父はナニカに取り憑かれたのかもしれない
「あっ・・・」
目があった。
目があった途端、それは何かわからなかった。
衝動的だった。自分は衝動性とは全くかけ離れたところに存在すると思っていた。
夕暮れ時。電車の緊急停止ボタンを押していた自分。
駅から少し離れて緊急停止した電車。
電車が発車する直前、駅のホームに入ってきた進行方向が逆の電車に乗っていた女性と、目があったのだ。
パニックになる車内でドアの前まで行き、ドアをこじ開けて外に出る。
我ながら火事場の馬鹿力。
なんとか外に出て走るが、無常にも反対側の電車は出発してしまう。
それでも、走って反対側のホームに飛び乗る。
周りを見渡す。今自分がしでかしたことをみていた人があっけに取られた顔をしている。
当然、当然だが、そこにあの人はいない。
ここまできてようやく思い返す。
今、自分がしでかしたことを。
顔から血の気がひく。倒れそうだ。
ふらっとした。力を使いすぎた日ですらこんなことになったことはない。
「きゃ、大丈夫ですか?」
私の体を支えてくれた人がいた。
意識朦朧としている体をむりやり叩き起こして
お礼を言おうと顔を見る。
「え・・・・?」
それは、確かに、目があった女性だった。
「おーーーい!そこの!ちょっと!」
駅員さんが遠くから走ってくる。
「や、やべっ」
「こっちです!逃げましょう!」
手を引かれるまま、
ホームから線路に降りる
「え、え、、えええええ!?」
私、
董哉は、こうして恋に落ちた。
あれは、まさしく、ビビッときた。
婚約者がいた董哉は、婚約者と別れ、彼女と一緒になることにした。
彼女も董哉を見た途端、我を忘れ、人を押し除け、電車から降りていたと言うのだ。まさしく運命だと思った。私たちは会うべくして出会ったのだと。
しかし彼女は霊感こそあれ、古くからの巫女の家系である董哉とはかけ離れている。
董哉は家を追われることになった。
別に5人も兄弟がいるわけだし、董哉自体は次男だし、全く問題ないと思うのだが、一般人と駆け落ちするなんて阿澄家史上董哉が初めてだった。
董哉は自分と彼女を守るために、テレビに出るようになった。ルックスも悪くなかった董哉は、イケメン霊能力者として、テレビに取り扱われた。一般の認知度を上げることで本家から、命を負われにくくすることが狙いだった。
それにこの手の霊能力に関することは、テレビおよび一般の人々は、熱しやすく冷めやすい。狙い通り、すぐに董哉が起こした霊能力ブームは終わりを告げ5年もすると董哉について知っている人はほとんどいなくなった。
しかしメディアの露出もあり、確かな力を持っている董哉は、各界の大物とのパイプを得て、日本一多忙な霊媒師として、裏でその名を轟かせることになる。
あれから25年。
2人の子宝に恵まれ、健康に育ってくれた。蓮は視えないが祓う力は誰よりも強い。視えないのはかなりの不安要素ではあるが、この子より祓う力が強い人間をみたことがない。
詩音は誰よりも視える。視える分、取り込まれやすくはある。
小さい頃からさまざまな感情、思念、怨念に惑わされ続けてきた詩音。幼いときは蓮の反対で祓う力は無いのかと思っていたが、成長するにつれ自分の身を守れるほどの力を得た。安心した。しかし、それでもまだ眼が強い。アンバランス感は否めない。詩音ではどうにもできないモノも見えてしまう可能性もある。
15年。詩音が生まれて。蓮は17年。ここまでよく、健康に育ってくれた。
それだけが董哉の願いだったから。
どれほど仕事が忙しくても、
どれほど自分の身が削れても、我が子を愛する気持ちだけはブレない。我が子の幸せを願う気持ちだけは一度だって忘れたことがない。
そう言い切れる。
その、蓮が、自分に、そして詩音に、嘘をついた。
『なにも。隠して無い。』
きっぱり、言い切った。
それはつまり、董哉では解決できない。
そう、言われた気分になった。
当たり前だ。
詩音でも視えないモノ。そして蓮でも祓えないモノ。
私にどうにかできる、わけがない。
2人とも私よりも数段力は上なのだ。
だがしかし、
だからと言って、詩音を危険に晒すわけにはいかない。
だからといって、蓮をそのままにしておくわけにはいかない。
ない頭を振り絞って、奥の手を使うしかない。
どの面さげて
そう言われたって、助けを求めるしかない。
コンコン
「失礼するよ。」
星稜高校。
校長室の奥にあるもう一つの部屋。
理事長室。
「ノーアポで急に何の用ですか?」
「仕事の話で、これの処理を頼みたい。おそらくアレだ。強盗事件と一家惨殺事件。ここの寮生だ。有耶無耶にする代わりにこの子を保護してあげてほしい。」
「処分、ではなく?」
「あぁ。そこは私がなんとか掛け合うから、そちらだって処分する手間よりも保護する方が楽だろ?忘れた頃に返せばいいんだ。」
「まぁ、いいです。あなたの人脈に感謝します。」
メガネをきらりと煌めかせるこの女性。
董哉と同年代にして学校の理事長代理を務める女性。
来栖陽香。
古くから阿澄家と親交のある来栖家の三女にして、当代。
………………未婚。
はっきりいって董哉のせいだ。
婚約破棄なんかする男のせいで、
もう20年も前の話ではあるが。
若さ的にはギリギリまだいけるかもしれない。ルックスもかなり若造しているので30代と言われてもおかしくない風貌である。
……だが、なんとなく気まずい。蓮がここに入学するといったとき、相当気まずかった。
だが、彼女は蓮の体質のことを聞くと親身になって相談に乗ってくれ、まるで自分の息子のようにその身を案じてくれた。はじめての寮の男子生徒にもか変わらずさまざまな特例をだし、過ごしやすいようにしてくれたのだ。
恩しかない。その、来栖に、
仕事の力を借りなければならない。
だが、愛する息子。愛する娘のため。
鬼にでも蛇にでも頭を下げる。
なんならこの人は聖女だ。
リアル聖女。自分のちっぽけな罪悪感なんて。くそくらえだ。
「来栖さん。頼みが、ある。」
「…………はい、なんでしょう。」
「助けてくれ。」
「何を?……なんて愚問でしたね。どちらですか?蓮?それとも詩音?」
「蓮だ。蓮の部屋にナニカいる。蓮の判断で私には無理だ、と言われた。私より強いあなたに頼むしかない。」
「董哉さんより強い。蓮君がそう言ったのですか?阿澄家始まって以来の稀代の霊能者と呼び名の高いあなたであっても、ですか?」
「それは買い被り過ぎだし、実際は家を勘当されている身なので阿澄家には頼めない。しかしあなたは、あなたは本当に蓮たちを自分の息子のように可愛がってくれる。私はずるい男です。しかし、それでも蓮の命にはかえられない。私のプライドなど。いくらでも頭を下げるし、なんだってする。だから、お願いします。助けてください。」
「ええ。あなたがここに来る意味。それからその覚悟。本物であるとして動く必要があります。しかし、期待はしないでください。私は自分の命か、蓮くんや詩音さんの命かを選ぶとするならば自分の命を選ぶからです。」
「当然です。しかし、ありがとう……。本当に。」
「お礼は全てが終わったあと。お願いしますね。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ、疲れた。」
「うん?何に疲れてるの?」
「怒るのに。なんかもうどうでもいいかなぁって。」
「えーっと誰に怒ってた?」
「蓮君と妹ちゃん」
「ふ、2人ともだったんだ。」
「そりゃそうでしょういきなり胸触ってきたんだよ。」
「うー、あ、あのさ、シズって胸の大きさ、気にしてた?」
「あ?」
「い、いやぁ、その気にしないってキャラじゃんいつもなら。でもそんなに怒るなんてって思ってさ。」
「そりゃするでしょ。丈瑠ん巨乳好きだし。それにあたしのお姉ちゃんも妹もみんな私より大きくて。なのに私だけさ。」
「うーん、それでね、あたし豆乳がいいって聞いたことあるんだけど、そう言うのとか試してたり詳しかったりする?」
「そりゃもちろんめちゃくちゃ調べてるよ。サプリとか怪しげな薬とか飲んでみたけど変化なし。むしろ小さくなるように変化している気がする始末。」
「実はさ……、その、詩音ちゃん、なんかね、オカルトに興味あるみたいでさ、怒らせたお詫びにそういうのに効く御守りくれたんだ。それから本人悪いことしたって謝ってたから、その。許してあげて?」
「お守り?」
「うん、これ。持ってればいいんだって。」
「いらないわよ……って言いたいところだけど、まぁそんなことでずっと怒ってるのも面倒くさいし、許してあげるわ。もちろん本人が自分で謝って来たら、の話だけど。」
うん。シズはこういうところがある。
「うん。そうだね。」
よかった。いつものシズだ。帳尻合わせのお守りなんて用意する必要なかったかもしれない。
「ところで良かったね、いるるん。」
「へ?何が?」
「妹だって。彼女じゃなくて」
「あ、たしかに……。」
色々あって自分のことなんて忘れてた。
そう、それから、董哉さん、苗字が阿澄だったなんて知らなかった。
阿澄董哉。
阿澄蓮。
それに阿澄詩音。
でも蓮くんだけは視えないって言ってた。だからこそ普通の暮らしがしたくてここにきたって。
なら自分も今まで通り普通に接するのが良いのだろう。
それに今まで不自然に思っていたことも、蓮くんがやったと考えれば辻褄が合うことばかりだ。
タケルくんが憑かれている時も、呪われている時も、近くには蓮くんがいた。
蓮くんが祓ったのだとすれば。
だとするとシズもタケルくんも何度も蓮くんに命を救われている。
それに、私も。
「おおおい。いるるん?自分の世界に入ってるよ?」
「あ、ご、ごめん。」
「にひひ。蓮くんのかっこよかった思い出でも思い出してた?ねーねー葉月的には、蓮くんが一番かっこよかった時っていつ?キュンとした時。ベスト3!発表しよーよ。」
「ええ?いきなり?なんで私だけ?」
「ん?私の聞いても面白くないけど聞く?」
「面白くなくないよ。ふふ、それに言いたいんでしょ?」
にやにやしているシズ。本当にわかりやすい。
「まあね。うーんとね。三位はこの前のベンチの人形の時の池ぽちゃした時の濡れた滴る髪の毛をかきあげるタケルくん。」
「ああ、あの時の。・・・」
あの時はマジでタケル君危なかったと思う。
それも多分蓮君が除霊してくれたんだよね。
「ほい、葉月の番だよ?」
「えええ、うーんと、そうだなあ。一年の時でもいい?」
「もちろんだよ、去年惚れてるわけだしね。」
「3位は、最初のカラオケかな。あの時の蓮くん、歌知らないとか言ってたのに、急にハモリだしてびっくりしたし。」
「あれは反則だよね。できないできない詐欺だった。ギャップすごかったよね。」
「はい、シズの番。2位は?」
「2位?2位は私が呪われてるって話あったじゃん。あの時、こけそうになる私を抱き抱えてくれたのにキュンとしたなあ。」
「あったね。あれも大事件だったね・・・でもほんと大事にならなくてよかったよ。後から聞いたけど、タケルくんの元カノ、交通事故で意識不明の重体になってたんだって。」
「えええ、こわ。なにそれ知らなかった。」
「ね、怖いよね。」
「ほい。それじゃあ、葉月の第二位は?」
「うーん、なんだろ。やっぱり、あの公園かな。ほら、私が木の根っこのくぼみにハマっちゃって抜け出せなくなったやつ。」
「あぁ、蓮くんが入っていって助け出してくれたやつね。たしかにカッコ良かったよねえあれ。」
「じゃあ、第一位は?」
「まだ。きっと今までで1番キュンとするようなことをして告白してくれるの、待ってるの。」
「なによそれ、あはは、乙女だなぁ。」
「葉月は?葉月の一位は?」
「うーん、私は……、でも、待ってても告白なんかされないし。ていうかフラれてるし。」
「むーせっかく楽しいのに暗い雰囲気禁止。」
「はは、ごめんごめん。うーんと、普通に、そうだなぁ。私を悪夢から救ってくれたとき、かな。」
「へ?どういうこと?」
「あはは、馬鹿みたいな話だけど、去年ね、ずーっと悪夢でうなされてて、あんまり寝れなかった時期があったの。その時、夢の中で助けてくれたのが蓮君だったの。」
「ぶっ!何が乙女よ!葉月の方が乙女じゃん!あはははは!夢の中で白馬に乗ってた?あはは!」
「もー笑いすぎ。でも、自分でも馬鹿みたいって思っちゃうな。」
「どんな夢なの?覚えてる?」
「うん。私がいっぱいいて、私が私じゃなくなっちゃうの。それで私じゃない私が蓮くんを襲ったり、殺そうとしたり、嫌ったり、誘惑したりしたんだけど、最終的には……うーんと、どうなったんだっけ?最終的に?……」
ズキっ
頭の後ろの方が痛い。
「葉月?」
ズキン、ズキン、ズキン、ズキン
どんどん痛くなる。やだ、なんか、この感じ、前にもあった。
それこそ、
夢をたくさんみてた時
私が私じゃなくなる時
やだ、また、そうなるなんて
葉月は意識を失い倒れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇
広い部屋。
長い机のほとんど真ん中に、葉月が座っている。
遠くの方一番端っこにもう1人、誰かわからない人が座ってる。
あとの椅子はあいている。
ここはどこだろう。
初めてきたようで、初めてじゃない。
わたしがまた忘れてるだけだろう。
「ねえ、あなた、ここはどこか知ってる?」
遠くの人に話しかける。
聞こえないのだろう返事がない。
わたしは身を乗り出そうとして気づく。
体が動かないこと。
「わ、なんで?動けない。ねぇ、あなた、何か知ってる?」
こんな状況なのに、わたしはその人に話しかけている。全然怖くないのだ。
「ねぇ。なんとか言ってよ。なんで動けないの?」
「 」
「ん?なんて?聞こえない!もっと大きな声で言って!」
「 」
「わかんないよ。聞こえない。」
視線を切ったら目の前に彼女がいた。
「わ、びっくりした、その距離なら聞こえるよ。なに?」
「返せ」
「え?何を?」
「わたしの 返せ」
「ん?あなたの何を返すの?」
「わたしの体を返せ!」
「え?」
見上げる。
それは、わたしの顔をしていた。
首を絞められる。わたしがわたしに殺される。
なんで、
どうして
わたしが何をした
これは
これはわたしの体
「これはわたしの体ダァ!!!」
手を引きちぎってわたしを見下す。
はぁ、はぁ、はぁ。
苦しかった。
わたしの体は渡さない。絶対渡さない。
手が引きちぎられたわたしはわたしを睨む。
わたしは
もう2度と、そんなことできないようにしてやろうと思った。
首を絞める。
あと少し、
もう少しで
こいつはいなくなる。
そしたら、
この体は
グイッと誰かがわたしの体を引っ張った。
蓮くんだ。
「あ、蓮君!よかった、また、助けてくれるんだ」…
蓮君はわたしの前にたちはだかり、手を引きちぎられて首を絞められてたわたしを庇うように両手を広げていた。
「え?」
「ちがう、ちがうよ蓮君。それがわたしの体を奪おうとしたんだよ。」
じっと見つめる蓮君。まるで、化け物を見るような目で。
「いや、」
蓮君の後ろでわたしがニヤリと笑う。
「いや!ちがうの!ちがう、蓮君!信じて!そいつは違うの!お願い!いやぁ!いやぁぁぁぁああああああ!」
「いやぁぁぁぁぁああああ!」
「ち、ちょっと!葉月!葉月?大丈夫?どうしたの?ねえ!先生?先生?ほら、葉月が!」
シズの慌てる声が聞こえる。
「はぁ、はぁ、はぁ。」
「おい、葉月、大丈夫か?」
頬をさする蓮君。
ここは?ここは現実?本物の蓮君?しずもいる。五十嵐先生も来た。
「れ、蓮、くん……?」
「おう、葉月。なんだ?おれはここにいるぞ?」
「あ、あの、わたし、わたしは、葉月、だよね?」
「……?うん、葉月だと思うが。違うのか?」
「んーん。ちがわない、違わないの。でも、体を体を乗っ取られそうになって。」
「体を乗っ取られる?」
「は、いや、夢の、夢の話なんだけど……。」
「どんな夢か話してみて。」
前のめりになる蓮君。
「わたしがもう1人いて、わたしの体を返せって、襲ってきたから、逆にやり返してやったの。そしたら蓮君が夢に出てきて、わたしじゃなくて、もう1人の方を、庇うから。わたしは……」
ガタガタと震え出す葉月。
「葉月、怖かったな。でも大丈夫だぞ。俺がここにいるから。な。」
そう、たしか、蓮くんは祓う力があるんだって。だとしたら、アレは私に取り憑いたナニか、なのか。私の体を乗っ取ろうとしているのか。
抱きついた。
蓮君にしがみついた。シズも五十嵐先生も居るけど関係なかった。怖かったから。今すぐにでも自分が消されてしまうんじゃないかって、怖かったから。
ガタガタ震え続ける葉月を見ながら、蓮は神妙な顔つきで電話をかける。
「……」
『おう、なんだ。』
「董哉、お願いがあるんだ。」
『オレとお前、喧嘩中だと思ったが?』
「背に腹は変えられないってやつだ。董哉も知ってるだろ、葉月だよ。怖がってる。オレにはどうしようもできないから、董哉がなんとかしてくれない?」
『お前にどうしようもできないモノをオレがなんとかするだって?馬鹿言うなよ。』
「いや、だってオレは見えないから。」
『……わかった。向かうよ。保健室だな?』
「ありがとう。董哉。待ってる。」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇
漆黒の祭服に身を包み頭を白いベールで覆う40代半ばの女性。来栖陽香
この学園の理事長だ。
来栖家は古くから伝わるキリシタンの家柄。だいたい300年ほど前室町時代に広まったキリスト教の霊能者が日本の霊能力者と結びつき、来栖家が誕生した。来栖家は日本の三大霊能一族として栄えることになる。
他の二家、阿澄家よりは歴史は浅いがその力は紛れのない本物だった。
ネックレスを首から外して手に持つ。そのまま何か日本語ではない言葉で祈りを捧げている。
かれこれ1時間ほど。
この学園には元来、霊などの異界のものは入り込めないような結界があった。山奥の人里離れた場所であり、大きい教会もあり空気も浄化している。たまにくる浮遊霊もいるにいるが、
ここのあまりの空気の清潔さに居心地が悪く、したの人里の方へ流れていくのが普通だ。
だが、ここ最近、霊が増えた。
増えたと言っても、普通の量、なのだが。ここのこの空気、この条件で普通だけ霊がいるなんてことは、ありえないのだ。
その大元が、ここにある、と阿澄董哉は言う。
そしてあの男にも、視えない。感じない、と。
彼も何度もここに足を運んでいる。しかしどう見ても、何度みても、この部屋に、霊は存在しない。
この部屋だけには、何も、いない。隣の部屋にも、廊下にもいるのに。
もっと、もっと深く。詩音が、彼の娘の詩音が見たと言うモノを、理解するために、もっと深く祈りを捧げる。
汗が滴り落ちる。
詩音の視る力はとてつもない。
その詩音が、最初は視えなかったナニか。
今の私に視えるかどうか。
本家に伝わるフル装備でここに望む陽香。しかし全然心許ない。
力の強い霊能力者ほど、自分の手に負えないモノは視えないようになる。無意識による防衛反応だ。視えないモノには手を出せない。
つまりこの部屋にいるはずの何かはわたしにはどうしようもないモノだと言うことに他ならない。
陽香は覚悟を決めて厳重に閉められた小さなケースを懐から取り出す。
中には眼鏡が入っている。
それをつける。
これは視る力を強化する特別な眼鏡。
これをつけてもなお、視えない。
長時間は体に障る。
祈りにいっそう力を込める。
もう2時間くらいたったろうか。
時間の感覚がなくなってきた。
来栖陽香は汗を拭う。
立膝をつき懸命に祈っているその足元は彼女の大量な汗で水溜りができるほど。
あたりも真っ暗だ。
……真っ暗?
まだ、2時間くらいしかたっていないはずだ。
まだ夕方にもなっていない。この部屋の住人は門限を必ず守ると言う。門限の18時半ですらまだ明るさが残ると言うのに、なぜここはこんなにも真っ暗なのか。
……闇が、この部屋から噴き出ている。
視えてはいけないモノを見てしまっている。
寒気が止まらない。震えが止まらない。汗が今までの倍くらい出る。
これは、
これほどまでとは、
だが、
だからこそ、
ここで生活している蓮が
ナニと、生活しているのか、この目で見極めなければ。
ガタガタ何かが音を立てている。
自分の奥歯が噛み合わない音だと気づくのに時間がかかった。
これほどまでのナニカが、こんなところに、いるなんて。
震えて全力で拒否する体に鞭をうち、
少しずつ扉の取っ手に手を近づける。
遠い。すぐそこにあるはずの取っ手がとっても遠く感じる。
はぁー、はぁー、はぁー、
息が荒く、深くなる。油断すると、息の仕方さえ忘れそうだ。
指がとってにかかるかかからないかのところで、
ガチャン
ぎぃーーーーーーーー
扉がひとりでに空いた。
「おい!おい!!大丈夫か!?起きろ!陽香!!」
「ん、……、ここは?」
「医務室だ。あの部屋の前で倒れてた。」
「あなたが運んでくれたんですね。」
「あぁ。何があった?」
「いえ……。わからない……。あの部屋は危険です。蓮は?」
「蓮は葉月ちゃんを家に送って行った。それから一旦家に帰れって言ってある。」
「葉月?入鹿さんのところの?何かあったのですか?」
「憑いてた奴が体を乗っ取ろうとしたらしい。」
「穏やかじゃないですね……わたしには憑いていたことすら視えなかったよ……。」
「あぁ、俺もだ。だが、詩音がみえてる。真後ろにずっと何もせずいるだけだったらしい。それが襲ってきた。あの惨殺事件もそうだが、何かがもう、限界を迎えて溢れ出てる感じだ。そして、それの大元が、……」
「あの部屋、ですね。でも董哉。あの部屋はどうしようもない。本当に。どうにかできるのは蓮、本人しかいないかもしれません。」
「あの部屋は、なんなんです?曰く付き、というのは聞いていましたが。前に誰がいて、蓮はナニと戦えばいいのです?」
「…………話したところで、どうしようもない、ですが……。いいでしょう、お話しします。……あの部屋は昔女子寮が改築するきっかけとなるボヤ騒ぎが起こったのです。いまから10年ほど前のこと。……」
陽香は語り始める。
いままであったこと。そのことの顛末、それを彼女が話を知ってる全ての内容を余すことなく伝えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「だいぶ落ち着いたね。」
ここは葉月の家。
葉月の部屋。
ここに来るのは3回目だ。
「……うん。」
涙で目を晴らした葉月が、
布団の中に潜り込む。冷静になって涙で濡らした顔を見られるのが恥ずかしいんだろう。
「ごめんね、こんな遅くまで……」
もう夜の11時だ。まぁ、でもまだ終電もあるし。
「いや、全然良いよ。葉月が大丈夫そうでよかったよ。」
「……あのね、先週からお母さん、お父さんについていって、今アメリカなの。だから私ひとり、なの。」
「……そっか」
「それで、その、……ちょっと、ううん、恥ずかしいんだけど今一人でいるの怖くて。蓮君……。」
ガバッと布団から出て、こちらをみる葉月。目がうるうるしてる。
「……わ、わかった、今日はここにいるよ。葉月が安心して眠れるまでこの部屋にいるからさ。」
「……」
蓮の手を掴む葉月。
無言で俯いている。さっきと違う理由で泣きそうになってる。
「……仕方ない、か。」
蓮は何かを諦めるようにして言う。葉月を優しく抱きしめた。
「ほら、大丈夫だから。ね。」
「うう、……ごめん、ずるいのわかってるけど。」
葉月は泣きながらギュッと蓮を抱きしめる。
うるうるした瞳で蓮のことを見つめる葉月。
目を閉じて待っている。
ギィぃぃいいいい
葉月の部屋の扉がひとりでにあく。
「……わぁ、」
葉月の部屋の向かい側にもう一つある子供部屋。
そこの扉も開いている。来る時は相手いなかったのに。
葉月は気づいていない。
俺はギュッと葉月を抱きしめた。
「こんばんは。」
ソレに向かって挨拶する。
「………………」
ソレはだいぶやつれていた。
何かを言っている。
聞こえない。
「大丈夫、俺は何もしないよ。」
話しかける。
ソレは泣いている。
あの部屋の、彼女以外で、俺が見えるのは初めてかもしれない。
ソレは悲痛な表情で何か叫んでいる。
「……蓮君?」
顔が真っ青な葉月。
「れ、蓮君……、頭が、頭が割れそう。」
ギュッと抱きしめる。視えないように。アレが。
ガタガタと震え出す葉月。
「蓮君、蓮君、ナニカ、何か見える?」
く
ソレはずっと何かを叫んでいる。近づいてくる。
苦しそうに、とっても苦しみながら。
「………………で」
「で?」
「…………ないで」
近づいてくる。
葉月はたまらず悲鳴をあげだした。
「いやぁぁぁあ!いやぁ!蓮君!嫌だ!助けて!助けて!」
「騙されないで!そいつが偽物よ!」
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