二十話 セントラル大陸暦一五六四年 夏 二/二
セントラル学院試験当日、四十人のほかに王都に住んでいるサンダー領の子弟の四人が追加された。
「王都駐在の伯爵位をもつ外交担当大使の息子と外交担当の事務官の子弟二人、それに王都にあるデイビス商会の兄弟店デイビス・ブラザーズ商会の息子も魔力持ちなので、サンダー領の者として参加するから、頼む」
朝、引率の教師から説明された。
ジュリアにデイビス・ブラザーズのことを聞くと、お父さんの弟がやっている商会だという、彼はその息子らしいが会った記憶がないらしい。爵位も持っていないと説明してくれた。
「私もよく知らない。学校が違っていたから」
ニーヴは、女子校に通っていたらしい。
一日目の学力試験は最も難しいと思われるものと二番目のものを除いて回答した。
二日目、魔力検査。公爵、侯爵家は領単位で行われる。
サンダー領の受験者四十四名が魔力量検査会場に揃っている。
検査官は火、水、風、土の魔石の前にそれぞれ一人ずつと全体を管理する人が一人の五人がいた。
管理者から、説明がある。
「ここでは魔力量の検査を行います。名前を呼ばれたら、どの魔石でもよいので自分の最も適性のある魔石に魔力を注いでください。この後、魔法の実技検査があるので魔力切れを起こして倒れるまではしないで、余力を残して行ってください。こちらで状況を見ながら途中でも色の濃度に変化がなくなった場合や、規定以上となる場合はストップと言うこともありますので、その際は止めてください」
「「「~「「「はい」」」~」」」
「では、最初にナナリーナ・サンダーさん」
「はい」
いきなり私からですか。まあここはお手本として半分を目指して十点程度としよう。
私は、基本四魔法の、水の魔石の前に立って、そのまま軽い淑女の礼をする。水魔法にしか適性のないニーヴに合わせて仲良し五人組で水の魔石で検査を行うと取り決めていた。魔力を込める。練習通りに十点レベルの濃さになった時点で止めた。
「以上です」
私は疲れ切った風を装った。
「ふん、鳴り物入りで来た割には、たいしたことないな」
小声だがはっきり隣の火の魔石の検査官から聞こえた。
相手の顔を見る。まだ若い。ハリーお兄様と同じか少し上くらいか。
何だ、この横柄な口調は、と思ったが、軽い淑女の礼を取りそのまま後ろに下がる。
その後も我が寮の生徒たちはだいたい十点から十五点レベルで終わらせた。
その中で、王都在住の伯爵令息とデイビス・ブラザーズ商会の息子二人はストップの声がかかり二十点満点レベルの色まで魔石を染めていた。二人には何も言っていないが王都の学校出身だから問題ないだろう。二人とも能力は高そうだ。他の事務官の子弟二人は残念ながら五点以下のレベルだったので合格が覚束ない。
全員が終わって、昼食をはさんで次は魔法の実技検査だ。これもニーヴに合わせて水魔法だけで二十点で済ます予定にしている。
昼食を取り終えて、検査の行われる場所へ行く途中、ジェイコブに声をかけられた。
「魔力量の検査官、北家の御曹司がアルバイトで来ていたらしい。わざわざナナネエを見るためにだってさ。だけど興味をなくしたから帰るって友人らしき男に言っていたのを聞いたぞ」
「それは、よかったです。レベルを下げて正解でしたね」
上から目線の態度で気に入らなかった、とは口に出さない。
「どんな噂が流れているんだか」
「関心をあまり持たれたくないですわ」
王家の第一王子からの婚約話といい、北家の御曹司といい、どうしてこんなことになっているのか私にもさっぱり分からない。
魔法実技検査の会場、やり方は前にサンダー領学舎で行った内容と同じ。
午前の魔力量検査で火の魔石の検査官をしていた北家の御曹司はいない。ジェイコブから聞いた通り、帰ってくれたようだ。
担当の管理者から説明がある。
「名前を呼ばれたら魔法適性のある魔法を指定場所で発動させてください。火、水、風は三、五、十、二十、四十メートル先の的を十秒間当てれば的までの距離が点数、土魔法は影響された到達距離が点数となります。基本四魔法全てを行っても構いません、得点はその分加算されます。希少魔法ができる方は申し出てください。その魔法を行っていただければその分も加算します。魔力量検査と合わせて最大で百点満点です」
ここでも最初に呼ばれた。
水魔法と書かれた検査場所の前に立ち淑女の礼をし、二十メートル先の的に小声で詠唱している風を装い、ウォーターとわざとらしく唱えて右手で的めがけて水を弓なりで届くように噴出した。十秒間、的に当て続けて終了する。
よろよろとわざとよろけて見せて、少ししゃがむ。
「大丈夫?」
「何とか大丈夫です」
と答えて立ち上がり淑女の礼を忘れずに行い、みんなの元へ戻ろうとすると管理者から声がかかった。
「希少魔法の検査を行えば加算されますが、どうしますか。その髪の毛の色から銀の魔法が使えるのでは?」
「サンダー領では希少魔法は学院で習うことにしていますので、まだ使えません」
疲労困憊である風に弱弱しい口調を装い、ゆっくりと元の位置へと戻った。
他の仲良しの四人は私と同様、精いっぱいやっている風を装って水魔法で二十点の距離の的を十秒間当てた。
他の生徒は各自の適性魔法で二十点を、それ以外の魔法を一つだけ選択し、そちらは十点で終わらせた。一種類だけでなくほかの種類を行えば全て加算されると説明されたが、サンダー領学舎からの生徒は誰も三種目以上は応じなかった。王都在住の優秀な二人は適性魔法で二十メートルを、それ以外の一種類で十メートルを成功させていた。他の二種類は適性がないか、能力がまだ検査を受けるには十分ではないのかもしれない。他の王都の二人は最低もクリアできず、残念な結果となりそうだ。
宿泊先のサンダー領のタウンハウスに戻ると、侍女のラナーナに私個人に宛がわれた部屋へと案内された。封筒をもっている。
「ナナ様、王家から使いの者がやってきて、これを」
封筒を差し出す。そこには王家の紋章の蜜蝋がされていた。
「ご返事をいただきたいと待っています」
私は思わず片目に力が入り、しかめっ面になった。
「開封はされていないようね。なら封をしたまま中身を読んでしまいましょう」
私は自分の触ると中が透けて見える能力を使って封筒の中身に書かれている文章を読んだ。
「明日の午後からのお茶会のお誘いのようですね。差出人は第一王子って。お母様が断った相手。……まったく、あきらめの悪い人は嫌いです」
「どういたしましょうか」
「単に断ってしまっては角が立ちそうですね」
ラナーナが当然とばかりゆっくり首を縦に振る。
「そうね、使者の方には『ナナリーナは魔力検査で魔力を使い過ぎて魔力切れをおこして、伏せっているので中身を拝見できません。もし、何らかのお誘いであった場合はお困りでしょうから、事実通り魔力切れで伏せっていると仰っていただき中身を見られるような状態ではない』と送り主様にご説明願います。と言ってください」
「分かりました」
ラナーナがそう言って出て行った。
しばらくして、戻ってくると、
「何とかそれで引き取って貰えました」
「明日の朝は早く出立しますので、問題ないですね」
明日、明後日の修学旅行の予定は敵情視察を兼ねて温泉街へ行き、その後、王都は通過するだけでサンダー領へ戻る日程だ。
トントントンとノックの音がする。ラナーナが応対するとハリーお兄様がいらっしゃった。
「明日、私も温泉の町ジュエルタウンへ同行する」
私が、驚いた顔をしたのを見てか、ハリーお兄様が苦笑いを浮かべる。
「新しい出し物に興味があるんだ。移動遊園地が来ているらしいので、どんなものなのか内容を確かめたい。よければうちにも呼んでみてもよい」
「そういう目的があるのですか、ならご一緒しましょう」
「ついてはみんなに移動遊園地で遊んでもらい、アンケートに答えてもらいたい。先生方には話は通した」
「分かりました」
「うん、頼んだ。そう言えば今、出入り口で何かあったようだが」
「はい、王家から封筒が届きました」
「何と言ってきた」
「開封せず、今日の魔力検査で魔力切れを起こして伏せっていると追い返しました。内容は第一王子から明日の午後のお茶会へのお誘いのようでした」
「封を切らずに福笑いの術で読んだか」
「はい」
とは、言ったものの、そのネーミングセンスは如何なものでしょうか、お兄様。いくら、福笑いの最中に目覚めた力とはいえ、ひどい。透かし見の法とか、天眼術とかに変更を求めたい。
そんな私の不貞腐れ気味の態度を無視するかのように、
「明日の午後の茶会なら、もう一度明日の朝にでも来る可能性があるな。あいつらしつこいから。明日の出発時刻は八時か、なら、私たちは、移動遊園地の視察のためだと先生方に言って早く出ることにしよう。ナナ、七時に出発だ、用意しておいてくれ」
と、指示された。その方が念の為にもよさそうだ。
「そうしていたければ、なおいいです」
もう一つ報告したいことを思い出した。
「それと今日の魔力検査で北家の御曹司が検査官で来ていました。私の能力を見たかったようですが、加減をしたら興味をなくされ、午後からの魔力実技検査では帰ったようです」
「ふん、あいつは今年学院を卒業し研究科へ進む予定の北家の長男フレディだ。火魔法の攻撃魔法だけが得意の直情径行な奴だ。魔法学の造詣が深くないから、ナナの実力を正確に測れるわけがない」
「それならよかったです」
微笑んだ後、思案した。
「王家は私の能力が低かったと検査結果で分かっていないのでしょうか」
「今日の今日じゃまだ検査結果が伝わっていないのかもしれないし、髪が紫色の噂があったから、実際どうなのか、直接会って確かめてみたかったんじゃないか。年若い第一王子からの誘いというより、周辺から出た話だと思う」
面倒くさい。
「そんな顔をしなさんな」
ハリーお兄様はそう私をたしなめてから部屋を出て行った。
夕食後、仲良し五人組は昨日と同じ部屋に集まり、先ほどの王家の誘いと、明日の予定の話をして、朝一番の七時に一緒に出かけることにした。
「「「「「おはようございます」」」」」
「「「「「おはよう」」」」」
七時前、出入り口には、私たち五人とハリーお兄様、それにどういうわけか従弟連三人組プラス一人も一緒にいる。
「私たちもハリーお兄様に同行します。よろしいでしょうかナナ姉様」
チャーリーが目を輝かせて訊いてくる。
それにしてもチャーリーは背が一番低くて、愛らしい顔立ちなので幼く見える。遊園地と聞いて一番はしゃぐのが似合いすぎ。
「許可します」
まあ仕方がないか。
馬車は三時間かけて温泉の町ジュエルタウンに到着した。
今日宿泊する予定の温泉のあるホテルに入り、受付を済ませ、荷物を置いた後、移動遊園地へ向かった。
入園料がアトラクションフリーパス付で十八歳以上五千モン、十四歳から十七歳三千モン、十三歳以下二千モンと案内板に書いてある。三十人以上は団体割引で二割引となっていた。これで園内のアトラクションが全て無料になる。単なる入園料は十四歳以上五百モン、十三歳以下百モンとある。
「大人一日働いた日当一万モンの半分の値段の価値があるか。高いのか安いのかは今から入ってどれくらい楽しめるかによる」
ハリーお兄様が価値を計る基準を提示してくれた。
そう考えると、サンダー領に呼んだとして、大人の日当分の半額五千モンの価値があるのか真剣に調査しないといけない。大人の仕事モードの気分が少しだけ分かったような気がする。
全員分のチケットをハリーお兄様が入場口に提示した。もちろん護衛の分も含めてだ。
先ずは園内を一周してみる。コーヒーカップ、メリーゴーランド、大ブランコ、お化け屋敷が人気なのか大勢の人が並んでいる。それらより人を集めていたのが遊覧船の冒険アドベンチャーシップと空飛ぶ揺れる海賊船スイング・パイレーツというアトラクションのようだ。フードエリアには十一時と昼食には早いせいか、まだ人は多くない。
私たちは並んでアドベンチャーシップに乗船した。どういうわけかポンチョを配られたので、言われた通り頭からかぶった。最初は園内の様子をのんびりと眺めていたら、洞窟のように作られたエリアに入り少しうす暗くなった。途中明かりがあるとその前には金銀財宝があふれた宝箱があったり、恐竜らしき人形が置いてあったりした。そのうち、雨の音がしだし、それがだんだん強くなり、風が吹き、雷がしだした。やむと同時に洞窟を抜けると、滝の上にいる。先が見えない、地面が見えない、青空しか見えない、身体が傾く、船が傾いてゆく。地に足がついていない。
水面へ勢いよくダイブした。思いっきり水しぶきを浴びてびしょびしょになる。だけどポンチョに服は守られていた。
なんとも言えない爽快感。
「ヒャッー。面白い、これ絶対うけるやつよ」
ジュリアの快哉にアニーもはしゃぐ。私も同感、スカッとして気持ち良かった。
「一瞬どうなるかと思った」
「怖かった」
ニーヴとマイアは、フーっと大息をついていた。
「次はスイング・パイレーツに乗るわよ」
ジュリアの勢いにみんなが続くが、喜んでいる人と不承不承といった人が半々のよう。男性陣ではマイアの幼馴染君のジェイミーが、
「ワオー」
大絶叫で喜んだのは先ほどと同じメンバー、それ以外は下を向いていた。大丈夫か?
後で解説を読むと、海賊船は最大百度、高さ十メートルまで振り上がったらしい。
昼食は、外の飲食エリアではなく、私たちは室内のレストランを選んだ。アトラクションの楽しみ具合で、ガッツリ食べる人と軽いもので済ませた人がいるのは仕方がない。味に工夫もなく、その割には値段がちょっと高めで改善の余地がありそうだ。
「午後は二手に分かれましょうよ、私もう限界」
マイアの言葉にニーヴも賛同する。
「そうだな、その方がたくさんの情報が得られる」
あくまで視察がメインなのですね、ハリーお兄様。
レストランを出ようと会計はハリーお兄様に任せて、出口に向かっている時に、チャーリーが誰か知らない男性と女性の二人組に声をかけられていた。二十代の悪い人には見えないが、声をかけられるいわれがないはず。
「僕は何も預かっていませんよ。人違いなのでは」
「そうか、ごめんよ、ぼうや」
「おかしいわね、確かフードエリアで、って言われたのに」
チャーリーは坊やと言われたことに少しお冠なようで、口をとがらせている。
出入り口がなんだか騒がしい。
「ちょっとだけ、人を探すだけだ」
男の子が大きな声を出している。
店員が
先ほどの男女が向かう。私たちも出口へ行くので同じ方向になった。
「君かな、私たちに荷物を頼むという子は」
たまたま男女二人と私たちが一緒になったのでその男の子は大勢の人を相手にすることになったと感じたのか、顔色を変えて、踵を返し逃げ出した。
逃げ出すと後を追いかけたくなるのは人のさがなのか、間違われたチャーリーが追いかけた。必然的に私たちも追いかけることになる。
外には、仲間がいた。中には小さな子供もいる。みんな一斉に逃げようとするが、しょせん子供、逃げられはしない。私たちは余裕で子供たち五人を囲んだ。私は一番小さな子、粗末な服を着て、少し汚れてはいるものの肌の透明感に気品を感じさせる幼女の手を極力優しく握った。他の子供も手をそれぞれが私の仲間の女子に握られている。
「どうして逃げたの、君が私たちに荷物を預けたいんじゃないの」
追いついた大人の女性が訊いた。
「みんなが追いかけて来るから」
「お前が逃げるから、追いかけただけだよ。この人たちが君を探しているようだったからね」
チャーリーが冷静に説明した。
「どういう事?」
男の子が聞き返す。
「君が来ないから、間違えて彼に声をかけたんだよ」
男性がチャーリーと男の子を見ながら説明する。
――右後方と左後方からチリ、チリとこちらを窺う気配。襲うような雰囲気ではない、監視をしているような感じがする。
そこへ会計を終えたハリーお兄様がやって来た。
「私はサンダー侯爵の第一子ハリー・サンダーだ。状況をお伺いしたい」
ハリーお兄様が父の爵位と名前を正式に名乗った。二十代の男女と子供たちに緊張が走った。これで大人の二人は、あやふやな事を言わないだろう。
「今朝ホテルで遊園地へ行く話をしていたら、遊園地へ行くのですかと声をかけられ、遊園地の後、王都へ行く予定があるのかとたずねられて、たまたま今日の夕方の馬車で帰る予定だったので、そうだ答えたら、だったら弟が、王都の姉への荷物を届けるので、それを預かってほしいと頼まれたのです。その弟が十歳過ぎの子で、一時半にフードエリアで待っていてくれないかって。その人は、今から用事で出かけなくちゃいけなくて荷物は昼でないと手に入らないから弟にしかできないって言っていたのです。僕たちは人助けになるのだったらと了解したのです。まあ、お金も少しだけいただいたのですが。
受取ったら、この緑のスカーフをその子に渡してくれって言われたのです」
緑のスカーフをポケットから取り出した。
「それでレストランで待っていたのですが、来ないなあと思っていたら、その子がいたから」
チャーリーを指す。
「聞いたら、違うって言うし。どうしようかと悩んでいたら出入り口で今度はその男の子が騒いでいたのです。その子なのかなあ、と思ったら今度は逃げ出すから追いかけたという次第です」
ハリーお兄様が頷く。
「分かった。それじゃ君は何故逃げたんだ。そして何を預けようとしたんだい」
男の子の目が泳ぐ。どうしようかと悩んでいるのだろう。
私と手をつないでいた幼女の手に力が入る。
「アルフィ、お話ししてください。この人たちは私たちを捕まえようとしている人ではないようです」
「ごめんなさい、たくさんの人がいたから追手か、さもなきゃ悪いことに巻き込まれたんじゃないかと思って逃げました」
アルフィという子が話し出す。
「僕たちは、クラレンドン伯爵家のものです。お城に火をかけられ、お嬢様と一緒に逃げてきました。追手がかかって、大人の人たちとは離れ離れになり、僕たちだけが逃げ延びることができました。なんとか王都のクラレンドン家のタウンハウスまで行くつもりです」
みんなが息をのむのが分かった。私も驚いた。この年齢で何という苦労をこの子たちはしているのだ。
「そのためのお金が欲しくて、何らかの仕事がないかと昼前に遊園地の前に来ていました。そうしたら、大人の男性が寄って来て、荷物をフードエリアで一時半に黒の髪に緑の服を着た女連れの二十代の男性に届けてくれたらお駄賃をくれる、って言うから引き受けました」
「お駄賃は貰ったのかい」
「荷物を届けたら、緑のスカーフをもらって、それを持ってくれば五千モンくれるって」
「そうか、それで荷物は」
「これです」
男の子の隣にいた女の子二人がカバンから荷物を取り出した。四つの茶色い袋。
ハリーお兄様が鋭い目つきを右後方の二十メートル先のベンチに飛ばした。
「警ら隊の人よ、こちらへきてこの袋を確認してもらえないか」
「あなたもよ、こちらへ来なさい」
私はハリーお兄様とは逆の左後方の木の陰にいる男性に向けて厳しい口調で命令した。
私の手を握っていた幼女がハッと目を見開き私の顔を見上げる。私はにっこりとほほ笑んだ。
左後方の木の陰から年かさの男性が手を広げ、仕方ないという風情でこちらへ歩いてきた。右後方のベンチから若い男性も歩いてきた。いずれにせよ出てくるタイミングを彼らは計っていたはず。
「この袋を確認してくれ」
ハリーお兄様の言葉に、警ら隊と思われる二人のうち若い人が袋を開封する。彼らが目を合わせる。年かさの人が指先に中身を付けて口にする。指に付いたものは白い粉に見えた。
うなずく二人。
「最近、王都で噂になっている……」
「次期侯爵様、そこまでで」
ハリーお兄様の言葉を年かさの男が遮った。
「うむ、この子供たちは、緑のスカーフを持って依頼者の元へ行く予定だ、どうする。犯人はまだいるぞ」
「君たち、お願いできるだろうか」
警ら隊の年かさの人が訊く。
「やってくれたら、子供たちを王都まで君たちが連れて行ってくれるか」
ハリーお兄様が条件を出した。
「必ずや」
「どうする、子供たち」
私の握られた手にまた力が入る。
「子供たちの安全を第一に行動してください」
私も追加の条件を出す。
「もちろんです。分からぬよう、そばに人を付けます」
幼女がホッとしたのが分かる。
子供たちはその条件をのんだ。荷物を子供に渡した男性とは馬車乗り場で待ち合わせしている、とアルフィという男の子が言う。
警ら隊の若い方が仲間を呼びに行き、すぐに四人が来た。その内の二人が緑色の服の男性と連れの女性から事情を聴取するために移動する。
私の手は幼女に握られたまま馬車乗り場まで歩く、直前になりようやく手が離れ、頭を下げられた。
私たちは修学旅行生なので馬車乗り場に違和感なく、紛れ込んだ。警ら隊も二人一組で気配を消して潜んでいる。子供たちが緑のスカーフを灰色の帽子をかぶり灰色の上下の目立たぬ格好の中年の男性に渡した。お駄賃をもらって、子供たちが男性から離れて行く。彼らはこの後、チャーリーと私を除いた女子四人と一緒に修学旅行で泊まるホテルへ向かう。
灰色の服の男性は目立たぬよう観光客に溶け込み何気なく温泉街を歩く。ふらりと一軒のホテルへ入った。そのまま二階へと向かう。私とレオ、ジェイコブ、ジェイミーは修学旅行生らしく、遊園地のアトラクションのことを話しながら後をついて歩いていく。部屋で立ち止まる男。その男を私は駆けながら追い越していき、「早く来なさいよ」と男性陣を叱る。
「待てよ」ジェイコブが声を上げる。そのまま歩いていき、角で曲がる。男は確かに二〇九の部屋に入った。
一階へ戻った私たちの情報をもって警ら隊がフロントへ確認に行く。警ら隊の証の手帳を見せて係から情報を得ている。警ら隊の人数もいつの間にか増えていた。
「二〇九とその隣の二一〇号室に一味が八名いるようです」
戻るとそう報告した。
「お手伝いしましょうか」
「今までのご協力とありがたいお申し出、感謝します。後は私たちで対処いたします」
このチームの隊長らしき人がハリーお兄様に礼を述べてから答えた。
「分かりました、私たちは外で待機していますよ」
敵は八名、警ら隊も増えたと言え人数は十二名、協力の申し出を断るとは、腕利きを揃えているということなのだろうか、大丈夫なのか若干不安が募る。
ハリーお兄様の後に続き、玄関ホールを出ると右手の庭へ回った。
「ちょうどこの辺りが二〇九、二一〇号室にあたるな。窓から賊が飛び出してくる可能性がある。奥の部屋は私とナナであたる、手前の部屋はレオ、ジェイコブ、ジェイミーで対応してくれ」
ハリーお兄様がそう言うと水魔法で散水する。雷魔法をさらに有効にするための処置だ。
「ナナ、賊が窓から飛び出して来たら雷魔法で気絶させる。私が一人目、ナナが二人目、以降奇数番目が私、偶数番目はナナが対応してくれ。レオとジェイコブも順番を決めろ。ジェイミーは賊が逃げないように土魔法の壁の準備をしておくんだ」
小声の指示に私たちが首を縦に振る。
「レオ、ジェイコブ、ジェイミー、縄を用意しているな」
「はい」
レオが小さく答える。
「賊が倒れたら縛れよ。部屋ごとに片が付いた後でな」
三人がうなずく。
互いの魔法が邪魔にならない位置に二組に分かれて移動する。
魔力を練って雷魔法の準備をする。
ミーンミーンと鳴くセミの声、つかの間の静寂。
バン、ガシャン、ダダダン。
警ら隊の突入が始まった。
バリーン。
奥の部屋の窓を破って一人目が飛び下りてきた。ハリーお兄様の呪文と同時に光が走る。続けて二人目。私は地面に着地する前に雷魔法を放つ。既に一人目が倒れていた。二人目も私の雷魔法に撃たれて動けない。
続けて三人目、四人目と二階の同じ部屋から飛び出してくる。同じことの繰り返しで、倒れたままの賊一味四人。鳥を狩るより簡単に無力化できた。
もう一部屋の窓が開き、警ら隊の人が顔を出す。
「制圧完了」
レオたち三人は、自分たちの担当の部屋が終わったことが分かったからなのだろう、私たちが倒した賊の元へ行く。動かないことを確認し、手首と足首を縄で縛る。
窓が割れた方からも顔が見え、
「すみません。逃げられました」
と申し訳なさそうな声には張りがない。
「こちらで四名確保済みです」
ハリーお兄様が応えた。
「ありがとうございます」
ホッとした表情が浮かぶ。だから言わんこっちゃない。危惧した通りとなった。まあ、それを予測していたハリーお兄様の深慮遠謀勝ちと言ったところなのだけど、警ら隊の甘さが気になる。
「馬鹿野郎」
完全制圧した方の部屋から隊長らしき人の怒鳴り声が聞こえた。
ホテルのロータリーで、馬車に賊八名が乗せられた。これから取り調べが行われるのだろう。
見守っていた私たちの前に、警ら隊全員が整列し、隊長が敬礼する。
「サンダー家の皆様、ご協力ありがとうございました」
隊員全員が同じく敬礼をする。
「後は頼む」
ハリーお兄様が答えたが、それだけで終わるようだ。
それじゃダメでしょう。悪いところは指摘しないと。
たまらず私は一歩前に出る。
「あなた方は万全を期しましたか。賊八名、味方は十二名で慢心していませんでしたか。相手の力量をきちんと把握していたとはとても思えません。たまたま今回は私たちが後方支援し事なきを得ましたが、それでよいのでしょうか」
私は畳み掛ける。
「乱戦が予想される闘いがなっていません。
計画は十分でしたか。
連携は取れていましたか。
反省しなさい。
王都はあなた方にかかっているのです。
励みなさい。分かりましたか」
「はい。申し訳ございません。精進いたします」
隊長はものが分かる大人のようだ。
馬車が出発した。私たちも修学旅行で泊まるホテルへ向かう。
「ナナネエ、怖すぎ、怒ると怖い女」
ジェイコブが囁く。
「男女は関係ありません。ジェイコブ、怒れば怖過ぎ、何て言ってはいけません。彼らを怒ったのではありません。叱咤激励したのです。愛のムチです。
正しき助言を与える女性を敬いなさい。それが新しい男性よ。みなさんもよ、よろしくて」
ハリーお兄様が苦い顔をした。
宿泊先へ戻ると、仲良しの四人と幼女に迎えられた。
「完全制圧よ、後は警ら隊のお仕事」
「さすが、サンダー領の精鋭と言ったところでしょうか」
ニーヴが話しかけてくる。
「ハリーお兄様のおかげよ」
「何言ってんだか、あんだけ雷魔法をぶっ放しておいて。こっちは縛るだけしか仕事がないじゃねえか」
ジェイコブはご不満のよう。
幼女が何か話したそうに見えた。
先ずは私から挨拶しないといけないわ。
「サンダー侯爵家の娘ナナリーナよ」
「ナナリーナ様ありがとうございます。私はクラレンドン伯爵家の娘ジャスミンと申します。よろしくお願いします」
ジャスミンは淑女の礼を私に行った。
「よくできました。ジャスミンちゃんね。私のことはナナと呼んでいいわ。私たちはお友達よ」
「うれしゅうございます」
私を見る目がまぶしいほどキラキラしている。温泉に入ったせいか、伯爵令嬢として全く恥ずかしくない。洋服もそれなりなのは侍女のラナーナが用意したのだろう。彼女の髪の毛の色は染められた黒色のようで、よく見ると地毛が金色のように見える。
髪を整えたであろうラナーナに小声で確認すると、そうですと返事が返ってきた。今日、明日中に染め直しますとの言葉と共に。
そして誰もいなくなったころを見はからって「ジャスミン様のネックレスの真珠が五珠あり金、赤、水色、緑、茶色が相当薄くなっています」とラナーナに告げられた。
夕食後、私はハリーお兄様とジャスミンと共にこのホテルの貴賓室に呼ばれた。
三人で部屋に入ると、三十歳くらいと思われる男性が待っていた。
「オスカー・セントラルだ。今日は君たちにとても世話になった。礼を言う」
――この人は今の王様の弟のオスカー大公様なのですか、エー、聞いていない、聞いていなーい。
「とんでもありません。お役に立ててうれしゅうございます」
ハリーお兄様がしっかりとした固い口調で答える。
ハリーお兄様は大公様をご存じのよう。
「二人の髪はやはり伊達ではないようですね」
――見られていた。兵士たちが作戦を実行する際は闘いに参加せず、その監察をする立場の人がいると聞く。今回の警ら隊の突入作戦にもそのような人がいたのかも知れない。そこまでは気付かなかった。
「本当に助かりました。白い薬、通称ホワイトパラダイスは麻薬です。吸えばその時だけは気持ち良くなりますが、常習性があり、中毒化します。続ければ廃人となる可能性がある厄介な薬物です。何とか撲滅しようと、私の特命で動いてもらっています。今日も遊園地が臭いと網を張っていたのですが、あなた方のおかげで取り締まりが成功しました。元締めの一味にも辿り着けそうな人物を確保しました。そして、売り先の方の人物にも心当たりが付きそうな状況です。本当に感謝します」
大公様が私たちに軽くだが、頭を下げた。そんなことは有り得ない。王族がいくら侯爵家とは言え、頭を下げることは有り得ないはず……。他に何かあるのではと勘ぐってしまう。
「とんでもないです、些細な事です」
「いや、部下の不始末を帳消しにしてくれただけでもその価値は大きい。有能な人物を配置したつもりだったがその上をいかれた。相手がそれだけ大物だったのだ」
「それは好都合でした」
大公様が口元をゆるめた。
「褒美は何がいい」
「要りません」
即答のハリーお兄様は
「ほう、大きな借りがその方たちにできた。何かあったら言ってきてほしい」
「ありがとうございます」
「それと……」
一瞬間をおいて大公様が目を細めてジャスミンを見つめる。
「私を覚えているかい」
隣のジャスミンが困ったような顔をする。
「お会いしたことがあるのでしょうか」
大公様が首を縦に振りながら言った。
「うん、うん、君がとても小さいころだ。クラレンドン夫妻と一緒に我が家で会ったのだよ」
大公様と伯爵家、縁があっても不思議じゃない。
「クラレンドン夫妻は私と妻の共通の友人同士だったのだ。それが……、申し訳ない。クラレンドン伯爵領に騒動が予想できたのだが、まだ早いと思っていた。私の力が及ばず、ジャスミンには辛い思いをさせた。伯爵領は北と西が海に面し漁業で町おこしを行い栄えつつある町だった。海以外の周りは東に北家と南にヨークシャー伯爵領があったのだが、繁栄に目を付けられ東と南の両方から狙われて、襲われてしまったのだよ」
ジャスミンが下を向く。目を固くつむり堪えている。
「私も人をやったのだが、クラレンドン一家は……娘の君の消息も何も分からなかった」
多分伯爵夫妻は亡くなったのだろう。ジャスミンを前に直接言えなかったと思えた。ジャスミンが気になる。
私は隣にいるジャスミンを強く抱きしめた。
「大丈夫よ、ジャスミンには私がいるわ」
「ナナ姉様」
ジャスミンの涙腺が切れたかのように大きな声で泣き出した。
私は優しく背中をさするしかなかった。
「明日の夕刻、もう一度会いたいのだが、よいだろうか」
「分かりました」
そう答えて、私たちは部屋を後にした。
その晩、私はジャスミンと侍女のラナーナの三人で眠った。疲れているジャスミンを私は寝かしつけた。
「落ち着いてね……」
私はジャスミンのお腹をゆっくりとさすった。お母様が私にしてくれたように。
「大丈夫よ……」
翌朝、私が髪をセットしていると、ジャスミンが目覚めて、ベッドの上に起き上がった。
「ナナ姉様、私夢を見ました」
私はジャスミンのそばによる。
「どんな夢を見たの」
「まわりがとてもまぶしくて、金色に光っていて目が開けられないくらいだったの。ようやく普通に開けられたと思ったら、ふっかふっかの大地に立っていたの。火があってあったかいなあ感じていたら、水の音がして少し涼しくなり、風が心地よく通り過ぎて気持ち良くなって目を瞑り次に目を開けたら、呼ばれているような気がして、狭い通路のようなところを一生懸命抜けて行ったら、朝の光がまた差し込んできて目が覚めたの」
私は背筋から頭がヒヤッとした。これは五歳の誕生日の翌朝に見る胎内夢ではないか。
「とてもよい夢を見たのね。ジャスミン、ネックレスを見せてちょうだい。今の夢と関係するの」
ジャスミンが首から外したネックレスには五珠の白い真珠があった。基本四魔法と金色の魔法がジャスミンに取り込まれたと思って間違いない。
ラナーナに言って箱を用意してもらう。
「ジャスミン、このネックレスは一旦外して大切にしまっておくね。必ずジャスミンに返すから、その時まで私に預からせてね。身に着ける用のネックレスは後で用意してあげるわ。それとジャスミンは昨日誕生日だったのね」
「今日は何日ですか」
「七月四日よ」
「私の誕生日は七月三日昨日でした。五歳になりました」
「分かったわ、五歳になると髪を一度切らなくちゃならないのは知っている?」
「はい、誕生日に切るって聞いていましたが、昨日だったのですね」
「後で切るわ。ジャスミンの魔力が宿った大切な初髪よ、それも私が取り敢えず預かっておくからね。それと十一歳の誕生日に今日の夢のことを私からジャスミンに話してあげるね」
「今日の夢?」
「覚えている?」
ジャスミンがきょとんとしている。
「……忘れている。あれ、どうしてなの」
「それはね、胎内夢って言って、一度人に話すと二度と思い出せない夢なの、一生に一度五歳の誕生日の夜にしか見ないの。それを十一歳の時にお話しするのが約束事なのよ。
それと安心してね。ジャスミンにはしっかりと魔法の能力が付きましたよ。でもこの能力は十一歳まで使ってはいけません。とても危険な能力なの、命を落とすことにもなりかねないから、絶対にダメよ」
「分かりました。十一歳まで待ちます」
「それまでは魔力の基礎を学ばなくてはいけません。今からやるから付いて来てね」
「はい、ナナ姉様」
宿泊先でも、学舎生徒は鍛錬を欠かさない。全員がホテルの庭に出て朝日に向かってナナ式美流法を行う。ジャスミンにはみんなの行っていることをよく見ておくのよと申し伝えた。
終わった後、ジャスミンを見ると目がキラキラしている。
「とてもきれいな舞を見ているようでした」
鍛錬が幼い目を通すと舞踊に見えるらしい。
朝食後、ラナーナにジャスミンの染められた髪を元の金色に戻してから切ってもらい、地毛の金に合うよう黒ではなく、より自然に見えるように茶に染めさせた。切った金色の髪は束にして箱にしまった。十一歳になるまで私が預かっておく。
「金色の髪はとても珍しいの。人に知られたら、攫われる危険もあるので、茶色に染めるのよ」
「それはお母様に言われて知っています」
ジャスミンにお母様を思い出させてしまい、切なさがこみ上げてきた。
大人の人たちは何をやっているのだろうか。恐竜の恐怖がなくなった途端、領地争いをするなんてとても醜い。他者が繁栄していると思ったら、取り上げてしまおうと考えるなんて、自分本位でとんでもない。繁栄の光があれば、それを嫉む影も生まれるという事なのか。怒髪天を衝く程の怒りを覚えたが、そのやり場がない。
大公様との夕刻の約束は四時と連絡があった。
それまでは昨日の移動遊園地の続きだ。昨日のメンバーにジャスミンと小さな勇者、五名と一緒にでかけた。
小さな子供たちがいるので絶叫系アトラクションには乗らず、メリーゴーランド、コーヒーカップ、大滑り台に乗り、輪投げ、ヨーヨー釣り、射的ゲームを楽しんだ。お化け屋敷は行ってみたい気がしたけど……、お子様には無理なのであきらめた。残念、でも仕方がない。
昼食を食べ終えてから、ハリーお兄様が、ジャスミンに気付かれないように「ジャスミンの両親のクラレンドン伯爵夫妻が亡くなっていたことを確認した、と大公様から聞いた」と耳打ちされた。予想していたとはいえ、胸がふさがる思いだ。
午後四時、ハリーお兄様と私とジャスミンの三人は大公様の執事らしき人に案内されて昨日と同じ貴賓室へ入った。
大公様のほかに女性が一人いた。清楚ないで立ちで豪華ではないが、涼し気で質のよさそうな生地のワンピースを着た女性。待ちきれず思わず立ち上がってしまったかのように、こちらへ寄って来る。
私は、淑女の礼さえ取れなかった。
隣のジャスミンに肩に手を置き、
「ジャスミン、ジャスミン。会いたかったわ。無事でよかった」
と肩の手を背中に回し抱きしめた。
ジャスミンはどうしたらいいか分からないよう。
「ヴィクトリア、ジャスミンちゃんが戸惑っているよ」
「ああ、ごめんなさい、でも、ジャスミンちゃんあなたはお母様ネヴェアに生き写しなの、髪も茶色で……、ジャスミンちゃんあなたの髪は以前とは違う……」
どうしようか、答えてもよいが、先ずは挨拶をしてもらわなければ何も言えない。
「ヴィクトリア、先に挨拶を」
「本当にごめんなさいね。はじめまして、オスカー大公の妻ヴィクトリアです」
「サンダー侯爵の第一子、ハリーです」
「同じく、長女のナナリーナです」
「私はクラレンドン伯爵の娘、ジャスミンです」
私とジャスミンが淑女の礼をする。
「大きくなって、こんなに小さかったのに」
両手のひらを肩幅にすぼめてヴィクトリア様が目に涙を浮かべている。
「すみません、髪をここまでやってくるのに黒に染めていたのですが、昨日がジャスミンの五歳の誕生日で、今朝私の方で地毛に戻してから初髪をカットして、茶色に染め直しました」
「五歳の誕生日だったとは、すると胎内夢は?」
大公様が私に訊ねた。
「はい、私がジャスミンの夢を預かりました。真珠のネックレスは五連のものでした。金と基本四色の五珠全ての色がジャスミンに宿りました」
「希少な金が……。元々ジャスミンちゃんは水色だったのに」
ヴィクトリア様が絶句しました。
「それは、……真珠の金が宿ったので髪の色も変わったと思われます」
私は友人のアニーが真珠の色を取り込んで髪が紫になったことを思い出して説明したが、私も驚いていた。元々ジャスミンの地毛が金だと思っていた。そうではなく、真珠の金が髪の色を変えていたのだ。
「聖女には致しませんよ」
「もちろんだ」
大公夫妻が強い意志の持った口調で言った。
「私とジャスミンちゃんのお母さんは友達だったの、それもとてもとても仲の良い親友でした。ところが、……ごめんなさいね」
ハンカチで涙を拭く。
「ジャスミンちゃん……。ハリー、ナナリーナ、率直に言おう……」
大公様がジャスミンに微笑んでいた顔を真剣な表情に変えて、まっすぐ私たちを見た。
「ジャスミンちゃんを私たちの子供にしたい」
私は驚いた。隣のジャスミンも口を半分開けている。
ハリーお兄様も驚いたはずだが、無表情だ。そして口を開いた。
「大公様、失礼ですが、お子様は、今はいらっしゃらないと聞いています。しかし、今後はどうなるか分かりません。それでもジャスミンを求めるのですか」
私には大公様の家族構成が分からないが、ハリーお兄様はある程度ご存じのよう。
「結婚して六年、子宝には恵まれない。今後もし子が誕生してもジャスミンちゃんを第一子として遇する。約束する」
「ハリーさん、ナナリーナさん、そしてジャスミンちゃん、これを読んで」
ヴィクトリア様が侍女から受取り、差し出したのは手紙だった。
読んでみた。そこには、もし私たちに何かあったらジャスミンを頼む、と書かれていた。宛先はヴィクトリア様、署名はネヴェア・クラレンドンとある。私はジャスミンに説明する。
「ジャスミン、あなたのお母様ネヴェア・クラレンドンさんからのお手紙よ、見てごらんなさい、この署名がお母様の名前、そして宛先がここ、大公様の奥様ヴィクトリア様となっているの。そして内容は、お母様にもしものことがあったら、ヴィクトリア様にジャスミンのことをお願いします、と書いてあるの」
ジャスミンは手紙を手に取り、文字を見つめている。読めないだろうけれど、一生懸命お母様を感じているのだろう。
切ない、ただただ切ない。
「きな臭い何かを感じたのだろう。二ヶ月前に当家に届いた」
それからではいくら大公様とはいえ間に合わなかったのだろう。
ジャスミンをサンダー侯爵家に迎えるつもりだったが、五歳の子供には母親が必要だ。大公家にいた方がよいのかも知れない。それに九月からは私はサンダー領にはいない、王都にいる。私の腹は決まった。
「大公様、ジャスミンには守ってくれた小さき勇者たちがいます。彼らとジャスミンを離すわけにはいきません」
「聞いている。もちろん彼らも当家で世話をする」
「分かりました」
私は、ジャスミンに向かい、膝をつき、目線を合わせた。
「ジャスミン、私は九月から王都の学院に進学します。私の家のサンダー領は王都から遠いの。ジャスミンを私の妹にすると遠いサンダー領に居てもらわないといけない。だけど、大公様のところにいれば、いつでも私とジャスミンは会えるわ、分かる?」
「うん」
ジャスミンが口を引き締めて小さくゆっくりうなずく。
「大公様夫妻と一緒に住んでくれるかな」
「はい」
「大公様夫妻の子供になってくれると、とても安心できるの」
私はジャスミンの目を優しく見つめる。
「分かりました」
キッパリと返事をしてくれる。
大公夫妻から安堵の息が感じられた。
「ありがとう、ナナリーナ」
私にしか聞こえない、細い声のとても小さな囁きだった。
それから私たちは遅めのお茶とおいしいお菓子をいただいた。
「遊園地でね、コーヒーカップにナナ姉様と一緒に乗ったの、それとね、メリーゴーランドがとっても楽しかったの」
はしゃいでいるジャスミンとの会話は大公夫妻を大層喜ばせた。
翌日、ホテルのロビーで大公夫妻とジャスミンら五人の子供たちに見送られようとしている。
私は大公夫妻にジャスミンが昨日まで着けていた五連の真珠のネックレスと金色の初髪をみんなの前で渡した。
「この恩は忘れません」
優し気な微笑みを浮かべた夫妻からの『さようなら』の挨拶はとても印象的な厳かさ。朝からドレスアップした夫人とタキシードの大公様と薄汚れた服装から一変した子供たちの装いからは音楽でも聞こえてきそう。
その日からジャスミンと小さき勇者たちは、大公家の人間となった。
「アンケート頼むぞ」
ハリーお兄様は実務一辺倒な人である。
学舎に戻って記入した。
遊園地は、絶叫系アトラクションの好き嫌いがはっきりするようで、はまってしまって何回も乗りたがる人がいると思われるのではないか、と記入し、私は好きと書いた。
そのアンケートには温泉への質問・感想も入っていた。
ハリーお兄様、お慈悲を。温泉初日は、ジャスミンの世話で湯につかった記憶しかなく、二日目は大公夫人とジャスミンと三人で貸し切り風呂、色の付いていた湯だったような気がするのだが、緊張していてまったく記憶がない。確か、第一王子と婚約する気がないので、ご配慮を、とお願いしたことだけは覚えている。
そう言えば、ホテルで初日の夕食前に、引率の先生から、朝、君たちが出発した後に王家から使いが来たよ、と言われた。早めに出てよかった。ハリーお兄様ナイス判断。
学舎の卒業式が行われた。
私は、少しは成長しただろうか。
子供のころに『ありがとう』と言われる人間になりたいと願った。
まだ全然なれていないと思う。
九月からは王都での学院生活だ。
自分が何者になれるかは分からない、失敗だってするだろう。その時一番よいと思う判断をしても間違うこともある。誤りは直せばよい。正せばよい。能力が足らなければ学べばよい、鍛えればよい。
学院で学びながら、そして人生を歩きながら考えればよい。
第二章「完」
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