第7期「序列二位と淑女達」
月川先輩の視線は体感時間で五分間、悠里だけに向いていた。
放課後の食堂は淑女の憩いの場である。故にどんな密談も密談の体を為さない。そんなオープンスペースを敢えて選んだ月川先輩には何か考えがあるのだ。
とは悠里の言葉だ。
「ああ、月川先輩? そろそろにらめっこはお終いにしないか?」
「え~、目の保養だったのに~」
月川先輩は頬をぷくっと膨らませ不満げな表情を作る。それが自然発生的か意図的か分からない。ただ一つ分かるのは、この先輩が美少女だという事だ。というかヤマジョって美少女しか居ないな。入試は顔採用なんじゃないかとさえ疑ってしまう。つまり僕も美少女だ。Q.E.D 証明完了。
「月川先輩、本当にここで良かったんですか? ここじゃ人目が付き過ぎて会話の内容が筒抜けですよ」
「別に良くない? 私達に知られて困る秘密があるわけでもないしさ~」
僕や悠里の予想通り、これが派閥への誘いの話であれば秘密裏に話しを進めるべ期ではなかろうか。選挙活動期間まではもう少し余裕があるし、情報は独占してこそ価値があると思うんだけど。
「こう言ってるんだ。ここでゆっくり話そうじゃないか。で、月川先輩、何の目的で美鶴を呼びつけたんだ?」
「ふふ~ん、君は先輩にも敬語を使わないタイプだね~?」
悠里は教師に対しても敬語を使わない。きっと世を舐め腐っているのだろう。他の欠点にはいくらでも目を瞑れるが、ここだけはどうも気になって仕方ない。大物政治家の息子なら礼儀くらいは弁えてほしい。
「政界に出りゃ嫌が応にも敬語を使わざるを得ない。今しか粗雑な言葉遣いを楽しめないんでね」
「あはは~、面白いね! 好きじゃないけど嫌いでも無いよ」
「で、用は?」
「派閥だよ?」
「やはりな」
こうもあっさりと本題に移るのか、と驚いた。ついさっき密談は出来ないって話したばかりなのに、本当にここで話を進めるつもりなんだな。
「上手いな。人目がある中で断れば俺達の関係断裂は一瞬で周知される。既に地位を獲得している先輩と違い、俺達にはまだ応援してくれる下地が無い。スタートダッシュで躓くのは俺達だけ、か」
「そう? むしろ月川先輩は僕達からの票を失う事にもならない?」
「お前らがそう簡単にテニス部を辞められるならな」
「えっ、どういうこと?」
「私から説明するよ~。部活への入退部はクラス担任教師と部活動の顧問の承認が必要なんだよ~。万が一私と敵対した場合、私は顧問に、美鶴ちゃんの退部の承認をしないよう働きかける可能性があるのね。そうなればどうなるか、美鶴ちゃんでも分かるよね~?」
そういう未来を想像してみる。
次期部長の月川先輩と敵対すればテニス部員のほとんどは僕を敵対視するようになるだろう。僕はいつまでもボール拾いをさせられ、試合にも出してもらえず、それどころか試合会場までのバスにさえ乗せてもらえず徒歩を強いられる。試合用のユニフォームの洗濯だって全て僕に押し付けられ、スポーツ淑女達の汗に塗れた青春時代を送る羽目になる。いや、ユニフォームだけじゃないかもしれない。運動すれば下着まで汗をかくのだからそれも僕が洗わなければならないじゃないか。しかも村八分の僕は洗濯機なんて文明の利器を使う事は許されず全て手洗いだ。
ああ、なんて……
「なんて幸せな部活動なんだろう……」
「すまん、こいつはたまにバカなんだ」
「知ってるよ~」
さすがの悠里でも美少女達の下着を手洗いできるなら幸せなはずだ。つまり本当のバカはお前だ、この考え無しめ。
「月川先輩、もし俺達が館花先輩の派閥に入ろうとしているとしたらどうだ?」
「そうだね~、お互い残念だったね~、でお終いかな」
「お互い?」
「だってそれじゃ、君達は一年A組に勝てないよ~?」
「まさか、既にA組と館花先輩が接触しているのか?」
「菫の方からね~。しかも入学初日に」
館花菫、恐ろしい女だ。だけど驚くほどでもない。何故なら館花先輩はA組として昨年度の学年別選挙で全勝しているから、当然A組が最優秀だという固定観念があるはずだ。しかも今年の一年A組の級長はあの天照の娘なのだ。むしろなりふり構わず手中に収め、盤石の態勢を整えて然るべしだろう。多分僕でもそうする。
「いやね、だからこそ驚いたよ~。てっきりみこちゃんが一年生代表なんだと思ってたら美鶴ちゃんが居たんだもの。あんな大言壮語をした美鶴ちゃんが卑劣な策に出たとも思えないし、案外優秀なんだろうと思ってね~」
「え、ええ、もちろんですよ、あはは……」
ダメだ、月川先輩の目を真っ直ぐ見られない。
「当たり前だ。あくまで清く正しく美しいヤマジョの淑女だからな」
悠里は月川先輩を真っ直ぐ見つめ、真顔で言ってのけた。お前だけは清く正しく美しくなんて言うな。汚く悪しく……クソ! 顔だけは良いから〝美しく〟だけは否定できないじゃないか!
「だからこそ、私を応援してくれないかと思ってね~」
「答えの期限は?」
「今ここでに決まってるじゃないのさ~」
「正直に言えば、他の二人と接触してから考えたい」
「ここで答えが出せないなら破談だよ~」
「既に館花先輩や剣先輩の派閥に入っているとしたら?」
「懐柔して二重スパイにするかな~」
悠里は言葉を返せなかった。返さなかったのかもしれない。真面目な顔で虚空を見つめている。月川先輩はテーブルに頬杖を付いてニヤニヤしながら悠里を見つめている。
級長である僕はというと、その二人の様子を眺めながらコーラを飲んでいる。初めはもっと会話に参加する気でいたんだよ。だけどほら、何かこの二人って怖いじゃん。僕みたいな小動物が間に割って入ろうものなら一瞬で食い殺されそうなんだもん。
僕がコーラを飲み干す頃、ようやく悠里が口を開いた。
「勝算は?」
「無きゃ戦わないよね~。君達もだろ?」
「館花先輩は昨年度の学年別選挙で全勝、つまり月川先輩は一度も勝ててない。何故今年になって勝てると思うんだ?」
「なんだ、そこは知らないんだね~。私、級長になったの今年からだし」
「「えっ?」」
僕だけじゃない、悠里までもが驚きの声を漏らす。
「昨年の級長、ヤマジョ辞めたからね~」
「級長なのにヤマジョを辞めたんですか!?」
「そだよ~」
月川先輩は平然と答えミルクティーを飲む。
「理由を聞いても?」
「消されたんだよ、菫に」
柔らかい印象だった月川先輩の目が鋭く細まる。
「過去の話は良い。月川先輩、ぽっと出のアンタが有力候補序列二位に居る事から力はあるのだとは分かる。だが二位に勝ちは無い、勝者か敗者か、それだけだ。俺達を使えば館花先輩に勝てる見込みがあるんだな?」
「見込みじゃないよ~、勝つんだよ」
「分かった。美鶴、お前が決めろ」
「へぁ?」
悠里がそっと僕の耳元に口を近づけ囁く。
「あくまで級長はお前だ。人目がある中でお前を差し置いて俺が決断をくだしていればお前への信頼が落ちるだろ。立ててやるって言ってんだ、お前が決めろ」
「待ってよ、僕が決めちゃって良いの? こんな大事な決断、自信無いよ」
「大丈夫だ、どうせ最後にゃ俺達は勝てる。その駒がG組には揃ってるんだ」
僕は月川先輩の方へ向き直る。相変わらず彼女はニヤニヤしながらこっちを見ていた。ここまで僕達を悩ませる彼女は間違い無く僕らより上手だ。そんな彼女が自信を持って勝てると言っているのだ。テニス部での縁もある。ここは運命を信じて流れに身を任せてみよう。それにA組と戦う以上は館花先輩の派閥に入る意味も無いし、剣先輩は月川先輩よりも期待値は下がる。
きっとこれが、ベストチョイスだ。
「分かりました。一年G組は月川先輩の派閥に入り、貴女を生徒会長にすべく助力します」
「おっけ~。代わりに君達を学年別選挙で勝たせてあげるよ」
僕と月川先輩は立ち上がり固く握手を交わし、ここに一年G組の月川派閥入りが衆目の下で成立した。
「あっ、私が世話をしてあげるからには、何が何でもバレないでね~」
「えっ?」
差し出した右手がぐっと引き寄せられ、耳元でそっと囁かれる。
「男でしょ、君達」
月川先輩に握られている僕の右手が急激に汗ばんだ。
「月川先輩の美少女審美眼、舐めないでほしいな~」
彼女がにやけ、僕は引き攣った笑顔を返すしかなかった。
なんだ、この交渉は初めから結果が決まってたんじゃないか。
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