第三章 王都学院編

第三章 二十一話 セントラル大陸暦一五六四年 秋 一/四

 王都のサンダー侯爵家のタウンハウス敷地内の寄宿舎に入って、私はまずは荷物整理をしていた。特別室を侯爵令嬢らしく宛がわれた。私と侍女用の部屋と応接間がある。他は生徒二人部屋が基本となっている。

「この宝箱はどうしますか」

 侍女のラナーナが訊く。護衛の『ゴ』『エイ』は変わったが、ラナーナはとても有り難いことに王都でもずっと一緒にいてくれることになった。

 私は本の整理をしている手を止め、振り返った。

「なあに」

 ラナーナが手に持っていたのは七宝焼きらしき美しい小箱。何となく記憶がある。忙しくて手が回らず、実家の部屋から宝物入れをそっくり持ってきていた。ラナーナが中を開けて見せてくれる。

 中には小さな干からびたタツノオトシゴとカニ、イカ、タコ、エビが五つ。パール浜の名物、シラス干しに混ざっている小さな異物。

「ナナ様が小さいころパール浜の食事に出ていた大好きだったシラス干し。その中にこの小さなタツノオトシゴがあって、これは食べてはいけませんと言って、カニ等と一緒に宝物にしたのですよ」

 うーん、シラス干しは大好きだ、その中の異物のカニやエビも好きだ。タツノオトシゴは確かに一度見た。それをこの箱に入れて今でも取ってあったとは。ちょっとばかり恥ずかしいような……。

「あの頃のナナ様は、それはそれは可愛らしいお嬢様でした……のに、今は……」

 今だってそうでしょっと言いたいけれど……。

 ラナーナがフーっと息をついて続ける。

「奥様が言ったことが現実まことにならなければよろしいのですけど」

 お母様が王都に向かう私を送る際の言葉を思い出す。

『ナナ、サンダー領の聖女から今は女王様と言われているのを知っています? まったく困ったことよ。王都に行っておしとやかな令嬢になって帰って来るのよ、くれぐれも女王様から進化して女帝になって帰ってこないでよ』

 そんなことには決してなるつもりもないし、なりたくもない。

「ラナーナ、お願い不吉なことを言わないで」

 目を細めて薄い笑みを浮かべているラナーナに宝箱の中身の処分をお願いした。


「ナナ姉様、すみません至急来てください。ジェイコブが大使の息子とやり合おうとしています」

 部屋に急いでやってきたのはチャーリーだ。

 ようやく、昨日寄宿舎に到着したばかりだというのに……、どうして私に休みを与えてくれないの。明後日は入学式なのよ、チャーリー、女性にはそれ相応の準備があるのよ。

 私は呆れて肩を落とす間もなく、急ぐチャーリーの後をついて行く。

 訓練場にはジェイコブ、レオ、ジェイミーを含めて数名の同級生と見慣れない男子、王都在住の外交大使で伯爵の息子マイケル・キャンベルとデイビス・ブラザーズ商会の息子カイ・デイビスだろうと思われる二人がいる。女子生徒もいる、ジュリアだ。彼女はデイビス商会の娘、ひょっとしてカイを止めようとして間に入ったのだろうか。

「ジェイコブ、どうしたというのですか」

 私は声を張る。

「ナナネエ、俺からじゃないよ。この二人が勝負を挑んできたんだ」

 私は王都在中の二人に対して目を強める。

「学院の魔力検査、俺たちの実力を十分出せなかったのはこいつのせいだ。だから、尋常に勝負を今申し出ただけだ」

 茶色の髪のカイが怒ったように答えた。

「詳しく話しなさい」

 私はカイではなくマイケルに向かって言った。彼の髪は赤い。

 マイケルは私の顔から視線を一旦そらしてから再度戻して、言いたいことを整理したのであろう、その目を細めて話す。

「ナナリーナ様へ申し上げます。私たちは魔法実技の際、二種目を終えて、まだ魔力に余裕があったので三種目を行おうとした時、彼から、検査官に聞こえぬように小声で『そこまでだ』とやめさせられたのです。そして、ナナリーナ様の命令だからと」

「俺はナナネエの命令なんて言ってないよ」

「あの時は確かに、ナナリーナ様の方に顔を向けて『命令だから』と言ったはず、あんな仕草をされたらナナリーナ様からだと思うじゃないか、だからやめたんだ」

 ジェイコブは、侯爵家の命令を忠実に果たしたつもりなのだろう。また王都在中の二人はそのことを知らないから、自分の実力を十分発揮したかったのだろう。仕方がない、ここは禍根を残さないためにも勝負させよう。今の王都の二人の実力ではジェイコブにかないっこない。この後のことも考えると、ここで鼻っ柱を折っといて後でフォローした方がよいだろう。

「分かったわ、そこまで言うなら、勝負しなさい。私、サンダー侯爵家の娘ナナリーナが見届けるわ」

 後ろで人がさらに集まってきているのが分かった。アニー、マイア、ニーヴもいる。

「ルールは試験の魔力実技の時と同じ。二人の合計点数がジェイコブにかなわなかったら、二人の負け、勝てば勝ち、負けた方が勝った方に謝る。これで勝負しなさい」

 王都の二人が口を開ける。

「まさか、二対一じゃこっちが勝つに決まっているじゃないか、そっちも二人で」

「いいえ、ジェイコブが言ったことですから彼に責任があります。一人で責任を負ってもらいます」

「望むところだぜ」

 ジェイコブはやる気満々で対応した。

 火の魔法。先行は王都組。詠唱し呪文で発動した結果、マイケルが二十点、カイが十点。

「そんなもんかい」

 ジェイコブが余裕の発言をする。

「ファイア」と一言。得点は四十点。

「もっと遠くでもいけるぜ」

 驚くマイケル、カイ。「詠唱無しの呪文だけで……」と囁いている。

 土の魔法。マイケルが十点、カイが二十点。

「ふん」

 鼻で笑ったジェイコブ、それは止めなさい。

「ジェイコブ、失礼な態度は許しません。減点二十点です」

「えー、そりゃないよ」

「審判への暴言で、さらに減点二十点」

「分かりました」

 ジェイコブの土の魔法は四十点。減点含めて合計四十点。王都の二人の合計点数は六十点。

 風の魔法。王都の二人は共に十点。合計八十点。ジェイコブは四十点で合計八十点。

 水の魔法。王都の二人は共に十点。合計百点。ジェイコブは四十点で合計百二十点。

「お二人さん、希少魔法はどうする」

 ハッと息をのむ王都の二人。彼らは基本魔法しか使えないのは後光を見て私には分かっている。

「ここまでです。魔法実技で私は検査官に希少魔法は習っていませんと答えています。よって希少魔法は対象外です。それを口にしたジェイコブは審判を侮辱したものとして減点二十点です」

 大きな口を開けて銀髪の頭をかくジェイコブ。

「トータル何点ですか」

「ジェイコブが百点、王都の二人の合計は百点、同点です」

 ジュリアが答えてくれた。

「この勝負引き分けです。ナナリーナが裁定しました」

「いえ、私たちの負けです」

「すみませんでした」

「いいえ、あなた方二人は負けてはいませんよ。魔法の力を十分生かす方法、火、水、風、土の魔法のことわりを知らなかっただけです。お二人の魔力は十分です。いい先生についたようですね」

「ノア様にナナ式美流法という鍛錬を習いました」

 ノアお兄様、名前まで王都に持ってこなくてよいのに。

「俺たちと一緒じゃん。ナナネエが広めたんだぜ、だからナナ式」

「え、数字の七じゃないのですか、一式から六式まであって、改定があって今が七回目の術式だから七式じゃないのですか」

「違うよ、サンダー侯爵家に伝わる鍛錬をナナがアレンジしてみんなに広めたからナナ式美流法なんだよ」

「本当ですか」

 王都の二人が私を、憧れを含んだ目で見つめる。咳払いをして今の話を無視して先を続ける。

「鍛錬は出来ているようですね。後は発動方法です。これがあなた方はなっていません。魔法のことわりらないで行っているから威力が未熟なのです。ジュリア申し訳ないけど、風魔法で四十点を狙ってみて」

「分かったわ」

「彼女は、魔法実技検査では水魔法を行いました。風魔法は行っていませんが、よく見ていてくださいね」

 ジュリアが詠唱無しの呪文だけで風魔法を行い、見事四十点をクリアした。

「分かっていただけました? サンダー領の生徒は全員が基本四魔法で最高点をマークできます」

「すごいです」

「女性でもできるんだ」

 マイケル、カイが驚いている。

「秘訣があります。あなた方もサンダー領の一員です。私たちからお教えいたします。しかしこれは門外不出の秘伝です。ですからノアお兄様もお教えしなかったのです。ここで講義の部分を教えられるのは私とジュリアだけです。お二人は秘密を守りますか?」

「「もちろん」」

「では今から契約の魔法をかけます」

 私はもっともらしく二人に銀の雷魔法を薄く広くかける。銀の光が二人に舞っていく。

「基本四魔法の神髄を伝授するにあたり、教わったことを人に話さないとサンダー侯爵に誓いますか」

 さらに大量に銀の光が二人を包む。

「「誓います」」

「この誓いを破ったら、それ相応の罰が当たります。必ずや守りなさい」

「「守ります」」

 私はここで銀の魔法を収めた。

「契約が完了しました。明日から私とジュリアで二人を特訓します」

「「お願いします」」

「では皆さん、解散しなさい」

 私は、その場を後にした。ハリーお兄様とノアお兄様も見ていたようで、すれ違いざまに、

「相変わらずのナナ節炸裂だな」

「父上なみだね」

 と言われてしまった。

 後でジュリアが部屋に入って来て問われた。

「私は何をお手伝いすればいいの」

「教本はサンダー領から持ち出し禁止だから、私が口頭で教えるつもり。ジュリアには予め基本四魔法のイメージし易かったと学舎のみんなから評判のよかった絵を描いておいてほしいの、そうすれば、教本と同じでしょ。但し、その絵は持ち出し厳禁。二人がマスターしたら破棄しましょ」

「分かったわ」

「ハリーお兄様です」

 侍女のラナーナから控えめな声が届く。

「王都の二人にナナ自らが魔法を伝授すると聞いた」

「ええ、そうです」

「あの二人はノアが面倒を見ていた。ナナ世代の王都在住者できちんとナナ式を行ったのはあの二人だけだ。詠唱の件は彼らも王都の幼年学校へ行ったので、そちらに任せた。結果、長ったらしいだけで威力もない魔法だったが、それでも王都のあの世代じゃピカ一で、幼年学校の対抗戦でエースとして優勝に貢献したらしい。我が領民の足元にも及ばなかったがな」

「だから、魔力量だけはサンダー領の生徒たちと同じだったのに、お粗末な魔法しかできなかったのですね」

「うん、そうだ。それとついでにお願いなのだが、彼ら二人に教える内容はサンダー領のあの教本、つまり詠唱無しだよな」

「ええ、そのつもりです」

「なら、四、五年生にも詠唱無し呪文だけで魔法を発動するやり方を伝授してもらえないか。彼らが学舎在学中は、あの教本がなかったのだ。王都在住の二、三年生も同じだ。出来たら寄宿舎にいる学院生全員にマスターしてもらいたい。将来のサンダー領のために」

 断れるはずもない。

「契約の魔法をかけるのは私が行おう」

 ジュリアがいるのでコケ脅しの魔法と言わなかった配慮はもっているようだ。

「お願いします」

 四、五年生全員の規模になると講義はまだしも実技の面は私とジュリアだけでは手が足りず、翌日から一年生総出で対応することになった。


 暑さの残る王都のセントラル学院の入学式にサンダー領出身の生徒四十二名が出席している。私も、もちろんその一人。学院では生徒の魔道具類の持ち込みは禁止のため、腕輪とネックレスは侍女のラナーナに預けてある。

 広い講堂で私の立っている位置は、侯爵の娘として我が領の最前列、右隣はチャーリー、後ろに四十名の領の新入生。左隣は雰囲気がチャーリーとよく似た私より小柄で優しそうな緑の髪、風魔法に最も適性のある少年だった。両隣が同じようなタイプと親近感を覚え、思わず会釈すると、彼は予測していなかったのか、一瞬ハッとした表情を見せた後、私の笑みに少し固い会釈を返してくれた。緊張しているのか頬にほんのり朱が入っている。王家と他の領の数多くの新入生も並んでいた。

 制服は各領地で決めたものでよい。我が領は紺ベースに銀色の縁取りがある上着に、中は白シャツで女子はリボン、男子はタイ。下は、女子は車ひだのひざ丈の、サンダー領伝統の模様であるチェック柄のスカート、男子はチェック柄のスラックスの正装である。もちろんボタンは銀製のサンダー領の雷光紋入り。同じくピンバッチも雷光紋である。

 このピンバッチは王都でのサンダー領民の証、領民証の代わりともなり得る。王国法は全国民が対象だが、我が領民には王都法や王都条例は適用されない。しかしピンバッチがないと封建的になった王都法や王都条例により、警ら隊に連行される羽目に陥ることもある。なんとスカートの丈が短いと公序良俗に反する条例により連行されるという笑い話のような事件が実際あったそうだ。

 式が始まる。

 王立とはいえ王家からの参列は卒業式にはあると聞くが、入学式にはない。

 司会進行者の澄んだ声が式場によく通る。

「王都領百九名、北家領六十一名、西家領四十九名、南家領四十二名、東家領四十二名、サンダー侯爵家領四十二名」

 公爵家を上回らないように我が領も四十プラス二名としたのだとこの瞬間理解した。この後司会進行者が他の侯爵家の人数を発表した。ほとんどの侯爵家の入学者は十名前後なのに、サンダー侯爵家だけが異常に多いのは、真珠の産地であることと、養殖が完成したおかげなのだろう。

「最後に国教会五名、総勢四百七十名、十クラスのセントラル学院六十四年度の入学許可の儀式を行う」

 生徒内訳最後の国教会五名が妙に気になる。そして、これが入学式ではなく入学許可の儀式だったとは、何が違うのだろう。お兄様方は何も仰ってくれなかったが。

 司会者がひな壇の十名を紹介し、学院長に式辞を依頼した。

 新入生を迎えるお祝いの言葉は「よく学びなさい」の一言で終わるものだった。

 私はその内容が奇異に感じられた。通常はここで学びの場として平等をうたうはずでは。『身分差無し』『男女平等』という言葉が一切無いとは、一体どういうことなのかしら。疑問符が浮かぶ。

 次に黒の詰襟型短ジャケットの制服を着た男性が壇上に上がった。

「生徒会長の五年生、ルーク・リットンである」

 言葉を切った瞬間に凄まじい威圧がかかって来る。

 生徒会長が右手に持つ布で覆われていた棒状のものを布から引き抜く。

 金剛杖、文字通り金色の杖が現れた。魔力が杖にまとわりついている。圧力がさらにかかって来る。

 ――しまった。押さえつけようとする力に思わず反応してしまった。

 私の回りに魔力の幕が張られている。同じように気付いたサンダー領の生徒も私の魔力の幕に乗っかった。

 ドン、ドン。

 生徒会長は呪文らしき言葉を発しながら金剛杖で重ねて床を叩く。金剛杖から大きな魔力が解き放たれた。

 みんなの魔力が乗った幕の威力を強めて壁にする。

 壁に入りきれなかった生徒がぱたぱたと倒れる。

 卑怯な男性だ。見渡すとサンダー領の生徒はみな無事だ。

 ――良かった。幸いみんなで対応したので私個人とは思われないだろう。

「うん、威圧に耐えられるやつも相当入るようだな」

 生徒会長は更に魔力を集める。

 私も壁の力を強めて、端から端まで全てを囲った。

 ドン、ドン。

 先ほどの繰り返し。しかし私たち新入生には届かない。私はさらに魔力を私の後ろ全体へと、壁から続く幕となるように覆いかぶせた。

 ヒール、アリアヒール。

 後ろからアニーとニーヴの回復魔法が発せられた。最初の一撃でダメージを受けた人が何人も出ている。私も後ろに張った幕内に詠唱呪文共になしでエリアヒールを重ねた。キラキラと光りながら魔力が降りかかる。

 凝りないのか生徒会長はまだ魔力を高めて金剛杖で床を叩く。

 新入生には全く効かない。後ろを振り返っても、倒れている人もいない、全員が回復し立ち上がっているようだ。

 私は正面に向き直った。強い目をしたと思う。

 ひな壇には校長のほか、来賓が十名ほど座っている。軍服姿の偉そうな人もいる。皆一様に感心した顔つきをしている。

 ――何だろう、これは。誰一人として心配している風ではない。

「もうお止しになって」

 優しそうな声が届く。ひな壇のそでから出てきた、制服姿の女性から発せられているようだ。

 止まらない生徒会長。

 先ほどの女性が生徒会長の側により

「もう無駄よ、お止めなさい」

 と、凛とした声で言い放った。

 生徒会長が声の主を見て、威圧を止めた。

 私も魔力を止めた。壁とそれにつながる幕が消える。

「おさがりなさい」

 優しく諭すように言う。その一言で生徒会長が退いた。

 ひな壇では軍服姿の偉そうな人の顔だけが感心していた顔から一瞬だけ困ったものだという表情に変化した。それ以外の人たちは一様に好意的な様子がうかがえる。表情を変えた人は確かリットン前元帥と紹介されていたはず。生徒会長と同じ姓、ならば同じ一族、おじい様なのかしら。でも悪意を持った顔つきではなかったのは救い。

「皆さん、ごめんなさい。生徒会顧問のアナベル・セントラルです」

 第一王女様だ。学院の五年生、ハリーお兄様の同級生にいらっしゃるとは聞いていたが、何故役職が生徒会長ではなく生徒会顧問なの、その意味が分からない。王女様なら顧問ではなく、会長に就くのでは? これも疑問だ。

「本当は、このような威圧の儀式を止めたかったのですが、伝統のために行わざるを得ませんでした。でも良かった。皆さんご無事で。今、私はとても嬉しく思います。最初倒れていた方もいらっしゃったようですが、見渡すと皆さん回復しているようですね。新入生の中に教会から五名の方がいらっしゃると聞いています、その方々がご対応なさってくださったのですね。本当にありがとうございます」

「違うよ、うちのマイアとニーヴだよ」

 後ろからジェイコブのつぶやきが聞こえる。

 声が小さかったので他領の者にも前の方々にも聞こえなかっただろうが、私は首を少しだけ回して目だけで注意する。

 ジェイコブが肩をすぼめた。

「本来ですと倒れた方は再度入学の審査を受けてもらわなければならなかったのですが、今年は必要ないようですね。多い時は全員が倒れたこともあったそうです、例年ですと百名以上の方が対象となり、うち半数ほどが入学拒否されるのですが、皆さん方は大変優秀です。

 学院の秘宝、国宝級と言われる金剛杖の威圧を皆さんは耐えきったのです。ここにいるのは身分の高い方ばかりではありません。平民の方も女性も大勢いらっしゃいます。皆さんの力ではね返したのです。

 そんな皆さんを迎え入れられることの喜びで私の心は震えています。皆さん私たちと一緒に頑張りましょう」

 王女様は、鼻をすすりながら、涙を浮かべ、泣いているようだった。

 ――どうしたことだろう。何が王女様の琴線に触れたの。

「学院は今岐路に立たされています。自由で独立した学院の気風が、封建的な風潮に押し寄せられ、失われようとしています。皆さんの力を私たちにお貸しください。お願いします。そして真の平等、以前のような身分差のない、男女平等な学院を目指して一緒に頑張りましょう」

 後ろの方から拍手が鳴り出した、それが会場全体へと波及する。

 王女の瞳から涙が流れ出ているのが見える。

 ――泣く程のストレスがかかっていたのでしょうか、おこがましいようですがお可哀そう、と思う。

 来賓の方々はと言うと、半数が苦虫を噛み潰したような顔付きをしていた。

「これにて、入学許可の儀式を終了する。向かって右側の列から順次、退場しなさい、明日は一年一組から十組の各教室へ直接行くこと。教室前に名簿が張ってあるので自分の名前のある教室に入りなさい。では退場」

 司会進行者により、入学許可の儀式は強制的に終わった。

 ざわつく新入生を教師たちが退場を促す。領地ごとに順次帰っていく中、王女様が壇上から降りてきて、私の前に来た。

 私は深いカーテシーを取る。

「アナベル・セントラルです。お直りになって」

「ナナリーナ・サンダーです」

「貴女のお兄様や大公夫妻に聞いていますわ。ナナリーナさん、あなたの力をお借りしたいの。学院のため、お願いします」

 王女様は私の目を真っ直ぐに見ている。

 ――困った。何なのよ、一体これは、王女様にお願いされてどうすればよいの。どう答えればよいの。

「私はこの学院に入ったばかりの新入生、王女様のお役に立てると思いません。どうかご容赦を」

「アナベル、どうしたのだい」

 魔力検査の検査官として来ていた北家の御曹司フレディが来て王女様に声をかけた。私はまた深いカーテシーを取った。

「北家のフレディだ、よろしく」

「ナナリーナ・サンダーです」

「ナナリーナ様、皆が待っています」

 マイア、ナイスです。

「すみません、サンダー領の退場が促されておりますので、失礼させていただきます」

 私は軽い淑女の礼をして二人から遠ざかった。

 ――助かった。

「マイアありがとう。おかげでひとまず難を逃れたわ」

「よかった、なんかすごい事に巻き込まれそうになっていて、ナナが困っていそうだったから」

「助かったわ。北家の御曹司も丁度よいところに来てくれたわ」

「そうですわね。彼は王女様狙いみたいですね」

 マイアの目は鋭い。


 寄宿舎の夕食前の食堂に新入生が最上級生のハリーお兄様に集められた。

「今日はご苦労だった。全員無事で何よりだ。儀式の事は慣例によりかん口令があるため黙っていた」

 当然お兄様方は儀式のことはご存じで、隣のノアお兄様も他の先輩方も満足気な表情を見せている。

「号外によると、学院始まって以来の快挙、誰一人として倒れたままの新入生はいなかったと載っている。今年の再検査者はゼロ。公営賭博オッズ最高の一千倍、果たして的中者はいたのか、ともな。

 お前たち未成年者は、賭け事は禁止だからこれは関係ないか」

 王都は賭け事が盛んで公営ギャンブルがあると聞いていたが、私たちが賭け事の対象となっていたとは、信じられない。しかも当たれば千倍、一万モン買えば一千万円、十万買えば一億だったとは。

「本文を続けて読むと、気分が悪くなった新入生もいるが、参列されていた同じく新入生の教会の聖女ライラ様が、回復の魔法を展開し、金の光の粒子が舞い、世にも美しい世界が広がり、倒れていた生徒も起き上がった。そして新入生全員の力が一つにまとまり、魔力が強いと評判のルーク・リットン生徒会長、カッコ前元帥リットン卿のお孫さんカッコ閉じ、が振るう学院秘宝の国宝級と言われる金剛杖の強大な威圧を見事にはね返した、前評判では全員が倒れるのではないかと噂されたが全く逆になったとある。そしてアナベル王女様がそれを絶賛した、とも。王女様が北家の御曹司と北家次男のジェームス様とその後会話したことから、穿った本質を突いた見方だと思うが、あの強力な威圧をいち早く察知し防ぎ、皆の魔力を結集し防御壁を展開したのは次男のジェームス様かと思われる。幼さが残る小柄で虫も殺さぬような優しい顔をしながら、緑の強力な風魔法の使い手のようである、と載っている」

 私の隣が北家次男の方だったようで、王女は北家の御曹司につかまり、次男とも会話なされたらしい。

 私以外の新入生はというと、号外を聞いて、事実とは異なることに、騒然とし、不平を口にする者が出だした。

「分かっている。みなまで言うな。魔力をはね返したのはお前たちが最初だろう。その後、他の領地の新入生が、お前たちの作った魔力の壁に乗っかって自分たちも守れたのではないのか、もしくは彼らの魔力じゃなくて、我が領の生徒だけで魔力を強めて新入生全員を守った、はずだと。回復魔法も我が領の人間だと察している。だけどな、侯爵夫人にも言われただろう。目立つなって」

 新入生も、仕方がないという、雰囲気になった。

「ばれたら面倒だ。世の連中が誤解したのなら、そのままの状態として欲しい。だから申し訳ないが、黙っていてくれ、頼む」

 ハリーお兄様が頭を、下げてはいないか。お願い口調で言っただけでも滅多にないことだ。

「分かりました」

 この声はレオだろう。他の者からも異論はでない。

「ありがとう。

 では話が変わるが、明日からの学院のことを説明しよう。先ずは生徒会だ。学院ではある程度生徒による自治が認められ、その代表が生徒会であるが、会長は王家一門から選ばれる。ただし、現在は封建的な思想がはびこり、女性が会長になる事はなくなった。アナベル王女が会長になれず、顧問と言う立場でいるのもそのためだ」

 私の疑問の一つが消えた。

「学院長や教師たちは基本的には自由な気風を好み封建的ではない。しかし一部には身分制や封建的な家父長制の復活を唱え、男性優位な思想をもつ者もいる。学院を統括する国の機関からの圧力が確かにあるようだ。

 今日の学院長の挨拶がいい例だ。あれ以上のことを言えなかったのにはそんな事情がある」

 わだかまりの理由も分かったが、この状態はおかしいと思う。しかしハリーお兄様は今日の入学式の事も正確にご存じのようだ。チャーリーかレオがご注進に及んだか。

「アナベル王女が涙を見せたのはそのせいでもある。彼女は真にこの状態を憂いている。王国法で定められている身分差からの解放による平等と男女平等を守ろうとしている。今の王都は身分差、男女差だらけだ。学院もそうならないようにしなくてならない。それは間違いない事だ」

 王女様が差別主義に抵抗しようと頑張っているのは理解した。それはいい。だけどそれを私に求められても困る。

「お前たち世代は今日の入学式で優秀だと評判を取った。目立ってしまったようだが、この騒動にかかわるべきじゃない。お前たちはまだ幼い。魔法の能力が高いが人間として未熟だ。政治的なにおいがあるこの動きに参加するには早過ぎる。もし差別にかかわる運動に誘われ断れなさそうになれば私の名前を出せ。ハリー・サンダーの許可を得てくれと。

 ……ただ、ここは王都だ。サンダー領じゃない。私にも救えないこともある。十分に注意してくれ。

 私からは以上だ。詳しく聞きたければ先輩に聞いてくれ」

 ハリーお兄様からの長い説明は以上だった。


 夕飯後、注意すべき先生として、副学院長と他数名の名前をノアお兄様から聞いた。

「これがサンダー領出身の魔法を担当する先生の名前の一覧表だよ、二十五名、五十人中半数が我が領の出身者で、〇を付けたのが昨年度の五年生の担任で、今年度はナナたちを教えるはず。全員味方と考えていいよ」

 我が領は魔法が得意とは聞いていたが総数の半分の教師が出身者とは、驚いた。

 そして教会の事を教えてもらった。

「毎年数名入学してくる。例年は四人が入学し一人が基本魔法を一つずつ扱う。金の魔法を扱う人間は一人いる年といない年がある。つまり、教会は基本魔法の四つの真珠と金の真珠の計五つを五人の赤ん坊に毎年一つずつ着けさせ、それを五セット五年分で計二十五個を持っていて、繰り返し使用しているのさ。まあ予備はあると思うけど。今年の入学者には金の適性者が現れたようだが、二年から四年生にはいない、五年生に一人いる。十年に一人と言われているので、今年の入学者にいるのはちょっとした驚きの事らしい。ナナは一年一組だから教会の五人とは同じクラスになると思うよ」

 厄介なことが起きそうな予感がする。

「ナナは教会には絶対行ってはいけないけど、クラスの聖女とは付き合わざるを得ないと思うから、『取り込め』って兄上からの伝言だよ。ナナならできるはずだって。この件は確かに伝えたからね。それに北家の次男坊もナナなら取り込めるだろうって」

 無茶な要求を……、やっぱり面倒ごとが増えた。

 さらに帰り際ノアお兄様は黒い笑顔で、世にも素敵な爆弾発言を落としていった。

「ハリーお兄様が母上に頼まれて、ブックメーカーで例のオッズ千倍を母上名義で十万モン分賭けていたそうだよ。もちろんナナを信じて再検査数ゼロで」

 ――一億モンの儲け。是非ともお裾分けを。私にも、もらえる権利ありますよね、お母様。

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