づいていく。最初は一番後ろから全体を眺めるのがよかったのだけれど呼ばれると行員がわざわざ接客にくるので遠いのも悪いと思って前に出た。言われた通りの書類を集めて渡すとICの発行はすぐだった。HSBCからの引継ぎができるとのことで香港ドル建てだったものを台湾ドル建てに変更する手続きを取るだけだった。かつてのユーロ圏は通貨がどの国も同じだったから気にせず各国に旅することができたけれどアジア圏は国ごとに通貨が違うのでその換金が面倒ではある。それに加えて地域によっても相場が大きく異なるので台北で換金したものが高雄では倍くらいの金額になるのでリニアは非常に高いものの新幹線は平均値でとても安く乗ることができるので非常に助かる。私の持っている現金の大半が移動とインクリボンにかかるのでこれは幸いだった。インクリボンも香港ではモスクワの倍くらいしたので手が出せなかった。実際に余っているインクリボンがあったので買う必要はなかったのは幸いだが、物価自体が高いのでメトロも八ドルほど取られてしまい中環と尖沙咀の往復だけで十六ドルもかかる計算になる。台湾の交通事情は管理が行き届いていて税金が高い分、メトロやBRTはどこまで乗っても一ドル程度なので安い。そもそも一ドルの為替も台湾の三分の一程度なのだからさらに安い計算になる。観光や仕事で台湾に来る人にとっては非常にありがたい価格と言える。換金が終えるとインペリアルホテルに向かった。TWBから五分くらい歩けばつくので非常に近い。台北駅とも近いのでその分高いけども一泊七百五十ドルくらいなのでまだ安い。

 台湾はWHO主導のもと再建された都市であり、医療都市として有名だった。診察はすべて血液検査を用いて機械で行い、処方もすべて機械が行う。私のいる台北駅周辺は薄いピンクを基調としたデザインで、人の肌をイメージしたような色だった。Watch Meが国民には普及していて、全国民の体調はマイクロコンピュータが生府に送信するようにできている。WHOの支配する土地ではWatch Meが動いているのでどこでも処方箋を受け取ることができる。また国同士がWHOを通して連携しているので医療に困ることはない。しかしながら台湾は移民を受け入れない体制を取っていた。移民が増えることで生府が管理する情報量が増えてしまい、結果としてマイナスになってしまうからだ。生府の管理下に居ない人のみ血液検査を行う。私は移動している間に暴露した放射能に不安を抱えていたので近くの医療機関を訪ねると耐放射能薬を処方された。本当はほかの地域にもいくので少し多めにほしかったが血液検査で検知された以上の放射能を取ることはできなかった。インペリアルホテルの中もやはりピンクが基調の内装で落ち着かない印象を受けた。カーテンはショッキングピンク色でカーテンを開けてもピンク。強いていうのであれば台湾は風呂文化があるのでバスタブだけはホワイトだった。当然水も透明なので風呂だけは落ち着ける。居室ではまずマザーに手紙をタイプする。昼過ぎくらいには書き終えてしまったため街に繰り出すことにする。楊氏と会うのは明日の午後なので約二十四時間ほど時間がある。夜市も見に行きたいがまずはTAIPEI101に移行とメトロに乗り込んだ。メトロはピンクの補色である青緑色をしていて案内板もグリーンだった。近くの駅に着くとまずTAIPEI 101の大きさに圧倒される。エメラルドグリーンの窓が百一層にも重なっているので非常に高い。その他の建物は高くても十数階建てなのでどれだけ大きいかがわかりやすい。建物の内部に入ると三階までがショッピングモールになっていて、これもエメラルドグリーンに統一されている。どうやらエリアごとに色分けされているらしい。台北は発展した都市だが台湾でも台中以下は文化度が大きく下がるのでインクリボンが売ってない可能性が高い。インクリボンの在庫は多く持っているに越したことはない。安い地域で手に入れておけば高いところで買わなくて済む。ショッピングモール内には幸い文具店があり、しかも純正品を買うことができた。最新のタイプも置いていて試しにタイプしてみるときれいなブラックのインクリボンに静かなタイプの音が響き渡る。電子式のタイプも置いていて、それらを物色していると昼を過ぎてしまった。モール内で食事を済ませることにするが香港の市でみた豆腐は絶対に食べないようにしようと豆腐が入った食べ物はすべて避けた。小籠包を食べたがこれがまた格別においしかった。三回ほど頼んだがそれでもまだ食べたくなる味だった。同時に脂質分解酵素を渡されるのでそれによって帳尻を合わせているらしいいかにもWHOらしいなと感じた。TAIPEI 101の屋上展望台に上ると街を一望できる。街区わけされているのだろうか色分けが鮮明でブルーの街も見える。ピンクの街は台北駅を中心として広がっていた。窓がひどく汚れているので写真機で撮影してもおそらく映らないのではないだろうかと思い、写真機をしまった。一通り見終わるともう夕方になっていたので私は自室に戻り再びタイプをし、セム氏への手紙をまとめる。写真機でとった街の風景は香港とは大きく違っていたので新鮮な気持ちになるだろうと、現像して手紙に添えた。ピンク色のベッドに横たわると私はすぐに眠りについた。

 翌日楊氏に会うためにピンクエリアからTAIPEI 101のあるエメラルドグリーンエリアへと移動した。楊氏は駅からタクシーで十五分ほどの距離にある。タクシーも自動運転になっており、行き先を告げると目的地まで静かに移動した。楊氏の住んでいる建物はDNAをイメージしているのか螺旋状の建物の最上階だった。建物の入り口には防犯カメラがあり、自動ドアはパスポートとリンクしている。事前に許可された棟で許可された階にしか行くことができない。パスポートをかざすとドアが開き同時に奥にあるエレベータのうち一台がドアを開けて待っている。私はエレベータに乗り込むとおそらく最上階であるだろう階が点灯していた。エレベータを降りるとまず前に庭園が広がっていて回廊式に部屋が並んでいる。庭園へは窓一つ挟んでいるので室温は完全にコントロールされている。1203号室をノックした。執事のような人が出てきて

「お待ちしておりました。お入りください」

と部屋の中へと案内される。部屋の中は旧来の北欧の家具がそろっていてナチュラルテイストの部屋が広がっているのが特徴だった。部屋の中には広いリビングがあり、背中の高い椅子が設えられている。なんだか生活感がなく冷たい空間が広がる。やはりどこの部屋も空調が効いていて、カラッと暖かい。少なくとも書斎が一部屋、寝室が二部屋といったところだろうか、かなり広かった。私は執事に楊氏のもとへと案内される。楊氏は二つある寝室のうちの一部屋にセミダブル程度のベッドに横たわっていた。その表現が正しいのかはわからないけれど、確かに横たわっていた。覇気がなく、顔だけ私の方に向ける老人が私のクライアントなのだろうか。

「楊、キリカ氏が来られましたよ」

執事が楊氏に声をかける。

「おお、待っていたよ、ありがとう。ここに腰を掛けたまえ」

楊氏のベッドの横に小さな机と椅子のセットが置いてあった。そこで私は執務をこなす準備をする。

「来るとは聞いていたが、ずいぶんと若いモノがきたもんだ」

楊氏は英語が話せないので必然的に日本語か中国語になるのだけれど楊氏は日本語を選んで話していた。

「よく整備されたタイプだね。君には期待できそうだ」

「ありがとうございます。精いっぱい働かせていただきます」

「とはいえ私の体調はこんなんで良くない。きっと最期もちかいのだろうよ」

私にはどうでもいい情報だった。いつだれがどう死ぬかというのは私にとっては重要な情報ではなくて、手紙を書くことが私の使命だからである。とはいえ確かに先が長くないことは容易に想像できた。

「早速手紙を書こう。日本語で大丈夫かね」

「はい、どんな言語でも訳せるように教育されております。」

「それは助かる。ではスメリアの当主に向けた手紙を書いて欲しい。旧来の友人なんだ」

私らの当主はそんなに歳をとっていないが戦争の縁でつながったのだという。旧帝国軍として一緒に戦場を駆け回った仲なのだという。楊氏は放射能をもろに受けてしまい、癌がいろいろな箇所に転移してもう手立てがないのだという。先が短いとはそういう意味で言ったのだろうと解釈した。

「ところで楊様、この機材はいったい」

「WHOによってつけられているんだ。国に生府が発足した段階で私は手に負えない状況だったがもう数年Watch Meによって生かされている。生きるのも苦しいものだよ。ほらそこに調剤用の端末があるだろう」

空港で見たそれとは違い非常に豪華な作りだった。おおむね空港にある端末は除染用の錠剤をメインに出すための端末でできる内容が異なっているのだろう。

「楊様。ここは大変景色がよろしゅうございます。写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか」

セム氏に宛てる手紙を書く時に一緒に同封するために写真を撮らせてもらった。TAIPEI 101は窓が霞んでいてきれいに撮れないのである。ただし、誰にも分らないようにするようにとの指示だったので現像後はデータを捨てるように心がけた。楊氏の近くにはとにかく機械だらけでずっと電子音が鳴っていた。すべての機械にはWHOの螺旋の蛇のようなアイコンが描かれていて、所有はWHOということだった。完全完成都市。それがこの国の目指す形だった。生まれてから死ぬまで同じ場所で勉強をし、同じところで仕事をする。そうすれば移動することもないから必然的に必要なエネルギーを削減できる。今はエネルギーというのが基調な資源だからWHOの指針は世界に支持され、いくつかの実験都市が北米に展開中だという。アジア圏では台湾、とりわけ台北はその色が濃くて、メトロも走っているがほとんどが移民であり、正式に国民として国籍を持っている人間は普段メトロに乗らない。食事は食料端末が調合してくれるので基本的には困ることはない。グリッド状に広がるネットワークはインフラ・生活のすべてを提供していた。移民の多くはインフラに関わる仕事が多くて、特に食料供給用の動物分解にかかる仕事に従事している人が多いようにうかがえた。動物分解をたんぱく質に分解することでパイプラインに流して食料インフラを確保する。もちろん街のそこら中に出店はあるけれど一部のマニアの国民か、ほとんどが移民である。しかも現金決済。移民にはICは割り当てられないので、台湾ドルが一部地区には流通している。そのおかげと言えるかわからないけれど台湾では非合法なモノも流通している。他国では流通を抑えている物品もあるからこれは大変重宝だった。楊氏はベッドの上でいろいろな話をしてくれた。戦争のこと、内紛のこと。核がもたらす闇のこと、彼との時間は私の知らない時間を教えてくれた。とはいえ楊氏ももうそう先は長くなさそうに時々長くせき込む時がある。甲状腺系から飛ぶ肺転移なのだという。どちらについても構わないと私は思っていたけれどその状態に関して言えば私は可哀そうと言う気持ちが湧いてきた。私の近くの人だったらどうするだろう。芝の茂っているあの東屋で遊んでいる子供たちになにかあったら。少しは悲しい気持ちになるのだろうか。

 楊氏との会話は数時間にも及んだ。核汚染された地域への理解が少しながら進んだ。しかしまだ漠然と核戦争が起きたということしかわからない。楊氏との会話の中から私はタイプすることにした。セム氏との手紙でも会話の中から文字を紡ぐことをしていたので、楊氏との会話は日本語だったので少し苦戦した。日本語は少し文法が難しい。主語と目的語が反対になったりもする。またループのような会話も出てくるので表現に非常に困ることになる。しかし楊氏はそれでも優しく、丁寧な言葉遣いに気を付けて話してくれた。一日目はまずタイプのために翻訳をすることの練習の様な作業になってしまったが、一応一ページは出来上がった。楊氏によると核戦争が起きる前は非常に台北も栄えていたのだそうだ。WHOの資本が入るまでは人々はのびのびと暮らしていたし、他国と比べたら貧困層が多いかもしれないがそれでも人々は楽しく暮らしていた。ところが戦争がはじまると、内紛が始まり、強いものが弱いものを虐げる事態に発展したのだという。大きな爆破テロのようなものはなかったものの紛争がやまない街になってしまった。核が投下されてからというもの、人々は死に、移民たちが流入し始めた。核戦争は世界の中核を担う都市がおおよそ焼き尽くされ、それによって核の冬がやってきた。核爆発によって水蒸気が大量に上空へ押し寄せ、分厚い雲の層によって日の当たらない国も多く存在する。台湾もそのうちの一つで無効化できるような装置の開発に乗り出してはいるものの除染にとどまっていて、スメリアのような技術力はなく、国際競争に負けていた。部品を供給する大国としての台湾は核関連の部品の供給を過度に制限している。除染する機器に関しては再度核汚染される危険性は低いものの核を無効化してしまうような機器は核分裂そのものの活動を抑える技術なので使うようによっては再活性化することも可能であるそうで、輸出を厳しく規制している。アジア圏においては日本に輸出しているだけで、その他は欧米に多数の製品を供給しているようだ。スメリアはその中でも特殊な国で台湾の技術を応用して完全無効化に成功していた。空は晴れ、日も当たる。もちろん階層型の都市が広がっているから日を浴びない仕事も多いけれど居住区の多くは日が差すように作られていた。楊氏は核戦争の行き場について事細かく教えてくれた。

一日目の仕事が終わると夜の市に出ることにする。台北の市は生活感が溢れているのがその特徴なのではないだろうか。屋台の近くで夜にも関わらず子供たちが遊んでいた。服はところどころが破けているところから察するに移民なのだろう。リニアで出てくる料理を提供している移民もいた。どこから流れるのか見当もつかないが、おおよそ駅で売買が行われているのだろう。リニアは国際線になるので検閲等が厳しい側面があるが物資を運ぶ大きな船である。大陸から輸入した食品を加工して夜市に流しているようだった。アジア圏では当たり前なのかもしれないが虫食の文化があるらしく、タガメやら水カマキリやらが店先に並んでいる。虫を食べたことがないのでどんな味かわからないが貴重なたんぱく源なのだろう。それに虫ならば大陸に頼らずとも手に入れることができる。台湾の東側には今でも先住民族が住んでいて一週間に一度食品を売りに来るのだと楊氏は言っていたのでこれはきっと東側の食料なのだろう。夜市で私はやはりおなじみの小籠包を探して食べた。TIPEI101で食べるそれとは少し味が違いエスニックな味がするがまぁ食べれるので問題は泣かった。途中で豆腐の匂いが漂ってきて、食欲をやられたが、息を吸わずに通り過ぎればそんなに気にならずに夜市を楽しむことができた。夜市には食品のほかにも衣類、生活用品を売りさばく商人がいた。西洋の文具もあるようだったが市場価格よりもいくらか高かったのできっと非合法に入ってきたものなのだろう。それでも、貴族移民は目を凝らして文具を買っていた。私と同じ型のタイプを見ることもできたが、私はマザーに買い与えられたので値段を知らなかったが末端価格で数百万ドルで流通していて私は驚いた。マザーがタイプを常に目を離さないようにしなさいという理由が分かった。楊氏に夜市のことを聞くと、路地裏には気をつけなさいと言われた。実際に路地裏を見てみるとどうやら子供たちを数人連れた売人がいて移民がお金を出してやり取りしているところを目の当たりにした。きっと人身売買が行われているのだろう。闇に隠れていろいろな業種の人間が商いをしているのだ。

 私は食事をそこそこにホテルに戻るとシャワーを浴びた。夜十時を過ぎていた。シャワーを浴び終えると、この日はタイプをせず就寝する。

 翌朝楊氏との約束は朝十一時だった。八時には目を覚ましてマザーへの手紙を書いていた。セム氏の手紙もそこそこ溜まっていたので国際郵便局に赴いて手紙を整理した。数十通溜まった手紙を出した。航空便を使うので手紙程度だったらどこの国にも二日程度あれば到着する。核汚染後、淘汰が続いた結果大規模都市が減ったおかげで定期便をある程度絞ることができ結果として郵便物の輸送にも時間がかからなくなった。もし経由したとしてもスメリアなら欧米だろう。郵便はシステマティックにできており、郵便番号のところにはあらかじめバーコードを打ってあり、それをかざすとポストするように促される。数十通をポストすると総重量が瞬時に計算されて配達日の確認画面が表示される。表示された通りに進むとICカードをタッチする画面に進む。パスポートも同時にタッチする必要があり、これにより検閲の対象かどうかを判断しているようだった。JPから始まるパスポートは検閲対象ではないようで郵便物はそのまま吸い込まれた。郵便局を後にすると昨日と同じくグリーンエリアに向かい、タクシーに乗り込み楊氏のもとへと向かった。建物の前にたどり着くとパスポートを出して端末にかざすと昨日と同じくエレベータが開き最上階のランプが点灯し動き出す。1203号室前にたどりつくと、部屋の扉が自動的に開いた。パスポートをタッチした段階でどうやら部屋に通知が行くようになっているらしい。

「おはようございます。キリカ氏」

おはようと返すと私は楊氏のもとに案内される前にリビングへと案内された。楊氏の体調が優れないようで、先にお茶をして待っていて欲しいとのことだった。台湾ではお茶を大量消費する。十数グラムで数百ドルするからそこそこの値段なのだけれど、一時間や二時間程度だったらお茶で過ごすことも多いようだ。

 結局楊氏のもとに案内されたのは午後二時だった。楊氏の顔色はあまり良くなかったが、昨日に比べると少しだけ、声に張りがあった。

「端末の調合が遅れてね。待たせてごめんよ。」

「いえ、私のことはお構いなく」

「にしてもよく出来た子だ。安心して頼めるよ」

「ありがとうございます」

マザーはどうだいという話から入った。マザーとも古くからの知り合いらしく、マザーの性格をよく理解していた。マザーはもともと野戦病棟のチーフをしていたらしく、戦争の頃は非常によく働く看護師だったという。今の穏やかさからは考えられなくて、想像できなかった。マザーは核戦争に発達したところで野戦病棟を出て、各地にスメリアの住民を探す旅に出たのだという。スメリアは医療水準が高いのはマザーの貢献のおかげらしい。WHOに支配されなくとも、一定の医療水準を保っていられるのはマザーのおかげなのだという。

 楊氏との話の中で他愛もない話が大半を占めていたが知らない情報もかなり多くて楽しい時間だった。楊氏の体調は芳しくなくて時折、長い休憩をはさみながら話を続けてくれた。

 スメリアの当主は日本の出身で技術者だったのだという。技術大国として発展したのも大陸経由でスメリアに移動している間に大所帯になっていき、技術者を集めていったのだという。楊氏もそのうちの一人だったが当時台湾で技術者として働いていた楊氏は台湾を救うという使命のもとに、台湾を離れられなかったのだという。スメリアはそのうち西欧の技術を用いて蒸気機関の技術を手に入れた。現在では二酸化炭素量の制限が国際的に設けられているから地熱による蒸気機関の開発を行ったとのことだった。本来は外に出る情報ではなかったけれども楊氏は幾度となく相談を受けたためその事実について、事細かに知っていた。

「そろそろ、休憩いたしますか」

「そうだな。そうしよう」

休憩の間も戦争の話で尽きなかった。戦争により多くの国を私たちは失ってしまった。技術で勝るドイツも、圧倒的な労働人口で製造のすべてを担っていた中国も、核によって多くの民を失った。生き残った民の一部が移民化し、現在に至る。中国という国はもはや機能をしていない。香港が独立行政区として機能していたのももう遥か昔の話で、今では一国として機能をしている。その昔香港がイギリスに占拠されていたころには欧米との経済の中間に立っていて世界金融の中心だった。今では形骸化してしまい、アジア金融の中心ではあるが世界金融という広さはもっていない。その上、貧富の差が激しく移民を多く受け入れた結果なのだという。楊氏は台湾では珍しい紅茶を入れてくれた。その昔紅茶はイギリスからの輸入に頼っていたのだが、今では台湾国内で栽培され、茶葉の中でも特に優秀な茶葉をこうして紅茶に発酵させて流通させているのだという。太陽に恵まれない台湾だが技術力をもって電照栽培の技術を手に入れた。今では茶葉は大方電照栽培されていて、品質も安定しているのだという。東側では今でも天然栽培が続けられているが中国茶として西側に入ってくることが多い。それは単純にかつて中国大陸から開拓した民が多く東側に残っておりその名残なのだという。紅茶は台中や高雄で栽培され、出荷される。台北は生産地ではなく消費する街なのだという。

 少々の休憩をはさんで楊氏と本題に戻った。ここからは国家機密になるらしく、その内容を事細かに教えてくれたが文書化することは許されなかった。私はその中でも問題のない範囲でタイプした。

「こんな感じでよろしいでしょうか」

「よくできていると思うよ。国際郵便で送る際には検閲されないように封筒に気をつけてくれ」

郵便の技術は上がっていて、何が書いてあるのかは放射線によって事細かく解析されることになる。アルミニウム箔の入っている封筒を使うことで検閲をパスすることができる。一部内容に国家に知られたくない情報があるようで厳重に封をした。

 翌日郵便局に向かい、スメリアに手紙を出すと、外は相変わらず曇っていた。夜になると氷点下まで落ちるため移動するのはとても苦しいので早いうちにホテルをでて台中に向かうことにした。


─楊様、今日は何色ですか─

─つまらないかもしれないが、やはり見える景色はエメラルドグリーンかな─


 マザー、私はこれから台中へ向かいます。高度技術都市台北は本当に美しかったです。WHOの統治によりマザーが思った以上にきっと維持料水準は高く保たれていました。楊氏はもう先は短いとのことでしたが多くのことを学ばせていただきました。戦禍のこと、核開発のこと、ここには記すことはできませんが本当に多くのことを学びました。私が思っている以上に世界は歪んでいて、絶妙なところで成り立っているのですね。

 私は今新幹線に乗って台中に向かっています。台中では東海大学の教授にお会いする予定です。文は無事届いておりますでしょうか。私の知る由もありませんが、ここに私の活動の記録を記しておきます。

スメリアに幸多からんことを。

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