コバルトブルーの国
香港に入国するときには空は晴れ渡っていて、暖房をかけている車内がとたんに暑くなってきた。リニアの到着駅は中環で依頼者の元にはそこからメトロを使って二駅ほど行った尖沙咀だった。かつてはイギリスに支配されていた香港は中国の統治下に入るや否や、アジアの金融街として莫大な利益を稼ぎだす街へと発展した。中国という大きなバックグラウンドを持ってアジアに君臨していたもののアジアの拠点としての中国も今や核汚染が進んで立ち入ることはできない。何年か前にマザーに写真を見せてもらったけどあれはひどかった。チェルノブイリ?むかし事故があったらしくて、住宅は住んでいた時のまま朽ちていたがその状況に似ていた。焼野原となった上海は人が住むことができず戦後に破棄された。木造の家は核ミサイルによって焼き尽くされていたが、コンクリートの建物は今でもいくつか残っている。爆風で割れたガラス。急ごしらえで避難したせいで残る生活感。居抜きのような姿を私は美しいと思ったけれど一体ほかの人はどんなことを思いながら同じ写真を見ているのだろうか。対して香港は平和だった。装置のおかげで香港空港周辺の雲も晴れて、滑走路は晴れやかで飛び出しやすそうだった。スメリアは領土の狭さからカタパルトを使った滑走が多いのだけれど香港は埋め立て地のおかげで通常にエンジンを全開にしてゆっくりと走り出す。領内は自動車も走っているが核燃料を新たな燃料とする自動車が街を行き交っていた。これは核汚染されてなかったためだろう。核断絶のために各国は動きだしている。スメリアもその一国で地熱を使った蒸気機関を使うことで町全体の動力を補っているし、ドイツではまだ化石燃料を用いた自動車が街にひしめいている。スメリアにはない技術がここには広がっている。核断絶のために多くの国はプルトニウムを破棄して、新たなエネルギー源を探りながら火力発電所に頼っている。火力発電ならば近くは暖かくなるし、どうせこの雲だから二酸化炭素がどんなに増えようとも私たちの生活には関係がない。香港はまだ核発電を行っているらしく街中に煙が立ち込めて前が見えないほどに曇っているなんて言う状況にもなかった。尖沙咀でクライアントの下に行く間にタクシーを使う予定だが街を行き交う車がこれだけ静かなんだから車の中では音は皆無だろう。タイヤの音以外はすべてなくなっている。私の街にはないけれど信号機というものがあってそこを車が止まったり発信したりを繰り返している。なんて無駄な時間なんだろう。ホテルについてから時間を過ごす間に情報収集を行った。アジアの拠点としての香港が今現在どのような生活を強いられているのか。世界における香港の役割などなど…
旧世代と変わらずに記入街としての香港は変わっていないそうだが、特有の変化といえば金融街の人は香港島から出ることがないということだろう。休日にもなれば香港島をでて旺角あたりには出ていくそうだけれどそれ以外には出ていくことはないらしい。翌日私はクライアントの下に行くために案の定タクシーに乗った。車というものはよくできている。車の中でなんでもできる気がした。じめじめと暑い香港と比べてタクシーの中はからっとした冷房が効いていて、非常に心地がいい。タクシーの運転手も英語が堪能なので会話も弾む。深水埗に少し立ち寄ることにした。メトロで行くこともできるのだけれどメトロで行くと暑い中、しかも除染が住んでいない人間も往来しているので極力避けるようにとのマザーの指示だった。深水埗は電気街として有名だった場所で、今でも電気街として街の中心部に電気店が軒を連ねる。中に入ると冷房がガンガンに効いている。多少寒いが、この国の人間は暖房というものを知らないらしい。旧世代のメモリやアジアでしか見ることのできないプリンタなどを見ることができた。如何せんアジア圏は感じであふれているからタイプライターでは対応できないこともしばしばある。そこで有効なのがプリンタで私は見るのが初めてだった。インクリボンの代わりにインクタンクを持つそれはコンピュータ上で文字をうつとその通りにプリントしてくれるらしい。しかしプリンタを動かすには電気が必要だから私の用途には少しばかりたらない。私はリニアの中でも列車の中でもタイプするし、客室には電源がないこともしばしばあるし、コンピュータはでかいから持ち歩きに困る。それ故にタイプというわけである。
クライアントの家はK11のホテルからすぐそばのマンションの一室だった。ドアをコンコンと鳴らすと、奥の方で返事が聞こえた。おそらく男性だろうととっさに判断した。香港のセキュリティは非常に強固旧来からの名残なのだろう。マンションの前には守衛のような人がいて、入るには住人の許可が必要だった。一歩マンションに踏み入れるとどこに用があるのかと聞かれセム氏のもとだと私は答えた。すると守衛は電話機を上げ内線をかけ始めた。おそらく確認をしていたのだろう。確認が終えるとエレベータホールに案内され階が指定されている。私はほかの階を押してみたが反応がない。きっとさっきの守衛によって管理されているんだろうと邪推しながらセム氏の住んでいるマンションに入ることができた。ドアには格子戸が設けて会ってその先に玄関ドアがある。鉄格子を避けるようにしてドアをノックするとセム氏は快く中に招き入れてくれた。格子戸が重い音を出しながら右にスライドし、先のドアが開く。閉じるときも厳重にロックをしドアを閉める。香港ではこれがスタンダードなのだろう。セム氏は四十代くらいの目尻にしわが寄っていて髪にすこし白髪が混じっていて痩身だった。私が入ると同時にどこかに中国語で電話をしている。流暢なのかどうかは私は中国語を聞いたことがないのでわからないが、リニアの中で勉強していたので少しだけは理解ができた。どうやら守衛についたという連絡をしているらしい。私は四人掛けのテーブルに招かれて下座に座ろうとするところをセム氏は上座に案内した。キッチンでお茶を入れると台湾の旧来のお茶なのだといった。台湾はその昔、日本に占拠され、中華民国として独立するまでの間に日本茶の技術を手に入れ台湾茶の技術を獲得していったのだという。お茶は聞いていた日本茶のような緑色のそれではなくて黄金色のお茶だった。茶器をもってきて茶葉を入れ、二分程度蒸らす。そうするとこの黄金色のお茶ができる。茉莉花と呼ばれたそのお茶は香りがとても上品で味は少しだけ苦かった。早速セム氏と仕事の話を始める。タイプ事態はスムーズに行うことができた。仕事としてはまぁまぁの出来じゃないだろうか。これだったらマザーに怒られるようなこともないだろう。
「君は好きなものはないのかい?」
セム氏は話の途中でおもむろに私の趣味について聞いてきた。もちろん趣味がないわけではないけれど、趣味といえる趣味なのかどうか言いよどんんだ。
「だったら、カメラをするといい。報酬として受け取ってくれないか」
「そんな高価なもの、いただけません」
「これから世界を回るのだろう?だったら私に手紙を書いて時々送ってくれたらいい。私はその写真を楽しみにしているよ」
「ですが…」
私が断りを申し出ようとしたところでセム氏に止められた。
「しっ」
何かと思ったら外がどうやら騒がしい。
「自警団だ。君がいると少し都合が悪い。」
要するに静かにしてくれということだった。エネルギー消費をモニタリングしては自警団が不正使用がないかチェックして回っているのだという。幸い私のタイプは電気式ではなかったので自警団によって捜索されることは免れたが、タイプは大きな音を出すので何かしていると必ず自警団の目に入るのだという。タイプしながら話していたので私はタイプをやめて、こっそりとお茶を飲んで過ごした。
「悪かったね。うちの国にいるとどうも居心地が悪い」
そもそもセム氏は金融街の勤務で、海外との取引をメインとしているので自警団の目は厳しいのだという。その分多額の給与が手元に入ってくるのだから自警団も罰金をここぞとばかりに取りにやってくる。払ってもいいのだが癪に障るからこうしてこっそりしているとのことだった。
「駅に警備がいなかったかい?」
確かに思い返してみればプラットフォームに降り立った時から、人の視線を感じてはいた。タイプを手放すなというマザーの助言はこういうことだったのかと合点がいった。タイプを持ち歩いているのがばれると検閲に引っかかるだろう。そのうえ私は近況報告を兼ねて何通もの手紙を持っていたから余計にばつが悪い。戦争が起きてからというもの、情報漏洩には細心の注意を払っているのが各国の対応だった。少しでも情報が漏洩しそうならば私の手紙も焼却処分にかけられることだろう。運よくリニアでは見つかることはなかったが今後は考えた方がよさそうだ。
「最近はどこも検閲がきつくてつらいよ」
「心中、お察しいたします」
「自警団も無事行ったみたいだ。君も楽にしなさい」
緊張の糸が切れた。ふと私は涙が出た。今までの疲れなのだろうか。緊張していなかったといえば嘘になる。やっと安心できるところについたのだ、と身体が反応してしまったのだろう。
その後結局自室に帰ることなく、セム氏の家で夕飯をご馳走になり、一部屋余りがあるというので物置同然の部屋を一つ貸していただき就寝することにした。セム氏は非常にやさしい方で私の国のこと、自国のこと、仕事のことを親身になって話してくれた。手紙に綴ることは許されないのだけれど、金融街で働きながら一種のレジスタンスをしているとのことだった。どうやらスメリアの資本が入った会社に勤めていて、スメリアとは一方通行ながら通達が来ていたそうだ。今回の私が派遣されることについても事前にスメリアから丁重に扱うように手紙が届いていたそうだ。私といえばそんなこともつゆ知らず手紙を書くだけだと思ってのこのことやってきたのだ。セム氏はスメリアとの通信をかねてから望んでいたのだという。私に書かせた手紙はなんてことのない文章だったのでそれについて問うてみると、暗号になっていると話してくれた。これはこれからどこの国に行ってもあることだから私は言われた通りに書くように言われた。夜、布団に寝転がりながらマザーに手紙を書いていた。もちろんスメリアがどのような国なのか疑うことはしない。疑ってしまうと止まらなくなりそうで怖かった。リニアで書いていた通り、いつもの平和な文章をただただ書き連ねて。
翌朝、私は市に行きたかったので早めに起きて出発することを告げるとセム氏は快くエントランスまで送ってくれた。警備もセム氏の素性を知っているのか快い挨拶とともに今日は何色だい?と質問してきた。
「うーん。今日はコバルトブルーだ」
とセム氏は答えた、その意味を私は知る由もないけれど、これもきっと暗号なのだろうと思い深く言及することは避けた。
市に行くと、モスクワでも、スメリアでも見たことのないものが多かった。とりわけアジアの玄関口となる国のことだからアジア各国の食料が集められるのだろう。香港には陸路しかないので多分移民たちが持ち寄った自国の食べ物を売りさばいているのだろう。特に気になったのは〝豆腐〟という食べ物だった。スメリアには柔らかい食べ物はあまりないから手にすれば崩れてしまうこの食べ物に執着していた。一つ頼むと豆腐の上に、青み野菜が載せられていてラー油のようなものがかけられていた。店前に出ているときはつるつるの豆腐だったが注文してみると揚げられていて外見がかりっとしていた。私は何も疑うこともせずに口に入れると強烈なアンモニア臭に涙がでた。店主に笑われ、食べたことないのかいと聞かれ、ないと答えると尚更笑っていた。店主にどこの料理か尋ねると店主は台湾からやってきた移民で台湾ではジャンクフードとして食されているとのことだった。これを英訳すると“Stinky tofu”と言うらしい。文字面だけでも十分に臭いということが分かった。私はその豆腐の匂いが服にも口の中にものこっていてすぐにでも吐きたかったが、その辺の風呂屋に入るとタイプを盗まれるといけないので、我慢して自室へと向かった。自室には洗濯機と、シャワーが備えられているので、戻るとすぐに洗濯した。私のアジア生活の始まりの日のことである。
セム氏の手紙は封をしないで預かっている。セム氏の手紙にはやはり香港のなんてことのない日常を書き連ね文章にしか読み取れなかった。昼になり郵便が開くころに自室を後にして、次の現場へと足を運んだ。次はTofuの国、台湾だった。
マザー、私は今香港に到着してセム氏の部屋で手紙を書いています。急に沢山の手紙が届くことをお許しください。本日手紙を初めて出しましたが、届いておりますでしょうか。セム氏に写真機をいただいてしまいました。プリントして後ほどお送りします。次は台湾に入ります。台北・台中・台南と続いてまいりますが、幸多からんことを。
私は手紙とともに写真を一枚とった。香港らしい金融街の写真だった。
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