五話 セントラル大陸暦一五五九年 夏

 わたしは、七月で九歳になりました。


 ハリーお兄様は十三歳、ノアお兄様は、誕生日が来て十一歳になります。ノアお兄様は九月からお屋敷の隣にある『サンダー侯爵領立学舎』に通い始めます。ハリーお兄様は最上級生になります。三年間は領地で学んで、その後、五年間は王都で上の学校『セントラル学院』に通うことになっています。

 わたしは、お勉強と淑女教育を侍女ラナーナにしごかれています。


 今年の夏もジャック叔父様のお城にご厄介になりました。

「以前のような遭難事故もなく、平穏に夏休みを送れたなあ」

 ハリーお兄様とノアお兄様との三人で今年最後の海をお城の屋上から眺めています。

「頻繁に大事件があったら、ジャック叔父さんが大変です」

 線の細かったノアお兄様も海で焼けて活動的なやんちゃな男の子に見えます。

「そうです、わたしのネックレスの聖珠も結局戻ってこなかったのですから」

「大変だったね、あの年は。平穏が一番だ」

 今は穏やかな海が見えます。三人とも何となく今年のありように思いをはせているようです。

 静かな海辺の昼下がりです。

「この大地が平らではないことを二人は知っているか?」

 隣のハリーお兄様をわたしは口を開けてみてしまいました。

「そんなばかな」

 ノアお兄様も目を見開いてハリーお兄様を見ます。

「この大地は丸いらしい、遭難事故で助かった人から父上がこの大地の模型を献上されたと聞いた。それが学校に置いてある。先生方はそれを地球儀と呼ぶようにしたんだが、それは、なんと球体でそれも回っているらしい」

「「えー、そんな」」

「玉のように丸かったらまっすぐに立っていられないのでは?」

「落っこちてしまわないの?」

「あまりにも広くて大きいからまっすぐに立てるし、落ちたりはしない。その証拠を教えてあげようか?」

「「教えて」」

「海を見てごらん、今沖に向かっている帆付きの船があるのが見えるかい」

「見えます。〇が三つ描かれた帆ですね」

 帆を立てた船が岸ではなく沖に向かっているのが見えます。

「しばらく見ていてごらん」

 帆がだんだん沈んでいき、船体が既に見えなくなっています。

「帆が、帆がだんだん下から見えなくなりました。あ、違う船の帆柱が上から見えてきました。帆には〇に一本線の紋が入っています」

 ずっと〇が三つの帆が見えているはずなのに、どういうことなのでしょうか、さらに今まで見えなかった帆が見えてきたのは……、わたしの目がおかしいのでしょうか。小さくなって見えなくなるのなら分かります、でも下から消えて見えなくなり、上から現れて見えてくる。おかしい。

「そうだろう、それがこの大地が丸い理由だよ、丸いボールを思い浮かべてごらん、その一番上の頂点に自分が立っているとして、船が下に向かっていくと考えて、船が円周の八分の一以上進むと、見えなくなると思えないか?」

「思えます、それと同じ現象が今の船の帆、なんですね」

「そうさ、よくナナは理解したね」

「ごめんなさい、話は理解できましたが、今、海に浮かぶ船が、その帆柱が僕には見えないのです」

「ノア、今海に浮かぶ船が何艘もいるのが分からないのか?」

「よく見えません」

「……そうか」

 そう言ったきりハリーお兄様はちょっと考えているようでした。わたしもこの大地が丸いことよりも、ノアお兄様の目が心配になりました。

「ナナ、ここから五歩、歩いて、止まったらこちらを見て指を何本か立ててくれないか、その数をノアと私で確認する」

 ノアお兄様の目の状態を測るようです。わたしは五歩進んで、二人のお兄様に向き直って指を三本立てました。

「三本」

「正解だ、ナナもう五歩下がってもう一度指を立ててくれ」

 十歩分ではノアお兄様も間違えませんでした。もう五歩下がり指を二本立てます。

「良く見えません、お兄様は見えるのですか?」

「二本だ」

 わたしは人差し指と中指の二本を立てています。

 ノアお兄様の顔が今にも崩れてきそうです。

 わたしは二人の兄のそばに駆け寄りました。

「見えないわけじゃない、それにノアの目はそれほど悪いわけではない、見えない遠さなら、私に訊けばいい」

「そうよ、ナナにも訊いて」

「ノアは私のかけがえのない弟だ、何があっても守るから、心配するな」

 わたしはノアお兄様の背中から抱きつきました。わたしを覆いかぶさるような手、あたたかいぬくもりが感じられます。わたしたち二人をハリーお兄様が抱きしめてくれたようです。



 領都の館に帰ってきて、ノアお兄様はお医者様に目を診てもらいました。

 近くは見えるが遠くは見えにくくなる軽度の仮性近視症状があるようです。「生活には全く支障がない」と言われ、家族みんながホッとしました。ついでにハリーお兄様とわたしも検査してもらいました。二人とも良すぎるのだそうです。普通の人が見えない遠くも見えるようです。見え過ぎる二人と比較したのでノアお兄様の見えないのが目立ったようです。

 ノアお兄様、ごめんなさい。

 この後、ノアお兄様は、目によい食べ物、ベリー類や嫌いだったお野菜を食べるようになりました。目の訓練も教わりました。近くと遠くを交互に見る運動と、上下左右に眼をくるくる動かす眼球訓練です。わたしたち兄弟妹三人ともに続けていくつもりです。

「これだけじゃつまらない、遊びながら出来るようにしようよ」

 わたしは、お兄様方と三人で、ああでもないこうでもないと言いながら、二人一組で行う遊びができました。

 二人で一メートルくらい離れて向かい合います。一人が右手か左手かまたは両手を上下左右のどこかに伸ばします。相手は伸ばした手にいかに早く触れるかを競う遊びです。但し、右手を前に出したら、相手も右手つまり正面からなのでクロスして触ることになります。出す方はその手をグー・チョキ・パーのジャンケンのいずれかの形で伸ばします。相手はジャンケンに負ける手の形で触れないといけないルールとします。名前は『負けるが勝ち』としました。

「これは動体視力が鍛えられる」

 ハリーお兄様は相当気に入ったようです。



 九月になり、ノアお兄様も学舎へ通い始めました。


 遊び相手のいない時、わたしは、大好きなご本を読んでいます。難しいご本にも挑戦しています。意味の分からない時は、お母様、おじい様、おばあ様や大人の人に尋ねます。それも魔法で。聞きたい人に、目を大きく開いて、まっすぐ見上げ小首を傾げて『教えて』と呪文を唱えれば、笑顔で答えてくれます。言葉の意味より、モノの仕組みや、成り立ちを知りたくて質問攻めにします。

 侍女のラナーナを含め、うちの使用人はみな優秀です。すぐには答えられない、忙しい時などは「今ちょうど他のご用で手が離せないから、後で教えてあげるね」と言って立ち去りますが、用事が終わってから、ちゃんと教えてくれます。

 もっと説明が必要なときは、お父様がご本を与えてくれました。『水の一生』もそうです。他に『動物の一生』『植物の一生』『山と森と里の一年』『お天気の話』等たくさんのご本をいただきました。半分ほどはお兄様方からのおさがりです。手作りのご本が何冊かありました。それらは、お父様とお母様が学生時代に作られたそうです。

 『身体の仕組み』を読んだときは女の子と男の子のちがいを発見してドキドキしてしまいました。



 夕食後、部屋にいますとバルコニーからお兄様方の声が聞こえます。窓から見ると二人が空を見上げています。

「何かあるのですか?」

「月の満ち欠けが今から四時間ほどで行われるんだよ、皆既月食って言うんだって、今日学校で教わったんだ」

 ノアお兄様がとんでもない事を言い出しました。月は約ひと月かけて満ち欠けを繰り返しているのはないでしょうか?

「今が満月だろう」

 ハリーお兄様の言うように今日は、明るくて丸いお月様が出ています。

 ノアお兄様が説明は自分がするとハリーお兄様を制します。

「しばらくするとね、満月が少しずつ欠けて半分になり、弓の弧のような月となり、輝きのない新月、それから徐々に明るさが戻ってきて、二十六夜月から半月、そしてまた満月になるんだよ、多分八時過ぎに欠け始め、深夜、日をまたいだころには元の満月に戻るんだ。普通は新月からは三日月なんだけど皆既月食は満月から欠けるから見え方が逆になるんだよ」

「本当ですか」

「ああ、しばらく見ていてみな」

 そう言うハリーお兄様の隣にわたしは並びました。

「今日は夜でも爽やかですね」

「気持ちのいい夜だ」

 ハリーお兄様が深呼吸をしだしました、朝の鍛錬なみです。

 ハリーお兄様の左手に夜のせいか白というか銀色っぽい光が見えています。もう一方の右手を広げました。魔力が左手に集まり、右手から放出されているようです。わたしの視線を気にも留めずハリーお兄様は、息を吸い込んでゆっくり吐き出すことを続けています。わたしも真似をして両手を広げて、呼吸を整えます。目を瞑って気持ちを落ち着かせます。

 ――いきなり、魔力がわたしの左手に流れ込んできます、いつもは右手から入ってくるのに……。突然のことに、驚きながらも、わたしは流れに任せると、いつも出るのは左手なのに、右手から放出されていくではありませんか。逆のようですが、あたたかい流れをそのまましばらく放出していました。

 一旦目を開けて隣を見ますと、ハリーお兄様の右手とわたしの左手の距離がほぼくっつきそうな位置にあります。ハリーお兄様の右手が放出する銀の光の範囲内にわたしの左手があるのです。原因はどうやらお兄様の魔力をわたしの左手が吸収している、というわけのようです。

 ハリーお兄様が深呼吸を止めました。右手から銀の光が消えます。それでも、わたしはまだ魔力を左手から取り込みます。今度はお兄様の手からではなく、月明かりの下、外気から取り込んでいるようです。右手からの放出をやめ身体に廻らすと、おへその下に溜め込めました。今までも朝の鍛錬で、左手で魔力を吸収しているみんなとは異なり、わたしは右手で吸収していると認識していましたが、髪の毛の色のように個人差で、右手で吸収する人と左手の人がいるとばかり思っていました。

 ――夜のせいでしょうか?

 わたしは、右手でも魔力を吸収してみました。

 ――問題ありません、右手からの吸収と左手からの放出もできます。わたしは右手でも左手でも魔力の吸収と放出ができるようです。これはどういう事でしょうか?

 わたしは魔力の取り込みをやめました。

「お兄様方、教えてください」

「「どうした」」

 お二方の言葉が重なります。

「わたしは……、

 どうも右手でも左手からでも魔力を吸い込めるようです。……。

 それに左右いずれの手でも放出できるようです……

 でも魔法はまだ使えませんが……」

「両方の手で出来るのか……」

 ハリーお兄様が絶句しています。しばらくして、妙に納得した顔で、話します。

「確かナナは、左利きだったよね。それが影響しているのかな」

「それがどう魔法に作用するのでしょうか?」

「お父様とお母様に相談してみよう」


「またか」

 呆れたような声、でもうれしそうな顔をしたお父様と、仕方ないわねという顔をしたお母様。

 また秘密が増えたようです。

「大した秘密じゃない。魔力を両手で扱えるのはそう珍しくもなく、百人に一人や二人はいるんじゃないか。左利きは十人に一人くらいいそうだし、その内の一人や二人は両方使えても不思議じゃない」

 ハリーお兄様に一笑に付されました。

「ただ、有効に活用している例を聞いたことがない。どう生かすかはナナ次第だな」

 とも。

 ――ハリーお兄様を唸らせることが出来るでしょうか。課題です。


 結局、その日は、皆既月食の観察はできませんでした。わたしの魔力コントロールの話ですっかり忘れてしまいました。


 翌日の朝の鍛錬では、右手からも左手からも魔力を吸い込みおへその下に溜め込むことができ、放出も右手、左手共にできました。魔力の量も同じくらいですし、色も両方同じで魔法の使えないわたしの場合は無色透明で、モヤっとしています。夜に限ったことではないようです。

 鍛錬を終えてからもわたしは一日中魔力の事を考えていました。残念ですが我が家のわたしの眼の付くところには魔法のご本は置いてありません。どの家も十歳以下の子供のいる家では魔法のご本は隠すようです。子供が間違えて発動すると大変なことになり兼ねないという事らしいです。火の魔法をうっかり使って大火事になると、とんでもないですものね。


 夕飯の食卓には、わたしたち兄弟は特別なことがない限り、お父様とお母様が来る前には必ず先に着いてないといけません。

「ハリーお兄様、ノアお兄様、この後少しお付き合いいただけますか」

「何のお誘いなのかな」

「また新しい遊びを考えたの?」

 わたしは口角を上げて応えます。

「魔力を両手で有効にコントロールするには? というお兄様の課題の検討方法を思いつきました」

 ハリーお兄様が口を少し開いて若干驚いた顔をしながらも

「分かった」

 と答えてくれました。


 夕飯後、わたしたち三人はハリーお兄様の部屋へ入ります。

 ハリーお兄様は机の前の椅子を逆向きにして腰掛け、わたしとノアお兄様はソファに座ります。

 わたしが両方の手で魔力を扱えるようになったきっかけを話します。

「最初に、右手で魔力を吸い込めるようになったのは、五歳になって鍛錬をはじめて一か月くらいの時でした、おばあ様の左手がわたしの右手に触れたことがあったのです。その時魔力の温もりを感じたのです。多分おばあ様の左手が魔力を集めている最中だったので、おばあ様の左手に吸い込まれる魔力がわたしの右手にも流れてきたのだと思うのです。わたしはそれからすぐに右手で魔力を集められるようになりましたし、左手で放出も、おへその下に溜め込めこともできるようになりました。

 そして昨日です。ハリーお兄様が深呼吸した時、たまたまひろげた右手がわたしの左手に触れるほどの距離であたったのをご存じありませんか?」

「いや覚えていない。あまりにもきれいな満月だったので思わず深呼吸したくなったんだよ、それで魔力が入ってきたから、夜にあまり溜め込むと眠れなくなるから右手で無意識に放出していたと思う。その手がナナに触れるほどだったとは気付かなかったなあ」

「でも、その右手が放出した魔力がわたしの左手に流れて来たのです」

「ほう、そうか。人の魔力を取り込めるということか。いやそれだけじゃないな」

 ハリーお兄様は察したようです。

「分かりました?」

「あ、そうか、分かった、分かったよ、ナナ」

 突然隣のノアお兄様のはしゃいだ声、気付いたようです。目が輝いています。

「多分、そうだ」

 ハリーお兄様がノアお兄様に笑顔をみせます。ハリーお兄様は年長者として弟をたてるようで、話をするように顔でノアお兄様を促します。

 ノアお兄様が頷きます。

「ナナ、こういうことだろう。

 魔力を吸い込めるようになるのにはきっかけがある。一回目はおばあ様が左手で集めた魔力をナナの右手に取り込んだ時。二回目はお兄様が右手から放出した魔力をそのままナナの左手がもらったというか譲り受けた時、というのが正解かな。

 つまり僕たちは左手で魔力を集めることは出来るから、ナナの左手から放出してもらった魔力を右手で受ければ、それがきっかけになって、右手からも魔力を吸い取れるようになるかもしれない、ということでしょ」

「その通りです。そうすればハリーお兄様が出した『両手で管理できる魔力を有効利用するには』という課題を三人で考えられるでしょう。わたしだけの課題じゃなくて三人の課題です」

「分かったよ、それが狙いか」

「いいじゃないですか、ハリーお兄様、僕たち三人でやりましょう」


 その夜、満月の明かりの下、二人のお兄様が右手で魔力を集め、左手で放出する訓練を行います。

 最初は、ハリーお兄様とわたしが向かい合って立ち、両手をつなぎ、わたしの左手から魔力をお兄様の右手に流し、受取ってもらい、少しだけ間をおいて、お兄様の左手からわたしの右手でやや強制的に魔力を引き出す様に受け取ります。

「ナナは、人から魔力を引き出すこともできるのか」

 ハリーお兄様が呆れたようにつぶやいています。

 一度道が出来てしまえば、あとは慣れのようで、手をつないでいなくても、あっという間にハリーお兄様は、右手で魔力を集め、左手で放出できるようになりました。

 ノアお兄様も同様に最初手助けすると、すぐにマスターします。

 難なく二人ともクリアしたようで、わたしはとても嬉しい。


 課題はお兄様方二人で行ってください。お願いしますね。

 だって、わたしお勉強と淑女教育で忙しいんですもの。

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