三十九話 セントラル大陸暦一五六五年 夏 七/九
スカッとしない空模様。
「暗雲が立ち込めている」
「向こうも一緒でしょ」
「そりゃそうね」
アニーとジュリアの会話に力が抜けた。
昨日と同じ時間、同じ場所、同じ格好でフェイスベールを着けて号砲を待っている。足元には今日はアリがいないようだ。曇りの日は休んでいるらしい。トンボや鳥が低い位置を飛んでいたから、ひょっとすると夕暮れには雨が落ちてくるのかもしれない。
号砲が鳴り、一斉に南側エンドラインへ向けて走った。
魔石の周りに二十一人が囲む。みんなの顔に余裕が見える。昨日の経験が自信につながっているのだろう。
「ハイ、息を吸って……、火の魔力を込めて」
瞬く間にほぼ四分の一が赤に染まる。
続けて『水』『風』『土』と順番に魔力を込める。四拍で一石も残らず染まった。昨日のように色のない石はない。
上級生から順番に魔石を取ってゆく。
「クロエ様のことは頼んだ」
昨日第二食堂にいた上級生に声をかけられた。
「分かりました。皆さんも終盤まで力をため、一気に押し出してください」
いつも論理的な思考をした赤茶髪の上級生と目が合った。
「承知した。ただ、開始早々だけはうちが審判員の数が多い分有利だから、できるだけ叩いておくよ。後は臨機応変さ」
「お願いします」
昨日は二十人の審判が各々三列の生徒を十から二十秒ほどでさばいてくれて、判定は三分ほどで全員が終わっていた。西家の審判は生徒数二十五人に一人なので十人、開始早々は倍の人数で攻められる分有利だ。今日も順調に魔石の判定作業が捗っている。
上級生がフィールドへ入り、敵側北エンドラインに向けてクラス毎の塊となって駆けてゆく。上級生約三百人の魔石判定が済むと下級生二百人の番だ。土魔法が使える生徒から戦場へと向かう。私たちが入る頃には土壁が既にできていた。
壁の強化をすすめる。壁の補強を念入りに終えてから、昨日と同様壁に上がれるかをリーダーに訊くと「問題ない」とのこと。守備側二〇九名が全員壁を上った。
近衛を含む壁下要員に、壁に上がれば今日は魔力壁をお願いする可能性が高いと、集合時に既に話してある。昨日第二食堂にいた人が多いので、クロエの幻の魔法の話を知っている。戦法が変わることに異議を唱える人はいなかった。食堂にいなかった人も後で聞くように言ってある。
開始から十分程が経つ。
リーダーのそばに五人で近づく。今日も目の前には氷の壁が作られている。
「終盤、西家の令嬢が襲ってくるのですね」
彼も昨日第二食堂にいた。
「クロエ様のことはよく知っています。今日は彼女が来たら私にあなたをサポートさせていただけますか?」
「具体的には?」
「やりようは昨日と同じでいいです」
「複数人の集団で来れば、ナナ式魔力壁で分断して水魔法で対応ですね」
「そうです、魔力壁を分断して水魔法を発動するタイミングは、クロエをよく知っている私が正確に出せます。昨日のクラーサ家の暴れん坊と、クロエでは相当違いますから」
「それは、ありがたいですね。よろしくお願いします」
「それと、氷壁も強くし狭間を開けさせてください。水魔法を五人ともそれなりに使えますから」
「頼もしい」
リーダーにこだわりがあまりなくて助かった。
「戦況はいかがでしょうか」
リーダーが顔を緩めた。緊張していたの? そんな風には見えなかった。
「先制攻撃が効いたようです。相手を四、五十名無力化できたと思います」
赤茶髪の上級生が言った通りにことが進んでいる。
「そうすると、現時点で攻撃隊三〇〇対西家二〇〇ほどですか」
「ええ、優位に立てました」
「ますます、クロエ様が幻の魔法を使うしかない状況ですね」
「終盤まで隠せないかもしれないですね。今もうちの攻撃陣が手を緩めていないようですよ」
リーダーが話す。私も頷く。上級生は先制攻撃でより高まった数の優位性を生かして守りに徹せず臨機応変に戦っている。最前線での槍部隊の活躍が目立つ。後ろから魔力壁を複数人で覆ってもらい、相手をつぶしている。私たちとの戦いで学んだことが活かされている。
私は今のうちに、目の前の氷壁に狭間を開けて、強度を高めた。
王家領の槍隊に西家が耐えられなくなってきた。まだ時間は二十分も経っていない。一五〇人を割り込み、人数比は二対一ほどになっている。
炎の火柱が突然三本立ち上がった。
観客席から「ウォー」という驚きの嵐のような大歓声が上がる。割れんばかりの拍手が続く。王都民にとっては王家領が地元だが、ここまで優勢だと弱者へのひいき心が湧くのだろう。
「これがクロエの炎の大魔法だわ」
「一か八か、もう耐えられなくなってきたようね」
私の言葉にジュリアが続いた。
「動くぞ」
リーダーが大声を上げた。
西家の集団から三柱がこちらに向かってくる。周りに十数人ほどがいる。
「大きいぞ」
向かって左から十メートル、八メートル、六メートルの高さがある。
「魔力壁を準備してください。近衛含む壁下要員全員で」
壁下の一〇〇人が元々の壁上の魔力壁作成隊の五〇人に追加される。私のアドバイスにリーダーが大音声を発する。
「魔力壁準備開始、近衛隊含む壁下要員も魔力壁準備開始。残りの水魔法隊、迎撃準備開始」
水魔法隊は壁上要員一〇〇人の残りの五〇人。破壊の土魔法組も水魔法隊になる。もし敵が階段を作ってきた場合は、破壊する役割もこなす。私たち五人は状況に応じて対応する。
壁の十数メートルほど先で十数人を前衛にした炎の三柱が止まる。炎が十数人を防御するかのように囲っている。
「炎が魔力壁だと思ってください」
私の鋭く言う声にリーダーが反応する。
「ナナ式魔力壁開始、ターゲットは炎の中の先頭二人」
一五〇人の魔力壁が炎に侵入する。
――よし、できる。
「水魔法を」
「水魔法発射」
先頭の敵のビブスが黒へ変色する。
「魔力壁、ターゲット左端二人へ」
魔力壁が左端の敵へ移動する。
「水魔法を」
「水魔法発射」
三柱の周りは一年一組の生徒だった。二人ずつ削っていく。何とか土魔法で階段を作ろうとしているようだったが、誰もが作り終えられなかった。
三柱の中央はクロエ、左はタイラー隊長、右は知らない人、多分三年のフィンリーという方だろう。
――どうするクロエ。この壁は崩せないわよ。
クロエが天を仰ぎ、そして九十度反転した。そこには王家領の攻撃陣、生存している半数が控えていた。残りは敵の残存兵狩りの様相を示していた。炎の三柱と約一〇〇名が対峙する。クロエの赤の魔力が膨らんだ。
――これは相当大きな攻撃魔法を発動する。
直感した。
「魔力壁を、三柱を越えた五メートル先へ展開させて」
「魔力壁、炎の三柱前五メートルへ移動」
「氷壁を消したら、クロエに水魔法を放って」
周りの四人に指示を出し、氷壁を消す。クロエが後ろを向いているなら狭間を利用する必要もない。
「ウォーター」
四人が水魔法を発射すると同時に魔力壁がクロエの前に展開できたと見えた瞬間、クロエの炎の魔法が炸裂した。
魔力壁が保ったかと思えたが耐え切れず消滅し、炎が一〇〇名の王家領の攻撃陣へ襲いかかった。あっという間に三〇名ほどのビブスが黒に変色した。クロエに近い列の生徒だけの犠牲で済んだのは魔力壁がそれなりの効果を発揮したのだろう。
三柱の炎が消えていた。クロエが倒れている。ビブスの色は黒だった。私たちの水魔法がクロエを捉えていた。クロエが魔法を放つ瞬間、炎の障壁がほとんど見えなかった。攻撃に魔力が取られていたのだろう。
ドーン。
終了の号砲がなる。一瞬何もかもが止まったかのような間が空いた。
観客席から王家領が勝ったことへの大歓声が上がった。
――勝った。
クロエの元に王家領の女性が二人向かう。
アナベル王女様と
クロエが立ち上がる。無傷のようだ。
――よかった。クロエは何ともない。
観客席から再び大歓声が上がり、続けて大きな拍手が湧き起こる。それが鳴りやまない。
私たちは壁を下りた。
遠くでピカっと光るものが見えた。遠雷だ。ゴロゴロ、ゴロゴロ。後から音が追い駆けてくる。
「先輩たちクロエの炎をまともに食らったけれど大丈夫かしら」
マイアが心配する。
「治療室に行ってみましょうか」
ニーヴが応じる。治療室にはベケット先生が詰めている。
治療室に着くが、火傷治療に訪れる生徒はいない。
「王家領の生徒が火傷してこちらへ来ていないのですか?」
私はベケット先生に尋ねた。
「ビブスが優秀なのよ。魔法から守ってくれる機能が付いているのよ。というか、今回は魔法の火を取り込んでくれたというのが正しいかな、他の魔法からも守ってくれるわ。ただ衝撃だけは無理だけどね。それは生身に堪えるわ」
クロエが倒れたのは私たちが放った水魔法の衝撃か、自分の放った火魔法の魔力切れのせいなのかは分からない。
「だけど今回クロエ様が放った魔法の威力は桁違いに強かったから、ビブスがダメになったかもしれないわ。普通は再利用できるのだけれどね。数人から十人ほどを一回の魔法で倒すのはたまに聞くけど、三十人を一度にというと聞いたことはないわね」
魔力壁があってその数なのだ、その威力がいかほどのものかは計り知れない。ビブスが優れているといっても、直撃されたらと思うとちょっと怖くなる。
私たちはベケット先生から説明を受けて、王家領の寄宿舎へ戻った。
外は激しい雨が降っていた。
「濡れ鼠のヴィーナスになっちゃったわ」
「水も滴り過ぎるイイ女ね」
「ちょっと降り過ぎじゃない」
「明日は雨天中止、順延、それとも決行するのかしら」
アニー、ニーヴ、マイア最後は冷静なジュリア。
夕食前に
「学院側に確認するわ。通常は小雨決行、それ以外は順延よ。それと今日は反省会と決勝の作戦会議を夕食後、八時から第二食堂で行えるようにしたわ。昨日第二食堂にいた人は座って、それ以外の生徒は立ってもらう」
第二食堂の定員は三百名、第一食堂の二百五十名より五十名多い。上級生たちが気を使って下級生を優先してくれるようだ。
「明日の決勝は順延が決まったわ。学院側が早めの決断をしたみたい」
夕食後アンナが第二食堂で話し始めた。立っている生徒は上級生の男子だった。なかなか紳士的なふるまいをしてくれる。
外はいまだに激しい雨が降り、雷も鳴りやまない。
「この雨じゃ仕方がないね」
「先ず今日の報告ね。準決勝のもう一試合は予想通りサンダー領の勝利、それも完勝よ。女王役は五年のソフィアさんだったわ」
子供のころ遊んだ緑の髪の優しげなお姉さんだった気がする。
「サンダー領一八〇名、北家三〇〇名が激突した戦い。サンダー領は壁を自陣から二十メートル位置に作り七十名で北家攻撃陣一八〇名から守り切ったようよ。壁を乗り越えさせなかったわ。予想通り一年生と四年生が守り、壁が強くて崩されず、階段を作られれば壊すという戦いで、北家攻撃陣が方向転換しサンダー領の攻撃陣を背後から襲おうとした時には既に味方の王のジェームス君がサンダー領のノア君に討ち取られたわ。北家は壁を最後まで作れなかったみたい。隙間から入られて、逆に隙間を埋められたらしいわ。サンダー領一一〇名対北家一二〇名じゃいくら優秀な一年生でも万事休す。試合時間はたったの二十分だった」
「決勝の課題は二つだね。一つは攻撃、守備の人員を約三〇〇人、二〇〇人を見直すか。もう一つは壁を作るまでの間の守備をどうするか」
赤茶髪の上級生が発言する。
「次期宰相と名高いカーディガン家のご長男、三年一組のエリオットさんよ」
「決勝の前に今日の反省をすべきか?」
「今日はうまくいったのではないか。反省する点があるかなあ」
「みなさん、今日反省する点はありますか」
アンナがみんなに訊くが、誰も発言しない。反省と言えば昨日反省会と準決勝の作戦会議をしなかった点しか思いつかない。
「ないようなので明日の決勝の話とします。先ほどカーディガン君の言った点を検討しましょう」
「うちの守備が二〇九名、敵の一一〇名に数の上では対抗可能だよね」
「力は、強いといわれる二年と三年それにハリー君のいる五年、厳しいかもね」
五年の女子がそれぞれ発言した。
「ノア君が、北家の守備陣を土魔法で屠ったって聞いたわ」
「そうそう、何人もが生き埋め状態だったって」
「そうか、ちょっとそれは大変かもしれない。土魔法で壁を地面ごと崩されたどうなる?」
「そんな強力な魔法があるのか?」
「いや今、北家への戦いを聞いてふと思ったのだが……」
私は手を上げる。みんなが注目する。
「あり得ます。ノアお兄様なら壁ごと地面を崩す魔法を発動できます」
「……」
私の言葉に第二食堂は息をのんだ。
「対策はあります。地面ごと強化すればノアお兄様といえども、やすやすと崩せません」
「それは任せていいのかな」
「かまいません。私たちで行います」
「では編成は攻撃陣が正確に言うと二九一名、守備陣が二〇九名で変えなくていいですね」
「いいと思います」
私の判断で第二食堂の意見は一致した。
「後は壁が来上がるまでの壁作成隊の守備をどうするかだ」
「昨日と今日は相手が来る前にできていたので問題ありませんでした」
「予定では魔力壁を後ろから覆ってもらい壁作成隊が土魔法で壁を作成することになっていましたが、昨日も今日も敵が全く来なかったので、魔力壁作成隊が来る前に作り終えました」
サンダー領相手ではそんなわけにはいかない。
「フィールドに入る順番は、五年、四年、三年の次に壁作成隊、魔力壁作成隊、その後に守備の二年、一年生となっています」
「魔力壁作成隊が来るまでは三年の約一〇〇人が壁作成隊を守備する方法が合理的だな」
「そうですね。うちは壁作成隊が出てくるまでにフィールドにいる五年、四年は約二〇〇人です。対してサンダー領のフィールドにいるのは攻撃隊の五年、三年、二年の約一〇〇人。彼らをうちの二〇〇人が攻撃し、極力センターラインを越えさせない、かつ隙があれば向こうの壁の作成ライン二十メートルに入ることを方針としましょう。敵だって壁を作る要員を守るために人を割くはず、そうなればますます数の力が有利に働く」
「それでも抜けてきたサンダー領の攻撃隊を三年生が三十メートルラインを越えさせないように、死守する」
「三十メートルが土壁のラインだから三年生は四十メートル付近、センターラインから十メートル自陣寄りで守ってください」
「壁ができれば、三年生も攻撃に廻ってくれ。守備は一年、二年の二〇九名に任す」
決勝の作戦は決まった。後は明後日の天気だけだ。明日は一日休養する。
朝起きても雨が降っていた。止みそうな気配はない。学院の早めの決定は正しかったようだ。
「ここに来てから食堂以外行ってないわよね」
アニーの好奇心にみんなが賛同した。昼食を終えて第二食堂を出ると
「どちらに行かれるの」
と訊かれたので、寄宿舎内の見学と周りを散策したいと言うと案内を買って出てくれた。エリオットは女子の中に一人の男子が気まずかったのだろう、「じゃね」と言って私たちから離れた。
寄宿舎内を見学した後、あいにくの雨、渡り廊下を歩いて他の建物へ。
背の高い火の見櫓に、警報塔がある。その先にはさらに高い塔がそびえたっている。
「あれは何ですか?」
「監視塔、物見やぐらよ。今じゃあまり用はないけれど、兵士が敵を見張る役割があるからひときわ高く作られているの。行ってみます? 上らせてもらえますわよ」
みんなで見に行った。
「こんにちわ、ミラー隊長」
「エレノア様、いらっしゃいませ、今日はお友達ですか?」
「ええ、賓客よ」
王宮に生まれ育ったエレノアは顔が広い。
監視塔の最上部へ上らせていただいた。
アニーが床から垂直に立っているT字型の円環状に連なる棒を見て訊く。
「これは、来客者が見晴らしを堪能するのに腰掛けるものですか」
苦笑いをしながらミラー隊長が答える。
「いいや、兵士たちの背もたれですよ。長時間監視する必要があるので、疲れないようにするためです」
合理的に作られているよう。
背もたれの前にまわり外を見る。高い、でも今日の天気では眺望が利かない。
「晴れていればとても見晴らしがよいのですが」
「次回を期待いたします」
「また今度いらしてください」
ミラー隊長はよい人のようだ。私たちは散策を終えて寄宿舎に戻った。
夕飯は、はじめて第一食堂で取った。
「降りやまないわね」
「やまない雨はないわ。必ずいつかは降りやんで晴れるのよ、アニー」
「身も蓋もないこといわないで。ジュリアは理屈っぽいんだから」
「でもとても勢いが強いわ。怖いくらい」
マイアが顔をしかめる。そんな彼女の顔は珍しい。出身地の鉱山の町グラスベルグにとって雨は鬼門、坑道に水が入れば大事故につながってしまう可能性がある。そんな思いが表情に出たのかもしれない。
それにしても昨日の夕方から丸一日降りっぱなし。
でも私たちにとってはいい休養となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます