三十二話 セントラル大陸暦一五六五年 春 五/五

 学院への道すがら、風が暖かさをはらみ、春の陽ざしの中を、樹々の瑞々しさを味わいながら歩く。

 掲示板に人だかりができている。

「何かしら」

 マイアの疑問の言葉すら聞かずアニーがもう掲示板へと行きついていた。戻ってくると、よく分からなさそうな口調で話し始めた。

「今年の三学祭が中止のようよ」

 毎年四月下旬に行われる三学祭、我が校と王立官兵学塾と聖騎士学校が集う武道大会が狂犬病のため準備がままならず中止となった、と掲示されていたらしい。

「代わりに、五年生による、個人総合競技会を学院の競技場で四月三十日に実施することに決まったって」

「個人総合競技会って何するの」

 マイアが訊く。

「それ以前に三学祭って聞いたことあるの?」

 ニーヴがマイアだけでなくみんなに訊く。

「はじめて聞いたわ」

 私が代表して答えた。サンダー領生まれの四人は首を傾げている。

「王都の人じゃないと馴染みがないかも。官兵学塾、聖騎士学校は知っているわよね」

 それは私でも知っている。学院に入れなかった人でも優秀な人はたくさんいる。その受け皿がその二校で、将来は官吏や兵士、聖騎士または実業の世界へ進む。卒業生となればそれなりの敬意を払われる。

「毎年その三校で剣術、槍術、弓術、格闘術、そして一番の花形競技の総合競技を個人戦で争うのよ。剣術、槍術、弓術、格闘術は魔法禁止。総合競技だけは何でもありなの、魔法も許されるのよ。だからすごい人気で、会場の王立競技場はいつも満員、プレミアムチケットよ」

「私たちには関係なさそうですね」

「場所が学院の競技場では、代わり映えもしないですし、見学してもねえ、闘っている人には申し訳ないですが、あまり興味はないわ」

 マイアとジュリアは気乗り薄そう。

 教室に入ると、早速王家領のクララやって来た。

「三学祭の件、中止で代わりが五年生の個人総合競技会って聞きました?」

「ええ、五年生だけの参加って、思い出作りでしょうか」

「リットン生徒会長がゴリ押ししたって専らの噂よ。ハリー様に一矢を報いたい、と望んだとか、無理に決まっていますわ」

 クララが淑女らしからず、まくしたてる。

「ハリー様の三学祭での連覇が見られませんでしたが、これで見られますわ」

「ハリーお兄様が昨年の覇者だったのですか」

「それも知らないの。一昨年が準優勝、去年が優勝よ。ちなみに一昨年ハリー様が敗れて優勝したのがザイアー家のハリソン様」

 お兄様が三年生の時に負けたのか、あの態度も頷ける。

「その時からですか? 噂の二人と言われたのは」

 王都住まいのクララに訊いた。

「そうね、しばらくしてからだったと思うわ。アナベル王女様のお相手候補として名前が挙がってきたのは」

「同学年では無敵との噂ですから、あの馬鹿リットン会長をコテンパンにしていただきたいわ」

 入学式での金剛杖の威圧のイメージが最悪のようだ。

 その後、アニーが色々と情報を集めてくれた。

「ルールは基本四魔法だけ、それにオリジナル魔法は禁止。習得方法を開示するなら許可されるようだけど、マンドレイクは開示しないよね」

「「しません」」

 開発者のニーヴとジュリアが速攻で拒否した。風版を無詠唱無呪文で使用したら今の学院生では誰も敵わないのは確か。

「最初に空の魔石を四つフル充填しないと闘えないんですって、威力が高いと危険だから少しでも弱めるためらしいわ。だから参加者は魔石四つを三十秒以内にフル充填できる事が条件。攻撃は防具の箇所だけ、効果を審判が判断し、点数化するそうよ。もちろん一撃で倒れたり、相手が逃げ続けたり、戦意喪失しても終わり」

「防具のないところに当たったらどうするの」

「反則で減点だって」

「魔道具は?」

「三学祭の時は、学院以外の魔法を使える生徒が少ない二校は持ち込み可能らしいわ、だけど学院生は持ち込み不可よ。魔道具でない剣、槍、弓などは三学祭でも持ち込み可能なので今回もいいみたいよ」

 アニーとマイアの会話でルールを理解した。

「優勝候補はもちろんハリー様、続いてリットン会長か西家のタイラー様、それと弓の魔女と言われる南家のご息女イザベラ様と言われているわ。観客は学院生徒と教職員と招待客、それと参加者が申請すれば一般の方も観覧可能なようよ」

 私たちはハリーお兄様の勇姿を見るため行くことに決めた。


 個人総合競技会前日。

 朝食後、ハリーお兄様に呼ばれて応接室へ行くと、ベケット先生がいた。

「お久しぶりです」

 先生に会ったのは久しぶりだった。しばらくサンダー領へ狂犬病の薬の件で出向かれていた。サンダー領へは王太后様の下で『狂犬病対策』原本から写本したモノを送っている。

「サンダー領は如何でした?」

 私を見ながらにんまりとする。

「びっくりしたわ、馬車で四日かかるところが、なんと二日で着いたのよ」

「どういうことですか」

「王都からサンダー領に入るところまでは今まで通りだったけれど、サンダー領に入れば領都までは馬車専用道路ができていたのよ」

 隣にいたハリーお兄様が説明を加える。

「以前、父上に王都と領都間に新道路を造りたいとお願いした件さ、サンダー領内だけは完成し、大公様をお迎えして四月に開通式を行った」

 知らなかった、はじめて聞く内容に、些か驚いた。大公様がいらっしゃったということはお兄様のことだ、ジャスミン絡みでしっかり巻き込んでいるような気がする。

「王都からサンダー領までの道はまだだ、今、各方面と調整中だ。そのうちナナにも頼むことがある、その時は手伝ってくれ」

「分かりました」頼まれれば断れやしない。

 お兄さまは着々と事を成し得ているようだ。

「王都では利権が相当絡みますから、よっぽどの強権がないと難しいかもしれませんね」

 それで大公様に御出座おでましを賜ったのか。大公様、ジュエルタウンでの褒美が高くついたのでは、とこちらが心配になる。

「道路よりも今日は、狂犬病の話だ」

 そうなのだ、今は狂犬病の方が気になる。先生の話を聞こうと態度をあらためた。

 再度先生が私を見て笑顔を深める。

「朗報よ。サンダー領で狂犬病の新薬ができたの。犬の予防対策用と、人用の治療薬。今日ハリー様に同行してもらって対策室で内々に試験してもらうよう要請するの」

 そう言えば、唾液採取チームもこちらから要望する前にお兄様の方で対応してくれていた。新薬の開発を目論んで、深慮遠謀に進めていたのは、間違いない。

「根回しは済んでいる。大公様、王太后様から許可をいただいている」

 こういうところも、さすがだ。明日の試合のことなんかお兄様にとっては眼中にないように見える。

「分かりました。もう一歩ですね」


 そして個人総合競技会当日を迎えた。

 早朝、私たちはいつものように徒歩で学院に向かう。

「おはようございます」

「おはよう」

 ベケット先生と一緒になった。

「昨日に続いて今日も対策室ですか?」

「今日は、競技会でケガをした生徒を治療する担当なのよ」

 ベケット先生は治療もできる優秀な薬師である。

 ワオー、ワン、キャイン、キャイン。

 何匹かの犬の怒った鳴き声。最近あまり聞かなくなっていたのに……。私たちは足を急がせた。狂犬に立ち向かっている男子生徒が一人、後ろには小さな子供たちが何人かいる。一匹の犬が倒れている。もう一匹と格闘している。何とか助けたいが、交錯していて手が出せない。焦るな、落ち着け。

 ガゥルー、ワン。

 まずい男子生徒が手を噛まれた。剣を持つ手首に犬の歯が食い込んでいる。剣が手から落ちる。男子生徒はもう一方の手でこぶしを作りなぐる、力を込めて何回もなぐっている。噛まれた手首から犬の口が外れる。腕を首に回し、思いっきり絞めた。犬の唸り声が聞こえなくなる。息の根が止まったようだ。

 倒れた犬の口から涎、さらに茶色いモヤがえる。ダメだ、この人は狂犬病に罹ってしまった。

「ハア、ハア」

 大きな息遣いが聞こえる。何となく聞き覚えが。誰だ。

「リットン会長」

「ナナリーナ嬢。よかった。子供たちを介抱してくれ。犬には指一本触れさせていない、子供らは絶対に噛まれていない。俺は噛まれてしまったけどな。狂犬病の犬じゃないことを祈るよ」

「残念です。犬の状態から狂犬病に罹っています。会長、すぐに処置できるところへ」

 私たちは小さな子供たちを通学してくる生徒に頼んで、リットン会長を連れて学院の対策室へ向かった。倒した犬は市中の狂犬病を求めて私たちと一緒に徘徊した護衛に任せた。

 受付でベケット先生がすぐに対策室長を呼んでもらう。

 リットン会長がサンダー領製の狂犬病治療薬を接種した第一号となった。

 当日直ぐに治療を始めた。

 子供たちは近所に住んでおり競技会が今日行われると聞いて、見てみたいと早朝から来ていたらしい。彼らは幸いなことに犬に噛まれた傷口は見当たらなかった。リットン会長が身体を張って守ったのだろう、だから『子供らは犬には噛まれていない』と自信をもって答えられたのだ。

 子供たちの盾になり、自分は噛まれ深い傷を受けながらも狂犬病の犬を倒した勇敢なリットン会長。褒めていい。

 学院の個人総合競技会は中止となったのはやむを得ない。

 ハリーお兄様のアナベル王女様へのアピール機会はなくなったが、「是非もない」と素っ気なかった。


 翌日、新聞にでかでかと報道された。

「セントラル学院の勇敢な生徒会長その名もリットン。

 セントラル学院個人総合競技会を見学しようとやってきていた子供たちを狂犬病の犬が大挙して襲うという事件が発生した。その犬から身を盾にして守ったのが競技会優勝候補筆頭と目されたリットン生徒会長である。本人は犬に噛まれながらも子供たちに指一本触れさせずに退治したのだ。

 しかしその代償は大きい。狂犬病の犬に噛まれているのだ。

 リットン生徒会長といえば、第一討伐隊隊長としてアナベル王女様と聖女ライラ様たちを率いて北の森へ入った人物だ。北の森で分かった狂犬病の狼への感染。彼自身はアナベル王女様を守って王都へ走ったのだ。翌々日狂犬病の狼と最初に闘ったのは第七小隊。場所は担当エリアの最西端であった。その時、第一討伐隊は担当エリアの最東端にいた。隣り合っており、距離は約五百メートル。狼煙を見て急行、まるで示し合わせたかのような動きは、両者に伝令を向かわせてこそできる連携作戦としか思えない。関係者は軍の作戦上、口をつぐんでいるが、それができたのは王都に戻ったリットン生徒会長だけしかいない。知謀で鳴らした前元帥リットン卿の孫となれば、あながち的外れではないはずだ。彼こそがあの時の最大の功労者だったのではないか。

 対策室では、この勇敢な生徒をみすみす死なすわけにはいかないと新薬を使うことをきめた。私たちは祈ろう。彼の回復を」

 そして二十日後、リットン会長は助かり元気になって、無事退院できた。

 新聞は言った。

「優しきリットン青年、天は見放さず。

 狂犬病の犬に噛まれ治療中だった、セントラル学院リットン生徒会長が退院した。狂犬病から奇跡的に回復したのだ。新薬が功を奏したのだ。そして彼の子供たちを守った勇敢な行動は、絵本になることが決まった。永くその功績は称えられるだろう」



 五月下旬。

「野犬も六百匹以上が処分されて、狂犬病感染者数の増加の勢いも衰え激減したわ」

 ベケット先生が寄宿舎裏の研究室で私たち五人に説明してくれた。

「少しだけホッとしますね」

 みんなの気持ちを私が代弁した形だ。

「それでね、犬の狂犬病予防接種の義務化が発表されることになったの」

 先日聞いていたベケット先生の作った薬が予防対策として正式採用されたのだ。以前からハリーお兄様がサンダー領の中央病院の先生方に協力を要請して完成させていたものだ。ベケット先生は私たちが作成したレシピを持ってサンダー領に出向いていたのだ。

「おめでとうございます」

 私たち五人の声が揃った。先生の努力が実を結んだのだ。

「それと、人用の狂犬病治療薬も王都の学院附属病院のみなのだけれど、名目上は試験として感染者に注射すると決まったわ」

 予防薬と同時に鶏卵を利用した人用の狂犬病治療薬も完成して対策室に予防薬と一緒に提供していた。リットン生徒会長を治療できたのもこの薬があってこそだ。これはサンダー領で製法を秘密にして作ったらしい。

「試験に合格すれば本採用される見込みよ」

 実質はこれしか治療薬がないので感染者は死を待つか、この薬を注射するのかの二択しかない。

 全てサンダー領ブランドとすることで製法も秘密が保持され、鶏卵業界からの横やりもなさそうだ。

「侯爵様から、ご褒美をいただけるそうなの」

 先生が、何となく言い難そうにしている。

「私だけらしいの……、みんなの力があってできたのだから、困りますって言ったのだけれど……」

「先生がいなければできなかったのですよ。遠慮しないでもらってください」

「男爵位叙爵って言われたのだけれど。いいのかなあ」

「もちろん、堂々と『女男爵になりました』って、胸を張ってみんなに伝えればいいのです。是非、受けてください」

 私が言うと、ジュリアもニーヴもアニーもそしてマイアもそれぞれが祝福した。

「先生のドヤ顔が見てみたい」

「胸を張って自慢してください」

「反り過ぎてひっくり返らないでくださいね」

「ご家族の方も鼻高々ですよ」

「ありがとう、家に帰ったら、両親、そして祖父母に言うわ『ひいおばあ様から授かったノートがもたらしてくれた男爵位よ』って」

 そうなのだ。あのノート……。

 おばあ様とおじい様が瞼を閉じ、母親のことを思い出している姿が目に浮かぶ。

 ひいおばあ様の努力の証、それを祖父母が繋いでくれたのだ。教会に連れ去られたひいおばあ様、ノートを必死の思いで守ったおじい様とおばあ様、ようやく安住の地、サンダー領で家族と暮らし、生まれた孫、ベケット先生が大輪の花を咲かせたのだ。


 ハリーお兄様にその日の夕食後、食堂で言われた。

「ベケット先生への父上からの男爵位に叙爵、王家も囲い込もうとしたが、先に手を打てた」

 さすがお父様、見る目を持ち、やることが手早い。

「ベケット先生の開発した予防接種は、犬だけではなく、『人』にも、狂犬病以外の他の病気にも応用できるらしい。画期的な医学的な発見だそうだ」

 お兄さまは今、確かに犬だけではなく『人』と言った。『人』へ『予防接種』、そして『他の病気』。ということは……そう冬場、多数の死者の出る年もある流行性感冒や、死病率が高い痘瘡などにも効くのだろうか。そうなれば大発見だ。

「今の王家に囲い込まれても何もできないからな。次に流行性の病気が発生しても今回同様手をこまねいているだけで先生たち開発者を有効活用できず、予防薬も治療薬の援助などできやしないさ」

「薬ができなかったら、弱者は死を待つだけですか……」

「そうならない為にも、うちが有能な人材には十分な支援と報酬を用意する」

 それが今回の当家から先生への叙爵なのだろう。

「今回は、お前たちもよくやった。うちも十分潤う」

 そう言ったきりすたすたと部屋へ向かう。

 ――ハリーお兄様それだけですか。

 お兄様はこの薬をいったいおいくらで販売しているのですか。先生への叙爵はよいとして、私たちへの報酬はいただけないのでしょうか。貢献度は高いと思うのですが……、考慮してほしい。

 最近、ハリーお兄様の仕立てられた服、靴などの品質がやけにいいと思います。一目で高級品だと分かるものばかり。それをいくつも誂え、外出の頻度が高いのでは?

 いったい、どこへ遊びに行っているのですか。私たちはもう市中に出ることもなく、学院と寄宿舎裏の研究室と訓練場を行き来するばかり。

 思いっきり羽目を外したい。

 私の心の声はお兄様の背中には届かない。

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