第9期「選挙期間前の淑女達」
ある朝、マイチューブにその動画は突如として投稿された。
再生ボタンをタッチすると、真っ黒の画面から途端に教室の風景へと移り変わる。教室には誰も居らず、窓際最後列の机の上には一冊のノート。ノートの表紙にはただ一文だけ。
『たとえばこんな、プロポーズ』
八十年代を彷彿とさせる軽快なエレトリックピアノからイントロが始まり、ようやくそれがミュージックビデオだったのだと視聴者は理解する。
歌っているのは二人の〝王子様〟だ。
スポーティーな大人っぽい女性と、童話の世界から出てきたような金髪の中性的な女性。
〝太陽が沈む速さで 手をつなごう
なんてね ちょっと慌てすぎかな
プリンセス キミと私の運命論
それならボクと メリーミー、キスユー〟
彼女達のユニット名は〝ぷりんす×プリンス〟。
「観ました!?」
「当然ですわ! 耽美でしたわ!」
「〝ぷりプリ〟と同じ学校だなんて幸せ過ぎますわね!」
「間奏のあのシーン、私完全にりましたわ。ですわ」
「貴女本当にMVを観ましたの!? 歌詞を聴いていましたの!? ど~~~考えてもに決まっていますでしょう!?」
「は? 二人は私にプロポーズしていたのですが」
MVが投稿された日、ここヤマジョもその話題で持ちきりだった。元々王子先輩のファンだった生徒はもちろん、流行りに敏感なC組でも二人の人気が伺える。ちなみに投稿してから一日経たないうちに再生回数は十万回を超えた。それだけでヤマジョに留まらず日本中、もしかすると世界中の女性達が容易く恋に落ちたのだと分かる。
「ファンタスティック! ようやく時代がボクに追いついたね!」
渚を一目見ようとヤマジョの生徒がG組の教室前廊下に集っている。適宜渚が彼女らにファンサを送るとばったばったと廊下で人が倒れた。そのうち見かねた教師陣によってファン達は各々の教室へと返されていた。会ったことの無い教師も何人か対応に当たっていたところを見ると、おそらくファンの中には二年生や三年生の先輩も居たのだろう。これは先の選挙が楽しみだ。
「ここまでとはな」
「でもよくあんなに豪華な撮影スタッフを呼んだり、映像制作を依頼できたよね。流石栗東院家の人脈と財力だよ」
王子先輩と渚でユニットを組ませようと言い出したのは月川先輩だった。しかし彼女の想定では素人レベルの映像までだったが、そこに手を加えたのは悠里だ。悠里のお父さんの人脈で撮影スタッフを招集し、撮った映像データを悠里が持ち帰り、翌朝にはマイチューブに動画が上がっていた。撮影スタッフはどこどこの制作会社だとは教えてくれたけど、何故か動画編集を担当してくれた人の情報だけは教えてくれなかった。
『まあ、ちょっと身近な知り合いだ』
言いたくないのならそれ以上追求するのは止そう。注目すべきはこんなに素晴らしいプロモーション企画を打ち出せたという結果だ。
「ゴキ組! これは一体どういうつもり!?」
G組の教室のドアが乱暴に開け放たれ、初対面の美少女が現れた。
「美鶴、きちゃった」
その後ろから天照さんがひょこっと顔を出す。天照さんと一緒に居るって事はあの暗い青髪ショートボブの彼女もA組の生徒なのかな。
「ワオ! キミ達もボクの美貌と美声に恋をしてしまったのかい?」
ボブは渚を無視してこっちに迫ってきた。
「選挙法違反では?」
「選挙? 何のことやら。あくまでそれは俺達の趣味活動だが?」
「物は言いようね」
「あくまでうちの級長は美鶴だ。その映像の中にコイツは一度も映っていないし、スタッフとしての参加もない。よってこれは選挙運動の範疇ではない」
睨むボブを、悠里は真っ直ぐ睨み返す。
「
いつの間にか、ふわふわした印象の美少女が音も無くそこに居た。見た事無い顔だ、彼女も同じくA組の生徒と見た。
「
天照さんもふわふわと一緒にボブを諫める。
えーっと、待ってね、ちょっと整理しよう。あのボブが宮野さんで、下の名前が一花。で、ふわふわの苗字か下の名前のどちらかがヒメノか。天照さんは宮野さんを下の名前で呼んでるしヒメノも下の名前かな。
「えーっと、宮野さん? 何を怒っているのかは分からないけどここは退いてくれないかな? 僕達一限が体育だから準備をしなきゃだし。姫乃さんの言う通りここは──」
「G如きが下の名前で呼ばないでください」
僕が見たのは丸だった。肌で感じたのは一陣の風と確かな殺気。いつの間にか僕の目の前に姫乃さんが居て、彼女を視認した時に、僕が見た丸は彼女の拳だったのだとようやく理解できた。
「おそろしく速い拳…… 吾輩でなければ見逃していた……」
あの夜一が驚いているんだ。肌感覚だけでなく魂で理解する、この女は強い。
「まあ良いわ…… 今に見てなさい、徹底的に潰してあげるから……」
宮野さんは分かりやすく悔しがりながら教室を去った。
「またね、美鶴。今度デュエット、しよ」
追いかけるように天照さんも去った。姫乃さん(って呼んだら殺されちゃうんだよね)もとい強い女はまたしても音も無く消えていた。
「ったく、何だったんだ今のは」
「データベースによるとぉ、A組の宮野一花と
さっきからスマホとにらめっこしていたソフィアが僕達にスマートフォンの画面を見せながら言った。そこにはさっきの二人の顔写真とプロフィールが掲載されている。クラスメイト達がこぞってそれを覗き込み、口々に所感を述べた。
「宮野、態度はキツいが顔は可愛かったな」
「いや、やっぱ大夏津だろ。何せ胸がデカい」
「なんだこのプロフィール、スリーサイズがどこにも書かれてないぞ」
「俺の目に寄れば、宮野が80・56・84、大夏津が92・59・82だな」
「「「さすが吉田!」」」
そもそもこのデータベースはどこから見つけてきたのだろう。実家の住所や通っていた小中学校、特技や趣味、好きな食べ物まで記載されている。生徒の個人情報をいともたやすく調べられるなんて、やはりインターネットは怖いな。
「さすがソフィペディアだな」
「何それ?」
「ソフィアが持てるハッキング技術のすべてを駆使して作り上げた世界最強の情報検索システムだ。ソフィアの手にかかれば日本国民にプライバシーなど存在しない」
「それは合法なのであろうか……?」
「ヘイ、ボクは? もちろんボクの情報もあるんだろうね?」
恐ろしいのはインターネットじゃない、ソフィアだ。きっと一年F組生徒達のSNSアカウントもソフィアの手によって暴かれたのだろう。今日中にSNSアカウントを削除しておこう。アカウントロックなんて生易しい対策じゃ一瞬でこじ開けられそうだ。
「おっと、急げお前ら。一限に遅れちまうぞ」
チャイムが鳴るまであと十分。急いで着替えてグラウンドに出なくちゃ。今日は他クラスと合同授業らしいし、遅れて迷惑を掛ける訳にはいかないしね。
♀ ♂ ♀
「紹介しよう。共にバスケットボール部に所属している、
「E組級長の古槌です! 次元から話は聞いているよ、よろしく」
スレンダーなウエストと機能美を備えた筋肉質の四肢、そしてスレンダーな胸が特徴的な彼女は満面の笑顔で僕に握手を求めてきた。握手を返すと、異常な握力で僕の右手を破壊しにきた。
「痛い痛い痛い痛いんですけど!?」
「ごめんね! 強く握ったつもりはなかったんだ! 怪我は無いかな!」
眉毛をハの字にして泣きそうになりながら何度も頭を下げる彼女。その姿と表情を見ると、彼女に悪意など無くただ握力が強いだけだったのだと分かり怒りも湧かない。それどころか男の僕が女の子に握力で大敗を喫した現実に、僕の方が泣きそうになってきた。
「それにしてもG組は凄いね!」
「何がだ?」
「ほら、アレだよ」
古槌さんがグラウンドに作られたサッカーコートを指差す。丁度G組チームが相手ゴール前まで攻め込んでいるところだった。
「いくぞ石川!」
「任せろ川端!」
吉田君が右サイドをドリブルで駆け上がり、敵ゴール前で二人は声を交わす。川端君が仰向けでグラウンドを滑り、両脚を上に向ける。石川君がしゃがむような体勢で川端君の足裏に飛び乗ると、二人同時に両脚を伸ばしきる。その反動で石川君は空高く跳びあがったのだ。高度が限界まで達した時、吉田君から上がってきたセンタリングとピッタリ合い、石川君は上空から超パワーのヘディングシュートを放った。当然重力も乗ったパワフルなシュートにE組の生徒は反応できず、ゴールネットが激しく揺れた。
「ス〇イラブハリケーンを打つ淑女が居るかぁあああああああああ!」
悠里がコートの外から吼えた。
「すごぉおおおおおおおおおおおおおい!」
古槌さんは興奮のあまり叫んだ。
「あんのバカ共が…… 本当に性別を隠し通す気はあるのか……」
悠里の心配も何のその、ピッチで石川君と川端君はハイタッチをしている。よく見ると川端君の体操服の背中が赤く滲んでいる。そりゃそうだ。柔らかい芝の上ならまだしも、荒い土のグラウンドを仰向けで滑れば擦り傷になるに決まっている。どうしよう、僕もウズウズしてきた。オーバーヘッドキックなら散々練習したんだから。
「で、話って?」
古槌さんは偽淑女のスーパープレーに一切の疑念も持っていないようだった。
彼らの大技が衝撃的で忘れてたけど、元々は悠里がE組級長と話がしたいと言い出して夜一に呼んできてもらったんだった。古槌さんだけじゃなくて僕まですっかり忘れていたよ。
「もうすぐ学年別選挙が始まるだろ? 同じ体育会系クラスのよしみで、良ければ協力できないものかと思ってな」
「なるほど! 実はE組は票が割れていてね……」
「割れてる?」
「そうなんだ。私達バスケ部員は二年生は剣先輩に入れようと思ってるんだけど、テニス部の子達は月川先輩に入れるらしいんだ。それに伴って三年生は王子先輩に入れるだろうし、一年生は大和守さんに入れるんじゃないかな」
「もちろん僕に入れてくれるのは嬉しいんだけど、古槌さんはクラスメイトの票を集めなくて良いの? 級長だから候補者だよね?」
「私は政治に興味無いしね! 剣先輩とバスケがしたくてヤマジョに来たんだよ! E組はそういう子、結構多いよ?」
僕はてっきりヤマジョの生徒は皆政治家を目指しているのかと思っていた。そうじゃない生徒が居たとは驚いたな。でも敵が減ったと思えばラッキーか。
「古槌、バスケ部は一年と三年の投票先は決まってないのか?」
「あー、うーん、えーっと……」
「いきなりどうした、歯切れが悪いな」
「あの、他のクラスには内緒にしてくれる?」
「もちろんだ」
「実は剣先輩に聞いたんだけどね。B組級長の白光院が剣先輩と手を組んだらしいんだ! だから一年生への票はそこに集まる可能性があるね」
「なんと、吾輩は聞いていないのだが」
「G組には内緒にしてくれって白光院が言ってたらしくてね」
「剣派閥、か」
〝3B〟の彼女も意外と抜け目無いんだな。あのおバカ加減なら単身突撃してあっさり撃沈、なんて未来を予想してたんだけど、序列三位とはいえ有力候補には違いない剣先輩と組んだなら先は読めないぞ。
「古槌さんは剣先輩の派閥に入らないの? 尊敬する先輩を応援したい、とか思いそうなもんだけど」
「さっきも言った通り政治には興味無いから! 興味の無い私なんかが協力したって足手まといになるだけだし、それなら一般市民として自由に投票する方が有意義だと思ってね!」
「と言うからには、バスケ部の浮いた票を美鶴や王子先輩に集めてくれ、なんて頼みも聞いちゃくれないか」
「うん、ごめん! でも未来のヤマジョを任せられると思ったらその時は票を入れさせてもらうよ! 私達はみんなスポーツマンだからね、公正さが美徳なんだ」
これ以上の密談は蛇足だと分かり、僕達もピッチに入った。
絶好のチャンス、僕のオーバーヘッドキックは豪快に空を切り、頭から着地した。僕は頭から血を流しながら保健室へと運ばれた。
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