三十一話 セントラル大陸暦一五六五年 春 四/五
討伐二日目、
討伐三日目、まだ狂犬病の犬に出くわさない。野犬が罠に二匹、その周りに一匹、感染していないが全て対処した。帰り道、未感染の
「北の森に展開する兵士、学院生徒の全部隊に伝令がいった」
「それはよかったです」
無視されなくて、きちんと対応されたことに、安堵の気持ちが少し湧いた。
「狼相手となると剣どころか槍ですら噛みつかれる可能性がある。飛び道具の弓か魔法しかない。それも森の中じゃ火魔法は使いづらい、遠隔からの魔法、水魔法の上級魔法の水か氷の矢で狙い撃つか、風魔法の上級魔法の風鎌鼬や風刃、または土魔法の壁で覆って火魔法で焼くか水魔法でおぼれさせるしかない。かと言って現状各部隊に十分な数の魔術師がいるわけではない」
王都から戻って来た教師がさらに説明する。
「では対応策は?」
もう一人の教師が訊ねる。
「明日一日撲滅作戦を予定通り実行する。狂犬病の狼がいて壊滅できなかったら、再度部隊を弓隊と魔術師隊中心に編成し直して北の森だけ討伐作戦を実施するとのことだ」
「それしかないか」
「それと狼がいたら狼煙と号砲の魔道具を鳴らすことに決められた。その魔道具を預かって来た。私も明日の討伐に同行するので狂犬病らしき狼がいたら鳴らす。狂犬病の症状は狼も犬も変わらんらしい」
「以上か」
「そうだ。各領家のメンバーにはみんなから連絡してくれ」
その晩、私はサンダー領のみんなにその旨を伝えた。
「再討伐でもう一度ここに来るのも面倒だなあ」
ジェイコブが不平を鳴らす。確かに魔法を使える学院生を再度派遣することは考えられる。
「他に方法があればいいのだけれど」
私が代替案を訊く。
「狼って、確か明け方や夕暮れのやや明るい時間帯に行動する薄明薄暮性だったよね」
レオは知識がある。
「だったら一番確率が高いのは明日、狂犬病の犬が死んでいた最深部で野営して狼を待てば来る可能性があるんじゃないか」
チャーリーが大胆な事を言い出した。明後日はここ北の森から王都の学院まで戻るだけか、ならそれもありか。罠は残しておいてもハンダーお爺さんたちがこれ以降有効利用してくれるはずだ。
我が領の生徒たち全員がその意見に賛成した。
討伐四日目、タイラー隊長に昨日のサンダー領の決定内容を話した。隊としてダメならサンダー領だけでやるつもりだった。隊長としての決断を求める。
「狂犬病の狼に出遭う可能性は低いですが遭うと大変危険です。それでも私たちは強行します」
隊長は聞いた瞬間、目を見開いたが、
「ナナリーナ嬢の決定に西家は従います。ご一緒しましょう」
と力強く言い、北家のジェームスを見る。
「北家も同様です。いや一年一組はナナ様と共にあります」
ジェームスが同じ北家領の面々を見遣れば全員が引き締まった顔付きで同意する。
「第一討伐隊は本日の行動を完了後、担当エリアの最深部で野営を行う。これが決定である」
「「「おー」」」
全員が合意した。
「ナナ、女帝と呼ばれる日も近いわ」
アニーの囁きが……、それだけは言わないで。
午前中、一つの罠に犬がかかっていたが狂犬病ではない、その周りに二匹の犬がいたが同様だ。群れにも遭遇した。予防上対処する。今のところ担当エリアの最深部以外、駆逐した全ての犬が感染していない。感染が広まっていない状態が続けばよいと心から願う。
午後、罠を確認しながら今晩野営する最深部に戻って来た。見上げると空は曇り、雨は降ってもぱらぱらとお湿りレベルくらいだろうか。夕暮れ間際、テント設営をし終わり、食事の準備をしている時だった。
ヒューッ、ドーン。
爆音に目を空に向ける。聞こえたのは北か東か。黄色の煙が立ち上る。注意喚起のサイン、今回の意味は狼遭遇を知らせる狼煙である。近くではないが遠くでもない。
「五、六百メートルほどかな」
ハンダーお爺さんが大声を上げる。
「あの地点へ案内できますか」
「セオ、ルカ案内せい。ワシはここで待つ、朝まで来なかったら救援を要請する」
「お願いします」
「槍を忘れるな、弓があれば背負え。全員出発」
タイラー隊長の号令で急ぎ出発した。
霧雨が顔を湿らせ始めてきた。セオ、ルカの速い脚にみんなが付いて行く。サンダー領と教会、北家、西家の順番だ。
「赤の狼煙が上がっている」
赤は救援要請のサイン、危地に陥ったのか。
「急いで」
さらに速くなる。弱い霧雨の中、白い煙、樹々が焼ける匂い、雨を頼りに山火事を恐れながらも緊急事態に火魔法を放ったか。
ワオー、ウォー、キャアアン、ウー。
二、三十メートルを下りた先が現場。テントが散乱し、兵士と狼が入り乱れている。
野営の食事準備をしていたところを襲われたか。狼が十数頭いや三十頭に近い。兵士が三、四十人ほどいる。槍と剣で闘っている。茶色いモヤが
「停止!」
続けて叫ぶ。
「狂犬病の狼よ。セオ、ルカ、サンダー領以外を足止めして」
十人が私の周りに来た。
「マンドレイクの水を全員でこの周辺一帯に浴びせる。狼も人も一緒に麻痺させる。その後、狼に止めを刺して、人だけ回復させる」
「「「分かった」」」
「マンドレイク」
私の呪文に『マンドレイク』ができるみんなが無詠唱で続く。ここにいるサンダー領の全員が使える。女性陣は呪文なし、男性の低い声で「マンドレイク」の呪文だけが聞こえる。
止みつつある霧雨の中、広範囲に麻痺の魔法マンドレイクを勢いよく降らせる。
しばらくすると狼、人が共に倒れていく。動いている狼と人がいなくなった。全員が倒れたことを確認する。
「全員倒れたわ。衣服のマンドレイクを洗い流す。普通の水の魔法を降らせて」
「「「了解よ」「承知」」」
霧雨の勢いが強くなる。三十秒ほどで魔法を収めた。
「もう大丈夫、完了よ」
ジェイコブに他領の人たちを呼んで来てもらう。
「タイラー隊長、ジェームス、狼に止めを刺して、狂犬病に罹っている可能性が高いから槍で刺して」
「承知」「分かった」
「みんな、行くぞ」
タイラー隊長の号令が響く。
完全に霧雨がやんでいた。
西家と北家、それにサンダー領と教会の男子生徒たちが下りて行き、狼に止めを刺す。
「ライラ」
「はい」
「負傷者を一カ所になるだけ集めるから、その中心に行って、私が合図をしたらエリアヒールをかけて」
「分かりました」
「私たちはこの前と同じ、負傷者をエリアヒール中に治療よ」
四人は分かっているわ、という笑顔を見せた。
残っている全員で下りて行く。
負傷者の位置を計り、ライラをその中央付近にいてもらう。周りの重傷者へ手当てをしているふりをして、光の粒子無しで復元魔法か回復魔法を施す。
「すべての狼の止めを刺した」
タイラー隊長がやってきた。
「負傷者をここライラのいるところに集めて、回復魔法を今から施すわ。軽症者はそれで回復するはず。自力で起き上がれない重傷者を優先して連れてきて」
「承知」
隊長が私の指示内容を大きな声でみんなに伝えた。
「ライラ、エリアヒールを、この広場一杯に極力広範囲にお願い」
「分かった」
ライラが集中しだし、詠唱し呪文を唱える。
「エリアヒール」
私たちは重傷者を探して回復魔法をかける。回復魔法でダメな症状の兵士は復元魔法を光無しでかける。最後は必ずヒールと唱えて光の粒子を舞わせ「聖女様がいるわよ」と笑顔を見せる。それだけで回復した兵士は顔を輝かせた。
みんながライラの元に集めた重傷者が十人ほどになった。私たち五人はライラの元へ行き、回復魔法や復元魔法をかけて治療する。
「聖女ライラ様よ」と称えることを忘れずに。
だいぶ時間が経った。重傷者はもう運ばれてこない。
最後に私はライラのエリアヒールに自分の回復魔法を重ねがけする。みんなが元気になるように。
盛大な光の粒子が舞う。
「ライラもういいわ」
光の粒子の舞が終わる。さすがにライラもずっと魔法を使い続けた疲労が出たのだろう、後ろに下がってしゃがみ込んだ。すかさずライラ専用の護衛四人が脇を固めた。
「ブレイク!ブレイク! しかりしろ、おい、ブレイク!」
向こうの方で大声がする。
声の方に目をやる。ブレイクと叫び、すがりつく兵士の肩に手を置き、声をかける男性がいた。服は破れているがそれなりの階級らしき制服の痕跡が残る男性。そばには副官らしき男性を連れている。大声で喚いていた兵士の上げた顔つきはあきらめきれない表情だが、上官にさとされ何とか堪えているようだ。
カツ、カツ、カツ。
足元は土なのに、どういうわけか石畳を歩くような音が響く気がした。それなりの階級の男性がこちらに向かってくる。
「第七小隊長のグレン・セントラルである。代表者はどなただろうか」
セントラルと言えば王家につながる一族、グレンという名前は確か東家の次男だと思う。年齢はまだ若い。学院、研究科を出た後の修行中といったところだろうか。公爵家のご子息にこんなところで出くわすとは。
そばにいたタイラー隊長が応える。
「セントラル学院第一討伐隊、隊長のタイラーです」
「失礼した。どなたが隊長か分からなかった。申し訳ない」
第七小隊長とタイラー隊長が貴族同士らしく軽く握手する。
「しかし私たちを助けてくれたのは学院生の方々ですか」
隣の副官が驚いた声を出した。
「セントラル学院第一討伐隊、副隊長のサンダーです。全員の方を救えず申し訳ございません」
「第七小隊長のグレン・セントラルです。助けていただき感謝します」
紳士らしく私の手を取り、礼をする。私の出自、サンダー侯爵の娘と分かったのか。
「このような少女が副隊長とは」
グレン小隊長が耳打ちする。私の出自を知らせたのだろう。
「ロニー・ボスウェルです。第七小隊の副官です。助けていただき感謝します」
慌てて、片膝を付き紳士の礼を取った。
「止めを刺した狼は全部で三十一頭でした、他に狼はいませんでしたか」
タイラー隊長が訊く。
「北と北東と東の方向から三群れに襲われた。
副官のボスウェルが応えた。
「丁度、食事準備をしている最中に最初北から、続けて北東と東から襲われた。警報と狼煙でよく来てくれた。改めて感謝する」
第七小隊長に最敬礼を施された。直ると訊かれた。
「しかし君たちは学生、学院の生徒はここまでの魔法を操れるのか」
私はライラに聞かれないように声を落として、
「教会の聖女ライラ様がここにいらっしゃるのですよ」
と、ここで私は一旦言葉を切って第七小隊長と副官を見る。
「あの恐竜さえも倒した強烈な魔法を保持する教会の……方ですよ。そう言えば分かっていただけると存じますが」
二人は何かを思い出そうとしている。
「そして狼だけ止めを刺して、皆様を回復魔法で助けたのです」
我ながらうまい言い訳ができたと思いつつ、心の中では、ライラごめん、と謝った。
「そうか、ありがとうございます」
「ただ、ただ、感謝するしかないです。誠にありがとうございます」
隊長と副官が毒饅頭と恐竜撲滅作戦の事に思い至ったのであろう、納得してくれたようだ。
その後、狼は全て処分して、野営道具が滅茶苦茶になった第七小隊を連れて私たちの野営地へ戻った。
翌日は、北の森の入り口でハンダーお爺さんと別れ、王都の学院へと帰って来た。帰還報告はタイラー隊長に任せて、部隊は解散した。
数日後のことだった。
新聞曰く。
「伝説の聖女現れる。
覚えているだろうか、去年の学院の入学許可の儀式で威圧に倒れた新入生を光舞う回復魔法で癒した聖女を。
今度は、狂犬病討伐へ北の森へ出向き、アナベル王女様のご学友が瀕死の重傷を負った際に、その御力で治したのだ。
それだけにはとどまらない。北の森で狼が狂犬病に罹っていたのだ。第七小隊が奮闘するも壊滅寸前、そこに現れたのが聖女ライラ様。今は遡る事数十年前、恐竜に引導を渡した聖女がいたことを忘れていないか。再来した今世の聖女は霧雨の降る森に大魔法を施した。
何十頭もの狼が瞬く間に駆逐された。
参加していた兵士が言う『狼と闘って、もう駄目だと思った時、霧雨とは異なる何か神聖なるものが降って来た。自分も朦朧とし、気付いたら金の光の粒子が舞っていた、そして闘っていた狼が殲滅されていた。自分は生きていた』と。何人もの兵士が証言している。
しかし、まだ王都には野犬が残っている。
皆よ、奮い立て。野犬を退治したら報奨金が出ることに決まった。
前を向こう。私たちには今世不出世の聖女ライラ様がついている」
新聞は聖女ライラで持ち切りだ。ライラ頑張って、あなたはできる子よ、と心の中で改めて応援する。
功績二番はご学友が重傷を負いながら狼が狂犬病に罹患したことをいち早く王都に知らせに戻ったアナベル王女様だという趣旨の記事が掲載されていた。末尾に、王都の学院組では研究科二年のザイアー家の嫡男ハリソン様が十匹の野犬を狩ったと紹介されていた。
これはアナベル王女様と婚約者の本命と称されるザイアー家の嫡男ハリソン様とをセットで記事にして婚約を既成事実化しようとしているのはないかと勘繰りたくなった。ハリーお兄様の第二討伐隊も二十匹以上の野犬を退治した。やろうと思えば全匹ハリーお兄様一人で狩れたはず。
私は新聞を机に置いて、食堂の休憩スペースのソファーにもたれかかった。
食事を済ませたハリーお兄様が来て、新聞を読み始めた。
視線がライラの記事からアナベル王女様とザイアー家のハリソン様の内容の方へと移っていく。あたかも王女様の婚約者を匂わすかのような記事へと。
「ザイアー家のハリソン様ですね」
お兄様の顔色が一瞬変わる。
――おや、二人の関係が気になるのか?
「知っているのか」
「ええ、気になりますか?」
「会ったのか」
「いいえ、聞いただけです」
お兄様は、
ハリーお兄様がアナベル王女様との婚姻を望んでいる? うちのお母様やおばあ様と比べて彼女は芯が弱すぎる。まさかとは思ったが、お兄様が本気ならどうしようもない。妹として応援せざるを得ないのかなあ。でも二人が婚姻すれば、私と第一王子の婚約は兄妹揃ってとなるとパワーバランス上百パーセントなくなる? 一石二鳥? いや、この場合一石も投げず、私の婚約が百パーセントなくなればそれでいいのだけれど。
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