城塞都市 スメリア

 私たちの要塞はその名の通り界壁をが立っていて、そう簡単に人が入り込めないようになっていた。エアポートがあるから空路は幾分入りやすいものの、エアポートも軍によって厳重に管理されているから不用意に入国することは許されない。それが故に貿易船が大半を占めていた。エアポートの近くにはヤードがあり、石油や鉱物を一時的に保管する場所が広がっていた。観光で入ろうなどと考えるものも年に数人はいるらしいが、観光という理由で入国することは許されない。街の誰しもが働いているのだ。のうのうと街を歩いていれば返って目立ってしまい、通報されかねない。

 スメリアは巨大な岩の上に立っていて、要塞都市として世界から警戒されるほどの存在になっていた。世界屈指の軍事力とその政治力は他の追随を許さない。外部から攻撃があればそれに応じて報復措置を講じる。過去に戦争で世界中に核が広がり、核汚染により多くの国が滅んだ。その中でもドイツ、日本とアメリカは強くて、技術力を持った人が集まっては核を無力化する装置を作って国を立て直したという。技術力で頂点に立っていたイタリアも、金融街だった中国も、核の強さにやられて滅んでしまった。全世界の人間の半数以上が核汚染によって死んだという。今でも、立て直せない国々の街には死体があふれるようにあって、収拾のつかない状況が続いている。そんな中スメリアは戦後の大噴火によって作られた溶岩の島で世界各地から安住の地を求めた幾人かの技術者によって作られたのだという。その中に日本人技術者がいて核を無効化することに成功し、その家族たちが国を切り開いていったのだという。一人のカリスマと沢山の技術者。私たちの国はそうやって戦争当時以上に国力を高めることに成功した。その後も度々戦争があったが、攻撃を受ける度に軍事力を強化していき、指折りの国に仲間入りすることができた。核を持たないこの国は蒸気機関を主とする動力を用い電力や上下水道、エアポートのカタパルトに至るまで一ミリたりとも蒸気を無駄にせずに利用する完全都市だった。そこに核を嫌がる数多くの移民が押し寄せ、今では一万人程度の小さな国だけれども国家という形を形成していった。移民の中では人種差別や紛争も過去には起こったけれども国王の下に統治され、人種差別や、男女差別のない国を作っていった。今では様々な人種が働き、女子供関係なく国民全員が働いている。子供には十五歳になると兵役が課され五年間の徴兵を余儀なくされる。しかしながら兵役は国を守るだけではなく、かつて技術者たちが集まって国を作ったように、勉強をおろそかにしないように教育機関を兼ねている。それ故に二十歳そこそこの年齢のものは一通り仕事ができるように育てられる。外の街に出ていく人間もいるけれど兵役を終えたそのほとんどが、この国に残る。残って鍛冶職人になるか軍人になるか選択させられることになる。女は機織りかもしくは届いた鉱石から鉄の精錬を行う。しかしながらこの国の人間ときたらみんな揃って生き生きとしていて、活気がありさわやかな連中ばかりだ。黒人差別なんてあった歴史もあるらしいが今や黒人は立派な労働力である。体つきはいいしよく働く。白人の方がひょろくて使い物にならないといわれることもしばしばである。軍事力と技術力に優れたこの町は製鉄の技術と戦禍で途絶えたとされるコンクリートによって界壁が作られていて、閉鎖的な街である。中心には軍事と政治の中心となる棟が立ち、東側にはカタパルトの用意された超単距離の滑走路があり、エアポートの下は商業エリアとなっている。各国の商人が訪れてはこのエリアで商いをしている。食料から電化製品に至るまでそろえることができる。職人たちがいるのは西側のエリアで、鉄の精錬から武器や兵器が作られている。多くの人間が軍に従事するのが国の特徴だろう。精錬した鉄の一部は研究センターと呼ばれる工場で各製品に使われ、商人へと受け渡される。給料という概念がなく、すべては国からの支給品となるがわずかばかりの現金を渡され、自由にものの売り買いをすることが許されている。二十四時間常に工場や精錬所は稼働しているけれど、週に二日ほどの休みをもらえる決まりになっていて微々たる給与はその二日のうちに消費されていくことになる。もちろん貯金をしたり投資をすることも可能で銀行もあり、他国との金融売買も行われている。しかしながら売買するものにも制約がある。軍事に関わる全てのものは国の許可なく売買することは禁じられていて、貿易においても数多くの工業製品を出荷するものの軍事に関わる製品に関しては輸出を許されない。エアポートの管理事務所によってインボイスを通し、一つ一つ物品のチェックが行われる。車やコンピュータなどが主な出荷製品になるが蒸気機関を出荷することは禁止されているため、出荷する製品の多くは石油若しくは電気で動くものに限定される。そう、蒸気機関は国での秘匿技術とされ他国に知られることの内容に制限を加えているのだ。日本やアメリカとは中立な立場を維持しており、製品が多く出荷される。輸入する製品は蒸気を使わない製品で占めていて、石油を用いた製品が多数を占めている。蒸気や水は貴重な資源とされていて、そう簡単には手に入らない。国の地下動力施設によって水が汲み上げられ。地球のマントルから引き揚げられた溶岩によって蒸気へと変換される。それが電力に変えられたり、浄水設備など社会インフラを支えていて国の一大事業となっている。しかし、これに従事する人間は国の中でもごくわずかの人間で構成されていて一度地下動力施設に潜った人間は最低でも十年は出てくることを許されないし、技術について話すことも固く禁じられている。万が一漏洩した場合には解放された人間を国王が裁く決まりになっていて大抵の技術者は牢獄へ行くか、自死することになる。牢獄での生活はけして豊かではなく、三日に一度の食料配給と一日二十時間にも及ぶ労働によって拘束を余儀なくされる。死刑制度はないにしても事実上の死刑に近い。そのため地下動力施設の情報を漏らす人間は数年に一度でるかどうか。それだけ地下には秘密で満たされているのだ。街の多くの家々には蒸気が送られるがそのインフラも国の技術者以外には触れることさえ禁止されていて、勝手に蒸気を利用することは許されない。それだけ国における蒸気とは秘匿したい技術なのだ。それでも私たちは電力と蒸気機関によって生活の質は担保されるため、裕福だと感じている人間がほとんどだった。赤道から遠いこともあって気温は低く、エアコンなどの設備はほとんどいらなかった。暖房に関しては国が熱い蒸気を送ってくれることもあって、困ることはない。スメリアという国は諸外国と比べると閉鎖的であり、かつての日本の鎖国の様であると科学者たちは口をそろえて言った。しかしながら難民や移民の受け入れに寛容であり、毎日数十人という単位だけれども受け入れていた。難民受け入れは陸路が多い。海に囲まれた国のことだからこの国にたどりつくだけでも相当な労力を要するし、国の周辺で紛争を起こせば確実に鎮圧させられるため大きな船で来ては長くて数か月の間検問前で待たされることもあるのだとか。そのうちに食料にありつけない者は衰弱し、死んでいくしそれを食らう人間が出てきて独自の統治がなされることがある。それ故数十人程度しか国に入ってこないのだ。国の周りには何隻といった船が押し寄せてきてこれ見よがしに私たちの国を見上げている。ここまでがマザーに授業で教えられたことだった。私たちはそんな密集した社会からはかけ離れた世界に生きていた。周囲が背の高いコンクリートで区切られている以外は地面に芝が広がり、昼には食堂で食事をとる。食事といっても職人たちに配給されるのはカロリーに頼ったクッキーのようなものが支給されるのに対して私たちはパスタやパンなど前時代的な食品を食べる。マザーによればカロリーだけではなく栄養分をバランスよくとることが大事だとか。私たちは食事で補えない栄養をカプセルで補う。月に数度と血液検査を行われ栄養に偏りがあればカプセルを渡されて、栄養バランスを整えることを強いられる。朝食が終わると授業がはじまる。授業では一般教養から、医学に関する知識、工学的な知識と幅広く勉強させられる。午後になると授業から解放され私たちは楽園で遊ぶことが許される。芝生で寝転んで本を読む子や、小さい子だと東屋にあるタイプライターをカチカチといじっている。東屋には最新式のタイプが置いてあるが私は旧式ながら手慣れたタイプを持っているから東屋に行って打つことはない。それに、最新式のインクリボンは割高だしマザーに行っても数日かかってやっと一本支給される程度だから私の仕事には合わない。高等教育になると仕事をすることが許され私たちは淑女として恥じない仕事を与えられる。本を作るもの、機織りをするもの。私は代筆屋だった。タイプライターを使って国中の手紙の依頼をこなし各地へと手紙を出す。こんな仕事が与えられたのも私は幼いころから読書が好きだった。戦争孤児だった私は拾われたころは言葉を発することはおろか文字を読むことさえできなかったけど、マザーの授業をうけているうちにたちまち言葉に魅了された。言葉とはなんて美しく儚いのだろう。絵本から始まり、世界文学にも手をだし、様々な国の本に触れることになった。その甲斐もあって私はほぼ世界中の言葉に精通していて、どこの国の言葉も読み書きできるようになっていた。とりわけ難しかったのは日本語と中国語だった。アジア圏の言葉は安定していなくて、タイプライターにあるアルファベットだけでは表すことができなかった。それ故に私は文字を書くことを学び、今では手書きでアジア圏の言葉を記すことも可能になった。私の手紙は世界に羽ばたいていき地球上の誰かしらに届くことになる。私の書いた手紙は一か月に一度の集配により中央郵便局に集められ、エアポートで各国々の飛行機に仕分けされ世界各地へと届けられる。鍛冶職人や機織りの女性などから今日も手紙の依頼が殺到していて、本当は授業を受ける暇などないくらいに忙しのだけれどマザーがそれを許してくれない。必ず授業に出ることを強制されていたし、数か月に一度の学力考査の課題もこなさなくてはならず、授業を出ないわけにはいかなかった。学力考査では知識のテストに加えて、人格試験、実技試験が課される。実技試験は主に医療実技が多い。とはいえ、これだけの軍事力で成り立つ国だからケガするほどにヘマをする者などそう多くない。それ故私の学年の医療実習は抽象的かつ空想的な問題に取り組むことが多かった。初等教育ではケガの応急処置など基本的なことを学ぶが、私たちは健康維持のためのいわば診察に関わる実務的な実習が課される。架空の病気に対して、どのように客観的評価をするのか問われる試験が多い。架空の病気なのだから私たちだってどう処置していいかわからない。とりあえずレントゲンや血液検査をとおしてデータを精査することが精々である。私の期末考査の課題は放射線により発病した患者の病名特定だった。甲状腺系が痛めつけられることが一般的だけれどそんな一般論を求めているのではなく未知の病気にたいするアプローチ。今までにはない解析手法を用いてその病気を精査し診断を下すのが考査内容だった。私たちは各々別の課題に取り組むため答え合わせができない。マザーが判断した結果に従うことしかできなかった。学力考査は非常に重荷だったけれど、私は手紙の仕事をこなした。私はいつも通りに仕事を終え、帰ろうとしたときにマザーに呼び止められた。考査中に何か問題でもあったかと問うたもののどうやらそのたぐいではないらしい。どうにも新しい手紙の仕事があり、私に教室に来るようにとのことだった。

 手紙を生業にしている人は私を含めて十人程度いて、教室につくと私以外の生徒は席についていた。

 マザーが話を始めてから数時間。外を見るともう夜になっていた。しかし私はマザーの話に興味をひかれた。それは世界各国に行って国に手紙を書く仕事だった。放射能汚染が広がっている世界に出向くことになるのが不安だったが私は非常に楽しみだった。私はアジアを中心として諸外国を回って一年を過ごし、手紙を書いてはまた別の地域に移動する暮らしを余儀なくされた。

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