第4講 ホワイダニットとは?
ミステリーの三つの型について、これまでフーダニットとハウダニットの二つについて触れてきました。
先述の二つはミステリーの言わば「花形」であって、この二つに注目した作品は多いです。ミステリーの始祖が生まれたアメリカでも、その後世界的なキャラクターを生んだイギリスでも、「Who?」と「How?」は常にミステリーの中心にいました。
そういう意味では、今回扱うホワイダニット、つまり「Why?」こと「動機」を問う作品はミステリーの世界ではやや脇役的……という風にも捉えられますが、こと我が国、日本においてはやや状況が違います。
確かに、犯人当てやトリックをメインに据える言わば「本格ミステリー」の場合、ホワイダニット、つまり「何故殺人に及んだのか?」という動機の観点は副次的というか、おまけみたいな扱いを受けることが多いです。「そもそも殺人なんて行動に及ぶ人間の心なんざ分かるわけないだろ」みたいな姿勢をとる作家さえいます。まぁ、殺人に限らずとも、日常場面でも人の心情を理解することは非常に難しいので、この点について放棄したくなる気持ちは非常によく分かるというか、仕方ないかな、とは筆者も思います。
ですがこの「動機」という着眼点は我が国日本にミステリーが流れ着いた瞬間、大きく花開くのです。
ホワイダニットが日本で発展した理由について触れる前に、日本のミステリーの特徴について触れておきましょう。
日本でミステリーを広めようと尽力した人間と言えば我らが江戸川乱歩ですが、彼は一時期、ジョン・ディクスン・カーのようないわゆる「本格ミステリー」を広めようとしていました。実際当人もそのような作品を書いて出版しているのですが、しかし売れ行きは今一つでした。そんな乱歩が辿り着いた一つの境地が、「変態的」、いわゆる「変格的」ミステリーでした。
道徳的観念が庶民の間にも強く根付いていた日本において、殺人に限らず「犯罪」は隠すべき存在であり、この「隠すべき」ものを主題に扱う推理小説もまた、「恥ずべき」ものとして認知されていたのです。
そういう意味で、ミステリーというのは言わば人の「恥部」を晒すような文学であり、通俗的、格下の文学として見られていました。乱歩はそこを逆手にとって……当人にその意図があったかは知りませんが……ある種「変態的な」ミステリーを書いて出版しました。『芋虫』なんかがその代表例です。
そうやって乱歩が様々な工夫のもとミステリーを世に広めた後、横溝正史や、山田風太郎なんかがミステリー文化をどんどん発展させていきましたが、ある時突然、綺羅星の如く現れた人間がいわゆる「ジャパニーズ・ミステリー」の型を作ります。松本清張です。
乱歩、正史あたりまで、ミステリーの印象はやっぱり「陰惨な」「鬱屈とした」文学作品というイメージでした。昨今異常殺人犯が出ると「犯人の部屋からはアニメキャラのグッズが~」なんて言われるのと同様に、当時の殺人犯の部屋から「乱歩や正史の作品が見つかった~」なんていう報道は当たり前のようになされていました。当時のミステリーというのはそういう扱いだったのです。
ところが松本清張の頃は少々事情が違いました。戦後の高度経済成長期。貧富の差が広がり、貧しくて翌日の食べ物さえ困るような人々と、掃いて捨てるほど富を持つ人間とに分かれました。
想像がつくでしょうが、犯罪に及ぶのは当然「貧しい人間」「(社会的に)弱い人間」です。そしてこれも想像がつくでしょうが、小説のような文化に触れる余裕があるのは「富んだ人間」「(社会的に)強い人間」です。
貧しい人間の心情が理解できなかったのでしょう。あるいは、貧富の差そのものという社会問題を扱いたかったのかもしれない。「社会派ミステリー」というジャンルが生まれました。これが日本のミステリーの特徴、いわゆるジャパニーズ・ミステリーというやつです。
そしてこの「社会派ミステリー」は読んで字の如く貧富の差、環境問題、移民問題といった社会問題を絡めたミステリーなので、それまでは一貫して「異常者の行為」として描かれていた殺人が「一歩間違えば自分もやっていたかもしれない行為」になり、必然「どうしてそのようなことをしたのか」、つまり「Why?」が問われるようになりました。
これこそが、日本でホワイダニットが発展した理由です。「経済成長目覚ましい時期に大衆小説として発展したから」。実際、似たような事例はアメリカやイギリスでもありました。
産業革命後、あるいは帝国主義的外交が進められていた頃、アガサ・クリスティのような女流作家が「動機」に着目した作品を多数出しています。やはり経済的に成長していた時期、貧富の差が広がり始めた時期に発展したミステリーには「ホワイダニット」が強くなる傾向があるようです。もちろん、クリスティのそうした作品も名作として知られているのですが……『ナイルに死す』だとか『ミス・マープルシリーズ』なんかがそうですね……、やはり「フーダニット」「ハウダニット」に比べると「通が好む」作品に分類されてしまいます。ですが事例としてはやっぱり存在しており、ミステリー発祥の地アメリカでも、エラリー・クイーンなんかが後期の作品において動機に着目した作品を多く書くようになっています。「成長の過程」、あるいは「円熟した頃」になると人は人の心を思いやる余裕ができ、ついつい覗き見したくなってしまうのかもしれませんね。
日本でのホワイダニットは、東野圭吾が『放課後』でデビューした頃、一時期衰退したかのようにも見えましたが、宮部みゆきの『火車』のような「カードキャッシングの闇」に着目した社会派ミステリーが流行するなど、やっぱり根強い人気を見せています。何より「ハウダニット」がメインの『放課後』でデビューした東野圭吾自身、最近では社会事情や科学文明の発展に伴う道徳観念に着目した「社会派ミステリー」を書くようになっていますし、やっぱりホワイダニットという観点は日本人にとって重要な要素の一つのようです。
また、この「動機」という観点は殺人という異常性を封じられた「日常の謎」ととても相性がいいです。必然、ミステリー色の薄くなる作品とも相性がいい。つまり他のジャンルでも比較的扱いやすい型なのです。もちろん、いわゆるデスゲームのような頭脳戦、心理戦においてもこのホワイダニットという型は役に立つでしょう。サスペンスなどのシリアスな作風にもマッチする型なのです。
自分の作品にちょっとミステリー感を足したい時。手軽にアクセスできるジャンルが、このホワイダニットなのかもしれませんね。
最後に僕のお気に入りのホワイダニットを紹介しましょう。
法月綸太郎著『死刑囚のパズル』です。短編集『法月綸太郎の冒険』に収録されています。
「死刑囚殺し」。放っておいてもいずれ死ぬ死刑囚を殺した理由は? という何とも好奇心を刺激されるホワイダニット・ミステリー。百ページ越え、短編と言うには少し長く、中編と言ってもいいくらいの作品ですが、しかし素晴らしいホワイダニットの作品です。
*総括
・ホワイダニット
「何故やったか?」
動機について問う。人の心の機微、高度な心理戦などについても扱えるため、ミステリー色の薄い作品にも流用できる。
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