十一話 セントラル大陸暦一五六二年 春
山は草木が一斉に若芽を吹いて、笑っているような新緑の景色を見せ始めた。
学舎の講堂に生徒全員が集まっている。
お父様が一段高いところに上りこちらを向く。
学舎では、魔法の授業で出来上がった詠唱省略用教本の冊子を配って学び始める事になった。
厳めしい顔をしてみんなを見渡す。
「契約の魔法を行う」
右手を上げて、銀の魔法を発動し、光を舞わした。
「詠唱不要の魔法の神髄を教える。しかし、配った教本、詠唱無しの仕方は領地以外の人には秘密とすることを誓うか」
全員が誓った。でもコケ脅しの魔法だと私は知っている。
「ファイアー」
男子生徒の手から火が放たれる。
「ウォーター」
女生徒の手から水が溢れる。いずれも詠唱しないで魔法を発動している。
「ナナ様ありがとうございます」
私は微笑みを返す。教本の基を私が作ったことを生徒のみんなは知っているので、何人もからお礼を言われる。
そんな中、いまだに満足に魔法を使えない生徒がいる。紫の髪をもつアニー、金髪のマイア、貴重な魔力持ちの二人が揃ってだめでは、困る。紫髪のアニーはパール浜の病院長の娘、病院長は男爵である。金髪のマイアは侯爵領の鉱山地域を預かる郡長官、子爵の娘。
先ずは、紫髪のアニーを手助けしようと私は魔法の授業で彼女に気付かれないように窺う。
「水の女神、限りなく青く美しく流れる水よ、私の願いをお聞き願いたく、その御力を私にお与えください、この手からあふれ出よ、ウォーター・フロー」
完全詠唱し、呪文を唱えても、アニーの伸ばした右手からは水一滴すら出ない。カクンと首を落とすアニー。
私の目にはアニーの身体の周りに魔力は少ないがきちんと存在するのが見えている。ただ右手から放出できないようだ。魔力制御がうまくいっていない為、右手から外に出ないで、くるりと回って少しずつ魔力を発散しながら身体に戻っている。私はアニーの右肩に手をそっと置く。
振り向いた彼女の顔は、諦めの表情、そしてその後、私だと分かって、驚いたものに変わった。
「アニーさん、少し休憩しましょうか」
「はい、……聖女様」
今、アニーは何と言ったの? 聖女と聞こえたような気がするが。
「はー」
ため息をつくアニーの表情は今にも泣きそう。
「もう九ケ月になるというのに、全くダメなんです」
「大丈夫よ、アニーさんには魔力があります。心配しなくても使えるようになりますよ。でもそのためにはここで詠唱と呪文と、配られた魔法の教科書で学ぶだけではダメです。アニーさんにはきっかけが必要なようです」
私は自信をもって断言する。アニーの聖女発言は取り敢えず横においておくことにした。
「どうすれば、そのキッカケがつかめるようになるのでしょうか」
諦めて泣きそうだった表情から幾分、まともになったがまだ不安そう。
「私のところで一緒にトレーニングしましょう。朝早いですが、アニーさんは寮住まいですから、そんなに負担にならないでしょ」
寮は、侯爵邸の隣なので朝の鍛錬に参加するのに全く問題ない。
「お願いします、明日から伺います」
私の手を取った、アニーさんの表情は真剣そのもの。
「いいですよ、お休みの明日から」
明日の予定を最後まで言おうとする前に傍から割り込む声がする。
「すみません。ナナリーナ様、私も参加させていただけないでしょうか」
声の主は金髪のマイアだった。
マイアも寮住まい、一人ずつと行おうとしていたが、二人同時に出来るならその方がお互い刺激になってよいかもと思い直し、マイアの申し出も了解した。
翌朝、私はいつもより早起きして二人を迎えに行った。
二人は寮の前で動きやすい服装で待っていた。
「家族には了解済みよ、従弟の三人もいるけど気にしないでね。私を信じてね」
前日の晩、チャーリー、レオ、ジェイコブの三人、特にジェイコブには「二人が来るけど、絶対にちょっかいを出さないであげて、アニーとマイアの正念場よ。もし彼女たちが魔法を習得できなければサンダー領の大損害よ、分かっている? 何かあったら、私の方から頼むから、それまではそっとしておいてね」
と、くどいほど念を押した。
三人は事の重要性を認識しているようで、あっさり協力することを約束してくれた。
「マイアと申します、よろしくお願いします」
「アニーです。よろしくお願いします」
緊張しながらの二人の挨拶に、お父様が
「ナナに任せれば大丈夫だからね」
と笑って言ってくれた。他の家族も、従弟もみんな笑顔だ。
「目を瞑って、お日様に向かって深呼吸を繰り返してみて」
二人が言われたとおりに行う。
「鼻から深く息を吸い、ゆっくりと口から吐き出して。何も考えなくていいわ、呼吸だけに意識を向けて」
二人の肩から力が抜け、重心も下になってきた。
紫髪のアニーの周りに魔力が集まってくるが、何となく変だ。金髪のマイアは自然体だが、アニーに固さが加わった。何かが阻害しているよう。無理に魔力を左手から取り込もうとしている感じがする。
「アニー、リラックスよ」
アニーが意識して魔力を左手に取り込もうとしていたのだろう、集まろうとしていた魔力が霧散する。霧散した魔力がしばらくすると右手の方に流れていく。
アニーの利き手は左手、彼女は私と同じサウスポーの可能性があるわ。それなのに無理に左手から取り込み右手で魔力を出そうとして出て行かないのでは? 一つの解決策が分かったような気がする。
一方、マイアを見ると、不自然ではなく左手に魔力が集まっている、が、その量と同じほどの魔力が右手から放出されている。全く身体に溜まっていない。左手から右手に流れているだけで全身に廻っていないし、おへその下にも溜まっていない。原因は分かった。後は対策だ。
家族は静を終え、動へと鍛錬を始めだした。
「二人は深呼吸をしながら、みんなの動きを見ていてね」
私は静から動へとゆったりと柔らかな一連の流れで魔力を身体中に廻す。
静で朝一番のおいしい空気の中から新鮮な魔素を吸い込み、おへその下に溜め、動で流れを良くして、さらに右手で取り込みながらも、昨日まで溜まって残っていた分を少しずつ左手から放出する。
鍛錬を終える。
「二人の状態は大体わかったわ。後はその対策ね、一緒に頑張りましょう」
二人にも私たち家族と従弟たちと一緒に朝食を取ってもらい、その後で私の部屋に招き入れた。
「先ずはアニーさん」
「はい、いかがでしたでしょうか」
「あなた自分の利き腕はご存じですか」
一瞬えっ、と言う表情をしたのち、下を向き考えるように話した。
「あまり意識せずにいましたが、子供のころ、いつも文字を書くとき、違和感を覚えていました。みんなと同じように、右手で書くものだと思い込んでいたのですが……。魔力操作も左手で吸い込んで身体に廻して右手から出すと……」
「明日からは逆にしてみませんか? 朝の鍛錬から、静の時は右手で吸い込んで身体を廻らせ、おへその下に溜め込む。動の時は、少しずつ左手から出してみてください」
アニーがパッと明るい顔になった。
「分かりました。頑張ります」
私もにっこりと笑顔を返した。
「今度はマイアさんですね」
「お願いします。ナナリーナ様」
マイアが頭を下げる。
「そうだ、二人に願いよ、ナナリーナ様はやめてよ、ナナでお願い」
二人は顔を見合わせ
「「ナナ様で」」
と、声が揃った。
――最初は仕方がないか。
「でも私を呼ぶときはマイアで」
「私もアニーで」
「分かりました」
今は名前のことよりも大事なことがある。
「マイアは、左手でスムーズに大気から魔素を取り込めているの。それは問題ないんだけど、普通はその魔素を身体に廻らせて、おへその下に魔力として溜めてから、右手から放出するの。ところがマイアは、左手から入った魔素がショートカットされて、右手から魔力とならないでそのまま流れ出ている感じなの。おへその下に溜まっていないのよ。身体に廻る通り道がふさがっているの」
「どうすれば、いいのでしょうか? 治りますか?」
不安な表情を見せます。
「大丈夫よ。毎朝の静と動の鍛錬で、滞っていた通り道がスムーズになるわ。凝り固まっていた、通り道の障害物が取り除かれ、身体中に廻るようになるわよ。特に動の鍛錬が、魔力の身体の廻りを良くするわ」
「分かりました。私も頑張ります」
「それと、学舎の魔法の授業でも魔法の使用はしばらく禁止します。授業中は私と一緒に動の鍛錬に当てます」
「「はい、お願いします」」
二人に先ず、動のポーズのうち、身体の筋や関節を伸ばす動きを準備体操として教えた。
「明日から、この準備体操をしてから、静の深い呼吸をしてね。最初に魔力を吸い込むより、身体をほぐしてからの方が、魔力をコントロールしやすいのよ」
頷く二人。
「静の深い呼吸のポイントは鼻からゆっくりと吸い込み、口から細く長く吐き出すことよ。リラックスして呼吸だけを意識すればいいの。そうすれば自然と、マイアは左手、アニーは右手に魔素が集まってくるわ。手にモワっとした感じがすれば、それが魔素よ。それが意識できればすっと身体に入ってきて、魔力になるのよ。
マイアは身体中に血管が廻っていることをご存じでしょう」
頷くマイアを確認して、私は続ける。
「魔力も血管と同じように身体中を廻っているの、今はまだしばらくは、マイアの魔力回路は至る所で足止めされて、一番出やすい箇所を求めて最短距離で右手から漏れている状態なの」
マイアは自分の手を広げる。そして、右手の人差し指で左手の指から左腕、左肩、胸の前を通り右肩へと、空中でなぞっている。
「左手から入ってすぐに右手から出ちゃっているのですね」
「そうよ、でも大丈夫よ。動のポーズと動の一連の型をマスターすれば、魔力の通り道の滞りが解消されるわ。深い呼吸をすれば、魔力は右手から放出もされず、おへその下に溜まっていくわ」
大きく頷くマイアの表情は明るい。
「アニーは深呼吸するときにちょっとだけ右手を意識すればいいわ。自然と魔素が集まってくるモワっとした感じが分かるはずよ。後は鍛錬で強化すれば問題ないわよ」
「「ありがとうございます。ナナ様」」
二人が私にお辞儀する。
「お礼はまだちょっと早いかな。でもこれで魔法を使えるわよ」
その後、二人に動の鍛錬、一連の型の初歩を教えた。
「早すぎる、もっとゆったりと」
「固いわ、もっと柔らかく」
午前中、私は二人に教え込んだ。
「ナナ様、スパルタです」
二人は笑顔で不平を言う。
昼食も我が家で食べ、午後も、三人で私の部屋で過ごした。
「そう言えば、昨日アニーは私を見て聖女様なんて言いませんでした?」
「はい、地元のパール浜ではナナ様の事をサンダー領の聖女様ってみんな呼んでいます」
「えー、どうして」
「海難事故の遭難者をあれだけ助けられたのはナナ様のおかげって聞きましたし、パール浜の病院にあるあの聖珠はナナ様から授けられたもので、あれがあるおかげで、今まで治らなかったケガが治るようになったと父も言っています。だからみんな感謝して聖女様で言っていますよ」
「困る、困るわ」
「諦めてください」
ハーっと、項垂れてしまった。
「そう言えば、マイアの幼馴染、ジェイミー・サリバン様は、今日何しているのですか」
マイアと同じ領地から来た男の子がいたはず。
「今日は朝から付いてこようとしたのですが、女子だけと止めました」
「サリバン様はマイアのナイト様ですものね」
「ジェイミーは単なる幼馴染よ。私よりも、ナナ様の方がすごいですわ、チャーリー様、レオ様、ジェイコブ様のお三方がナイト様ですから」
「いいなあ、私なんか誰一人そんな方はいません」
「チャーリーも、レオも、ジェイコブも単なる従弟よ、ナイトなんてとんでもない、やんちゃ坊主の弟みたいなものよ」
「サリバン様はナイトっぽいですけど、あのお三方は……、一人ずつだととても素敵な方なのですが、ナナ様といると家来に見えますよね。不思議ですけど」
「私、そんな横柄じゃありませんことよ」
「えー」
「ナナ様、自覚していないのですか」
二人の目は親しみのこもったものだった。
三人でお茶とおいしいお菓子を食べながらガールズトークを楽しんだ。
新しいお友達が二人できたかもしれません。
夕飯の際、お父様とお母様に我が家の鍛錬方法を学校で披露してよいか確認し、了解を得た。
「秘匿するつもりは全くない。領地のみんなが当家の鍛錬で魔力が向上すれば、それに越したことはない」
「サンダー静動術」「サンダー流鍛錬術」「サンダー気流術」「雷動波」
勝手な名前を付けて従弟たちは喜んでいる。
次の魔法の授業で私たち三人が我が家の鍛錬を行っていると、魔法のおぼつかない生徒たちが指導を願ってきたので、教えを請うものには全員対応した。私一人の手では足りないので、三人の従弟たちも手伝ってくれた。
どういうわけかその鍛錬は学舎で「ナナ式美流法」と呼ばれた。
我が家の鍛錬からアレンジしたのは『動』のうち、筋を伸ばす運動を準備体操として独立させ『静』の前にし、静も腹式呼吸を意識させ、寝ていてもよしとし、腹式呼吸のコツをつかめない生徒へは積極的に寝て行わせ、お腹に手を置いて吸う時に膨らみ、吐くときにすぼむ感覚を分かってもらってから、起き上がって行わせた。『動』では武張った動きは極力排除し、たおやかでゆっくりとした体幹を鍛えることを意識する動きへと変更した点だ。倒立からの前転は、はしたないからやめた。イキガッてやりたがった五歳の自分が恥ずかしい。
学年末、私たちの学年は全員が魔法を発動できた。大気の魔素をうまく吸い込めない子には、私が魔力を手に流してあげると、コツをつかんだかのように魔素を手から取り込めるようになった。また魔力が身体中を渦巻いて発動できない子が何人かいたが、一番危険度の少ない水魔法を行わせ、発動するタイミングを見計らって私が強制的に、右手から魔力を吸い出すと水が流れ出た。一度入口と出口の感覚がつかめると、以降はスムーズに魔法を発動できるようになるようだ。
詠唱省略の呪文だけでの魔法発動も自分の適性魔法以外でも出来る子たちが増えた。
マイア、アニーも無事魔法が発動できるようになってよかった。
いつの間にか私の周りには、チャーリー、レオ、ジェイコブではなく、マイア、アニーそして、最初に仲良しになった絵の上手いデイビス商会の娘ジュリアがいるようになった。
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