四十一話 セントラル大陸暦一五六五年 夏 九/九

 私はサンダー領の寄宿舎へ戻ることになった。「王の許へまいりましょう」と言った王太后様は私も一緒に連れて行くつもりのようだったが、「ナナはサンダー領の寄宿舎で待て」とお兄様に言われ、これ幸いとばかり、その日のうちに王家領の寄宿舎から五人で帰ることにした。

 国王様の御前になんてとんでもない、これ以上の面倒ごとはお断りだった。


 馬車に荷物を積んで私たちは歩いて帰る。この辺りは高台に当たるらしく洪水の影響もなく、浸水している家もない。昨日までの雨が嘘のように晴れ渡っている。雨上がりのかび臭い匂いが鼻につく。じっとりとした汗が服を濡らす。

 道すがら「今年の対抗戦の最終日は中止になったみたい」とアニーに言われた。この大洪水の後では、やれば非難されることは目にみえている。

 五人の会話もいつもと異なり湿りがち。流された家屋、物資、床上、床下浸水などの被災状況を知らされ気分が落ち込んでいた。アナベル王女様方は率先して下町に炊き出しに出たようだが、お兄様の話では明日以降は暴徒の危険が伴うので、今日限りだろう。襲われても魔法の力で対処可能だが、反撃するだけで問題になる可能性が高い。引き金となって騒乱化してはどうしようもない。

 久しぶりのマイルームに思わずベッドにダイブしたくなる。今は横になりたくてもできない人がいるのだ、我慢しなければならないと椅子に座る。

「ふーーーー」大息をついた。

 何となく気が重いのは、被災者のことが気になるからだろう。モヤモヤした焦燥感が募る。今すぐにでも被災地へ行き少しでも役に立つことをしたい。でもどうすればよいのかが分からない。


 夕食時食堂にハリーお兄様がやって来た。

「夕飯後みんな集まってくれ。昨晩の寝ずの頑張りで疲れているだろうが、タウンハウスの大広間に集合してほしい」

 国王様に会って馬車専用道路を決めてきたのに違いない。大広間で行うということは、寄宿舎の学院生だけではない。テラスハウスの住人を含めてオールサンダー領での事業として行うのだろう。この道路建設は緊急の課題である食糧輸送として必ずみんなの役に立つ。そう自分を鼓舞する。よし、気分が乗って来た、と己に言い聞かせる。


 大広間に向かう途中、汚れた服の一団に出会う。

 チャーリー、レオ、ジェイコブ、ジェイミー、マイケルの男子たちもその中にいる。久しぶりに見たような気がする。

「被災地に行っていた」

 皆、スコップやつるはしを持っている。魔法でできない作業もある。マスクをしていたのだろう口の周辺だけが汚れていない。彼らはやるべきことをやっている。うらやましい。

「昨晩は、まるで対抗戦をやってきたようなものだったよ。土魔法で壁を作り階段を作ってみんなを誘導し、家具につかまって流れてくる人を水と風魔法で救い、夜が明けるのを早く早くと待ったよ」

「ジェイミーがすごかったんだぜ。濁流の中、小さな子供二人を連れたお母さんを三人ごと抱きかかえ仁王立ちしていたよな」

「土魔法で足場を作り銅の錬成を何回もかけて強化していたけど、流れてくるタンスや木材に何度もぶつかってもうダメかと思ったけど、そうしたら……」

 レオ、ジェイコブ、チャーリーが順に話す。

「天から明かりと共に光の粒子が舞い降りて来た」

 大きな体のジェイミーが小さな声で言った。

「あれでジェイミーの魔力が回復して細い足場を頑丈な土の台状にできたからね」

「切れていた額の傷や背中の打撲も治った」

 ボソッとジェイミーが話した。

「王宮の高台からエレノア様が光と回復の魔法を使ったって聞いたけど」

「ナナたちも確か王宮にいたんだよね」

 ジェイコブ、チャーリーがニヤリとしながら聞いてくる。

「王宮にいたけれど、とても広いのよ。私たちは王家領の寄宿舎で休んでいたから知らないわ」

 五人の目がそうじゃないだろうと言っている。

「あの時、マイアの魔力を感じた」

 ジェイミーがポツリと言った。

「そういうことは本人に言いいなさい」

 二人は幼馴染、ジェイミーが銅の魔法を使っていた場所にマイアの回復魔法が舞い、それを彼が感じられたとすれば、強い絆があるのかもしれない。

「お前たち早くしろよ」

 上級生が呼ぶ。

「はい」

 五人は急いでかけて行った。


 大広間でハリーお兄様が明日からの事業内容を説明した。銅の魔法と土魔法を使える人間だけでなく全員総出で取り組むことになる。

「これが設計図だ」

 詳細な設計図を大公様とハリーお兄様の手で作られていた。こうなることを見越したわけではないだろうが、先手、先手を考えているお兄様らしい。

「今回新技術で舗装を行う。サンダー領で採用されたコンクリートよりさらに高機能な代物だ」

 新たな舗装としてアスファルトが採用された。これは異人たちからもたらされた新技術だった。天然のアスファルトというものが産出されたらしい。

「明日から頑張ってくれ」

 ノアお兄様は既にサンダー領に向けて出発している。向こうからも作業を進めるようだ。

「アスファルトとはすばらしいモノのようですね」

「走行性がとてもよい。一度走ると、砂利道がいやになる。コンクリート以上だ」

「それだけですか」

「コンクリートより早くできる。メンテナンスも容易だ」

 私は疑いの眼でじっとお兄様を見る。

「誰にも言うな、コンクリートより安上がりだ」

 きっと費用はコンクリート並みに請求するつもりなのだ。

 産出場所は秘匿されている。私が訊いても教えてもらえなかった。お兄様の態度から人探しの聖珠がかかわっているらしいことは想像できた。


 朝、食事をして新聞を読む。

「今世二人目の大聖女現る」

 見出しが躍っている。

「堤防決壊により大被害を被った下町に光と活力を与えた大聖女が現れた。教会の大聖女ライラ様ではない。現在セントラル学院の三年生エレノア様である。彼女はさきの大公様の娘、以前から金色の髪で回復の魔力を保持すると言われていたが、今回その御力を惜しげもなく下町に注がれたのだ。雨の真っ暗闇の中に光が照らされた。さらに明かりだけではなく光の粒子が舞い、ケガ人を癒し、元気を与えてくれたのだ。

 ある兵士が語る。

『雨の降りしきる中、エレノア様は危険をおして物見やぐらの最上部へ上り、光だけではなく回復の魔力を体力のつ限りお続けなさりました。こちらがおやめくださいと申しても聞き入れず、下町のみんなのためと、倒れるまで力を振り絞られました』

 王宮は復興に力を入れており、エレノア様のことは公にされてはいないが、何人もが物見やぐらからまばゆい光が放射されていたと証言する。

 先日の学院の対抗戦においても、圧倒的な強さで西家を打ち破り、その後、倒れた女王役の生徒を光の魔力で回復させたのもエレノア様だった。

 過去にはなかったことであるが、私たちには二人の大聖女がついている。大変喜ばしい限りである」

 よかった私たちのことは載っていない。監視塔が一般向けに物見やぐらになっている。見晴台とまではしなかったのは、緊張感に欠け、大洪水の記事にはふさわしくないからだろう。

 新聞には続きがある。

「濁流の中、一人の青年が母子三人の命を救った。昨日の深夜、大洪水が襲う下町で家ごと流された一家を、身を挺して助け上げた人物がいた。父親は見回りに出かけていて助かったが、流された母子三人がもう駄目だと諦めたその時、大きな二本の腕が子供二人と母親を救いあげてくれたのだ。家具や流木がぶつかってきても体を張って受け止め水が引くまで仁王立ちし続けた。その後母子を避難所へ連れて行き、本人は名乗らず仲間の許へ戻ったそうだ。母子は父親と会え、是非もう一度会ってお礼を言いたいと話している。その救助活動をしていた一団は、サンダー侯爵家の紋章を付けていたという」

 連絡先が川荷組合になっている。

 これはジェイミーのことだろう。図体ばかり大きくなってと思っていたが、やるときはやる男子なのだと、記事を見て再認識した。事故が発生することの多い鉱山の町グラスベルグの男を感じた。いざという時には身体が勝手に動くのだろう。まだまだ危なっかしいが、頼りがいのある人間に成長しつつある。

 こんな記事が掲載されたらハリーお兄様のことだ、広報活動に利用するに違いない。


 その日から私たちは馬車専用道路建設工事を担うことになっている。

 現場に着くと王家領の学院生が多数いた。三年生のエレノア前大公の娘エリオット赤茶色髪の顔も見える。

「王家との共同事業だ。正規の魔術師は復興工事に携わるため、すぐ集まる人手は学院生しかいなかったようだ。銅と土魔法を使える人間を中心に百人がこの事業に従事する」

 ハリーお兄様に説明された。

「周りが朝からうるさくて丁度良かったわ」

 エレノアは新聞ネタになって、大変なようだ。

「髪を染めないと外出もできないのかしら」

 とこぼしていた。それはお互い様ですと心の中で呟く。

 私たち五人の最初の仕事は、王家領の学院生徒とサンダー領の人との橋渡し。ハリーお兄様に言われなくとも分かっている。


 道路建設は、はじめてのことが多くサンダー領から来た人に習う。

「基礎を作る土魔法、形成する錬成の銅の魔法、火で熱し、再度銅の魔法で転圧し、仕上げの水魔法と乾燥の風魔法のやり方を教える」

 お手本を見せてもらって教わり、実際にやってみる。

「基礎は対抗戦の土壁を作る要領と変わらないね」

「銅の魔法で道路の錬成することができるとは思わなかった」

 新しい魔法の使い方にうなる学院生。

「アスファルトとはなんと平らで整っているのだ。そして黒く光っている」

 アスファルトを熱するのに火魔法を使い、仕上げには水魔法と乾燥の風魔法を使ってその出来に興奮している。

 悪い方法、良い方法をみんなで共有して協力しながら進めた。端などできれいに仕上がらなかった箇所は手作業でスコップやつるはし、転圧道具を使うことにした。対抗戦での模擬戦を通し、反省して計画を練り直した経験が生きている。サンダー領の魔術師や技術者の方々もいるが、大半は学院生。王家領の学院生とも顔馴染み、対抗戦とは異なり今回ばかりは争うことなく共同作業は進む。

 プライドの高い王家領の学生も私たちと一緒に汗だくになりながら、働いてくれている。これも王都の復興という自分たちの住む都のためになる意識があるのだろう。


 原野を切り拓き遮るものが何もない私たちに照り付ける太陽、風が死んだようにピクリともそよいで来ない。

「あれはなんだ」

 一人の生徒が後ろを振り返っている。作ったばかりのアスファルト道路に異変が起きたのかと一瞬ヒヤリとする。

「もやもやとしたゆらめきが立ち昇っている」

「陽炎だ。初めて見た」

 つかの間手を休めて、玄妙な雰囲気を味わう。額から汗が流れる。私は季節を一つ先取りし、さわやかな風魔法を吹かせた。熱せられた大気の中、恵みのそよ風に続けて、水魔法のミストシャワーであたり一面に涼をよぶ。

 隣でニーヴが瞼を閉じて頬を潤し気持ちよさそう。ジュリアもアニーもそしてマイアも手を止めミストを浴びている。汗臭い男子が多い中、四輪の花は水滴を弾き、健やかな清らかさを醸し出していた。


 朝も昼も晩も現場にいる。寝るところも作ったばかりの道路の上のテント。疲労を意識するといつの間にか食事の時間になっている。この感じはなんだろうと考えて、はたと気が付いた。大洪水の被害を見て、自然の脅威に自分がいかに無力なのかが嫌になるほど思い知らされ、被災者をほったらかして道路建設を免罪符にして逃げたのだ。その罪滅ぼしに肉体をこれでもかといじめているのだ。学院生の多くが同じ思いなのだろう。エレノアも、エリオットも、そして私の信頼する仲間たちも、もくもくと作業をこなしている。

 ……でもそれで今はいい、年齢に甘えよう。


 魔法の作業分担にも慣れたころ、最近見慣れた逃げ水の向こうから一台の馬車がやってきた。開通前の道路は普通の人は利用できない。馬車から降りたのは魔王もといハリーお兄様だった。

「昼食中そのまま聞いてもらいたい」

 フォークの手を止めずに聞く。

「みんなよく頑張ってやってくれている。慣れない作業を暑い中、お前たちはえらい。優秀だ、進み具合も思った以上だ」

 お兄様にしては珍しい、ねぎらいの言葉を私たちに降り注いだ。特に普段から王家領の面々を軟弱者扱いしているのに、今日は裏腹なもの言いにいささかの驚きと、何かあるのかと勘ぐってしまう。

「一か月の予定が二十日間でサンダー領から王都までの道がつながる目途が立った。ありがとう」

 馬車専用道路の出来るのが早まるのはよかった。これで王都は大洪水による食糧危機から逃れられる。

「国王様をお迎えした開通セレモニーが予定されている。もちろんみんなも一緒に参加する」

 ついにハリーお兄様は国王様まで巻き込んだようだ。全くすごいお兄様だと感心していると、周りの空気がなんだか違ってきた。王家領のみんなの顔がとても晴れがましいものになっている。国王様の御臨席を賜る栄誉が与える影響なのか……。御威光がこれほどのモノとは思わなかった。これでますます王家領の学院生のやる気がまし、ひいては全体の進捗も加速するだろう。最初の誉め言葉の真意が分かった気がする。

 国王様のご臨席という餌に、みんなが張り切り、道路建設の生産性が高まって早くでき上る。一番得するのはどう考えてもハリーお兄様ではないだろうか。

 最近お兄さまの言動を素直に受け入れず裏を読もうとする自分がいる。


 開通当日はサンダー領からの第一便、新鮮な魚介類と、麦、大豆などの豊富な食料が満載された荷馬車が何百台と続くだろう。

 お父様とお母様の顔がその中にきっと見えるはず。笑っている顔がまなうらに浮かぶ。

 思うだけで私もつられるかのように笑った。


 私はこの一年間頑張った。お母様に褒められはせど、怒られることはしていない、と思う。令嬢らしくなったはず、決して女帝と呼ばれるマネは……、していない。呼ばれたら目で止めさせたはず。大丈夫、問題ない、誰も女帝とは呼ばない。

 お父様、お母様に早く会いたい。



 ※※※※※※



 久しぶりにベッドで休める。道路工事の担い手として現場で寝泊まりしていた。明日は休養日、夜、寄宿舎に戻ってきた。

 数日もすれば、お父様とお母様に久しぶりに会える。ゆっくりとお話をしたい。

 寝る前に手に取ったのは普段のお茶。冷たくもなし、熱くもない良い加減。

 久しぶりに飲む味はなんとなくいつもと違うような気がした。でも懐かしい、ずいぶん前にも味わったような……。

 違和感を覚えながら、飲みほしてベッドのサイドテーブルへ。

 ふと、五歳の記憶がよみがえる。誕生日の食堂に家族みんなが揃っていた。自分が生まれて来てから最初の思い出。あの日以前の記憶はない。十五歳の誕生日も怒涛の忙しさの中いつの間にか過ぎようとしている。今日はセントラル大陸暦一五六五年七月七日。五歳の誕生日から十年が経ったのだ。

 パール浜で家族と過ごした暑い夏、サンダー領の学舎でのかけがえのない四人との出会い、王都へ出て来て五人で協力してきた数々の出来事。脳裏によみがえる。

 どうして今日に限って様々なことが思い出されるのだろう。

 瞼が重たい。まるで小鳥がまつ毛に止まっているかのよう。

 ベッドに入り目を瞑る。途端に足がじんわり温かくなる。ああ眠ってゆく……。

                『扉が開きますよ』編「完」

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先ほど喉を潤した飲み物、何か気付きませんでした? ウフフ、ナナの物語の扉が開きますよ 紅雲JiJi @KounJiJi

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