四十話 セントラル大陸暦一五六五年 夏 八/九
ウーゥ、ウーゥ、ウーゥ、ウーゥ。
カン、カン、カン、カン。
警報と半鐘が鳴り続いている。
目が覚めた。雨はまだ降り続いている。遠い昔の記憶がよみがえる。パール浜での外国船の海難事故。嫌な予感がする。
「ナナ様、お起きになりましたか」
「着替えます」
侍女のラナーナに衣服を出してもらう。
「今、午前一時半です」
深夜、ランプだけが明るい。日の出まで何時間もある。この雨模様では夜が明けても太陽の光は届きそうにない。
トン、トン、トン。
サンダー領の四人も着替えている。
「第二食堂へ向かいます」
同じクラスのクララがいる。三年の
「情報を集めましょう」
「半鐘を打っているところか、警報を鳴らしているところに行けば分かるはずです」
ジュリアがもっともなことを言った。それをいつもと変わらず、すぐ気づくのがジュリアの持ち味なのだと感心する。
「分かった、半鐘を打っているところで訊いてくる」
「俺は警報を鳴らしているところへ行く」
エリオットとその友人の男性数人が、駆けだした。すぐに決断し動いてくれる彼らは有能に思える。
続々と生徒が集まってくる。
「何があったのだ」
「今調べにエリオットさんたちが、半鐘と警報を鳴らしているところへ行っています」
じりじりと待つ時間が長く感じられる。
「分かった」
エリオットが戻って来た。
「堤防が決壊した。下町が川の濁流に飲みこまれている」
「下町のどこだ」
「全部だ」
「どうする、ここは大丈夫か」
「避難場所はどこ」
「浸水するの」
「いつなの」
「どうすればいいんだ」
みんなが慌てだした。
「落ち着いて!」
私は大声を張り上げた。
「冷静になって! 落ち着いて。深呼吸をしましょう」
「そうだ、落ち着こう」
「落ち着こう」「落ち着いて」と誰彼となく連呼される。
「深呼吸です、深呼吸をしましょう。みんなゆっくりと息を細く吸って、ハイ、長く吐きましょう」
みんなの息が聞こえる。少しでも冷静になってくれればよい。
「みなさんやれることはありますか?」
「こんな暗いんじゃ無理だな」
「明るくなるまで待った方がいいはず」
「雨も治まらないと二次災害になるのでは」
「ここは高台だから洪水被害には絶対に遭わないと聞いた」
「日の出はだいたい四時半ごろだ」
「では、四時十分に再度集まりましょう。その時までに自分に何ができるかを考えおいてください」
みんなが食堂を出始めた。一旦部屋に戻るか、友人同士相談するのだろう。私はエレノアを探す。
「エレノア様、少しよろしいですか」
「何かしら」
私はエレノアのそばによる。
「エレノア様は光の魔法を使えますか?」
「ええ、できるわよ」
「では今からでもできることがあります。この近くで一番高い場所は昨日行った監視塔ですね」
「そうね、半鐘のある火の見櫓や、警報塔よりもどこよりも高い位置にあるわ」
「そこから光の魔法で下町方向に照らしてもらいたいのです」
「下町は遠い……、あまり自信が……」
私はエレノアに囁く。
「私たちがお手伝いいたします。王太后様から金の真珠をお借りしております」
目を見開くエレノア。ジュリアをそばに呼ぶ。察したジュリアがそっとネックレスをお見せする。
「分かったわ」
「エリオットさん、私たちは監視塔へ行きます。四時を過ぎてもここにいなければ、みなさんへの指示をお願いします」
「任されたよ」
彼の笑顔に送られて、監視塔へ向かう。
歩きながら、アニーに耳打ちする。
「エレノアの光の魔法に月の光をのせて、できたら復元魔法を遠くまで届かせて」
アニーがほくそえむ。
「みんなも回復魔法を光の魔法に乗せて」
三人に小声で話す。頷く三人も含み笑いをする。
監視塔に着いた。
「
「命令書がありません」
「隊長のミラーさんには事後報告で了解を得ます」
「しかし……」
煮え切らない兵士。
「昨日の午後、この六人で来たばかりよ。引き継ぎ書はないの。責任は私が持ちます」
「ハッ、承知いたしました」
監視塔の最上部に到達した。
「被害の出ている下町は西側です」
ニーヴが的確に方向を指示する。王都に住んでいた経験が生きている。
「光の魔法を発動してください。私たちがその魔法をお手伝いしてより遠く、より強くいたします」
「分かったわ、お願いね」
詠唱の後に呪文「ライト」と唱えると光が西側を照らした。
「ライト」
私たちも呪文を唱えて後に続く。アニーと私は月の光を、マイアとニーヴは己の金の光で、ジュリアは王太后様からの金の真珠で光をエレノアの魔法に溶け込ませた。
「光が雨のせいで広がっている」
まだ雨が降っている。雨の水滴で光が遮られ拡散している。集中させなくては。
「できるだけ細く、そして強い光にして」
力強いビーム上のライトになった。
「エレノア様、ライトにヒールを乗せて」
私を驚いた顔で見るエレノアに、諭すように言う。
「大丈夫です。みんなが元気になるように祈りながらヒールと唱えれば今の光に回復魔法が混ざります」
「分かった」
エレノアがヒールと唱える。エレノアの回復の魔力が光に乗った。
「私たちもよ、遠くに届くように願って」
みんなで回復と復元の魔力を下町のみんなへ届けと光に含ませた。
勢いのある強い光が西側一帯を照らし始めた。
ただただ時間が過ぎゆく。
雨が弱くなり、雨粒が小さくなり、あがり始めた。
誰ともなく円環状に連なるT字型の背もたれに身体を預けながら魔法を発動し続ける。
遠くまで光が届いている。金色と紫の魔法の青白い光の粒子が舞っているのが見える。そんな中、赤茶色の魔力が立ち昇るのが見えた。誰かが銅の魔法を発動している。救援に行った人だろうか。
「エレノア様、方向を右斜め下へ角度五度分くらい下げてください」
「分かったわ」
少しずつ光の線が下がって来た。赤茶色の魔力の見える位置になった。
「そこで止めてください」
赤茶色の魔力の見える位置の許に光が届いている。赤茶色の魔力がどんどん強くなる。他に誰かが魔法を発動していないかと目を凝らす。茶色の魔力が見えた。
「エレノア様方向を左にずらしてください」
光がゆっくり移動する。茶色の魔力のところで止める指示を出す。茶色の魔力が強まる。また見つけて移動する。それを何度か繰り返した。
雨上がりの空が白み始めてきていた。
「このまま続けます。出し惜しみせず力を注ぎましょう」
私の脳裏に実際に見えない負傷者の映像が浮かぶ。
「負傷者が助けを待っています。回復の魔力がきっと役に立ちます。改めて光に回復の魔法を乗せてください」
「分かったわ」
エレノアが答えた声は疲れていた。が、頑張ろうという気持ちが「ヒール」の呪文にこもっている。
「大丈夫よ」「問題ないわ」「任せて」「余裕よ」
私の信頼する仲間は頼もしい。
いつの間にかエレノアの光を私がコントロールしている。言葉だけは出して方向を示す。魔法が使われている箇所に重点的にあて、回復と復元の粒子を舞わせる。
夜が明けたが、太陽の光は拝めない。私たちの魔法の光だけが下町を照らしている。
私の目に川なのか道路なのかが分からない水面が一面に広がっている光景が映る。
タンタンタンタン。
階段を誰かが上ってくる。
「エレノア様、ありがとうございます。もう五時になります。光の魔法はもう必要ありません」
ミラー隊長の声だ。
「今、エレノア様の光は、照らし出す明かりだけではございません。回復の御力が込められています」
私は拒否した。
「何と……」
「魔力が続く限り、下町に私の力を注ぎます」
エレノアも応えてくれた。
あれから何時間が経過したのだろう。
王宮の朝一番の五時の鐘が鳴り、二番、三番、八時まで聞いた。
エレノアが跪いた。
「もう限界みたい」
「ありがとうございます。よく頑張っていただきました」
エレノアがすっと瞼を閉じた。
「もう眠い」
アニーが私たちの心の声を表に出してくれた。エレノアをミラー隊長に任せて、私たちは自分の部屋に戻って眠った。
「ナナ様、王太后様がお呼びです」
侍女のラナーナに幾分きつい声で優しくない起こされかただった。布団がなくなっている。いったい何事なのよと寝ぼけた頭では考えが回らない。あれ、王太后様と言われたような。目が覚めた。
着替える衣服が既に用意されている。
「王太后様のご手配です」
支度を整えて、前回会った無表情の執事の前を指示通り歩く。
「こちらです」執事が私の前の扉を開ける。
部屋に入っていく。
「ナナリーナ様をお連れいたしました」
「ありがとう」
王太后様の軽やかな声が聞こえた。
「ご機嫌うらわしゅうございます」
淑女の礼を取る。
「気楽になさって」
顔を上げる。王太后様のそばに大公様とハリーお兄様がいる。どういうことなのだろう、まだ頭が回らない。大公様は親子、何故ハリーお兄様がいるのかが分からない。
「深夜からたいそう頑張ってくださったようですね」
既に王太后様はご存じのようだ。
「ミラーから聞いているわ、今朝までのこと。エレノアにたいした力はないわ。あなた方の力でしょう」
「大被害を受けた下町が見つけた一筋の光が王宮からだと分かって、皆が感謝している」
大公様が優しく頷いた。
「金と月の光の粒子が舞っていると、元気づけられたらしいわ。魔力が枯渇せず、ずっと保った人が多いらしいわね。よくまあ、監視塔から下町を覆ったわね。ケガ人も相当治っているわ。規格外の力ね」
王太后様が呆れたようでありながらも嬉しそうに言った。
「私だけの力ではありません」
そうだまだ真珠のお礼を言っていないことに気付いた。
「ジュリアへお貸しいただいた真珠のおかげです。それにアニー、マイア、ニーヴへも真珠をお貸しいただきありがとうございます。お礼が遅くなってすみません」
「いいのよ、みんなからも丁寧な礼状を頂いたわ」
私からも礼状だけは先にお送りしてある。
ゴホン。大公様が咳払いをした。
「そうね、すぐに対応しなくてはならないことがあるわ。ナナさん、ハリーさんから正式にサンダー家としてこの災害に対する建白をしたいと申し出があったので、私の方からハリーさんだけではなくナナさんも同席してくださいとお願いしたの」
「分かりました」
「では説明いたします」
ハリーお兄様が低く張りのある声で話し始める。
「今般の大洪水で川沿いにある食料倉庫が壊滅しています」
「え、どう言うこと、詳しく話して。私のもとには何もまだ連絡はないわ」
ハリーお兄様が神妙な顔つきで続ける。
「私は昨日の晩からサンダー家のタウンハウス敷地内に住む人員で下町にて警戒に当たっていました」
「それは……」
王太后様、大公様二人が絶句する。本来はその役割は王都の行政が担うはず。否、王家・王宮から指示があってもおかしくない。
「狂犬病の対応から行政が何もできないことは予測できましたから」
はっきりと言う。
「しかし、私たちでも水の勢いを止められませんでした。人を救うのに手いっぱいでモノまでは手が回らなかった。それだけの大洪水だったのです」
「知らなかった」
「無能な宰相を選んだツケが何度も回ってくるようね。早めに次代のカーディガンに代えた方がいいわ」
三年生の頭脳派エリオットの家名はカーディガン、父親が次期宰相と言われていると聞いたけれど、早まるようだ。
「川沿いの食料倉庫群は王都の半分を賄う。それが全滅とは……」
「今アナベル王女たちが炊き出しを行っているようですが焼け石に水です。食料がなくなるという情報はあっという間に伝播します。食料に群がり襲ってくる輩が現れます。護衛が片付けるでしょうか、そうなれば暴徒化する恐れがあります。素人がやるのは今後、危険があります。兵士や教会に任せるべきでしょう」
「分かりました。早急にアナベルに申し伝えましょう」
「食料は、今はまだいい。あと一、二か月は節約し我慢をすれば、何とかもちそうだが……、それ以降は各地からの収穫を早めてもらえれば回復できるはずなのだが……」
「無理ですね」
「そうだな。ないと分かった時点で人々は食料を求めて買いだめに走るだろう。節約はお題目だけで誰も守りはしないのが世の民の常といえるからな」
一旦大公様が楽観的な意見を述べた後、お兄様の一言に、一転そうならざるを得ない現実的な発想をした。
私も同感だ、悲観的になってしまう。このままでは食べ物を求めて争いにならないわけがない。王都は集団ヒステリー状態に陥る。
「食料が必ず来ると言う保証がない限り、民衆を抑えることは不可能です」
「その解決策をハリーさんはもっているのね」
「はい」
お兄様の力強い一言。
王太后様が優雅に仰いでいた扇子をパシリと閉じた。
「サンダー領から一か月以内に輸送します」
「高値で買わそうというのかしら」
ハリーお兄様が首を振る。
「通常のお値段で継続的に輸送します。ただし条件があります」
「普通に輸送できるならそれに越したことはないわ」
「普通の輸送ができるとお考えですか?
「盗賊の餌食ということだね」
「兵士に輸送の護衛を付けるわ」
大公様の盗賊が現れるという対策を王太后様は示した。
「毎回するのは物理的に困難では?」
「……」
「専用道路を造りましょう。盗賊も簡単には襲えない馬車専用道路です」
これか、お兄様の目論見が分かった。
「サンダー領まで造れば、そこから先の領都シルバスタニアまでは既に専用道路は開通しています。さらにサンダー領内は専用道路が網羅されています。食料を二日以内で継続的かつ安全に領都から王都まで運べます」
「その許可を与えて欲しいということね」
「母上、今は緊急事態です。それにこの専用道路は今だけではなく将来的にも王家、サンダー家、双方に利益をもたらします」
「サンダー家の独占になるわね」
「いいえ、王都領から領境までは一緒に造りましょう。当家は建設費用のみで構いません。後々の運営は、王家領側は王家で行っていただいて構いません。サンダー領内は当家のものですが」
お兄様が好条件を提示しているのは私ですら分かった。
「ノウハウも提供いたします」
「それはお高いの?」
「いえ、ノウハウは無料で構いません。実際に作成した物や構築物に関してだけは頂戴いたします」
「それだけでよいのか」
「はい」
お兄様が言質を与えた。これは相当の譲歩なのだろうか? いやいやこの人は魔王だ。それだけではないはずだ。きっと何かがあるのだろうが、今の私には分からない。
「ナナさんもそれでよろしいですか」
王太后様の確認に、私も「はい」と答えた。
「分かりました。今から王のもとに行きましょう。馬車専用道路を早急に造る許可を得ます」
遂にお兄様の念願が動き出す。
「ついては私からも一つだけ条件があるの」
王太后様がにんまりとして言った。
「サンダー家のお一人を私にいただけないかしら」
「どういうことでしょうか」
お兄様が訊く。一瞬嫌な予感に襲われる。私を第一王子の婚約者としたいと言い出すのでは、と。
「西家のクロエはご存じかしら」
お兄さまに訊く。話が明後日の方向にそれた。
「ええナナと同じクラスだと」
「そうよ、そしてとてもナナさんにお世話になりました」
お兄様が頷く。火傷痕治療のことは報告してある。
「彼女は今年十五歳、そろそろ婚約の話が出てもいいころなの。西家の次期当主となる彼女だから、早めに決めておきたいのよね」
私ではなく、クロエなの。それがどう当家にかかわるのだろう。
「サンダー家の次男、ノアさんに婚約者になって欲しいの。将来は西家にノアさんをお迎えしたい、それが私からの条件」
心底驚いた。私でもハリーお兄様でもなく、ここにいないノアお兄様とクロエが結婚する? 二人の接点はあったのかしら。そっと隣を窺う。
お兄様の目が細くなっている。さすがに意外だったのだろう。頭の中がフル回転している時の顔付きをしている。
「ノアが西家公爵となるのでしょうか? 西家当主としての地位はクロエ様、しかし爵位はノアが引き継ぐ」
「分かりました。検討しましょう」
王太后様とお兄様が高度な政治的取引をしたようだ。
「では王の許へまいりましょう」
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