第3期「ブラジャーと淑女達」

「ナイッサー」


 テニスコートの裏側から声を掛ける。目の前の先輩がボールを返し損ねると、僕達一年生が球を拾う。運動部は年功序列の縦社会、一年生は奴隷だ。


 何故僕がここに居るのか。それは、僕を筆頭とした〝美鶴班〟は悠里の指示により、テニス部に入部させられたからだ。


 その目的は二つある。


「一年集合!」


 テニス部部長の王子先輩から呼ばれ、僕達は一斉にベンチ前に集まる。


「初日からボール拾いなんて退屈な真似をさせてしまってすまないね。だが、小鳥ちゃん達の働きのおかげで私達は公式戦に向けて練習に打ち込む事が出来た。本当にありがとう」

「「「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」」


 王子先輩が投げキッスをすると、一年生のおよそ三分の一の腰が砕けた。生き残っているのは僕達G組の男達と、E組のスポーツに青春を捧げているスポーツ女子達。


 そして、天照みこだ。


 初めてテニスコートを訪れ彼女の姿を見つけた時、僕は心底後悔した。悠里からはバスケ部とテニス部の二択が用意されていた。その二択に負け、僕の未来を奪う気でいる超淑女に遭遇してしまったのだ。見える、見えるよ。僕はテニス部を抜けられず、ダブルスで前衛に立ち後衛の天照さんから見守られ、コートの上で高校生活を終えるんだ。僕達の偉大な目的が阻まれるなら、せめてテニスで全国に行きたい。それなら少しは自分を嫌いにならずに済みそうだから。


「頑張ろう、天照さん!」


 天照さんは首を傾げてハテナマークを浮かべていた。


「それじゃ、さっきまでランニングをしていたチームと球拾いをしていたチームは交代だ。美鶴ちゃん達、お疲れ様。私が見ていないからってサボらずに走るんだよ?」

「もちろんです!」


 もちろん、走らない。


 僕は美鶴班のみんなを連れてテニスコートを離れた。王子先輩の目が届かなくなった位置で作戦会議だ。


「チャンスだ! やるなら今しかない!」

「任せろ大和守、一分もあれば設置できるぞ!」

「なあ、撮れた映像は俺達で先に確認すべきじゃないか?」

「そうだな、使えない映像を交渉材料に使う訳にはいかない」

「これも全て国民の為だしな!」


 美鶴班は団結した。テニスコートから見えないように部室棟の裏側を通り、テニス部部室の窓から侵入するのだ。その様子が他の生徒に見つからないよう、索敵陣形を形成して走った。途中で他の部の部員がこっそりサボっていたから、お菓子を渡して口止めをする。僕達は彼女らのサボりを見ていないし、彼女らは僕達のスニーキングミッションなんて知らない。


「絶対に音を立てないでよね?」

「「「了解!」」」


 窓からの侵入に成功した美鶴班は早速カメラの設置に取り掛かる。


「天井裏に穴がある、ここはどうだ?」

「良いね!」

「大和守、このカゴの裏なんてバレないんじゃないか?」

「良いと思う!」

「なんだこれはァ!?」

「石川君大声はダメだ!」


 石川君の口を塞ぐ。部室にカメラを設置しているところを見つかりでもしてみろ。テニス部を辞めさせられるどころか退学処分だって受けかねない。


「何があったのさ、石川君」

「あ、アレを見ろ……」


 石川君はある物を指差す。震える指先にあったのは……


「ぶ、ブラジャー……?」

「「「うおおおおおおおおおおおおお!」」」


 ブラジャーだ! ブラジャーがここにあるという事は、テニス部の誰かは今ノーブラって事じゃないか! これは一大事だぞ!


「どうする大和守、回収しておくか!?」

「落ち着くんだ石川君!」

「ぐふっ……」

「川端君!?」


 ブラジャーを観察していた川端君が突如鼻血を噴き出して倒れた。川端君は最後の力を振り絞り、自分の鼻血で床にダイイングメッセージを施した。そこに書かれたのはアルファベットが一文字だけ。


「G……? ま、まさか!」

「そうだ、間違いない大和守! こ、このブラジャーは!」


 石川君は溢れる鼻血を抑えながらブラジャーをつまみ上げ、タグの部分を僕達に見せつける。


「Gカップだ……」


 その言葉を遺言に、石川君までもが地に伏せた。クソ、なんて恐ろしい罠を仕掛けるんだテニス部員! まさか僕達の作戦が事前にバレていたとでもいうのか!?


 死屍累々のテニス部室の中で、Gカップに狼狽える事無く粛々とカメラの設置に努めていた男が居た。


「吉田君、君は平気なの……?」

「バカ野郎、そんな物に現を抜かしていては偉大なる目的を達成できない。俺は俺のやるべき事を遂行するだけだ」

「吉田君、君って奴は……」


 吉田君の言葉で目が覚めた。僕達の戦いは日本中の男達の未来を背負った聖戦なんだ。ブラジャーなんかに屈してなるものか。


「お、おい、こっちにも……」


 死んだと思っていた石川君がある物を見つけた。それはさっきのブラジャーと比べると一回りから二回りほど小さかった。


「またブラジャーか。無駄だ、俺の意志は揺るぎはしない」


 吉田君の反応はまたしても薄い。なんて頼もしい男なんだ。


 石川君の隣で死にかけている川端君が二枚目のブラジャーのタグを確認する。


「な、なんだ…… Bか……」


 Gカップなんて爆弾を目の当たりにした僕達からすれば、Bカップなんて恐るるに足らない。Bカップのブラジャーなら確か夜一が付けていた気がする。そう思えば女性用下着ではなくただの胸筋サポーターにしか見えなくなってきた。


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「吉田君!?」


 鋼の漢、吉田君が鼻血を噴き出して倒れた。君は偉大な目的の為ならブラジャーなんて怖くないんじゃなかったの!?


「ジャスト、サイズ……」


 謎の遺言を遺して吉田君は死んだ。ブラジャーに興味が無いんじゃなくて、巨乳に興味が無かっただけだったのか!


「汚いぞテニス部! 僕達が来ると分かっていたっていうのか!?」


 こんなやり方、ヤマジョの淑女として恥ずかしくないのか! もっと品格を持て!


「誰か、いるの?」


 その声はドアの向こう側から聞こえた。


「まずい! 誰か来た!」

「逃げるぞ!」


 吉田君のおかげでカメラの設置は完了している。天井裏、カゴの裏側、部室の隅。


 僕達は順に窓から抜け出す。しかし窓は小さく、一人ずつしか通れない。


「僕だよ、大和守美鶴です!」

「おい、大和守!」

「ここは僕が囮になる。カメラはなんとしても僕が守るから、三人は部室の裏で僕の合図を待つんだ!」

「でもお前だけ残して行けない!」

「ありがとう、川端君。でも大丈夫、これは級長である僕の役目だ。みんなの尊厳は僕が守る」

「大和守……」

「急げ石川、川端! 手を伸ばせ!」

「「すまない!」」


 窓の向こう側から吉田君が引っ張り、こちら側から僕が押し出す。


「入るね」


 部室のドアが開く。


 ────ピシャリ!


「や、やあ、天照さんだったんだ」


 何とか間に合った。


「これ、どうしたの?」


 天照さんが床を指して尋ねる。床は血の海だった。


「ちょっと熱中症で鼻血が出ちゃってね。休んでたんだ」

「これ、全部美鶴の、鼻血?」

「そうだよ? 怖いよね、熱中症って」


 天照さんは怪訝そうな表情をするも、それ以上は追及してこなかった。


「天照さんはどうしたの?」

「ボールカゴを持って来るよう、頼まれた」


 まずい、カゴの裏にはカメラが設置してある。このままカゴを持っていかれてしまってはカメラの存在がバレてしまう。そうなれば怪しまれるのは間違いなく僕だ。僕が怪しまれればそのまま芋づる式に同じクラスの美鶴班も怪しまれてしまうかもしれない。そしてカメラの用途を追及されれば言い逃れは出来ない。盗撮魔として突き出され、テニス部追放どころか退学処分にまで追い込まれてしまうかもしれない。


「それなら僕に任せて、天照さんは先に戻りなよ!」

「でも美鶴、熱中症、休んでた方が良い」

「天照さんの顔を見たら一気に楽になったよ!」

「ほんと?」

「ふぇっ?」


 天照さんは一気に距離を詰め、おでこを僕のおでこにくっ付けてきた。


「熱い、気がするけど」


 当たり前だろ! こんな美少女中の美少女にゼロ距離まで迫られたら身体が火照って仕方ないよ! まずい、このままでは下半身が僕を男だと証明してしまう。制服のスカートじゃなくて体操服のズボンだから隠せない!


「離れて天照さん!」

「あと少し、だったのに」


 天照さんは自分の唇をいじらしく撫でる。僕の身に迫ろうとしていた危機を察し、安どの溜息を吐いた。


「本当に大丈夫だから、天照さんは先に戻ってもらえる? 体の汗を拭いてから戻りたいんだ」


 女同士とはいえ肌を見せ合う事には多少なりとも抵抗感を覚えるはずだ。これなら天照さんも諦めてくれるだろう。


「わたしにまかせて!」


 諦めるどころか、天照さんは再度僕に迫ってきた。その手にはいつの間にか汗拭きシートがあった。反対側の手で僕の体操服を脱がそうとしてくる。


「ストップストップ! さすがに恥ずかしいよ!」

「大丈夫、美鶴の小さな胸も、愛してあげる」


 この女、目が据わっている。


 こうなったら最終手段を使うしかない!


「僕には許嫁が居るんだ!」


 天照さんの手が止まった。助かった、流石に諦めてくれるだろう。


「わたしと美鶴の仲を邪魔するのは、誰?」


 ミステリアスだったはずの瞳が、マッドネスへと変貌していた。


「え、えっとぉ…… クラスメイトの悠里だよ!」

「女の子が相手なら、わたしでも良いはず」

「悠里じゃなきゃダメなんだ!」

「栗東院の、何が良いの?」


 悠里の何が良いのか。そんなの僕が一番知りたい。でもここは納得のいく答えを出さなければ騙し通せない。考えるんだ、悠里の良いところを。アイツは頭は良いと思う。勉強が出来るという意味ではなく、ずる賢い。でもそこが好きだなんて疑わしいよね。他に良いところは……


 ダメだ、何も思い付かない。というか会って一週間も経たないんだから全然知らない。


 よし、こうなったらテキトーな事を言ってしまおう。そうだな、家族や家の事とかなら調べようもないし騙せるだろう。


「悠里の実家には可愛いプードルが居るんだ!」

「プードルには、勝てない……」


 バカだなぁ、僕達。


「とにかく! カゴは僕が持っていくから、天照さんは先に戻ってて?」

「わかった……」


 小さくなった背中が部室を去っていく。その間に僕は窓越しに美鶴班のみんなへ、窓を叩いてモールス信号でメッセージを伝える。


『カメラは無事、隠し場所を変える』


 すると同じように窓を叩き、モールス信号で返事が来た。


『おまえをころす』


 あれ、おかしいな。会話が通じてない。僕か向こうのどちらかがモールス信号を間違えてるな。僕はもう一度、間違えないようにゆっくりとモールス信号を送った。


『カメラは、無事。隠し場所を、変える』

『ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす……』


 鳴り止まないモールス信号を無視して、僕はカメラの隠し場所を変えた。


 部活終了後、カメラの中身を確認し、一つ目の目的を達成した。


 二つ目の目的は、テニス部に入部した時点で達成済みだ。


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