二十八話 セントラル大陸暦一五六五年 春 一/五
まだ冷たさの残っている空気の中を仲良し五人で市中を歩くと、いつの間にか芽や花のにおいが交じっていた。
王都では遂に狂犬病の死者が二桁を超えたと新聞がうるさい。何やらざわざわとした感じが周りでしだしている。まだ対策室から特効薬の開発成功の一報が届かない。
警ら隊が、市中の野犬を取り締まり、兵士が森の野犬を退治することに決まった。
温かくなると、薄着になり、冬以上に感染リスクが高まる。感染した犬に噛まれて、肌まで犬の歯が到達すれば、唾液が体内に取り込まれて、発症してしまうからだ。厚手のコートならば防げても、薄い生地ではそうはいかない。その前に対策を講じた形だった。
私たちは、のどかに散歩を楽しんでいるわけではない。狂犬病の野犬狩りに市中を徘徊している。寄宿舎裏の研究室でベケット先生と一緒に作る治療薬の実験のためだ。
「マンドレイク」
アニーが、マイアが、ジュリアが、そしてニーヴが呪文を唱え、野犬を倒す。手早く頭に頭巾を被せ、でかいズタ袋に放り込む。一輪車に入れて馬車まで運ぶ。
「私たちこんなに狩りがうまくなって何になるのかしら」
「凄腕の女猟師に決まっているでしょう」
「マンドレイクの怪しき女たちがいるって噂になると困るわ」
「そのための化粧と変装でしょ」
マイア、アニー、ニーヴ、ジュリアが老けメイクで男性の衣服を着て小声でおしゃべりしている。もちろん私も同じだ。
以前より狂犬病に感染している犬が多い。
ほんの一時間足らずで今日目的とした感染した犬二匹、正常な野犬を二匹狩った。野犬か飼い犬かは首輪で判別可能だ。近々、首輪のない犬を狩って警ら隊に渡せば報奨金が出るようになるらしいと噂になっている。じゃ、金になるまで待とうぜ、という、小狡い輩もいると聞く。
狩った犬を幌の付いた檻付き馬車に乗せ、午前中のうちに寄宿舎に戻った。
午後からは研究室でやることがある。
「先生、対策室での特効薬の開発状況はどうなっているのでしょうか」
既に研究室にいたベケット先生に私は訊いた。
「それがね、何か、おかしな事態になっているそうなの」
先生が眉根を寄せる。
「彼らたちは、王太后様が貸し出した『狂犬病対策』の鶏卵による治療薬の作成を基に作り始めたらしいの」
ブーツ室長に王太后様が手渡しているのを私たちは実際に見ている。室長はすぐにやり始めると意気込んでいたはず。
「それが、鶏卵業界に知られたらしく、狂犬病の為だと分かると提供を拒否しだしたのよ。鶏肉を扱う、食肉協会も巻き込んで大反対」
「それじゃ作れないじゃないですか」
アニーが怒りだす。私も同様だ。
「風評被害が起こる、と言っているらしいわ」
「それは丁寧にみんなに説明すれば分かることではないのですか」
マイアが不平を鳴らす。
「対策室もそう言って説得しているんだけれど……。卵を買う人々は貴方たちのように学があるわけじゃない。文字だって読めない人間をこっちは相手にしているんだ、とすごまれてね。……対策室だけじゃお手上げのようよ」
「王都の政治家や官僚たちは何をしているのですか」
私の口調もきつくなる。
「対策室へ丸投げのようよ。唯一動いているのが警ら隊と兵士たち。王家の命令でそこだけは動いているそうよ」
「何とかならないかしら」
ニーヴの言葉に、ジュリアが答える。
「人の事は知らない、どうでもいいわ。私たちは、私たちの出来る事をするのよ。
先生、ひいおばあ様からのノートの薬を一刻も早く完成させましょう」
ジュリアが、今できる建設的な事を言ってくれた。
「そうね、そうしましょう」
以前から先生と一緒にひいおばあ様からのノートを読み解いていた。対策室長に渡した『狂犬病対策』の薬の作成方法とは異なり、鶏卵は使用しない。
先ずは狂犬病の元となる感染した犬の唾液の採取から始まる。唾液の中に狂犬病の元となるモノがあり、これを菌と呼ぶことに決めた。十ミリリットル分の唾液が必要。そしてその唾液を初級ポーション百ミリリットルと普通に混ぜる。この時点で十ミリリットルを注意して取り出しておく。次にドクダミの煮汁百ミリリットルを入れ錬金棒で魔力を込めてかき混ぜる。二分毎に三十ミリリットルずつ取り出すと、最終的に三つのレベルのものが三十、三十、四十ミリリットル出来上がる。最初に取り出した十ミリリットル分は一日だけ乾燥したものを使う、これと合わせて計四種類になる。患者には注射器と呼ばれるガラス瓶に先端が穴のあいた針がついたものを筋肉に刺して一回五ミリリットル注入する。ただ実際は注射器内に一ミリリットルほど残るので実質四ミリリットルとなる。最初の四日間は第一レベルの六分煮出したもの、次の六日間は第二レベルの四分煮出したもの、第三レベルの二分だけ煮出したものを共に三日間続け、最後の一日はドクダミと混ぜる前の一日だけ乾燥したものを注射すると十一日間で治るとノートに書いてあった。
この要領で作れば、狂犬病の唾液十ミリリットルから二人分の薬が作れる計算になる。
また出来上がったものは密封し冷暗所で保管すれば約半年は有効とノートにあった。
最初は分からないことだらけだったので、不明だった内容を調査した。
今日はその調査結果の発表をする日だった。
薬の作成担当はジュリアとニーヴ、作ったものの解析する担当をアニーとマイア、実験を担当するのはベケット先生と私と決めて行った。注射器も先生と私で材料を揃え、錬金の魔法で作成した。
「唾液と初級ポーションを混ぜたのは、狂犬病の元を増やすためのものでした。つまり感染源の菌、言いにくいので病原菌と言いますね、その増殖のための
「一分程度魔力を込めずに混ぜれば均一になります」
解析班のマイアとアニーが説明する。
「初級ポーションは常温のものを利用して作りました」
これは作成班のジュリア。
「
「これは最後の十一日目に注射する分となります」
マイアとアニーが協力している。
「ドクダミの煮汁ですが、一般的な効果は毒を弱めます。よってここでは、百ミリリットルの病原菌を同じ量のドクダミの煮汁で弱毒化するものと思われます。錬金釜で魔力を込めてまぜる分数を多くするとそれだけ弱毒化が進みます。最後にできた四十ミリリットルの最も弱毒化された第一レベル、四分のモノが第二レベル、一番早く取り出したのが第三レベルです」
解析班のマイアが説明する。
「魔力量は弱めです。私の銅の魔力を薄くニーヴに渡して二分で三十ミリ取り出し、また二分で同量を取り出し、最後の二分で魔力を止めました」
「それで丁度量が三十、三十、四十ミリリットル出来上がりました」
作成班のジュリアとニーヴが続ける。
「何回も繰り返してようやくその量になる魔力がわかりました。私一人がやるとあっという間に半分になり、ニーヴに普通に渡してもダメで、ようやく薄くするレベルが決まりました」
「私も同様です、私は錬金棒でかき混ぜる魔力を薄くし過ぎると今度は最後が四十以上となって、なかなかぴったりの調整が難しかったです」
「分かりました。魔力の込め具合はなるだけ分かり易いようにノートしておいてくださいね」
先生の依頼に作成担当のジュリアとニーヴが
「「分かりました」」
と答えた。
先生が私を見て、「実験結果は私から説明しますね」と言って話し始めた。
「四匹の感染はしているけれど、潜伏期間の茶色のモヤのある犬と四匹の正常なモヤのない犬で実験しました。薬の量は実験動物では当たり前のことですが、犬の体重から判定し、人にする半分の量です。最も弱毒化された第一レベルのモノを四日間打ち、次に第二レベル三日間、その次に第三レベル三日間、最後に一日乾燥させただけのモノを一日打ちました。結果は、感染していた犬の三匹は茶色いモヤが
「やった、成功したのですね」
「どうかな、一匹はダメだったの。茶色いモヤが消えなかった、打ち始めから十一日後に死んだわ」
沈黙が襲う。
「打つのが遅かったのか、薬が合わなかったのかは分からない」
「もっと実験を増やすしかないですね」
ジュリアが先生を励ますように言う。
確かに潜伏期間の犬が四匹程度では何とも言えない。ここの施設で後何匹の犬を飼えるだろうか、物理的な問題もある。特に発症した犬の中には極度に興奮し攻撃的な行動を示し、人がそばに寄るだけで吠えまくっているのもいる。寄宿舎の裏にあるこの施設。うるさいと文句を言ってくる生徒もいずれ出てくるだろう。ハリーお兄様と相談しなくてはならない。
「そうね、でも嬉しかったこともあるのよ。正常な犬に十一日間打った後も、その犬たちは健康なままだったの。無謀だけれど、その犬の一匹を少しだけ弱らせて、発症している犬と同じ檻に入れたの」
「どういうことですか」
マイアが訊ねる。
「予防効果があるかどうか試したかったの」
「結果は?」
今度はアニーだ。
私は先生と頷き合ってから私が答えた。
「感染している興奮した犬に確かに健康だった犬は噛まれました。別の檻へ入れてから噛まれた痕も見ました。通常は発症するはずです。しかしこの犬からは十日経っても茶色いモヤが
「つまりあの薬は治療だけではなく予防効果もあったの」
先生の説明に、みんなの顔が一様に明るくなった。
治療と予防、一筋の光明が見えた。
私たちはとにかく市中へ出て実験のため狂犬病の犬を狩った。狩り過ぎても問題はない。ベケット先生が対策室へ運ぶルートを作ってくれた。またハリーお兄様が唾液採取チームを作ってくれたのも助けになった。
凄腕の五人の女ハンター、マンドレイクの女たちと言われるのも近い。みんな小声で唱えてちょうだい。そうリクエストしたら先ず基本魔法が水しか使えないニーヴが呪文なしでマンドレイクの発動をマスターした。
「無心よ、無心。モヤのある犬が見えたら反射的に撃てるようになったわ」
「武道の達人のいうところの無我の境地ってやつ?」
アニーが訊く。
「そんな御大層なモノじゃないわ。ただ何か起きたらすぐに対応できるような状態といえばいいのかなあ」
「難しいわ、犬を見た、モヤを確認する、モヤがある、マンドレイクを準備する、そして発動する。この五ステップを一挙動でするのよね」
マイアが嘆く。
「こうすればいいのよ『モヤがある犬を見たら発射する』これで一挙動なのでは」
ジュリアの解説に私は心の中で頷いた。多分ニーヴは犬を見ただけで黒の魔法でモヤの有無が分かるのだ。モヤがあれば反射的に撃つ、それができているのだ。私の場合は元々が無呪文なので五ステップが高速なだけではないかと思う。
次回の犬狩り、残りの三人も呪文なしでも発動できるようになっていた。それも水魔法ではなく、ニーヴの使えない風魔法でだ。
「黒の魔法で茶色のモヤを
ジュリアが解説してくれた。
「風魔法だけでなく水魔法も呪文なしで可能よ。みんなで訓練したのよ。どう言うわけか、レオとジェイコブも一緒に訓練してマンドレイクをマスターしていたけど」
アニーが自慢する。みんな訓練しているのだ。レオとジェイコブの二人は最初のマンドレイク習得時は居なかったが、負けず嫌いの性分、チャーリーかジェイミーかマイケルが使うのを見て我慢できなかったのだろう。
「私が先鞭をつけたからじゃない」
ニーヴも負けていない。さらに私を意味ありげに見る。
「じゃ私は水魔法専門に徹するわって、言わないわよ。私もマンドレイクの風が使えるんだから。これを見て」
風の適性のないニーヴがそう言ってネックレスを私に見せた。
白と黒のほかに赤、緑、茶色の真珠が付いている。
「どうしたの?」
貴重な色付き真珠、それもニーヴの適性のない火と風と土の真珠を着けている。
「王太后様が、基本魔法が水色の適性だけじゃ他の人とバランスが悪いでしょって、ひ孫ができるまでお貸ししてくださったの」
「私のも見る?」
ジュリアがネックレスを見せる。金の真珠が光っている。
アニーとマイアも見せてくれる。二人とも銅の真珠が光っている。マイアが得意げな顔で話す。
「王太后様からのプレゼントよ、ニーヴと同じでひ孫ができるまでの限定だけどね」
頭が痛い。でもどうして私だけ何ももらえないの。
「ナナはほら、将来の王妃様の椅子がプレゼントされるから、何もなかったんじゃない」
アニーは言いたい放題。
「そんなものは要りません」
どういうことなのとプリプリしながら次の獲物を求めて歩いた。他の四人はウキウキした様子。解せない。
「瞬殺のヴィーナスと呼んで」
「私は水魔法が得意だから、艶っぽく悩殺のヴィーナスがいいわ」
「ニーヴのヴィーナスは、美しいナスの美ナスに聞こえるわ」
「犬好きに恨まれて、ナスの呪いの揚げの対象にみんなならなきゃいいけど」
マイア、ニーヴ、ジュリア、アニー、好き勝手なことを言っているけど、老けメイクの男装よ、私たち。
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