壱 水元公園の姉妹関係、成立。

第1話 大手町には、たどり着けなかった。

 水元公園の樹々に、午前ののどかな陽が差し込んでいる小春日和の日。公園近くの細道から駅へと続く通りに入る信号が青となるのを、慣れ親しんだ通勤チャリちゃんの上で待っていたわたしは、その時、いい知れない違和感を感じていた。主に、胸のあたりと腰回りに。

 

 信号が変わり、よいしょっとチャリちゃんを漕ぎはじめると、さらに違和感が強まった。なんとなくサドルが高くて、、漕ぎにくい。靴が脱げそうな感じもする。

 

 そして、ガタタんと歩道の段差を超えた時に、あろうことかブラが下の方にずり落ちはじめてしまったことに、さらに動揺した。

 チャリちゃんを止め、胸のあたりの違和感を隠すように、うつむき加減に通りの無人コンビニに入った。どことなく見覚えがあるおばさまが買い物中だった。わたしは目を合わせないように右奥のお手洗いコーナーにてとてと小走りした。

 

 手洗いのところの鏡の前に立つ。中学生(いや、もしかすると、小学生)の時のわたしらしき姿が、これまでの違和感のあかしであるかのように、目に入ってきた。

 

 鏡の前のわたしの顔立ちは、記憶のかなた昔の幼さが残ったまま。すなわち、週一くらいでなんちゃって丸の内系三十路OLをするために、と買ったジミーなパンツルック姿という今日のスタイルが全くフィットしていていない。

 丸の内での打合せに向けて、先程急ぎつつも念入りにしたはずのお化粧は消え去ってしまっている。


(いや、この姿で、念入りなお化粧はそもそもダメなのだけれども)

鏡の前に呆けたままにそう思ったわたしは、その時、わたしの髪の毛が薄茶色であることに気がついた。

(わたし、髪を染めたことないのにな・・・)


 今の姿が、かつてのわたしそのものではなさそうな点を見つけ、少し冷静になれたようだ。今の自分が何なのか、突き放して捉えておくべきなのかも。

 

 すると、とたんに、胸のあたりの違和感をまずはどうにかしなければと思えてきた。落ち着かない。

 すぐさま女子トイレへと入る。シャツのボタンを外し、胸に手を添わせた。鏡に映った姿の通りに、お胸サイズはやはりかなり小さくなっている。わたしはブラを外し、通勤バッグに押し込んでしまうことにした。

 (はぁっ)とため息が出た。通勤パンツの方もだいぶ緩くなってしまっていたけれども、こちらはベルトの穴を2つずらすことで対応する。


 通勤バッグにブラが入ってるなど社会人失格。などと、頭をうーんと抱えていたいところだけれども、今日のわたしはお昼前に大手町の物産オフィスに入った後、早々にドイツからいらっしゃる化学系コングロマリットの重役様をお出迎えしなければならないのだ。頭の整理がつかないままながら、てとてとと、急ぎコンビニを出た。

 

 再びチャリちゃんを漕いで、駅へと向かう。東急ネオストア脇の駐輪場に入った。2階へと上がりたどり着いた、いつもの駐輪スペースの前で、わたしはさらなる衝撃を受けた。

 そこには、先代のチャリちゃんが佇んでいらっしゃったのだった。おそるおそる許可シールを見てみると、48年6月末まで有効となっていた。視線を脇にそらすと、お隣さんチャリの方も48年5月末まで有効となっていた。

 

  ☆

  

 駐輪場を出た。わたしが向かった先は、水元公園の周回コース。

 公園に入ったところでチャリちゃんを止め、サドルをちょっと低くした。ついでに許可シールに目をやると、わたしの記憶通り、55年8月末まで有効、となっている。それがわたしが怪しい者である証のように思われる。

 ちょっと怖くなってきたので、シールを剥がしておこうと思った。人差し指に力を入れシールの端から剥がそうとしたのだけれど、全く剥がれてくれない。不正防止ということか、最近の駐輪場シールはえらく丈夫らしい。わたしは「頑張れっ」と指に念を込める。わたしの本気モードが伝わったのか、クンっ、という人差し指が動くく、ペリっとシールの端が剥がれてくれた。よしっと人差し指と親指とでシールの端をつかみ、メリメリっとシールを剥がしきった。


 手にした許可シールを有効期間をもう一度眺める。変化はなく55年8月末まで有効、だ。 

 チャリちゃんを周回コースでゆったりと走らせはじめた。

 駅のあたりから公園に至るまで、通勤パンツルックのわたしに幾度となく向けられた視線を思い起こす。「はて?」といった風な視線が多かった気がする。

脳みそはてな?なのは、わたしの方なのに。

 

 なぜ、先代のチャリちゃんがわたしの駐輪スペースに停めてあるのか?

 もちろん、その許可シールに、今は2048年であるとの答えがありはしたのだけれど。ならば、この見た目小中学生なわたしが、2055年の許可シールが貼ってあったチャリちゃんになぜ乗っていたのか?仮にわたしが小6とするならば、2036年でなければならない。当時のわたしは小学校に通うのに、自転車に乗ってはいなかったけれども。

 

 水元公園を周回していても答は出てこない。周回コースを1周半した後、1時間ほど前に出たマンションへと、わたしは戻った。

 

 ☆

 

 マンションの駐輪スペースにチャリちゃんを止めたわたしは、エントランスに入る。オートロックにてのひらをかざし、入り口の扉を開ける。

 

 

 エレベータの前に立つと、わたしの違和感は再び高まった。

 エレベータの扉が薄青い。古いバージョンだ。これは5年くらい前までの色。けれども、わたしの違和感にお構いなく、エレベータは扉はすっと開いた。ロックに掌をかざすと、エレベータは7階へと向かう。

 7階の各部屋の扉の色も、皆、薄青かった。

 

 そして、マイルームのドアも。

 ポップに塗り替えてみました的、な、オレンジ色の塗装は全く消えしまっている。

 

 少し息を整えてからわたしは覚悟を決めて、通勤バックから取り出したキーを鍵穴に入れた。ドアノブに触れると、いつものようにかちゃりとロックが解除された。

 

 深呼吸をして、わたしはドアを開けた。

 ミモザの花が一輪挿された宙吹ちゅうぶきの琉球ガラス花瓶と風鈴とがお出迎えしてくれる。ミモザの花の色も形も変わってしまっているけれども、わたしの玄関だ。

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