第8話 温泉に入ろう


 パローマには文化があり、芸術がある。そしてなにより、温泉があった。この辺の国では珍しく温泉の定着した地域だ。きっと腕の良い職人がいるんだろう、さまざまな彫刻が施された建物があちこちにある。


「ようし、今日は旅の疲れを癒すために、温泉に入るぞ!」


 俺は朝ごはんを食べながら、三人を温泉に誘った。


「おんせん?」


 レグが不思議そうにきいてくる。そっか、船でお風呂には入ったけど、温泉は初めてだもんな。


「みんなで入るお風呂だよ」


「わーい、レグお風呂すきー」


 レグは以前のお風呂を覚えてて、気に入ったようだ。よかった。


「温泉など行かなくても、エルフ酒があれば疲れは取れるだろう。君の大好きなエルフ酒」


 エラが皮肉めいた口調で言った。


「ばっかやろうオメェ、温泉ってものを舐めるんじゃない。お前らは森に引きこもってたから知らないだろうが、温泉ってのは心の洗濯なんだよ!酒で癒すのとは種類が違うんだ」


 俺は珍しく熱くなってしまう。俺は大の温泉好きで、そのためにこの街に訪れることもあるくらいだ。


「わ、私は温泉、入ってみたいですぅ!」


 エルが気を使って言った。いい子だ。本当にいい子だ。


「ようし、じゃあ飯を食ったらさっそく出かけるか!」



          ◆


 

 俺たちは並んで道を歩いた。街行く人々の視線が集まる。


「ね、ねぇ……私たち、なんかめだってないか?なにかおかしなところがあっただろうか?服装とか……」


「も、もしかして……エルフだから……ですかね?」


 姉妹が不安そうに尋ねる。


「いやいや、そんなことないって。二人があんまりにも美人だから、みんな見とれてるのさ」


 まあエルフが珍しいってのもホントだ。でも見てる人の多くは、エルフに対する悪感情で見てるんじゃなくて、その珍しさや美しさに見惚れてるんだと思うぜ。


「むー、レグは!?」


 足元のちっちゃいレグが俺の服を引っ張って言った。


「はいはい、レグもかわいいよ。みんなレグのことが一番かわいいと思ってみてるに決まってる」


 俺はレグを持ち上げてなだめる。姉妹のほうはさすがに子供には嫉妬しないようで、なんにも言わずに微笑んでいる。


 しばらく歩いていると、行きつけの温泉に着いた。


「じゃ、じゃあ私たちはこっちだから……」


 エラがそう言って、女風呂の方へ行こうとする。


「おい、ちょっと待てよ」


「へ?」


「俺一人で男湯に行けってのか?それはちょっと寂しすぎるよ……」


 俺はわざとらしく言ってみせる。


「な!?き……君は女湯に入らせろと言っているのか!?さすがの私でもそれは看過できないぞ!?恥を知れこの性欲異常者!」


 罵られるとちょっと新たな扉が目覚めそうになる。特にクールなエラに言われるとヤバい。


「ち、違う違う。ここには男湯と女湯以外にも家族風呂ってのがあって……」


「なんだ……そうだったのか。君が変態じゃなく安心したよ」


 エラはほっと胸を撫でおろす。撫でおろすにはちょっと胸が邪魔なんじゃないかな?と言ったら殴られるだろうか……。


「でも、家族風呂って……本当の家族みたいですね!」


 エルが言った。うれし恥ずかしいことを言うじゃないか……。確かに出会ってからまだ日は浅いが、傍目に見れば本当にそう見えるかもしれない。まあそのばあい一夫多妻ということになるが……。


 俺たちは受付で手続きを済ませ、貸し切りの家族風呂に向かった。



          ◆


 

 貸し切り風呂は、ちょうど男湯と女湯に挟まれた真ん中ののれんの先にあった。柵を挟んだ向こうは女湯だ。俺が温泉に目もくれずにそっちの柵に向かっていこうとすると、エラに風呂桶で殴られた。


「だから恥を知れと言っているだろう!馬鹿なのかわざとやっているのか君は!?私たちがいるというのに、まったく……」


「いやぁついつい……」


 まあこうやってエラといちゃつきたくてわざとやってる面もある。


「わぁーい!」


 レグが走ってきてそのまま温泉にダイブした。


 ――ざぶーん。


「おいおい!危ないぞ!」


 俺は心配でついつい大きな声をだした。隣の湯にも聞こえただろうか。


 レグは何事もなかったかのように、無邪気に笑っている。その耳やしっぽは、湯に濡れてへにゃへにゃになっていた。


「まったく、子供というのは……」


 エラが独り言のように言った。全裸に仁王立ちで、腰に手を当てていると、その男らしい口調も相まって、なんだか優雅で尊大で、頼もしく、美しく感じた。男らしくて気前のいいさばさばした女だ。


 エルはというと、まだ入り口のほうでタオルを身体にまいて、立ちすくんでいる。


「おい、エル!そんなとこでなにやってんだよ」


「あのー……その……ちょっとみんなでお風呂というのは……恥ずかしくて」


 もじもじして、腰をくねらせて恥ずかしそうにアピールしている。何をいまさら恥ずかしがることがあるんだとも思うけど、まあお風呂といういつもと違う状況が、そうさせるのかもしれない。


「まあいいや、タオルまいたままでいいから、ゆっくり来なよ。身体冷えちゃうよ」


 そう言って、俺も湯船に入る。湯の温度はちょうどよく、極楽だ。 


「は、はい」


 エルはゆっくり歩いて来て俺の対面に座った。


「はぁ……いいお湯ね」


 エラも俺の横で湯船に浸かっている。


「こうやっていると……嫌なこと全部忘れられるよ……あいつらのこととか」


 俺は湯を手のひらで顔にかけ、深く嘆息した。


「また彼らのことを言ってる……。今は私たちがいっしょにいるんだ。そんな過去のことはいいかげん忘れたらどうかな?」


「そう言うがな……。あいつらは忘れたくても忘れられないほどひどい奴らなんだよ」


 俺はエラに向き直り、肩をすくめ、やれやれといった感じで言った。


「そんなにひどい奴らなのか……」


「それはもう、今でも毎日夢に見るくらい」


 俺は奴らがどれだけひどいかを5分にわたって話し続けた。


「たしかにそれはひどい……」


「ですね……」


 姉妹が同情の目を向けてくれる。あとでまたひざ枕で慰めてもらおう……。


 すると……、


 ――ちょっと、さんざんな言われようね。


 ――ホントです。ひどいのはアウルスさんです。


 俺の後ろからなにやらひそひそ話す声が聞こえる。俺の座るすぐ後ろには湯を区切る竹製の柵がある。たしか後ろの柵の向こうは女湯だったはず……。まさかとは思うが……。


 ――ちょっとここじゃ聞こえずらいわね。もっとそっち詰めなさいよ。


 ――あ、ちょっとカレンさん。そこはダメです!


 ん?なにか聞き覚えのある名前が聞こえた気が……。


 ――がらがらがらがら!ドン!


 突然、柵が俺の上に倒れ、声の主が姿を現した。なんと……というかまあ予想はしていたけれど、それはカレンとミリカだった。


 こいつら……盗み聞きしてやがったのか……。やっぱストーカーじゃないか……。


 俺の身体の上には二人の身体が重くのしかかっている。重いとか言ったらまた殴られそうだが、まあ若い女とはいえ、二人も乗られていては重いと言わざるを得ない。


 これが湯の中でよかった。硬いタイルの上で倒れてこられていたら、双方けがをしていたかもしれない。


「だ、大丈夫か……?」


 エラが手を伸ばして俺を起こそうとしている。ありがたい。


「いてて……。おい!馬鹿ふたり!はやくどけ!」


 俺が二人を退かそうとすると、


「きゃあ!ちょっと、触らないでよ!ヘンタイ」


 カレンが抗議の声を上げた。自分から倒れかかってきて、なんとも勝手な奴だ。それに俺は触ってなどいない、断じて。


 カレンとミリカはそれぞれ自分で起き上がると、


「絶対こっち見ないでよ」


 と言って女湯に戻っていった。


 二人は再び湯につかると、こっちに向き直った。今では柵がないので、こっちの湯船からでも顔がよく見える。柵で区切られていなければ、二つの湯船は意外なほど近かった。湯の配管の都合だろうか。


「で、なにか弁解は?」


 俺は二人を睨みつけた。


「い、いやぁ……たまたま二人でお風呂入ってたら、アウルスの声がするもんだから……ついつい聞き耳たてちゃったわよ、ねえ」


「いやあホントに奇遇ですねぇ。やっぱり元パーティだから通じ合っているんですかね」


 苦しいいい訳だ。ホントに偶然かよ?俺はやっぱりこいつらから逃れられない運命にあるのか?新しい仲間を得ても、こいつらが地の果てまで追ってくるのなら、俺はこれ以上どう生きればいいんだ?


「ま、まあ今日のところは、さっき見せてもらったモノで勘弁しておいてやるよ」


 俺はこれ以上ないくらい寛大な言葉を放った。


「あ、あんた……こっち見るなって言ったのに!?さっき見てたの!?」


 カレンがわなわなしだす。


「いいじゃないか、見られて減るものでもないし、それに見るななんて言われたら見てしまうだろ?」


「最低!!」


 女湯から風呂桶が飛んできて、俺の頭蓋に直撃。俺はそこで意識を失い、湯船に沈んだ。


「だ、旦那様ー!!?」


 朦朧とするなかで、エラの声が聞こえた気がした。


 あとから聞いた話では、そのあとエラとエルが俺を介抱し、宿まで連れ帰ったそうだ。俺は夕刻ごろエラの膝上で目覚めた。まあひざ枕してもらえたから、今日のとこはよしとするか。



――続く。

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