二十四話 セントラル大陸暦一五六四年 秋 四/四

 週末の土曜日、お父様から手紙が届いた。西家のご令嬢を招待する件は、温泉療養としては構わないが、火傷治療の件は中央病院の院長とハリス先生と相談するようにと記されていた。そして中にハリス先生からの手紙が同封されていた。問い合わせていた火傷治療の内容のはず。みんなで読もうと、私の部屋の隣のアニーとマイアの部屋のドアをノックした。その隣がジュリアとニーヴの部屋になる。

「ごきげんよう」

「「いらっしゃい」」

 二人にハリス先生からの返事のことを話した。

「ジュリアとニーヴも呼んでくるわ」

 アニーが二人を呼びに行ったが、すぐに戻って来た。

「予定欄に調剤室と書かれていたの、行ってみる?」

 三人で調剤室へ向かう。

 調剤室のドアの上に設置された警告灯が灯っている。危険を知らせるサイン。

 ドアを開けた途端、強烈な臭い、消毒臭とは違う刺激的な臭いが鼻につく。中に入る前に清浄の魔法をかける。臭いがそれでも治まらない。再度清浄の魔法をかけながら、調剤室の中へ。

 三人が倒れている。ジュリアとニーヴ、そしてベケット先生だ。錬金釜から湯気が出ている。

 状況から錬金釜で作った何かが悪さをして三人を麻痺させたのだろう。

 私は回復魔法をかける。金の光が三人を覆う。アニーが錬金釜の蓋をする。マイアが窓を開け換気し、さらに清浄の魔法をかける。

 三人がほぼ同時に意識を取り戻した。

 倒れた三人が立っている私たち三人を見て、手を付きながら起き上がる。

「みんな大丈夫?」

 私が三人に声をかけた。

 ベケット先生が倒れていたジュリアとニーヴを見て、

「具合はどう?」

「ちょっとまだ気分が悪いですけど、何とかなります」

 ニーヴがつらそうに口を開く。ジュリアは未だ口も利けそうにない。

「三人とも、椅子に座って」

 私は楽な姿勢になるよう三人を促す。座ったところで、今度はマイアが回復魔法をかけてくれた。詠唱なしでヒールと唱える。金の光が舞う。

「ありがとう。もう大丈夫」

「気分が良くなった」

「私も」

 先生とニーヴとジュリア、三人共に今度こそ回復したようだ。

「あ、錬金釜」

「蓋を閉めました」

 先生の問いに、アニーが答えた。

「ありがとう」

 ジュリアとニーヴの「「ごめんなさい」」で始まった事の顛末は、先生によって説明された。

「二人から、マンドレイクで麻酔を作りたいと相談を受けて、材料を揃えて錬金釜で作ることにしたのよ。以前ジュリアが、手術した時に、マンドレイクで作られた弱いものだったらしく、眠っただけで、その後に雷魔法で麻痺状態にされたって、その時、とても痛かったって。だからマンドレイクだけで麻痺状態になれば痛みがなくなるからいいのでは、と。それで、ここでやったのよねえ。魔力マシマシで。多分水分は高濃度のアルコールがニーヴの水魔法で出されたと思う」

 ニーヴがコクリとした。

「錬金棒でも魔力を込めまくったはず」

 ジュリアとニーヴの二人ともが肯いた。

「湯気が出始め、しばらくしたら三人とも倒れちゃったのよね、何とか警告灯ボタンを押せたと思ったけれど……」

 それで、警告灯が点いていたのか。でもあれじゃ気付かれないかもしれない。今回はたまたま私たちが来たから事なきを得たが、警報も追加する必要がある。今後の課題だ、と管理者視点で冷静になる。もう一方で、三人が責任を感じて新しい事への試みに委縮しないように、わざと呆れた口調で話す。

「その結果、強力な麻酔薬ができて、その湯気ですら人を倒してしまったという事ですか」

 ただ、ジュリアがニーヴだけを誘ったのは何となく理解できる。というのも自身の手術に私たちに付き添ってもらったことが今でも名残の恥ふるきずとして胸に触るのでは、と思えたからだ。

「ごめんなさい、教師の私が付いていながら」

「でも助かって良かったですわ」

 マイアはすっかり安堵している。

「できた麻酔薬は学院で調査するわ」

 先生は、錬金釜から蓋を開けないで、取り出し口から薬品瓶に、出来上がった強力と思われる麻酔薬を注ぎコルクで封をする。

「この体験を何かに活かせないかなあ」

 ニーヴの問いかけに、

「ひょっとして湯気ですら人を倒せるんだから水の魔法で今の麻酔薬を再現できたら、攻撃力がとっても増すんじゃない」

 と物騒なことを言ったのはアニー。

 目を輝かせて頭を縦に振ったのはジュリアとニーヴ。

「冗談でしょう」と言うマイアに、

「「本気まじ本気ほんき」」と当事者二人に応えられてしまった。

 訓練場への移動中、庭を通りながら、ジュリアとニーヴが呪文はなにがいいかしら「ウォーター・アロー」「ウォーター・ナイフ」「ウォーター・ビーム」とか言っている。呆れるほど暢気だ。

 ワンッワンッ、ワンッワンッ。

 突然、犬の鳴き声が聞こえてきて、目を向けると、男の子が中型犬二匹に追い駆けられていた。状況が読めず雷魔法の発動を一瞬躊躇った矢先、「マンドレイク」と声がした。

 先頭の犬にニーヴが放った水流が命中する。

「マンドレイク」

 先ほどと異なる声がした途端、もう一本の水流が二匹目に命中する。これはジュリアから放たれていた。

 二匹の犬が倒れた。追いかけられていた男の子が横を向き、私たちに気付くと、そばまで寄って来て、膝を付き大声で泣き出した。

 じゃれついていたわけではなく、助けて正解だったらしい。

 私とアニーとマイアが男の子の面倒を見る。先生とジュリアとニーヴが倒れた犬へと向かう。

「大丈夫よ、犬は退治したよ」

 私は男の子を抱きしめる。背中をさすってあげる。

 庭に何人かの生徒が寄宿舎から出てきた。

「リアン、どうした」

 外交大使の息子マイケルの声がする。

「お兄ちゃん」

 マイケルの弟のようだ。

「犬に追い駆けられて怖い思いをしたのよ。その犬はジュリアとニーヴが倒したわ」

 マイアが私の代わりに答えた。

「ありがとうございます」

「ちょっとみんな、よく聞いて」

 犬のそばにいたベケット先生が大きな声を上げた。

「この犬、狂犬病の疑いがある。今は昏睡状態だけど、念の為こっちに来ないで。兵士に来てもらって、犬の頭にかぶせるような袋と犬を入れる檻を持って来るように言って」

 そばにいた男子生徒が「分かりました」と言って走り出した。

 その後、兵士が来て、犬の頭に袋をかぶせ、檻に入れた。

「もし犬が狂犬病で、昏睡状態から覚めて、噛まれると感染し、死に至るわ。とても危険だから学院の研究所へ運んで調査してもらおうと思う」

 先生によると、王都では五十年ぶりに狂犬病が発生して、死者も出て、問題になり始めているらしい。

「学院の研究所でも、流行前に対策室を作って狂犬病の薬を作ろうとしているはず。私は学院の先生として採用が決まったので、対策室には入らなかったんだけどね。でも知っている人たちがいるから、そこへ持って行くわ」

「お願いします」

 私は頼んだ。

「それと二人の魔法はとても威力のある麻痺効果の高い攻撃魔法よ。犬は死んではいない、麻痺しているだけの状態だわ。どのくらい意識がない状態が続くかも対策室で確認してくる」

 そう言って、先生は兵士と一緒に、犬の入った檻を荷台付きの馬車に載せて出かけて行った。


 その後、四人に私の部屋に来てもらい、最初の目的のハリス先生からの手紙をみんなで読んだ。

 広範囲に及ぶ火傷痕の治療はとても難しく、一旦こちらに帰って来て相談してから、西家のお姫様を呼ばれた方がよいと書いてあった。私たち五人はそれぞれが火傷治療を勉強し、分かった事を共有しようと話し合った。知識が得られた後は、実験を繰り返し行うつもりだ。

 それからジュリアとニーヴに変な呪文『マンドレイク』を問い詰めたのは言うまでもない。

「とっさに出ちゃった。華麗な呪文にするつもりが……、ニーヴが『マンドレイク』と言うからつられちゃったわ」

 ジュリアが明るく笑いながら言った。

 凹んだニーヴだが、オチャラケた様子があまりなく、深刻な風情を感じさせた。何故だろう。


 夕飯後、ニーヴが私の部屋を訪ねてきた。

「ナナ、遂に来たわ」

 何が来たのだろうか。諦めたような、仕方がないような表情をするニーヴは、ため息をつく。

「どうしたの」

「おばあ様が仰っていた茶色いモヤ、覚えている?」

 おばあ様が私とニーヴにミッションと言ったモヤ、それが茶色だった。

「覚えているわ、私たちの解決すべき使命よ」

「その茶色いモヤが、あの二匹の犬から見えたの。悪いモノと直感したわ。それで私が唯一できる水魔法を攻撃するために使ったの。ただ、思わず出た呪文が『マンドレイク』になったのは自分で驚いたけど。倒れる直前、マンドレイクをかき混ぜていたのよね、マンドレイクで麻痺マシマシって魔力を込めながら」

「それであんな水魔法がデキちゃったのね」

「そう茶色いモヤ目がけて思いっきり放っちゃった」

「でも、どうしてモヤが見えたの、オールハイドで見えないようにしていたんじゃないの」

「寄宿舎にいる時は、みんな健康らしくて何も見えないから態々わざわざ唱えていないの」

「分かった、それでその後オールハイドしたんでしょ」

「そしたら消えた」

 肯きながら答えてくれた。

「おばあ様に手紙を書くわ」

「お願いします」


 翌日の日曜日の朝、また私たち五人は調剤室にいる。アニーとマイアも新しい水魔法、攻撃力のある『マンドレイク』をマスターしたいと言ったからだ。ベケット先生はまだ対策室から帰って来ていない。代わりに銅の魔法が使えるハリーお兄様とノアお兄様に立ち会ってもらった。先生がいないが、ハリーお兄様がこの建物自体の最高責任者だから問題ないだろう。

 何故だか他に従弟のチャーリーとマイアの幼馴染ジェイミーと外交大使の息子マイケルも参加している。チャーリーとマイケルは小声で「攻撃魔法が貧弱だから」と言い、ジェイミーは「僕は銅の魔法が使えるからな」とさも当然な顔をしていた。

 仕方がない、特別に参加を許そう。

 昨日の臭いをイメージしながら魔法で出した水を魔法で沸騰させマンドレイクを入れて、私とアニーとマイアが魔力を込めながらかき混ぜる。特別参加の三人も魔力を込めてかき混ぜている。どういうわけか、ハリーお兄様とノアお兄様もかき混ぜていた。換気に気を付けジュリアとニーヴから清浄と回復の魔法を受けながら、ふらつきとキツイ臭いを我慢して行った。結果、参加していた全員が、攻撃的な水魔法『マンドレイク』をマスターした。もちろんできた麻酔薬は瓶に入れ密封し鍵付きの保管庫に入れた。後でベケット先生に渡すつもりだ。


 その夜、部屋で本を読んでいると研究所の対策室から帰って来たベケット先生から報告があるというので招き入れた。二匹の犬は間違いなく狂犬病を発症していた。新魔法『マンドレイク』はジュリアの使った魔法では約八時間効果を持続し麻痺させていたらしい。この結果から大型犬では約六時間、人だと成人男性で多分四時間は意識不明になるだろうとの事だった。ニーヴの魔法の威力はその半分、効果の違いは銅の魔法の適性の有無らしい。しつこくどうやって麻痺させたのかと聞かれたみたいだが、土魔法で動かせなくして、試験中の強力な麻酔薬を浴びせたのよと言って納得してもらえたようだ。

 それで用件は終わったはずなのに、ベケット先生が何か言いたそうにしている。決心が決まったのか、

「人払いをお願いします」

 と真剣な顔つきになった。

「失礼いたします」

 侍女のラナーナが私への害はないと判断したのか、部屋を出て行く。

「ナナリーナ様の秘密を打ち明けてください」

 先日秘密は、これ以上はお腹が一杯と先生は言ったはずだが……。

「私にも秘密があります」

 先生も秘密を持っているのだ、それを打ち明ける代わりの保障か。なら私、いや私たちの秘密を明かそう。

「分かりました。覚悟はよろしいですね」

「はい」

「一つ目、私は、金と銀と銅の希少魔法のほか、紫、復元の魔法が使えます。そしてアニーも紫、復元の魔法が使えます。私は髪を銀に、アニーは水色に染めています」

「やはりそうですか、王都のサンダー領民の間に紫の髪を持つ子がいると評判になったのです。そのうち、間違いだったとの噂が流れたのですが、いや、やっぱりパール浜に紫と銀の髪の女の子がいるのでは、と言われ始めたのです。私もサンダー領に帰った時にパール浜に行ってみたのですが、あそこは紫と銀の髪に染めた女性ばかりでその真偽が分からなかったのです」

 私はパール浜で起こった事件と、それに関連して浜の人たちが染めてくれていることを話した。

「納得です。ナナリーナ様がうらやましい」

 と言われた。

「少しお疲れなようですね」

 私は金の回復魔法を無詠唱、呪文なしで発動し先生を覆った。金の光の輝きが先生に降り注ぐ。

 先生の顔が驚きから、恍惚へと変わってゆく。

「ありがとうございます。これがナナリーナ様の二つ目の秘密、無詠唱、呪文なしの魔法の展開なのですね」

「その通りです」

 疲れのなくなった先生の顔を見て魔法を収める。

「私の秘密は、黒、闇の魔法が使える事です」

 驚いた。ここにもいたのだ。ニーヴ以外の闇の魔法の使い手が。そっと後光を詳しく確認するが、黒の判別がつかない。ニーヴの時も分からなかった。闇魔法の呪文を考えている際に後光の制御もできるようになったが、黒だけは私に黒の適性がないせいなのか、または特別な観方をしなければ見えないのかもしれない。先生の目に視線を戻し、後光眼を遮断する。

 ここは私だけではなく、ニーヴもいた方がよい。

「ちょっと待ってください。この事は私一人よりも、もう一人ニーヴと一緒にお聞かせください。理由、というかさらにもう一つ秘密を打ち明けます。よろしいですか」

「分かりました」

 戸惑いながらも了解してもらった。

 私はニーヴを呼んで来た。

 私の部屋に三人。

「もう一度先生の秘密を言ってください」

 先生はゆっくりと頷き、話し始めた。

「私は、黒の真珠の適性がありました。闇の魔法が使えます。昨日男の子を襲った犬が狂犬病だとあの場で分かったのもそのせいです」

「茶色のモヤが見えたのですね」

 ニーヴが口をはさむ。

「どうしてそれが」

 ニーヴが私を見た。私は了解よ、話していいわよと頷く。

「私も同じ色のモヤが見えたからです。つまり私にも黒の真珠の適性があります。茶色のモヤ以外にも灰色、赤色、黒色のモヤが見えます」

「このことは領内でも秘密です、ニーヴの家族と私の家族しか知りません」

「そこに私も加わるのですね」

「そうです」

「闇の魔法が使えるのは私だけだと思っていました。苦しかった。一人じゃなかったんだ」

「そうですよ、先生。私たちは仲間です」

 心底先生は嬉しそうだった。

「おかげで話しやすくなりました。王都の狂犬病対策の実態が思っていた以上に悪いです。五十年前に流行した時は特効薬が開発されて収まりました。ところが、今その薬の製法が失われていたのです」

 サンダー領にいた時は狂犬病の話は聞いたことがない。故郷ではまだ発生していないはず。

「ナナリーナ様は焚書の事はご存じですか」

「ええ、聞いています。恐竜用の毒饅頭の製法に関する本は教会によって全て燃やされたと」

「どうも狂犬病の特効薬も教会によって、毒饅頭の本と一緒に燃やされたようなのです。私も昨日対策室へ行ってはじめて知ったのです。てっきり狂犬病の特効薬の製造にもう乗り出していると思っていたのですが……」

「えっ、そうすると今の流行は、狂犬病にかかっている犬を全て殺処分にしないと収まらないという事ですか」

「はい、狂犬病は噛みつかれたら発症します。狂犬病は大型犬、中型犬、子犬、愛がん犬など種別、種類、雌雄を問いません。このままだと、多分流行は止まらないでしょう。狂犬病の犬が、王都だけなのか、地方にも拡散しているのか、……どれだけの犬がいるのか、全く想像もできません。狂犬病かどうか瞬時に分かるすべは闇の魔法が使える者だけです。今は私とニーヴの二人だけ……」

「二人だけで狂犬病の犬を全て探すのは困難です」

「物理的に不可能よね」

 ニーヴも同じ考えのようだ。

「この流行を抑えるには、魔法での治療はダメと対策室では言っています。進行を速めるだけだと……。薬を作るしかありません」

「でも製法が失われているのですよね」

 私は問うた。

「はい、ですが、ここからがもう一つの秘密の話です。必ず誰にも言わないでください」

 私たちは頷く。

「私の家に先祖から受け継がれたノートがあります。その中に狂犬病の特効薬の作り方が書かれています」

 どういう事だろう。サンダー領で研究されていたのだろうか。

「私の何代か前の人が王都で錬金術が扱える薬師だったようです。その方のノートをサンダー領出身の祖父が領まで持って来ていたのです。焚書が叫ばれる中、どうにか領まで持って来られたと祖母が言っていました。ノートを残したのは祖母の母親だったのです。その製法に基づいて薬を作りたいのですが、この事を秘密にして進めるにはここサンダー侯爵家のタウンハウス敷地内でしかできません。どうか皆さんの力をお貸しください」

「そうですね、そのノートが世に知られたら、教会が何て言ってくるか想像がつきます。焚書だ、提出しろと、当然命令してくるでしょう」

「ここなら相当安心であることは確かですよね。でもおばあ様の母親の単なるノートなのに、何に教会は目くじらを立てるのか、不思議ですよね」

 ニーヴが憤慨する。

 あれ、何かがひっかかる。おばあ様の……。

「先生、私のおばあ様、つまり前侯爵夫人が話してくれたのですが、おばあ様のお師匠さんの姉妹弟子に当たる方が、王都で凄腕の錬金術師で医師たちと一緒に毒饅頭を作ったと。その方が黒の魔法を使え、モヤが見え、そしてそのモヤの内容をも解き明かし、呪文も開発したと、ただ、忽然と姿が消え、資料が一枚たりとも残っていなかった、と聞きました」

 先生が目を見開く。

「多分、そうです。祖母の母は教会から人が来ることを予見して祖母に資料を全て渡して祖父の実家へ逃げるように言ったと聞きました。そして祖母はその後、母とは会えなかったと、人伝に教会へ連れて行かれたと聞いたそうです」

 おばあ様のお師匠さんの予想が半分外れて半分当たったようだ。

「確認しましょう。私たちは赤いモヤを良性腫瘍とその方から聞いた言葉を使い、黒いモヤを悪性腫瘍、灰色を精神的に病んでいる人としています」

「その通りです」

「茶色のモヤの正体が分かっていません。私のおばあ様からそれを解決するのが私とニーヴの使命だと言われています」

「資料から、茶色は伝染病だと思われます。それも強い伝染病の場合に見えます。普通の風邪程度の病気では見えません」

「モヤをる場合の呪文は『エクストラ・ショウ』詳しい部位は『エクストラ・クリア・ショウ』そしてモヤを消すのは『エクストラ・ハイド』です。そして、何時も見えていると困るので『オールハイド』で見えなくします」

 ニーヴが説明する。

る場合の呪文は『エクストラ・ショウ』消すのは『エクストラ・ハイド』で一緒です。でも詳しくる呪文はありません。それと常時見えた状態のままということはありません。それに詠唱も必要です」

「そう言えば、犬を倒した後、先生は何か唱えていましたね、あれは黒の魔法の呪文だったのですか」

「ええ、そうよ。呪文だけでは心もとなかったので詠唱もしたわ。あなたはどうやって茶色いモヤを見ていたの」

「私の場合、一日一回『オールハイド』の呪文で消さないと、モヤがあれば常時見えます」

「そんな常時見えているなんてことがあるのですか。ではどうしてるための呪文や消す呪文が必要だったのですか」

 その言葉を受けて私が答える。

「サンダー領の中央病院で黒真珠の検査室はご存じないですか」

「私が行った時は、復元手術室と回復手術室の事しか聞きませんでした。検査室があったかどうかも聞かなかったです」

「中央病院ではモヤを魔力がある人なら誰でもえるようにしたのです。それが黒真珠の検査室であり、るために呪文が必要だったのです。サンダー領では詠唱無しの呪文だけで魔法を発動できる人が多くなったので」

「そういう事ですか。でもこれで私のひいおばあ様が大奥様のお師匠さんの姉妹弟子であることが分かりました」

 そして先生はノートの事を話してくれた。

「ノートは私に黒の適性があると知っていた祖母が、学院に奉職する際に誰にも見せちゃいけないよと言って先ほどの話をしてくれて渡されたものです。さらに、ひいおばあ様が凄腕の錬金術使いの薬師で、このノートには色んな薬の製法が書かれているのだよと聞いて、読んでいたのですが、王都では失われた製法が書かれていたとは昨日まで知りませんでした。焚書があったとはいえ王都でも狂犬病の薬の製法くらい残っていると思っていました」

 私たち三人は長いため息をつくしかなかった。

 先生との長い話が終わった。今後の対策を立てねばならない。

 ハリーお兄様に話し、お父様とおばあ様へ手紙を書いた。

 内容はサンダー侯爵家のタウンハウスの敷地内に黒い真珠を安置する検査用の部屋を造る許可。そこではみんなの健康状態チェックと称して、極秘に茶色のモヤ、狂犬病検査も調べる事の許可。そして、専用の研究室を作り、ベケット先生と協力して特効薬の研究・開発を進める事の許可。おばあ様には別にベケット先生のひいおばあ様の件を書いて送った。


 翌週の木曜日の夜、お父様から返信があったとハリーお兄様に呼ばれた。

「研究室を造ることは許可してくれた。だが黒の真珠の検査室は許してもらえなかった。担当するベケット先生も管理する側の人間も私とナナじゃ若すぎる。王都で行うには危うい。狂犬病の流行如何で、必要なら侯爵家から王家へ進言する、との事だ。ただし、黒の真珠を三珠送って来た。これで私たち三兄弟妹が茶色のモヤがえるようにしておけ、とさ」

 最後の命令は絶対にお母様だ。


 二日後の土曜日、朝から私たち三兄弟妹とニーヴとベケット先生は護衛と共に王都の町へ狂犬病の犬を探しに出かけた。茶色いモヤがられるようになるために、黒の真珠を身に着けて。荷台付きの馬車に乗る。荷台には狂犬病の犬を閉じ込めるための幌付きの檻が載っている。家紋はわざとない馬車を選んだ。

 馬車を市中の所定の置き場に停め、朝からあたりを徘徊する。

 探せど、いない。昼食を手早く取りまた探す。

 ティータイム、三時の鐘が鳴っている。

「まだ、そこまで流行ってはいないようだな」

「見つからないのは、有難いのですが、今日に限っては早く見つけたいですね」

 ハリーお兄様とベケット先生が会話する。

 夕暮れ間近の路地裏、もう諦めかけた時「マンドレイク」ニーヴが発した。

 キャン。キャン。

 二匹の犬が倒れた。一匹は涎を垂らして狂犬病と言ってもおかしくない症状、もう一匹は普通に見えた。

「二匹から茶色いモヤです」

「エクストラ・ショウ」

 ベケット先生が呪文を唱えた。

「そうです、二匹ともです。あまり近寄らないように」

 昏睡状態で倒れていても茶色いモヤは消えないようだ。

「護衛、誰も近づかないようにしろ」

 護衛が路地の出入り口へと散る。一緒にいた御者が指示を待たずに走りだす。仕事のできる御者だ。馬車を取りに行ったのに違いない。

「狂犬病の犬を見て、呪文エクストラ・ショウで試してみて」

 先生が声を張る。

「「「エクストラ・ショウ」」」

 三兄弟妹が呪文を試す。結果は全員出来なかった。

「ニーヴ、手を貸して」

 私はニーヴの右手をつかんだ。

「茶色いモヤをせて」

 錬金釜の前で魔力のやり取りをした経験が頭に浮かんだ。

「分かった」

 察してくれたようだ。ニーヴの右手から魔力が流れて来る。

「エクストラ・ショウ」

えたわ、手を離して確かめてみる」

 ニーヴの右手を離す。

 まだえている状態だ。心の中で、モヤを消すのは『エクストラ・ハイド』と念じる。モヤが消えた。今度は心の中でるのは『エクストラ・ショウ』と念じた。モヤがえた。

 ――よしできた。一旦コツをつかめば、魔法の回路がつながるようだ。

「呪文なしでもできました」

 兄たちにもやり方を教えたが、ニーヴの手をつかんでやってもできず、私の手だと呪文だけでうまくいった。魔力のやり取りの可否は信頼度の違いなのかもしれない。

 倒した犬は対策室ではなくサンダー領のタウンハウスへ運んだ。

「市中で呪文を唱えるのは、まずい。呪文なしでも出来ようにしたい。そのための練習用だ」

 ハリーお兄様が厳しい顔をしていた。


 翌日から、サンダー侯爵家の寄宿舎の裏に研究室の建設が始まった。狂犬病のサンダー侯爵家として対策の開始だ。

 同時に黒の真珠を身に着け、無詠唱、無呪文で茶色いモヤをる練習が始まった。黒の色付き真珠は意外と簡単に集まる。私とニーヴが手伝って、アニーとマイアとジュリアの三人が先ず、呪文なしまで会得した。次にベケット先生も呪文なしをマスターした。私たち五人と先生と兄たちで従弟連とマイアの幼馴染ジェイミーと外交大使の息子マイケルに教えるのだが、兄たちを含めて男性たちは呪文『エクストラ・ショウ』『エクストラ・ハイド』がどうしても必要だった。この差異はサンダー領の中央病院の検査室で赤、黒、灰色のモヤをて慣れていたせいのように思えた。


 学院へ行くときにする五人の装飾用ネックレスは白のパールの中央に黒が一色混じるようになった。学院では黒の真珠も装飾用として認識され、何人もの生徒が身に着けている。ただ、ベケット先生には念の為に錬金釜を使う時は外してきてね、と言われた。

「サンダー領の白と黒の麗しきご令嬢たち。なんて噂されないかな」

 アニーが軽口をたたく。

「真珠はうちの名産、宣伝になってちょうどいいわ」

 ジュリアあなたはきっと商売上手になるわ。

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