三話 セントラル大陸暦一五五七年 夏

 わたしは今年七歳になりました。読み、書き、算数のお勉強と淑女教育を習い始めました。教えてくれるのは侍女のラナーナ、彼女は王都で高等教育を受けた才女らしいのです。

 小さなころから絵本が好きなので文字ばかりのご本も読めるようになって楽しみが増えました。『水の一生』の、雨が降って、川になり、海に流れていき、日光に温められて水蒸気になり、雲となって、陸地に風に乗ってやってきてまた雨を降らせるお話はとても興味深かったです。

 書き方を習った時、最初にペンを持たされると、わたしは左手で文字を書きました。左利きだったようです。でも文字は右手で書くように矯正されました。お絵描きのときは両方の手を使って描いています。その方が楽しいの。


「八月になったら、海に行くわよ」

 お母様は昼食が終わってからわたしたち兄弟妹に言います。

「じゃ、明後日に出発するのですか?」

 ハリーお兄様が代表して訊いてくれました。

「明後日の朝食後、南のパール浜へ馬車に乗って行くのよ」

「ジャック叔父さんのお城に泊まるんだね」

 お父様の弟のジャック叔父様の家族はパール浜の山の上に立つお城に住んでいます。ジャック叔父様の家族は髪が水色のお揃いでうらやましい。四人で並ぶと統一感が取れていてとても目立ちます。それに比べてわたしの家族の髪の色はバラバラです。おじい様、お父様そしてハリーお兄様が同じ銀色、おばあ様は赤色で、お母様が茶色、ノアお兄様が赤茶色です。特にわたしは紫色なので同じ家族に思われません。もう嫌になります。


 従妹のアヴァちゃんに会いたいな。大きくなっているかしら。先のお正月に会った時は「ねえね、ねえね」とわたしの目を見てちゃんと言ったはずです。楽しみです。従弟のチャーリーとは、……別にどちらでもよいけど。


 馬車の御者さんに、

「この若駒は、本日初めて御用をいたします。お嬢様覚えていますでしょうか」と訊かれました。

「ペガサスね」

 明るい栗色の馬体は大きくて、毛並みはつやつやして若々しさにあふれているキレイな馬、ペガサス。

「そう、この馬は今日からなのね。仔馬だった時に、名前がないから、何がいい? と、ナナに訊いたら、ペガサスって名付けたわね」

「そうそう、ペガサスなら真っ白で翼があって飛べるのに、この馬は白くもないし飛べやしないから絶対におかしいと僕は言ったのに、ナナったら、飛び跳ねているからそのうち必ずお空を飛ぶのって、聞かなかったよね。ホントにナナは絵本の読み過ぎなんだから」

 幼過ぎて、そんなことは覚えていません、ノアお兄様。

 でもいつも放牧されたお馬さんたちを見ていると、ペガサスを目で追いかけてしまいます。鼻に一本白い筋が通り四本すべての脚に白いソックスをはいたようなペガサスはわたしのお気に入りのお馬さんです。


 ペガサスの鼻を撫でて、馬車に乗ります。家族で二台、お付きの人たちで一台の計三台の馬車で行きます。ただ、仕事のあるお父様は後で来るようです。


 叔父様の住まうお城に到着しました。ごつごつした岩の堀がお城を囲んでいます。跳ね橋をガランガランとおろしてもらって中に入りました。去年も来たようですが、まったく覚えていません。六歳の時の記憶がもうないようです。

「去年跳ね橋は降りていたからな、覚えていなくても無理はない」

 と記憶力抜群なのは、ハリーお兄様です。


 なめらかな白壁のわたしたちの住む領都の館とは異なり、むき出しのゴツゴツした岩が灰色や黒色の暗い色ばかりで、先日習ったばかりの単語『武骨感』満載です。

 そう思ったことがわたしの口から漏れてしまいました。

「ここパール地域は外敵からサンダー領を守るべき海の出入り口。そこにあるお城だから武骨でいいんだよ、むしろ恐れられるくらいの方がいいのさ」

 またハリーお兄様が説明してくれました。


 アイラ叔母様と小さな男の子が待っています。わたしより幾分小さいままの従弟のチャーリーです。

 そして侍女らしき人の腕には幼子が抱かれています。

 チラチラこちらを見るアヴァちゃんは愛らしい幼児です。

「いらっしゃいませ、アメリア様、おじい様、おばあ様、そしてハリー様、ノア様、ナナリーナ様、ようこそいらっしゃいました」

 アイラ叔母様が、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま、淑女の礼を行います。

 お母様も

「こちらこそご面倒をおかけいたします」

 と返礼します。

「そんな堅苦しい挨拶は抜きにして。私たちの仲では家族扱いでお願いしますよ、さあ、チャーリーいらっしゃい」

 とは、おばあ様です。

「そうだよ、ではチャーリー、先にわしの許に来るんじゃ」

 チャーリーはアイラ叔母様を見て促されると

「おじい様、ハリー様、ノア様ようこそいらっしゃいました」

 頑張って挨拶をします。

「よろしく頼むよ」

 ハリーお兄様が笑って応えます。

「いい子だ、チャーリーは幾つになった」

「誕生日が来ると七歳になります」

 おじい様はご満悦のようです。

「ではまいりましょう」

 アイラ叔母様の声に進み始めます。

 いつの間にかチャーリーはわたしの手を取っています。

「ナナは本当にチャーリーに懐かれているね」

 ノアお兄様は呆れたような感心したような声色でささやきます。


 夕飯にはお父様も到着し、みんな揃っての会食となりました。海のそばらしくお魚料理が盛りだくさんです。

「明日はみんなで海に行きましょうね」

 アイラ叔母様の声にうんうんと頷く子供組のみんなでした。


 翌日からお城を出て、海のそばの領主館で過ごします。わたしの足で五分も歩けばそこはもう大きな海です。

 この浜は、遠浅で大きな船が直接入って来られないようです。


 二日目、三日目はよいお天気で肌がうっすら赤らみ、少し日焼けしたようです。

 四日目は大雨のため海で遊べません。領主館の中で遊んでいました。わたしはもっぱら、従妹のアヴァちゃんの相手をします。チャーリーが構ってほしそうですが、そこは男の子、ハリーお兄様とノアお兄様におもちゃの剣で遊んでもらって楽しそうです。


 カンカンカン。

 半鐘がけたたましく鳴り響いています。

 五日目の明け方です。

 カンカンカン。

 不安をあおるような音にわたしは起き上がり、お兄様方とこの館の一番大きな部屋へ向かいます。大人たちが集まり、子供ではわたしたち以外にチャーリーもいます。

 軍服を着た兵士が来ました。

「遭難した船がいる模様です、至急助けが必要です」

「分かった。兵士を救援に向かわせろ、ワシもすぐに行く」

 お父様が答えます。

 男の大人たちがすぐに出発しました。わたしたちは気もそぞろになりながら、朝食を取り、子供部屋に集まっていました。

 館がガヤガヤとしだしました。

「何があったか見てくる」

 ハリーお兄様が部屋を出ていきます。

 何があったのでしょう、大人たちの声がこの部屋まで聞こえます。しばらくするとお母様がやってきました。

「ナナ、こちらへいらっしゃい」

「はい」

 わたしはお母様に連れられ、領主のお父様とお母様のプライベートルームに入りました。

「ナナ、あなたのネックレスが必要なの、貸してくれる」

 わたしは頷きました。

「ありがとう」

 お母様はにっこりと笑ってわたしの首からネックレスを外します。わたしが勝手に名付けた『紫紺の瞳』と金色、水色、緑色の一年で真珠から聖珠化した珠を金鎖から取り外します。その四つの聖珠をキレイな箱に入れました。残りの四珠も異なる箱に入れられ、わたしには八連の色付き真珠のネックレスをあらためて着けてくれます。

「ちょっと早くなったけど、聖珠化したネックレスとの交換よ」

「分かりました」

「ごめんね、今からナナにはつらい思いをさせるかもしれないけど、ケガ人の治療にこの聖珠とあなたの力が必要なの。痛い思いをしている人を助ける為に必要な事なの、血だらけの人を見るけど……ナナは大丈夫よ、人助けだから頑張ってね」

「はい」

 わたしはお母様と一緒に早朝お父様たちといた部屋に行きました。

 大勢の人がいます。はだけた肌、ぼろぼろの濡れた布をまとっただけにしか見えないケガ人。お母さまの言ったように血を流した人もいます。呻き声、泣き声、イタイ、イタイと言う声に、わたしの心臓が上ずったように思います。

 ――大丈夫、わたしにはお母様が付いています。

 お母様がキュッと強めにわたしの手を握ってくださいました。

 ケガ人を見るのはつらいですが、大丈夫です。落ち着きましょう。

 ――わたしは大丈夫、落ち着いています。

 心の中で繰り返します。

 ――大丈夫、落ち着いています。肩の力を抜きましょう。大丈夫、落ち着いています。お腹がポカポカします。

 おばあ様が以前教えてくれた落ち着くための呪文を繰り返します。

 何人か白衣を着た人たちが治療をしているようです。一人の白衣の人の前にお母さまが立ち止まります。気が付いた白衣の人が

「侯爵夫人」

 と、声を上げます。

「これが我が家に伝わる聖なる真珠、聖珠です、治療にお役立てください」

 キレイな箱を開けて『紫紺の瞳』と金色、水色、緑色の聖珠を見せます。

「復元の聖珠、それに回復の聖珠、水と風まで、ありがとうございます」

 目を見開いています。そしてその箱を押し頂きます。

「ナナはあそこに行って」

 指示されたのは女神さまの像の前でした。

「あなたは海の女神さまにみんなが回復するようにお祈りするだけでいいからね」

 女神像が立っています。わたしと同じくらいの高さです。脇には、両開きになった扉が折りたたまれています。いつもは閉まっているのでしょう。今日は特別に開けていると思われます。

 紫のマットが置いてあります。わたしはその前に膝を着き、両手を合わせ、目を瞑ってお祈りをします。

 ――みんなが治りますように、お願いします。

 一心にお願いしていました。


 周りから神に祈る言葉や治ってくれと言う大きな声が幾度ともなく聞こえてきます。

 泣き声、呻き声、痛々しい声がだんだんと小さくなり、おお、ありがたい、助けられる、何という魔法の力のすごさ、とてもありがたい、おお、神様、こちらにも復元の魔法を、回復の魔法を、水を、風を、ああ、治っていく、力が湧いてくる、感激したような声色、泣き声になり耳に届きます。


 目を閉じたまま祈り続けました。

 わたしはふわふわとしています。青から紫へとうつろう空に浮かんでいるような感覚があります。青白く輝く月を見ながら、一心にみんなが治るようにと願います。中空に浮かぶわたしの周りから月の光の粒子が、あたり一面に舞い、降り注いでいるかのようです。


 気が付くとわたしはベッドの中にいました。

 お父様とおじい様が良くやったとほめてくれます。おばあ様は、疲れている風ですが「助かった。みんなに代わってお礼を言うよ。ありがとう」と言ってくださいました。おばあ様もあの場にいて治療を手伝っていたようです。

 お母様はただただ、体を撫でてくれました。

 わたしは嬉しくて、そして誇らしい気持ちでいっぱいです。


 先日の雨の日、海は嵐になっていたそうです。その暴風雨に巻き込まれ遭難したのは、わたしたちの住むセントラル大陸とは異なり、はるか遠くのウエストという大陸の商船でした。ウエスト大陸内の交易船で西から出発し東へ向かっていたところ、途中舵が事故で利かなくなり帆だけを頼りに航行していたのが嵐で遭難し、陸地に着く前に暴風雨で傷んでいた船は大破したらしい。救命ボートやいかだに乗れた人もいたようですが、乗員四百人のほとんどの人が海に投げ出されたそうです。救出できたのは二百五十人ほどだったとのこと。それでも大変感謝されたと、お父様に聞きました。『紫紺の瞳』と金色、水色、緑色の聖珠はとても役に立ったようです。聖珠は今しばらく、この町に必要なようです。

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