二十六話 セントラル大陸暦一五六四年 冬
王太后様から孫娘、西家のクロエのために提示され写した『火傷治療法』を五人で読み解き、実験を何度も繰り返した。狂犬病用にと作った研究室を使えたのがよかった。紫の聖珠はここにはないが、研究室という密閉空間では、私の八珠のネックレスのうち、聖珠化前の紫の真珠だけを身に着け、復元魔法を展開すると、真珠でも聖珠と同じ効果があった。但しその分、私の魔力消費が大きいので、ここでクロエの治療はできない。その前にお父様からの許可が、下りない。黒の真珠の検査室さえ、領地でないアウェーの王都で行うにはみんなが若すぎる、危うい、と造らせてもらえなかったのだから、紫の復元手術室の新設は許されるはずもない。
そんな中、治療への自信がついたのは冬休みに入る少し前だった。
「これならいける」
私が確信をもって話すと、
「胸を張ってクロエをナナリーナ領へ呼べるわ」
とジュリアが応えた。
ほかの三人も何の不安のない顔付きをしている。
お父様には温泉宿の手配、中央病院へは復元手術室の予約を連絡した。
私たちはクロエを冬休みに、伝説のナナリーナ領へ招待することに決めた。
「おばあ様に聞いたわ。ナナさんたちなら治してくれるって」
いつの間にかクロエも私の事をナナと呼んでいる。
「当然よ、任せて。王太后様が認めた私たちを信じて」
プラシーボ効果を考えて肯定的な事しか今は言わない。
「おばあ様の上をいく魔術師がいるなんて、思っていなかったわ」
「ナナ伝説の始まりよ」
アニーの口はいつも軽い。
クロエには冬休みの予定を、先ず私たちと一緒にサンダー領へ行き、火傷痕治療をして温泉宿で二泊三日間療養した後、自宅のある西家の公爵領へ向かうように組んでもらった。
サンダー領の冬は王都より南に位置するため、少しは暖かい。と言っても冬、領都直前の停車場の澄んだ空気は冷たい。先触れを中央病院宛てに送った。
六人乗りの馬車の中、病院へ到着するまで三十分を切っていた。
クロエの緊張が少しずつ高まっている気配を感じた。
「今から行く伝説の治療院で私も治療を受けたのよ、頭に大きなデキモノが出来て、もしかしたら今こうやって生きていないかもしれない重い病気だったの。お父さんもお母さんも、家族全員が諦めた。私も、もう駄目と遺書を書いた。でもみんなが応援してくれた、それで治ったの。元気になれた」
当時を思い出すかのように虚空を見つめるジュリア。
「その時は、頭の毛を剃って無毛状態だったのよ。恥ずかしかったわ」
ジュリアの真実の話は説得力がある。仮面越しにもクロエが驚くのが分かった。
「その後ジェイコブたちがね」っと、いたずら小僧たちに帽子を外されて、ショックを受けたが、その小僧たちが丸刈りになって謝罪したことを話すとクロエの緊張が一気にほぐれた。
ジュリアが優しく笑い、そして続けた。
「私とニーヴがクロエのために作った特別な薬があるのよ。これを飲めば、まったく痛みがなく、寝ている間に、治療が終わる、魔法の薬よ。後で飲んでね」
「分かりましたわ」
中央病院の正面玄関で馬車を降りる。
紫の聖珠を据える復元手術室にすぐに入ってもらった。手術用の服に着替えてもらう。私たちも手術用の服に素早く着替える。
クロエに考える
「ちょっとドキドキするわ」
「寝ている間に終わるわよ」
軽口のアニーの言葉が今はありがたい。
「これを飲んでね」
ジュリアが麻酔薬の入ったコップを差し出す。
「分かった」
ゴクリと飲むクロエ。
「ちょっとキツイね」
「横になってね」
あっという間に瞼が塞がれた。ジュリアとニーヴがマンドレイクで最初に作った麻酔薬を実用化レベルに達するまで何度も作り直した。今日にこれも間に合わせた。
私はクロエの目の前に手をかざし、意識がない事を確認し、手術用の服をはいだ。
手順通り、クロエの右上半身へ私が右手から復元魔法を呪文「エクストラ・リストア」を唱えてかける。気合を入れるためにわざと呪文を唱えた。親指で頭部と顔面を、人差し指で頚部から肩を、中指で腕から手指を。続けて上腹部をマイアが、そして下腹部をアニーが。左上半身の下腹部をジュリアが、上腹部をニーヴが、それぞれが順番に「エクストラ・リストア」と唱える、そして左腕から手指、肩から頚部へ、最後に左顔面と頭部に私が左手で復元魔法をかける。みんながクロエの火傷痕が治ることを祈り、学んだ火傷治療、筋肉、血管、皮膚が元に戻るように「エクストラ・リストア」再度私の呪文にみんなが続く「「「「エクストラ・リストア」」」」まばゆい紫の光がクロエの身体を覆う。魔力を込め続ける。
必ず治る、肌よ、蘇って。
どのくらい経ったのだろうか、波が引くように紫の光が消えていくと、そこには白くてなめらかな肌のクロエがいた。
「成功よ」
「すべすべな肌になっている」
「良かった」
「美しいツヤ、光っているわ」
「ナナ伝説が始まったわ」
私、ニーヴ、ジュリア、マイア、そしてアニーが言った。
手術用の服を着せて、その上に暖かいコートと毛布をかぶせて、四つの車輪付き簡易ベッドに運び、部屋を出て、馬車に乗せる。簡易ベッドは、そのまま馬車に乗せられるようにしてある優れ物。
パカパカ、パカパカ、馬車が走ってもサンダー領の道路はほとんど揺れない。そのまま温泉街へ向かい、高級宿の一番良い部屋のベッドにクロエを運んだ。
待っていたクロエ付きの侍女の顔がみるみるゆがんだ。
言葉が出てこない様子。アワアワとだけしか口が動いていない。
「まだ寝ています。後、一時間ほどで目覚めると思います」
私が説明した。
「何かあったら受付に言ってくださいね」
ジュリアが続けた。
侍女が両手をこすり合わせながら、口からは声にならない「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」を何度も何度もとなえながら、頭を下げる。
その言葉にならない礼を受け取り、私たちは部屋を後にした。
翌日、クロエはとても晴れ晴れとした表情をしていた。私たちを見つめるその瞳に大粒の涙。スーッと頬に流れた。
それだけで私は満足だった。
「良かったわね、クロエ」
ジュリアが鼻をすすっている。
アニーがもらい泣きをしている。
ニーヴとマイアもハンカチを出して、目を拭いた。
「心から、お礼を申し……上げ……ま……す」
クロエが声に出した途端、涙がつかえたのか呼吸できなくなり、言葉が続かない。そしてようやく言えた。
「ありがとうございます」
私も気が付いたら涙を流していた。
湯気が立ち上っている中、温かい風が薬草の匂いを運んでくる。窓の外は冷たく冴え切った大気が遠くの空を映している。今日は冬らしく朝の鍛錬の時からとても寒かった。
私たち五人とクロエで一緒に特別室に付いている温泉に入る。
治ったクロエの顔立ちは、眉毛はキュッと上がり、唇はキリッとして意志の強さを思わせるように引き締まり、勝ち気なお嬢様らしさが強く表れていた。出自が西家公爵家の正統だと知っているから、なおさらそう感じるのかもしれない。
ただ、誰かの面影が……。
「王太后様に似ている」
みんなが肯く。アニーがみんなのもどかしさを解決してくれた。ジュリアが言葉を重ねる。
「そうよ、そう、さっきから私も誰だろうと思っていたの。王太后様が若くなれば、そっくりよ」
言われて気が付いた。年齢差があり過ぎて思い付かなかったのだ。血のつながった祖母と孫の関係、さもありなんと思えた。
「初めて言われましたわ」
クロエもまんざらでもない様子。
「皆さまだから気が付いたのかも、おばあ様と間近に会っていないと分からないわ」
王太后様とそうそう直に会えるものでもないか、と納得した。
ふとクロエの左太ももに目がいく。白い内太ももの肌に、赤と青のチラリチラリと妙に目立つものがある。私の視線に気付いたのか、クロエが寂しそうな笑顔をみせた。
「これは、痣なの。ひきつれも痛みもない。火傷とは直接関係ないわ……。でも、家族が亡くなってから一週間程過ぎて現れ始めたの。はじめは大きな一つの炎の形、寄り添うように二つの炎が続けてできたわ」
クロエが顔を上げた。涙を堪えているのかも知れない。
そして左足を組んで私たちに見せてくれた。中央の炎は三センチほど、その両脇に二センチと一センチほどの炎。いずれも赤と青でかたどっている。
「私の御守りなの。父と母と弟がきっと天国から見ていてくれている」
私たちの誰かと朝、昼、晩と一日何回も温泉を堪能したクロエは二日後、生まれ変わったピチピチのうるおった肌をまとい
「サンダー領もとい伝説のナナリーナ領でのことは生涯忘れません」
と、言い間違いに緊張したのかスベスベの頬を染めながら馬車に乗り、西家公爵領へ向かった。
お忍びで来ていたのでサンダー侯爵家からは正式な挨拶はなかったが、非公式の名代として、ノアお兄様が見送りに来ていた。今年の冬休みはハリーお兄様が人質として王都に残ったらしい。
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