二十五話 セントラル大陸暦一五六四年 初冬

 狂犬病の流行がいつ猛威を振るうのか、と一抹の不安を覚えながら過ごしている時に、大公夫人ヴィクトリア様から招待状が届いた。

 開封するとジャスミンが会いたいと願っております。御友人ともども御来邸ください。服装は平服で構いません、と記されていた。次の土曜日の午前十時が指定されている。

 仲良し五人組は招待状に記されている通り平服を着て訪問した。着ていく服を気遣ってくれたのだろうが、平服とはいえ五人でお洒落を悩むのも楽しかった。今日は、五人とも膝丈のワンピース、色は髪の毛に合わせ、デザインが少しずつ違い、プリーツがワンランク上の着こなしを演出する。

 寄宿舎から馬車で大公家のある王宮そばの邸宅に到着した。

 大公家は、王宮内ではなく独立したお屋敷を構えている。

「いらっしゃい、皆様。お待ちしておりましたわ」

「ナナ姉様、アニー姉様、ジュリア姉様、マイア姉様、ニーヴ姉様お会いしたかったです」

「お久しぶりです。ヴィクトリア様、本日はお招きいただきありがとうございます」

「「「「ありがとうございます」」」」

「ジャスミンちゃん、会いたかったわ。よく私たち五人の名前を言えましたね。ありがとう」

 ジャスミンが駆けよって来る。両手を広げて、抱えあげる。ショートカットの髪は染めた茶色ではなく地毛の金色に変わっている。ここ大公家なら安心安全だろう。

「ナナ姉様、今日はね」

 と言ったところでヴィクトリア様が

「ダメよ、ジャスミン、お喋りはお部屋に入ってからよ」

 と優しく注意する。

「分かりました」

 ――うん、母娘仲は良いようで安心した。

 ティールームに入り、お茶が給仕された。少し早い時間を指定したのは、多分十一時のイレブンジズでメイドたちの休憩を邪魔したくなかったのだろう。ヴィクトリア様の下の者への配慮に感じ入った。

 四人の小さな勇者たちもジャスミンと一緒にいる。四人の髪の色も前あった時と異なり黒ではない。

 四人の子供たちとも再会を喜んだ。

 ジュリアが髪の色について訊いた。

「以前、みんな黒色の髪だったよね。それが地毛なの?」

 一番大きな男の子と女の子が顔を見合わせた後、女の子が答えてくれた。

「伯爵領を出てから、色付きの髪は危険だと思って見様見真似で黒に染めて王都を目指しました。それで何とかジュエルタウンまで着きました」

 ジュリアが、そして私たちが感心したように大きく頷いた。

「あなたたちは本当に聡い子ね。お姫様を護る真の小さき勇者よ」

 私が代表して褒める。ジャスミンは誇らしげで、四人の子供たちは恥ずかしそうだ。

 大人たちから言われたのではない、自分たちで考えて行動していたのだ。この賢さが、幼く足手まといにないかねないジャスミンを連れて、王都の中心にあと一歩の町までたどり着かせたのだ。

「ナナ姉様、先ほどの続きなのですが」

「何ですか」

「ジャスミンは、ナナ式美流法を学びたいの」

 修学旅行先で見せて、ジャスミンは舞踊と表現していたのを思い出した。

「魔力が鍛えられる、とも聞きました。だから教えてください、ナナ姉様」

 上目づかいでお願いされた。私が幼かったころの魔法をこの子も会得している。これは、ハリーお兄様にお願いしてサンダー家の了解を得よう。

「分かりました。でも一日では無理よ、どうしましょうか」

「無理ですか?」

「小さき勇者さんたちに協力してもらえばどうかしら」

 マイアが提案した。

「ナナ式美流法は一週間から十日もあればマスターできます。ジャスミンちゃんがこのお屋敷から出て当家に十日間滞在するのは無理でしょうから、小さき勇者さんたちの何人かに当家のタウンハウスに宿泊し、会得してもらう。それをジャスミンちゃんに教えてあげればいいと思います」

「それはいいわね」

 ヴィクトリア様もそれで問題ないようだ。

 このマイアの提案で実行することが決まった。当家の受け入れ態勢が整い次第、連絡することにした。


 昼食をお呼ばれする。

 食堂に入った途端、目に入って来たのは紫の髪をした老婦人。よく見ると少し白髪が混ざっている。服装は、豪華ではないが質の良さそうな生地で着心地がよく動きやすそうだ。これは高貴な方だと瞬時に分かった。

 私は淑女の最高の礼を取る。後ろの四人も私を見て同様の姿勢をする。

「形式ばらなくてよろしくてよ。でもさすがね。一瞬のうちに見てとるのね。私はエリザベスです。はじめまして、ナナリーナさん、それとお友達の皆さんもお直りして」

 この国でエリザベスと名乗る高貴な方は一人だけ、王太后様だ。

「ナナリーナ・サンダーです。お会いできて光栄です」

 四人も同様に挨拶する。

 しかし王太后様の髪は水色と聞いている。王妃時代の絵姿でも髪は紫ではなかったはず。

 和やかに食事は進んだ……はず。

「髪の毛は水色に染めるか、鬘を着けていたのよ。紫だと何でもできると勘違いされて面倒だったからね」

 やはり私やアニーのように染めていたのだ。私たちも生涯染める生活なのかしら。

「特に王妃となると煩わしさだらけだったのよ。まだ聖女の方がましのように思うわ」

 王妃も聖女も両方嫌だなあと思う。自分の望むことをやりたい。

「警ら隊の精鋭が敵わなかった強敵を一人の少女が叩きのめして、警ら隊を叱り、跪かせた、って大評判よ」

 それは間違い、一人でもないし、跪かせた、ってあり得ない。

「それは大間違いですわ」

 優雅な微笑みを意識して応えた。

「今年の一年一組は出色との噂を聞いていますよ」

 どんな噂が流れているの、王太后様がお出ましになるなんてまったく聞いていない。

「新聞に載った北家の次男坊、教会の聖女、それらの方々をキッチリ抑えて、みんなに慕われているのがクラス委員長のナナリーナさんだと専らの評判ですよ」

 持ち上げられても何もお出しするものがない。

 にこやかに笑う王太后様。

 食事が終わってジャスミンがお昼寝で退席した後も王太后様は私たちとのお喋りを続ける。そして、ふっと屈託のある顔つきになった。

「ナナリーナさん、正直に言ってほしいことがあるの」

 鋭い目つき。

「あなた方は、西家のクロエにあの火傷痕を治すと言ったそうね」

 嘘は許さないという目つき。

「はい、言いました」

「根拠は何。私はクロエと異なり、単なる温泉治療では誤魔化されませんよ。浸かるだけで火傷が治る伝説の温泉なんて存在しません」

 お見通しのようだ。でもどうしてここまで西家のクロエの事を気に掛けるのだろう。

 私贔屓のヴィクトリア様が心配そうな顔をしている。

「クロエは私のかわいい孫です。私の娘が西家に嫁いで生んだのがクロエ。彼女にはつらくて、とても悲しい思いをさせています」

 そうかクロエにとって王太后様は祖母、知らなかった。王家の事情に詳しくない私は、迂闊と言えば迂闊。でも王家の事情を知ってそれが役に立つとは今は思えない。火傷治療の勉強をした方がもっと有意義、王家通になる優先順位はとても低い。

「貴女たちの評判と今日の会話から、悪気があったとは思いません。でもクロエの火傷痕は治せない。その場限りの慰めは要りません」

 それを聞いた、私の隣のアニーが思い切ったような声を出す。

「まだ百パーセントそうだと決まった訳ではありません。私たちには秘密の魔法があります」

 アニーの言葉に、王太后の顔に少し諦めが見えた。

「秘密の魔法ねえ……、この紫の髪の私が孫のために魔力の限りを尽くしてこの国一番の魔法、復元の魔法をかけたわ。せめて顔だけでも治ってと……復元魔法の力が振るわれているのは分かったわ……ダメだったのよ……魔力切れで倒れるまでやったわ、結果は何も変わらなかった。火傷痕が残ったまま」

「お義母様」

「あの子を治すには一人や二人の復元魔法を使える魔術師だけじゃダメなの」

 強い口調だった。

 待って、今の言葉。一人や二人じゃダメ、って事は複数の人が復元魔法を使えば治せるという事なの? ベケット先生が言ったA,B,Cの連鎖の事を思い出しながら、私は口を開いた。

「王太后様にお訊きいたします。クロエを治療したのは王太后様一人ですか?」

「そうよ」

 いぶかし気な表情になる王太后様。

「ナナリーナ領には秘密があります」

 私は自信満々に話した。

「どう言う事」

「人払いをお願いします」

 私の発言と自信満々の顔付きを見たのだろう、王太后様の表情には不審と驚きが混在している。

「全員下がって、いや部屋を変えましょう」

 私の言葉にヴィクトリア様が良い判断をしてくださった。

 プライベートルームに案内される。

「このことは秘密にお願いします。王家のほかの方にもお話しして頂いては困ります。王太后様と言えこの約束をしていただかないとお話しできません」

「分かりました。約束しましょう。私だけの胸にしまいます」

「私も同じよ、約束します」

 王太后様とヴィクトリア様が同意してくださった。

「王太后様は仰いました『一人や二人の復元魔法じゃダメ』と、我が領では復元魔法を使える人間が十人以上います。この人数では足りませんか」

「まさか、それは本当の事ですか」

「以前、サンダー侯爵家に紫の髪の子が生まれた、パール浜にも紫の子がいると聞きましたが、もっといるのですか」

 王太后様とヴィクトリア様が続けて疑問をぶつけてくる。

「サンダー侯爵家の紫の髪の子は私です。今の銀髪はフェイクです。パール浜の少女はここにいるアニーです。地毛は二人とも王太后様と同じです」

 大きく頷く二人。

「そしてここにいる、ジュリア、マイア、ニーヴは、髪は紫ではありませんが、我が領に行けば復元魔法を使えます」

「五人みんなが使えるのね。でもどうして他のお三方はその領へ行けば復元魔法が使えるのですか。紫の適性は? 紫の適性が地域限定で生じるの?」

「紫髪の件は些細な秘密です。ここからが大きな秘密です。ナナリーナ領には紫の聖珠があります。この聖珠が安置された部屋では魔力と医療の知識と治したいという強い思いがあれば復元魔法が使えるようになります」

 開いた口がふさがらない様子の二人。

「それに私は両手が使えます。

 さらに十本の指全てから別個に魔法を放出できます。ただし指の指向する方向に限りがありますから固定したとして片手三本、両手で六本が限界です」

 ジュリアも両手使いだが、紫の復元手術室での魔法の威力がみんなと比べると低く上級のエクストラ・リストアは両手同時で一人分となる。多分ジュリアには紫や金の適性がなく銅のみだからと思われる。金の適性のあるマイアとニーヴの二人は片手で一人分の力がある。

「ここにいる方だけで十人分となるわけですね」

 ヴィクトリア様が指折り数えた。

「何という事でしょう。クロエが治ります。十人いれば彼女の火傷痕は治るのです」

「やはりそうですか。王太后様の言葉から複数の復元魔術師がいれば治ると考えていましたが、その通りのようですね。王太后様、私たちは未熟です。復元魔法を使えると言ってもただ呪文を唱えるだけでは火傷痕は治りません。火傷痕の治し方として、皮膚と筋肉と血管を治すとは分かっているのですが火傷自体に詳しくありません。この知識がないと完全に治すことはできない、今その勉強をどうすればできるのかを模索している最中なのです」

「大丈夫よ。貴女たちは噂通り優秀ね。そこまで分かっているのなら、後は大丈夫。私がその火傷痕の治療方法を提示できるわ。クロエの身体の火傷の部位十カ所に十の復元魔法が間をあけることなく順次展開されれば治るのよ。火傷が全身ならば十四部位、クロエの場合は、顔を含む頭部、頚部と肩、腕と手指、上腹部、そして下腹部の五部位、左右で十の部位の火傷痕なの。そしてその治療法が書かれている本があるのよ」

 そう言って王太后様は、バッグの中から一冊の本を取り出した。禁と表紙の右上に書いてある。タイトルは『火傷治療法』そのものずばりだった。

「この本は王家の図書館の禁書コーナーにある本よ。誰もが見られない本。世の中にはもうこの一冊しかないかもしれない。今日私の権限で持ち出してきたの。もしかしたら役に立つかと思って。それが適中して良かったわ」

「写してもよろしいですか」

「今日中に仕上げて、私は見なかったことにするから」

 欲しかった知識がここにあった。

 それから私たち五人は大忙しで本を写した。図はジュリア、文章の左上、左下、右上、右下と場所を決めて写した。全七十ページを終わらせたときは四時をとうに過ぎていた。もう王太后様が帰る時間だった。

 送り際、ふと思い立って訊いてみた。

「王太后様、王都で狂犬病が発生したのをご存じですか」

 王太后様がびっくりした顔をなさる。

「どういう事、それが本当なら大変なことになるわ。第一線を退いてから世の中の情報に疎くなったようね」

 王太后様は寂しそうな表情を一瞬だけして、すぐに引き締めた。

 私はベケット先生に聞いた対策室での実情、薬の開発の製法が失われてしまっており、薬の製造がままならない事を話した。ただベケット先生のノートについては侍女と折り目正しい制服姿の王宮護衛の前では話せない。

「まさか、薬が出来なければ一大事だわ。流行してしまえば王都がパニックになりかねない。……確か、製法の書かれた書物は王宮の図書館にあったはずよ。皆さん一緒に来て探してもらえるかしら。持ち出し禁止の場合、最悪、写してもらえるとありがたいわ。写した本を対策室へ至急貸し出すようにしたい。ごめんなさい、私の手足となって動いてくれる若い人はもういないの、年寄りばかりでお茶を一緒に楽しむ人しかいなくて、だから協力してちょうだい。息子たちに頼んでいたのでは正規のルートとやらで何人もが間に入って遅くなってダメなの。この件は迅速じゃないと」

 王太后様は決断が速い。

 私たちは了解した。

 平服で王宮の図書館に出入りするのは些か支障が出かねないだろうと、メイド服を五人分用意してもらった。

「メイド服なら私付きと解釈してもらえるから」

 との王太后様の一言で決まった。

 急いで着替えて、王太后様の馬車で王宮へ向かった。

 寄宿舎へは、ヴィクトリア大公夫人から一泊すると連絡を入れてもらう。

 馬車の中には王太后様と私たち五人のメイド姿の六人が乗っている。十分もしないうちに着くらしい。

「ごめんなさいね、クロエから貴女たちの事を聞いて、あまりにもあのがナナリーナさんたちの事を信頼しているものだから、気になってね。すぐにクロエの火傷痕の治療ができると思っていなかったから、ここで一度鼻っ柱を折っておいて、将来はそんな治療ができるようになって欲しいという意味を込めてわざと意地悪したのよ。本当にごめんなさいね」

 私は意地悪をされた気がしなかったが、アニーはどうだろう。アニーの発言から王太后様の表情変わったように思える。私は隣のアニーを見た。

「とんでもないです」

 とアニーは答えてくれた。

「アニーさん、そして皆さん。ありがとう」

 軽く頭を王太后様が下げた。

「もったいないお言葉、誠にありがとうございます」

 私たち五人は深く頭を下げた。

 ガタン。馬車が停まる。

 外からざわざわと話声が聞こえる。

「王太后様、すみません。貴族同士の馬車事故のようです。事故自体はたいしたことがないようですが、時間がかかりそうなので迂回します」

 十分もかからない道のりが遠回りをせざるを得なくなったようだ。貴族同士なのでかかわらない方がよいのだろう。

 方向を変え、進み始めて、しばらくしてからだった。

 ウーッ、ワンッ、ワンッ、クゥーン、キャンキャン。

 たくさんの犬の鳴き声が襲ってきた。御者が馬車の速度を上げたようだ。

 剣の切り裂く音、犬の悲鳴。しばらくすると剣戟の激しい音がしだした。

「襲撃です。ご注意ください」

 御者台から焦ったような声がした。

「困りましたね。今日の護衛は恰好ばかりでそこまで強くない。でも心配しないで、私が貴女たちを守るわ」

 王太后様の笑みにはすごみが感じられた。落ち着き払っている。私たち五人も王太后様の態度に安心感を抱いた。

 王太后様は髪が邪魔にならずかつ紫髪を隠せる帽子をすっぽり被り、扉を少し開けて外を覗く。目を細めたと思った瞬間、飛び出した。扉を後ろ手に閉めている。私たち五人は目を合わせた。何もしないという選択肢はない。扉を開けて外に出る。制服以外が敵であることは一目瞭然。目につく賊を狙う標的として、遮るものがなく一直線に定まった瞬間、習得したばかりの魔法『マンドレイク』を無詠唱呪文なしで撃つ。私に続く四人からは「マンドレイク」の呪文が聞こえる。片っ端から倒していった。

 制服以外の人で立っている人間はいない。犬もいなくなっている。何人に襲われたのだろう。十人以上、いや三十人ほどが倒れている。

「貴女たち……」

 王太后様が絶句している。

「気絶させただけです。早めに警ら隊をお呼びください」

 私の言葉に、王太后様が比較的元気な護衛にその旨指示する。

 王太后様が傷付いた護衛の手当てをしだした。私たちもジュリア以外の四人は復元魔法と回復魔法を何人にもかけた。御者や護衛たちも凄腕のメイド服を着た女性を雇ったのかと勘違いしてくれただろう。

 馬車は車輪が破壊されていて動かなかった。「歩いて行きましょう」帽子を被ったままの王太后様が言うので私たちは元気になった護衛を引き連れて、王宮まで十分足らずの道のりを歩いた。

 襲ってきた賊に対して、王太后様は

「心当たりがあり過ぎて、分からないわ」

 とあっけらかんと話した後、

「戦闘に犬を使う人たちねえ……」

 と一瞬思考した。心当たりがあるのかも知れないが、訊ける雰囲気ではない。

「それよりも、貴女たちの魔法、『マンドレイク』って呪文が聞こえたけど。撃たれた瞬間、倒れていったわね、何なの」

「えーっと、それは……、ジュリア、ニーヴ張本人だからあなた方説明して」

 私は二人に任せた。王太后様の両脇にジュリア、ニーヴを配して説明してもらった。

 王宮の王太后様の住む離宮に案内された。闘いのため、服も汚れてしまっていたので図書館へは行けなかった。湯浴みをし、用意されていた軽装を着て、王太后様と夕飯を食べ、豪華なベッドで寝かせていただいた。

 翌朝、王宮の図書館、それも禁書コーナーへ王太后様に連れて来られた。新たな王宮メイド服に着替えているのは言うまでもない。

「生地が薄いわ」

 ニーヴが気付いた。確かに昨日の服は厚地の冬物だった。

「今日は暖かいからあい物を用意してくれたのでは」

 ジュリアの言葉に王太后様が目を細める。こういう気遣いが大人のレディなのだろうと思わせた。

 朝の閑かな図書館、奥まった禁書コーナーには係員以外誰もいない。

「若干人数が多いようですが」

 王太后様が何も言わず、目だけで黙らせた。

 そして借りていた『火傷治療法』を返却する。

 係員も王太后様と新たなメイドと認識して通してくれたようだ。

 禁書目録に目を通す。あった、二冊ある。

「王太后様『狂犬病について』『狂犬病対策』の二冊が蔵書されているようです」

 王太后様は書誌名と横の番号を控えて、ニーヴに係員に見せて取って来てもらうように言った。

「分かりました」

 係員が二冊の本を持ってきた。王太后様が『狂犬病について』を捲ってこれではないようねと言って、確認してと私に回した。目次を見る。

 狂犬病の発生状況を記したデータ一覧のようだ。年度別、地域別件数等が記されている。

 これは関係なさそうだ。

「こちらの『狂犬病対策』これに治療方法が載っているわ。これを借りましょう。係員を呼んで来て」

 ニーヴが呼びに行く。

「明日までの手続きを」

「畏まりました」

 その日、私たち五人は、『狂犬病対策』を書き写した。

 一 狂犬病に感染した犬はどのような症状を示すか

 二 人はどのように感染し、罹患した場合どのような症状か

 三 発症するまでの潜伏期間

 四 鶏卵による治療薬の作成

 五 それ以外の治療方法

 原本からの転記方法は昨日と同じ要領で対応する。

「ジュリアその箇所、原本の絵より大きめに描いて」

「トイレへ行くから、ここの部分お願い」

「分かったわ」

「ナナ、終わったから、そっちの最後の行を写すわ」

「少し小腹が空かない?」

「あらあるわよ。ニーヴ、あなたの足を上げて、もうちょっと、ハイ下ろして」

「立派な大根おろしができたわ」

 ニーヴは色白、しっとりした肌は透明感すらあり、足も細く白くてモチモチ感がある。大根というのは可哀そう。王都の水で育ったからが自慢だったが、それをジュリアが逆手に取ったよう。

「失礼しちゃう」

 大笑いしながらもペンの動きは止まらない。

 王太后様は後ろのソファーに座って私たちにずっと付き合ってくれた。

 スティックサラダが出てきたのは王太后様のご配慮かしら。

 原本を写し終えた後、対策室への提出用を章毎に担当を決めて清書を始めた。清書前のモノはサンダー領で使用することに関しては王太后様に見て見ぬふりをしてもらう。そちらは後日、侍女のラナーナに清書を頼み、出来上がったものをサンダー領の中央病院へ送るつもりだ。

 昼食はここで軽食を王太后様と一緒に取った。

 カリカリ、カリカリ、ペンを走らせる。

「終わりました。完成です」

「ありがとう」

 王太后様に報告し、ホッとしていると、ティータイムの三時の鐘が鳴っていた。

「三時半に対策室長を呼んでいるから、それまではゆっくりしましょう」

 お茶と美味しそうなお菓子がテーブルに並べられた。

「あなた方五人は大変優秀ね。でもそれよりも何よりも、とてもみんな仲がいい、見ていてうらやましかったわ」

 王太后様は私たち五人を、目を細めて見ている。そして呟く。

「アナベルも仲の良いお友達がいるとよいのだけど……」

 第一王女のアナベル様、入学式で涙を流していた。ハリーお兄様によるととても頑張っているようだけど、私には友人関係まで分からない。

「皆さん、お願い、同じクラスのクロエとは仲良くしてね」

「「「「「分かりました」」」」」

「息までが合っているわね」

 五人は目を合わせた。

「王太后様、私たちをそんなに褒めないでください。王太后様の方がよほどご立派です。明るくて前向きで決断が速くて」

 私の言葉に、ジュリアが続く。

「それにお召し物が華美すぎず、軽やかで素敵です」

「あらそう、ありがとう。お返しに私が、あなた方五人に抱いた感想をお話ししましょうね。

 先ずはアニーさん、あなたはとてもチャーミングだわ、でもちょっとばかりそそっかしいところがありそうね」

 アニーが「その通りです」と頷く。

「ジュリアさん、あなたは機転が利いてとてもクレバーな方、もっと自信を持っていいわよ」

「ありがとうございます」

「次はマイアさん、あなたはとてもエレガント、佇まいからして優雅よ。今すぐにでも社交界にデビューさせたいわ。大評判になる事を請け合うわよ」

「とんでもございません」

 微笑んで、目をニーヴに向ける。

「そしてニーヴさん、若いのにあなたの仕草に艶を感じるわ、とてもセクシー。あと二年も経てば殿方が放っておかないわね」

「本当ですか」

「ええ、間違いないわよ。最後にナナリーナさん」

 と王太后様が私に目を転じたときに邪魔が入った。

「すみません、対策室長のブーツ氏がお見えになりました」

 執事さん、今しばらく待って欲しかった。

 ブーツ対策室長が部屋に入ると、メイド服姿の私たち五人が王太后様と一緒にお茶をしているのが不審だったのか、戸惑いの表情を一瞬見せた後、真面目なものへと変わった。これが大人の対応なのだろう。

 王太后様が席を立ち、私たちが仕上げた『狂犬病対策』を手に取ってブーツ室長の前へ。

「この冊子『狂犬病対策』に治療薬の作成方法が載っています。これを王太后として貸与します」

 ブーツ室長が目を見開く。

「あったのですか、狂犬病の治療薬の作成法、失われていたものがここに」

「早急に開発に着手しなさい、大流行になる前に必ず終息させるのです」

「はい、畏まりました。全力を尽くします。本当にありがとうございます。必ずや、やり遂げます」

 ブーツ室長が『狂犬病対策』を押し頂き、やる気を漲らせて退出した。

 執事は今まで王太后様の来客を断っていたのか、続け様に次の要人の来意を告げた。

「大した用件じゃないけれど合わない訳にはいかないわね」

「私たちはこれで失礼します」

「ごめんなさい、最後に褒美は何がいいかしら」

「要りません」

「そんなこと言わずに、……取り敢えず王宮図書館の入館証五人分作っておくから貰っといて」

 私たちは王宮を出て、一旦大公家に寄り、メイド服を着てきた平服に着替えてから寄宿舎に戻った。

「王太后様のナナ評を聞くのを忘れていたわ」

「本当ね。でも予想はつくわ。ツヨイ女」

「そうね、それもツヨイは強弱の強じゃなくて、質実剛健の剛のツヨイよ」

「高潔な娘っていう気もする」

「清らかでいさぎよさそうね。それもありかな」

 アニー、ニーヴ、ジュリア、マイア皆さん私で遊ばないで。最後の言葉は誰。私の心の声?

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