第13期「総理大臣と大和守美鶴」
登校すると、クラスメイト達からの温かい声で迎えられた。
「よう、お漏らし大臣」
僕はペンケースからカッターを取り出し無我夢中で振り回した。
「うるさい! 巡り合わせが悪かったんだ! 股間を掻っ捌いて膀胱を摘出してやる!」
「御免!」
夜一の正拳が的確に僕の顎を捉え、僕は痙攣しながら地に伏せた。
「あれ、そういえば悠里は? って言いたいみたいだよぉ」
ソフィアが謎のデバイスを僕にかざして心を読んでくれた。
「栗東院殿ならば月川殿と話があると言っていたな」
「フーム、後半戦の戦略会議でもしているのかな? ボクの美を前面に押し出せば何も恐れることは無いというのに!」
そういう大事な話なら級長である僕を呼ぶべきじゃないのか。でも同席したところで二人のハイレベルな会話に参加できる気がしないし、事後報告でも大差無いか。
噂をすれば影。
「クソッ、宮野の野郎……」
「おかえり悠里。宮野さんは野郎じゃなくて女の子だよ?」
「その通りだ。狡猾で自分勝手な典型的な女だ」
「栗東院殿、月川殿との話し合いは?」
「ああ、まあ宮野のせいでお釈迦になっちまったんだがな。今日の放課後、ぷりプリとちぇりとらの合同ライブと合同握手会をやろうって話だ。朝のうちに校内放送で宣伝しておきたかったんだが、どうやらA組が校内放送を使うらしい」
ヤマジョの校内放送は音声だけではなく映像の発信も行える。各教室に備え付けのテレビがあり、校内放送用のチャンネルが存在するのだ。確かにそれを使って大々的に宣伝を行えば、新規ファンの獲得も出来ただろう。そのチャンスを失ってしまったのは少し痛い。次点で昼休みという選択肢もあるが、朝と違って生徒が校内の至る所に拡散してしまい、全ての生徒に宣伝を行えない。
「そろそろか……。テレビ付けろ。どんな手で来るのか確かめてやる」
悠里はよくわからない数字が羅列した資料をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。きっと予算表か何かだろう。衣装に楽曲にステージ設営、合わせて今回の放送の為の準備費用といったところか。湯水のようにお金が湧いて出る栗東院家の坊ちゃんでもそこは気にするんだな、意外かも。
テレビを点けるとニュースのような配置で三人の美少女が座っていた。右に天照さん、左に館花先輩、そして中央には宮野さんだ。彼女らの前にはネームプレートが置かれている。
落ち着いた声音で宮野さんが話し始めた。
「ヤマジョの皆さん、おはようございます。今日はヤマジョの平穏を脅かす存在について周知すべく、急遽このような場を用意させていただきました。早速、こちらの映像をご覧ください」
パッと画面が移り変わり、見覚えのある光景が映し出された。
テニス部室だ。
「まさか……」
悠里の呟きでさえ容易に聞き取れるほど教室内は静まり返っていた。
画面の中。部室の窓が外から開けられ、これまた見覚えのある美少女が三人と、その三人を遥かに凌ぐ美貌を持つ完全なる美少女、もとい僕が侵入してきた。
その先はよく知っている。ブラジャーを見つけ、カメラを設置し、脱出した。
カットが入り、また同じ画角の映像。窓の外が暗いことから時間が飛び部活動終了後であると分かった。今度は普通にドアから僕達が入ってきてカメラを回収した。その場でカメラが収めた映像を確認し、四人揃って鼻血を噴き出して倒れた。大急ぎで部室の床を清掃し、僕達は何食わぬ顔で部室を出た。
つまり、僕達の犯行の確たる証拠だ。
「これが、私達が掴んだヤマジョの闇です。映像中、テニス部室にカメラを仕掛けていたのは一年G組の生徒達です。しかもそのうち一人は級長の大和守美鶴。第一回学年別選挙の候補でもある、大和守美鶴です」
悠里がリモコンのボタンを荒々しく押し、テレビの電源を切った。
「ファック」
呟いたのは悠里だった。
最悪だ。折角僕達は心を改め人を傷付けないと誓ったのに、こんな形で後ろめたい過去を暴かれてしまった。今の映像はヤマジョ生全員が目にした。今の僕達がどんなに清く正しくあろうとも、盗撮魔のレッテルを貼られるだろう。いや、レッテルではないか。だって過去の事とはいえ事実なのだから。
その先の展開は実に単純明快だった。全ての生徒から不信を得てしまった一年G組はこれまでに築いた信頼の全てを失った。
ファンに申し訳が立たない。そう言って王子先輩も僕達との協力関係を解消した。
月川先輩はどういう訳か、僕達と手を切ることは無かった。とは言っても表向きには協力関係の解消を宣言し、あくまで裏で連絡を取り合う程度だ。見捨てはせずとも助けは無く、何の意味も持たない見えない協力関係でしかない。
それがG組にとっての悲劇ならば、大和守美鶴にとっての悲劇がもう一つあった。
行き過ぎた愛ではあったが友好的に接してくれていた天照さんからの一通の手紙だ。盗撮という性暴力に繋がる犯罪、そこから過去の誘拐事件を連想するのは容易だったらしく、それを思い起こさせる僕とはもう二度と言葉を交わしたくはない、と。天照さんはまたしても寮の自室に引きこもってしまったらしく、手紙は彼女と話をした宮野さんの代筆だった。
こうして、僕達が築いてきた努力の砦はたった一朝にして陥落したのだった。
♀ ♂ ♀
その夜、失意に暮れる僕に追い打ちをかけた存在があった。
極悪人の悠里でも無く、仇敵のA組でも無く、ましてやヤマジョの絶対女王である日乃本会長でさえない。
父だった。
「父さん!」
僕はドアを開き病室に駆け込んだ。
「母さん、父さんの容態は?」
母さんは目を伏せているばかりだった。妹のが視線で父の生存を伝えてくれた。不幸中の幸いだと思った。
「どうしてもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
僕の怒りのような悲しみは、よりにもよって母さんにぶつけられた。母さんにとって父さんは最愛の夫だ。僕以上に辛いだろうに。言ってから僕は後悔した。
「ママも知らなかったの!」
母さんの代わりに美亀がボールを返してくれた。僕から投げてしまった、負のエネルギーを纏った言葉のボールだ。
「ごめんね、美鶴。美鶴が頑張ってる時に、こんなことになって」
「謝らないでよママ! ママは何も悪くないよ! 悪いのは全部、パパとお兄ちゃんだよ」
返す言葉も無い。父さんの身に迫る死の気配はきっと本人には分かっていたはずだ。それを愛する母さんに伝えられなかったのは僕の存在があったからだろう。
僕をヤマジョに送り込むと決めたのは父さんだった。その時父さんは言った。
『元総理の僕のコネ、勝利の為に好きなだけ使え』
僕はそれを良しとしなかった。それでは真の男の勝利ではなく、ただ大和守神代の復讐にしかならない。そう思ったからだ。
だが父さんからすれば、そう言った手前、いつ僕からのお願いが飛んでくるか分からない。きっと身体の不調を母さんに伝えていれば、僕のヤマジョでの戦いの為に父さんが動く事を母さんは許さなかっただろう。
だから父さんは言えなかったのだ。
「お兄ちゃんもどうせこうなるんだ」
「美亀、縁起でも無いこと言わないで」
言えるはずが無い。僕達は生徒全員からの信頼を失ったばかりなんだ、なんて。
「私ね、戦わなくても良いと思うの」
母さんは力なく言った。こんな事態に陥ってまで嘘を語るとは思えない。
「神代さんは強い人だったわ。たった一人で日本国民を幸せにしようと戦っていた。そんな彼はとても輝いていた。それがあの女に負けてからというもの……。美鶴、あなたは優しい子だわ。神代さんによく似た優しく強い人。だからお願い、戦わないで? 美鶴まで神代さんのようになってほしくないの」
母さんの目には涙が溜まっていた。そんな母さんの姿を見て、僕は何が正しいのかが分からなくなった。
僕は全ての人の幸せの為に総理大臣になりたい。
父さんの復讐なんてどうでも良い。
どうでも良いんだ。
なのにどうしてか、僕の心には汚い感情が沸々と湧いて出てくる。
父さんがこうして病床に伏せているのは誰のせいだ。母さんが肩を震わせて泣いているのは誰のせいだ。小学生の美亀が父と兄に怒りをぶつけなければならないのは誰のせいだ。父さんを打ち負かし引きずり降ろした天照乙女のせいだろう。
ならば息子の僕が復讐をしてやりたい。
でも、出来そうにないのも事実だ。たかだか一クラス分の票を得る為に取った作戦が後になって全校生徒分の票を失う事に繋がってしまった。悠里があんな作戦を考えなければこうはならなかっただろうに。そうだ、アイツがもっと──
いや、止そう。ここで悠里に責任を転嫁したってどうにもならない。彼にすんなりと従った僕も悪い。
そうだ、僕が悪いんだ。
「あぁ、美、鶴……」
「父さん!」
こんなに弱々しい父さんは見たことが無い。父さんはいつも戦っていた。世の為人の為、そしていつからか復讐の為。正か負か、ただそれだけの違いであっていつも父さんは生命力に満ち溢れていた。この人に寿命なんて無く、いつまでも生き続けるんじゃないかって思っていた。
でもそれは違ったんだ。父さんは僕や母さん、美亀に心配を掛けないように取り繕っていたんだ。病と闘いながら、政界という世界そのものと戦いながら。
父さんは孤独に戦い続けていたんだ。
「美鶴、僕は、いつ道を違えてしまったんだろうか」
「父さんは間違えてないよ」
「ありがとうな、美鶴。どうだ、僕の力が無くとも、勝てるか?」
「ごめん、負けそうだよ。たった一つの間違いが掘り返されて、と言っても僕のせいなんだけどさ」
「そうか、負けそうか」
不思議と父さんは穏やかに笑っていた。
「なあ、美鶴」
「何、父さん?」
「お前は、どんな時が幸せだ?」
「分かんないよ。でも父さんがまた元気になってくれたら、きっとそれだけで幸せなんだって思うよ」
「家族って、愛しいよなぁ」
父さんはひどく咳き込んだ。
なんとなく、分かった。分かってしまった。
「僕はなぁ、全ての国民を幸せに、そう思い、そう言葉にし、生きてきた。僕は確かに、仇を討ってくれと言ってお前を大和女子に送り込んだ。だけど、もう良いんだ。もう良いんだよ、そんな些細な事は」
父さんは息を深く吸い、吐いた。
「美鶴、誰の為でも良い。誰かの為に、お前の思う──」
大和守美鶴が思う、理想の総理大臣になれ。
それが、彼の最優の総理大臣・大和守神代の最期の言葉だった。
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