第14期「マイチューバーと栗東院悠里」

 引きこもるってのも悪くない。


 天照さんの気持ちが少しだけ分かった気がする。嫌な事があったのに学校なんて行ける訳が無い。学校という空間には良くも悪くもエネルギーに満ち溢れている。対して今の僕はあらゆるエネルギーが不足している、萎れた風船みたいな物だ。学校と僕の気圧差にやられてしまいそうでどうしても登校する気にはなれなかった。


 寮の自室は案外退屈でも無い。インターネットが普及しているこのご時世、電気さえあれば退屈なんてものは何処にも無いのかもしれない。


 例えばソシャゲだ。無限に暇が潰れる。有限のリソースを消費してゲームをプレイしているはずなのに時間だけは無限に消えていく。物理法則を超えた人智を凌駕した暇つぶしがこれなのだ。虚無に包まれて課金ガチャを回した。別に欲しいキャラがピックアップ、つまり排出率が上がっていた訳でも無いのに一万円分のガチャを回した。こういう時に限って高レアリティのキャラを引けてしまうのが何とも皮肉だった。


 とはいえゲームは主体的な行動を求められるからいずれ疲れが来る。そういう時に僕を救ってくれるのがマイチューブだ。世界中の人達が投稿した動画が寄せ鍋のようにごった返しているインターネット無法地帯。初めは可愛らしいペット動画やビックリ実験系の動画を観ていた。しかし直に飽きは来るもので、更なる刺激を求めてしまった。都市伝説ホラー系の動画や遠い宇宙に想いを馳せる科学系、人間の内側の謎に迫る哲学系の動画を調べ始めてしまった。これが本当に失敗だった。気分が落ち込んでいる時にホラーを観れば更に落ち込むし、宇宙や哲学といったとんでもスケールに飛び込めば僕という存在の矮小さが再認識させられてしまった。なのに人間の知的好奇心には逆らえず次の動画に進んでしまう。こんな話を聞いたことがある。人は求める感情の動きを叶えてしまうと快感を覚えるらしい。それがマイナスの感情であろうと、だ。僕はまんまと人の心の原理にハマってしまい、戦う気力どころか生きる気力さえも着々と失ってしまっているのだ。


 少し前までは楽しかった。無謀な戦いに挑むのも仲間が居れば怖くなかった。きっと僕一人では最初の級長会議でヘマをやらかしていただろう。悠里が居たから乗り越えられた。ソフィアや夜一、渚、クラスメイト達が居たから走り続けられた。


 でも、もう無理だ。G組は全てを失い、僕は愛する父さんを喪った。父さんが居なくなったことで戦う意味さえも失った。もちろん父さんだけの為に戦おうと決意した訳では無い。だが、やはり父さんの存在は大きかった。正直言って顔の知らない日本の男達の為に戦えるほど僕はタフじゃない。それに天照さんにトラウマを植え付けたような男だって居る。僕の勝利はそんなクソ野郎まで幸せにしてしまうのかと思うと、むしろあっさり負けてやりたいくらいだ。それでも父さんや家族を幸せにする為だと思えば勇気が湧いていた。なのに父さんは居なくなった。


 僕はもう、戦えないよ。


「意気消沈か?」

「うわぁ、悠里! いつの間に?」

「チャイムもノックも反応が無かったからな。部屋に入ってみたらお前がブツブツ独り言を呟いていたから驚いたぞ。遂にイったか?」


 悠里は人差し指で自分の頭をコツンと叩く。


「どうだかね」

「聞いたぞ、神代さんのこと。残念だったな」

「さすが、大和守神代の腹心の部下、栗東院だね」

「バカ言え。男性政治家達の間で話題になってるんだ。何せ男達の旗頭だった男だからな。どうだ、調子は」


 そう言いながら、悠里はコンビニのレジ袋からスナック菓子とコーラを二本取り出しテーブルに置いた。お見舞いだろうか。悠里にも人の心があったんだな。


「最高だよ。高難易度クエストも勝てたし、コトリバコの対処法も分かった。宇宙の始まりと終わりだって理解出来たしね」

「ははっ」


 悠里は図々しく座椅子に座り、スナック菓子をむさぼり始めた。

「学校はどう? なんて、僕が聞くのも図々しいか」

「最高だぜ。あのB組にも負けてるし、宮野の妨害の対処だってままならない。男性国民の終わりももう目前だな」


「ははっ」と笑えたらどれだけ良かっただろう。笑えないよ。そもそもG組の級長である僕が選挙期間中に学校を休むだなんて異例の事態だ。傍から見ればG組はこの選挙を捨てたのだと思われても仕方無い。みんなにどんな謝罪をすれば良いのか、今は何も思いつかないや。


「天照さんは? 学校に復帰した?」

「いいや、相変わらず休んでるようだ。面白い話があるぞ。このままお前も天照も休み続ければな、B組の白光院が勝っちまうかもしれないそうだ。ソフィアが校内の生徒の頭の中を覗いたら、かなりの数がB組を支持しているらしい。はんっ、宮野の悔しがる顔が目に浮かぶぜ」


 何言ってんだよ。その時は僕達G組も負けて悠里だって悔しがる顔を浮かべるくせに。


「辞めちまうか」

「辞めるって何を?」

「ヤマジョだよ。政治なんてやってられるかってんだ。勝てない戦に挑むのは愚か者の所業だってな、親父もよく言ってた」


 まさか悠里の口から逃げの提案が湧いて出るなんて思いもしなかった。だけど今の僕にはそれを否定できる立場が無い。真っ先に逃げたのは僕なんだから。


「お父さんに怒られるんじゃないの?」

「どうだろうな。この間の件、親父への定期報告書に書いたんだ。それ以降親父から連絡が来なくなった。きっと見放されたんだ。それなら俺だって律義に従ってる必要もねえ。スカートなんて履かなくて良くなるんだ、悪くねえだろ?」

「それは何とも魅力的な未来だね」

「そうだ、こんなのはどうだ? マイチューバーになるんだ。トップマイチューバーの収入、知ってるか? 政治家なんか軽く超えてんだ。やっぱ時代はマイチューバーだ!」

「そう簡単に始められるの? カメラだってパソコンだって必要じゃないか」

「夢が無い事言ってんじゃねえよ。大丈夫だ、知り合いにマイチューバーが居る。そいつに何とかしてもらえば良いさ」


 悠里の言っている事はめちゃくちゃだ。高校を中退してマイチューバーになろうだなんて頭がイっているのはお前の方だ。聞きかじった知識でしかないけれど、そもそも広告収入を得られるようになるまでにほとんどが脱落していく世界だと聞く。その関門を越えて並み居る人気マイチューバーと戦おうだなんて正気だとは思えない。それこそヤマジョでの戦いよりもよっぽどハードだろうに。断じよう、僕はそんな泥船に乗り合わせる気は無い。


「例えばほら、見てよ」


 さっきまで観ていた都市伝説ホラー系動画を悠里に見せつける。分かってくれるだろうか。こんなに凝った編集を施し、しかも毎日投稿をしている。それにこの人は顔を隠してはいるが女性だ。胸を強調する服を着ているのも戦略の一つなのだろう。その上で、毎回しっかりと面白いのだ。程好い怖さとエロティック、そして最後にそれを科学的に否定するというお決まりパターン。都市伝説や怖い話なんて無限にある物でもないから当然毎日投稿をしていればネタは尽きる。その対策として、この人は視聴者から都市伝説を募集しているのだ。それだけじゃない。たまに他のマイチューバーとのコラボ動画を投稿している。その場合は、コラボ相手が普段やっている事にホラー要素をプラスした企画を用意している。素人目に見ても分かる。この人は凄く頑張っている。


「見てほしいのはこれだよ。登録者五万人、分かる? これだけ面白い動画を作り続けてもトップを走るマイチューバーには遠く及ばないんだ。これでどれだけの広告収入を得ているのかは分からないけどさ、政治家の収入を超えているとは考えにくいよね」


 悠里は黙り込んでいた。そうかそうか、そんなに僕の言葉が心に響いたか。分かってくれたなら嬉しいよ。だからおとなしく高校を卒業して大学に進学し、マトモな企業に就職すれば良いんだ。いくら女尊男卑の世の中だからって、栗東院家の力を以てすれば企業とのコネくらいあるはずなんだから。


 なんて僕の予想は外れていた。悠里が黙りこくっていた理由は思いもよらぬ場所にあったのだ。


「おい、お前このチャンネルよく観てるのか?」

「うん、割と前から」

「すまん、もう一度和室で撮影している動画を観せてくれないか?」


 僕はチャンネルの動画一覧からそれを探し、再生した。観やすいようにテレビに映像を映し出してあげると、悠里はテレビにかぶりつくように至近距離から視聴した。


「まさか悠里、その女の人がタイプだったり? 顔は分からないけどきっと美人だよね。胸も大きいし」

「間違いねえ……」

「えっ、何が?」

「俺ん家だ……」

「何を言ってるのさ?」

「おふくろだ……」


 この人が悠里のお母さんだって言ったのか?


 ちょっと待ってほしい。顔は見えないから僕の予想に過ぎないが、肌のきめ細やかさや声の若さ、取り上げるネタの数々から、きっとこの女性は二十代かせいぜい三十代だと思っていた。決して僕のタイプでは無いが、巨乳は正義だ。それだけで男子高校生らしい純然たる憧れを持ってこのチャンネルの動画を観ていた。それがクラスメイトの母親だったっていうのか。神よ、アナタは何とクソ野郎。


「悠里、ちなみにお母さんの歳って……?」

「安心しろ、まだ三十代だ」

「セェェェェェェェェフ!」

「俺にとっちゃスリーアウトだ……。実の母親がこんなパツパツの服で男の情欲を煽る活動をして金を稼いでいたなんて……」


 確かに、キツいな。


「頼む美鶴、二度とこんな動画は観ないと約束してくれ。息子として、母親がクラスメイトのムスコに訴えかけているだなんて我慢ならないんだ」

「ごめん、悠里」


 僕は思わず視線を逸らした。


「おい何故謝る? ……まさかお前!」


 僕は黙ってクラスメイト達とのメッセージのやりとりを見せた。


『観たぜ! あの乳、最高だな!』

『ありがとう、丁度今夜のオカズを探していたんだ!』

『俺はもっと前から観てたぞ』

『スチュワートに頼めば住所特定できるかな?』

『(ハートのスタンプ)』


 見る見るうちに悠里の顔から血の気が引いていく。まるで口裂け女と遭遇してしまった少年のように。


「最悪だぁあああああああああああああああ!」


 僕は気まずさを打ち消そうと、コーラのキャップを開けた。


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