十話 セントラル大陸暦一五六二年 冬
冬休み返上で詠唱省略用の教本の冊子を魔法教師と私とで作成した。文章は、なんとか埋まっていくが、なかなか挿し絵が決まらない。
新学期が始まった。
「とてもこの絵は上手だわ」
貼り出された冬休みの課題の絵を見ている生徒たちから賞賛の声が上がるデキのものがあるようだ。
「ジュリアが描いたものよ」
私はその絵を見に行った。
巧い、絵心が感じられる。手前の落葉樹と山の常緑樹のコントラストが絶妙。素人絵とは思えない。
「ジュリア、どうしてこんなにうまいの」
生徒の一人がみんなに促されてやって来たジュリアに訊く。
「子供のころから絵が好きで、お父様に頼んで絵師の方に習っていたの」
私はジュリアに挿し絵をお願いすることに決めた。
放課後、私はまとわりつく従弟連を振り切って、ジュリアに話しかける。
「しばらくよろしいかしら」
ジュリアの表情が一瞬凍り付く。身体も固まっている。
――私ってそんなに怖いの、恐竜じゃないんだから。
私自身も緊張していたのかもしれない、ふっと顔の表情を緩めた。
「何でございましょうか。ナナリーナ様」
ようやくジュリアの言葉を聞けた。
「同級生なのですから、ナナでいいわよ」
「いえ、せめてナナ様で」
仕方がない、これ以上押し問答はしたくないので、妥協する。
「とても、絵が上手なようですね、できたらその腕をお貸し願いたいのですが」
「私ができる事でしたら、お手伝いいたします」
私は、詠唱を省略し呪文だけで魔法を発動する冊子を先生方と作っている話をし、挿し絵をお願いした。
「学舎内だけのものだから」
引き受けやすいように、配慮する。
「分かりました」
引き受けたくれたジュリアを連れて、魔法の先生たちと作業している部屋へ向かう。
絵心のあるジュリアが参加して二、三日が経ち、みんなに馴染んでくると、作業が一気にはかどりだした。
「ジュリア、この絵のロウソクの炎、色付きにするから、赤一色じゃなく、芯に近いところや、炎の縁で高温の箇所は色を変えてほしいの」
「リアリティをだすのね」
ああでもない、こうでもないと苦労して私たちは冊子を完成させた。
「ジュリアのおかげよ、ありがとう」
「好きな絵を描いていただけよ」
冊子の原稿は木版印刷で多色刷りされることになった。
一緒にジュリアと行動することが多くなった。
「ジュリア、あなた気を緩めると少しばかり猫背になるわ」
「そうなの、背が高いから……、殿方を超えないように思わずね」
「そんなこと気にしちゃだめよ、今はあなたが高くてもすぐに追い抜かれるわ、第一、ジュリアは一月生まれでしょ、一番高くて当たり前なのよ」
「そっか、そうなんだ、十二月生まれと比べるとほぼ一年違う」
「その通りよ、一年で、身長五センチは伸びるわよ」
「分かった」
私は猫背の矯正に肩甲骨を回す運動を毎日するようにお勧めした。
「歩き方もおかしいわ、重心が前にある、前のめりの歩き方になっているわ、土踏まずあたりに重心があるように歩いて」
背の高いジュリアは美しい歩き方をマスターした。
「ありがとう、ナナ」
ジュリアは、同学年で初めて女の子の友人となった。
春告げ鳥の初鳴きが聞こえ、寒さが緩み、動物たちの動きも活発になってくる季節を迎えた。この時期、サンダー領では害獣対策として、山に入り獣たちを狩る。サンダー家の十一歳の儀式として私も一泊二日の日程で参加する。狩りの終盤で粗方駆逐後なので、比較的安全ということで兵士たちの討伐隊に連れて行ってもらった。
いつものワンピース姿ではなく、地味で目立たない茶色系統のズボンと上着。付き添いの侍女のラナーナの狩人姿は様になっている。
お母様も同行するが、今回は二部隊、私とは別々に行動する。守るべき対象が一部隊で何人もとなると兵士が分散する為の措置だ。
山への入り口の祠で魚のオコゼをお供えしてお参りをする。
「この山の神は女神様で、お顔にあまり自信がなくてね、自分よりも醜いものを見ると機嫌がよくなり、天候もよくなるという謂れがあるのよ」
とお母様が説明してくれた。
松を燻した煙を浴びて、町の匂いを落とす。
お母様と別々に山に入って三十分もしたころだろうか、遠くに見えたイノシシと目があった。その途端、突進してきた。私は思わず、正面を避け右に寄るとイノシシも同じ方向へ、私が左へ寄るとイノシシも同じ方向へと、まるで気が合ったかのようだった。
――まずい、積極的になれず様子見をしてしまった。
何故か、お母様、お父様、ハリーお兄様、ノアお兄様そしておじい様とおばあ様の顔が瞼に浮かぶ。みんな笑っている。
ヒュンッ、ヒュンッヒュンッヒュンッ。
風切り音とともに何本もの矢が、イノシシの眉間周辺に突き刺さる。
ドサ。
「ナナ様、とどめを」
弓を持った侍女のラナーナが鋭い声を出す。討伐隊と共にラナーナも矢を放ったようだ。
ふっと気付くと私の周りには茶色い魔力の幕が見える。防御の土魔法がいつでも発動できるよう討伐隊員の魔術師が準備していてくれたのだろう。それすら気付かなかった。情けなさがこみ上げてくる。目の前の魔力の幕がすっと消える。
私は雷魔法をイノシシ向けて発動した。
イノシシはビクッと一度動いたまま、ピクリとも動かなくなった。
「よろしいですよ」
「ごめんなさい」
少し息が荒くなっている自分を意識する。
「本当のとどめです。この剣で心臓を刺してください。これらの獣は山の神様からの授かりものです。後で行う祈りの儀式を通して、魂を鎮め、与えてくれた山の神に感謝して、その魂を山へ還します」
私は剣を持ち、イノシシの傍による。今見ると、それほど大きくはない。中型のイノシシのようだ。心臓めがけて感謝の念を込めて力いっぱい振り下ろした。
一緒に行動してくれている兵士たちが後処理を手際よく行ってくれる。
次からは躊躇しない。私は心に誓った。
ウサギが見える。雷魔法を撃つ、剣でとどめを刺す。かわいそうという気持ちを抑えて、山の神様からの贈り物、魂を山へ還すのだ、と念じながら狩る。
クマが見える。巨大だ、真っ黒だ。のっしのっしと山道を横切る、でも私は躊躇わない、威力を高めた雷魔法を撃つ。しばらくすると、見開いた目をこちらに向けながら膝から崩れ落ちていった。
倒れたクマに兵士たちが殺到し剣を突き立て、とどめを刺した。
「ウォー」
「すごい」
「クマを倒したぞ」
「ナナ様、お見事です」
兵士たちから喚声が上がる。
――魂よ、鎮まれ、山へお還り。
私は祈った。
午後、中継基地に戻った。
一緒に参加していた別部隊のお母様に
「初めての狩りにしては上出来よ、十一歳の女の子がクマまで倒すなんて聞いたことないわ。私は、最初の狩りでは、あまりの怖さにお漏らししちゃったくらいよ」
と小さな声で話してくれた。
私は緊張の糸が切れたのか、お母様に飛びつき
「お母様」
と言ったきり、大きな声で泣いてしまった。
お母様は、私の髪を撫でながら、優しく抱擁してくれた。
「大丈夫、みんながついているわ」
「お母様、お母様」
温かかった。涙がなかなか止まらなかった。
晩には、山の神に獲物を与えてくれた感謝をしつつ、その魂を山へ還す祈りを捧げた。
私は祈りながら思った。イノシシに襲われた時、ラナーナや兵士たちがいなかったら、私は死んでしまったのだろうか。死に際によぎるといわれる今までの人生の記憶がよみがえることはなかったものの、実際に以前、私の目で見た家族一人一人の笑顔が次々とまなうらに浮かんだのだ。それぞれが異なる場面で、それが何時どんな出来事なのかは思い出せないのだが、言葉でしか知らなかった走馬灯だったとしてもあながち誤りではないような気がする。臨死体験へまっしぐらだったのだろうか。
死んだ、と思えるような経験をしたのだ。
命を狩る、狩られる、貴重な体験だった。
二日目、私は前日とは異なり、冷静に山が見えた。
山全体を見回すと、動物の気配を感ずる。鹿を追う。イノシシが現れる。標的への視界が確保できた瞬間に雷魔法を放っていた。
鳥も狙う。キジへ撃つ、雁に撃つ。
雷魔法は便利だった、威力を加減すれば、獲物を気絶させるだけで、あとはとどめを刺し、傷めずに捕獲できた。火魔法はその点扱いが難しい。山では火事が厳禁、かつ獲物も傷めてしまう。
水魔法で、攻撃は出来なかったが、獲物を洗う時に大変役に立った。
風魔法の攻撃魔法は知らないので、使用しない。土魔法も同様だったが、兵士たちの中の魔術師が、かまどや焼き場台などを魔法で器用に設営していた。衝撃だったのは、折れた剣や刃こぼれした剣を新品同様に直す魔術師がいたことだ。教わりたい。
三日目の終わるころには、討伐隊にも溶け込めたようだった。と、思った瞬間だった。忘れていたことを思い出した。
「すみません、お母様、詠唱も呪文も忘れて魔法を使っていました」
「仕方ないわね」
お母様は呆れた表情ながら、笑顔だ。
「全員、集合」
討伐隊員が私たちの周りに全員集まる。
「みんな、よく聞いて。今回の討伐で娘のしたことは絶対に口外しない事。クマを倒したことや、魔法を詠唱、呪文無しで発動したことはなかったものとして頂戴。分かった」
「はい」
「総員了解しました」
こうして私の十一歳の通過儀礼が終わった。畑や果樹園を荒らす害獣への対策は領主一族の務め。年何回も討伐隊が編成される。私もその一員として責務を果たす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます