「さあ、マーク、今度は君からだ」

 マシューは待ちかねたようにマークに話し掛ける。


「よくよく考えたら、前回も僕で、その後も直ぐに僕から始まるの、随分と言えば随分だな」

「何を行っているんだ?これは君が言い出した話だろう?」

 マークの不服にマシューは当然のように応える。

「それはそうだが、前回の君に『何者にもなりたくない、ただ身支度だけした紳士』の続きに『健全な精神』を入れ込むのには随分と苦労させられたよ」

 そう言って、マークは再び大仰な革のフォルダから立派なレター用紙を取出す。


「無理に組み込む必要はないさ。寧ろそのまま『何者にもならない話』を続けてくれた方が、僕としては嬉しいよ」

 マシューは何事もないようにそのまま流した。

「あんな話、そのまま続けられる訳が無いだろう?まあ、ここから始めるさ」

 そう言うとマークは、またしても大仰にレター用紙に目を落とした。


○○


 スーパーチャージャー付きの直8エンジン音はエンジンフードやフロントシールド越しでも運転するダニエルの耳に馬が駆けるように届き、シャーシやボディ、ステアリングホイールを伝ってその力強い振動を与える。


 宵闇迫る夕暮れの中、都市部とカントリーサイドを結ぶ橋の上をただひたすらに走り、薄暗がりの中をヘッドライトが照らす。

 ギアをサードに入れると回転数は一時的に下がると同時に加速し、時速は80マイルを越え90マイルに迫る勢いを見せる。

 シートの背もたれに押付けられる慣性を受けたダニエルは、そのエンジンの振動と相まって、下腹部から込み上げるような興奮を覚えた。

 タイヤが捉えた路面の凹凸はスイングアームとサスペンションを通じて、衝撃を落とされ、その感覚だけ伝えてくる。


 そのままハイウェイを走り続け、下道に降りると、郊外の並木道の間を進む。

 下道ではあるが、殆ど信号も交差点も無いため速度は殆ど落とさずに走り続けた。


 日が暮れる直前、丁度空腹を覚え始めた頃、ダニエルの車はカントリークラブハウスに辿り着く。クラブハウスはバルコニーを具えたフレンチコロニアル様式にアールデコの装飾を組み合わせた外観をしていた。

 クラブハウスのエントランス前ローターリーには、丈の短い金ボタンの詰襟にピケ帽のポーターが控える。

 ダニエルはその前で車を停め、降りるとそのままチップを渡して引き換え用の番号札を受け取り、ポーターはそのまま車に乗り込むと、駐車場までダニエルの車を回した。

 駐車場には他にも高級車が並び、展示会場のようであった。


「ウィスキーを一つ」

 ダニエルはクラブハウス内に入り大理石の床を進むと早速バーカウンターで飲物を頼む。


「どうぞ」

「ありがとう」

 バーテンダーがウィスキーをクリスタルグラスのリキュールグラスに入れてダニエルに渡す。

「ところで、ジョン……ああ、詰まりハンツマンはいるかね?」

「ミスター・ハンツマンで御座いましたらプール台の方に」

「ああ、ありがとう」

 ダニエルはそう言うとカウンターに紙幣を置き、プール台へ向かった。


「ああ、ダニエル、待ちくたびれたぞ」

 そこには葉巻を咥えながらキューを念入りに見ているジョンがいた。

 彼は既に上着を脱ぎ、ベストも着けずにシャンパンを飲んでいた。

「飲むかい?」

 ジョンは直ぐに横を向き、氷の浮いたワインクーラーからシャンパンのボトルを出そうとする。

「いや、今そこで君の場所を聞くついでに頼んだから、今は大丈夫さ」

 ダニエルはそう言ってリキュールグラスを掲げる。

「なるほど。乾杯!」

「乾杯」

 ダニエルとジョンは互いのグラスをやや傾けると、挨拶とした。


「や、遅れてすまないね」

 ダニエルはウィスキーを一口飲むと、ジョンに詫びる。

「いや、本当に。夕方までには来るかと思ってテニスコートで待っていたのに、結局ボールボーイをしてしまったよ」

 ジョンはシャンパンを半分程飲むと、笑って言う。

「で、日が暮れてしまったから、ラケットをキューに持ちかえて、ここで待っていたよ」

「ゲームの調子はどうだい?」

 ダニエルはプール台の上のボールの位置を見る。

「もう少しで落とせるかな」

 ジョンはそう言うと、キューを構える。

「そのようだね」

 そう言ってウィスキーを一口呑む。

「ところで……」

 ダニエルはボールの軌道を確認しているジョンに話し掛ける。

「ところで、そちらの調子はどうだい?」

 何と言うことのない会話である。

「調子だって?今日は少し右にそれ気味かな」

 ダニエルは球を弾きながら応える。


 的球が6番球に当たり、弾かれた6番球が8番球をポケットに押込む。


「ほら。もう少し寄せたかったんだ」

「君の腕の調子じゃないよ」

 ダニエルはウィスキーをもう一口含ませる。

「なら、何だい?」

 ジョンは今度も6番球に狙いを定め、もう一度軌道を確認する。

「このご時世の調子さ。あちこちで百万長者も億万長者も生まれてるんだ、君の方はどうかな、と思ってね」

「ああ、なるほどね」

 ジョンはそう返すと、再び的球で6番球を弾く。


 6番球は今度は大きく反対側のクッションに当たり、反射して9番球をポケットに落とす。


「御覧の通りさ」

 ジョンはどうだと言わんばかりに胸を張る。

「素晴らしいね」

 ダニエルは軽い拍手を送ると、再びリキュールグラスを掲げる。

 ジョンもシャンパングラスでそれに応える。

 そして二人は同時にグラスを傾け、残っていた酒を飲干す。

 そのまま、二人はソファへ向かう。


「僕も貰おうかな」

「おう」

 ダニエルがシャンパンのグラスを出そうとすると、ジョンが先回りしてグラスとボトルを取出す。

 シャンパンを注がれたグラスにみるみる結露が浮かび、周囲に冷気が漂う。

「はいよ」

「ありがとう」

 二人は再びグラスを掲げあう。


「『フォーブス』なんかを見ると、ウォールストリートは随分と盛況なようだけど、君の処はどうだい、ジョン?」

 ダニエルは軽くシャンパンの香りを愉しんでからもう一度ジョンに訊ねる。

「うちはそもそも炭鉱なんかの一次・二次産業が主だからね。株でどうこう、と言うのとは遠いかな」

 ジョンはシャンパンを大きく呷るとそう言う。

「君のところこそどうなんだい?」

「僕のところかい?あまり深くは知らないけれど、まあ、農場経営はもう半世紀以上前に引き揚げているし、工場の方はこの前の戦争で大分儲かったようだね。今はキューバやアルゼンチンなんかの海外拠点に投資している段階かな」

 ダニエルは他人事のように言う。

「まあ、実際は任せきりで、僕は詳しく知らないのだけれどね」

 そう言って肩をすくめる。

「うちも、そろそろ国外にも資本投下しようかな、と思っているところさ。特に、最近は石油が上がってきていて、船なんかも重油で動く時代だからね。そうなると石炭の需要も危ないから、早めに移しておかないとね」

 ジョンもどこか他人事で言う。

「まだ電力での需要はあるだろ?」

 ダニエルが訊ねる。

「そうだが、それだって国内で作るより海外から仕入れた方が安くなればお手上げさ。現に、もう南米辺からは大分安く仕入れられるからね」

「ま、金融がこれだけ膨れると、銀行も危なっかしい事もし出すだろうから、早めに移っておかないとね」

「そ、プールゲームやチェス同様、先を見越して打って行かないとね」

 そう言うと、2人してシャンパングラスを空ける。


「で?どうだい、1ゲームやっていくかい?」

 ジョンは親指でプール台を指し示す。

「そうだね」

 ダニエルはそう言うと、上着を脱ぎ、キューを選び始める。

「負けた方が次のシャンパンを入れる事にしよう」

 ジョンは葉巻を噴かしてそう言う。

「なら、次も君の御馳走になるな」

 ジョンとダニエルは笑いながら視線を合わせる。


 こうして2人は朝までゲームを愉しんだ。


○○


「と、どうだい?」

 マークは得意げにマシューに顔を向ける。

「ん?これでお終いかい?」

 マシューは困惑の表情を浮かべる。

「マーク。冗談は止してくれ給えよ」

 マシューはため息を吐きながら頭を振る。

「今の話のどこに『健全な精神』も『健全な肉体』も出てきたんだい?」

 そのまま両手を拡げながらマークを問いただす。


「『どこに』だって、マシュー?」

 マークはさも心外だ、と言わんばかりに大仰なポーズを取る。

「どこもなにも、カントリークラブに通いスポーツで体を鍛えつつ、社会情勢も見据えて常に学び、動き続ける、正しく現代の『哲人』にして『健全な肉体に健全な精神』を宿した近代人精神の鑑じゃないか」

 マークのこの言葉にマシューは方眉を上げて面を喰らったような顔をし、しばし絶句する。


「なるほど……」

 漸くマシューが口を開く。

「なるほど、どうも君が言うところの『哲人』や『健全な精神を宿した健全な肉体』と言うのは、主に金儲けの為にその才覚を使う人々のことのようだね。僕は誤解したかい?」


「何を当たり前の事を言っているんだい?」

 マークは、あまりにも自明な事を問われたかのように唖然とする。

「各々が各々の力を最大限顕そうと努力するのは神が与えたミッションじゃないか。そして、今は資本主義の世の中なのだから、それは稼いだカネや鍛えられた肉体で分かりやすく表されるんだ。どれだけ頑張っているか、が数字で判り易く出てくる、素晴らしい世の中じゃないか。文明万歳だ」


「ああ、そうかい。なら、その考え方、僕の話を聞いて、少しは弁証法的に止揚するよう試みてはいかがかな?」

「何だって?」

「その『鍛えられた肉体と精神』も、時と環境に恵まれなければどうなるか、ちょうど僕はそんな話を考えてきたのだから、君にとっては良いアンチテーゼになると思うよ?」


 そう言ってマシューはノートを取出すと、語り始めた。


++


 それは、昨日と同じ朝だった。

 或は、一昨日と同じかも知れない。

 恐らく明日も同じ朝だろう。

 教会に行く日曜日を除いては、一切は同じなのだ。


 朝と言っても日が射す前の時間である。

 その中をジョセフは毛布をはぎ、上半身だけ起こす。

 ストーブの中の種火だけが光源である。

 ベンチのようなベッドの脇に掛けてあるコーデュロイのシャツを手探りで掴み、肌着の上から羽織り漸く全身を毛布から出す。

 まだまだ肌寒い。

 マッチで近くにあるオイルランプを灯す。

 これでやっと部屋の中が見渡せる。

 人一人が過ごすのに最小限の部屋である。


 ジーンズを履き、ベルトで留め、殆ど残っていない歯を濯ぎ、通り一遍の身支度を整えると、そこら辺の木材で組み立てた祖末なテーブルと呼べるような台の上に置きっぱなしのパンを切り、やはり置きっぱなしのバターを塗りたくると、それを頬張り、水で流し込む。

 いつもと同じ朝食である。

 パンを更に数切れ切り分け、バターを塗ると、粗末な木綿のハンカチで包む。

 これと水筒に入れた水が彼のいつもの昼食である。


 しばらく窓の外を眺めていると、鐘の音が響く。

 時間である。


 ジョセフはブーツの紐を絞めると、これまた傍に放ってあるツイードのジャケットを羽織り、鳥打ち帽を被ると金具で留められた小さな木製の戸を開け、表に出る。

 いつもと同じ服装である。


 ジョセフの部屋は寮の二階で、下の階にも同じような部屋があり、同じ構造の建物がそれぞれの平地に合わせて繋がれ、置かれている。

 同じ玄関、同じ屋根。

 外階段の位置まで同じである。

 そして、それぞれの扉から、ジョセフと同じような格好の男達が出てきて、同じ場所を目指す。

 同じ場所、つまり、炭鉱の入り口を。 

 それも、歩いて数分の直ぐ近くにあった。

 巨大な煙突の傍の巨大な車輪の下に、小さなれんが造りの小屋がある。

 同じような格好の男達はその小さな小屋の小さな入り口を目指し、ぞろぞろと入って行く。


 その中は広かった。

 山をくり抜いた巨大なホールが広がる。

 名札をパンチボックスに通し、時間を記録すると、そのまま奥へと進んで行く。

 その奥には各々に割り当てられた小さなクロークが並ぶ。

 その扉に名札を掛けると、クロークの戸を開け、上着と帽子を掛ける。

 

「おい、42番路が崩落したらしいぞ」

「ジョンのヤツは爆発に巻込まれたらしい」

「今日、この後どうするよ?」


 周囲ではそんな話合いもあるが、ジョセフは寡黙に身支度を進める。

 奥にある皮とカンバスを重ねて固めたヘルメットにランタンを付けるとそれを被り、顎紐を留める。

 締め心地を確認すると、次に金槌と鶴嘴、スコップが納められた作業用ベルトを腰に付ける。


「よーし!お前等!今日は38番路だ!」

 班長がそう叫ぶ。

 それを聞いた皆は、そこに向かう軽便鉄道に繋がれたトロッコに次々と乗り込む。

 もう、この段階で蒸し暑くてしょうがない。

 どちらが荷物なのか判りはしない。


 そのままトロッコは38番路に繋がるエレベーターの前にあるプラットホームの前まで男達を運ぶ。その中にはまだ年端も行かない少年も混ざっている。

 周囲では排水用ポンプが稼働する音が響き、遠くでダイナマイトが爆発する音が聞こえる。

 この集団が次々とエレベーターのゴンドラに詰め込まれて行く。

 一定の人数が乗ったゴンドラは、扉を閉めるとそのまま落下していく。

 地下1マイルまでの道のりは自由落下による。

 靴底の感覚が薄くなり、内臓が押し上げられ、水筒の水がぽちゃぽちゃと浮かぶ。

 上の機関士が操作を誤ればこのままみなミンチである。

 睾丸に手を当て、歯を食いしばり、耐える。


 数秒過ぎると、減速が始まる。

 ワイヤーに繋がれた滑車が火花を上げ、ブレーキパッドが真っ赤になる。

 ここでも同じ姿勢を取る、同じような格好の男達が耐える。


 無事目的の階層まで辿り着く。

 ゴンドラは積荷を人の形のまま吐き出すと、直様もの凄い勢いで昇って行く。

 人もポンプで移動させられるのだ。


 そのまま、木枠で補強こそされているが、水に湿る通路を歩いて行く。

 通路の横には簡単なレールが敷かれ、小さなトロッコが採掘した物を運べるようになっていた。

 その通路の先には巨大な蒸気機関で動く、チェーンソウの怪物のような機械が置かれている。

 その機械の前まで行くと、男達は上に来たシャツを脱ぎ出す。中には完全に上半身裸になるものも多い。

 とにかく蒸し暑いのだ。

 本来ならヘルメットを被る規則だが、そんな物は着けていられない、と外す者も多い。

 この前はそれが原因で砕けた岩に当てられ死んだ者もいたが、それを直に見てもなお、外す者が多かった。


「よーし!ここにしよう!」

 班長の叫び声。


 班長が機械を当てる場所を定め、その場所を確保する為に、男達が作業を開始する。

 とにかく手で掘り、砕き、土を除ける。

 この作業を延々繰返す。

 大きなところは大男が、小さなところは少年が、やはり手で掘り、砕き、土を除ける。

 一人が歌い始める。

 炭坑夫の歌である。

 

 一人が節回しを叫び、周囲が応える。

 一定のリズムで。

 鎚音に合うように。

 アイリッシュが多いこの地域では、やはりアイルランド系の節回しが流行る。


 どれだけの時間が経ったかは判らないが、皆真っ黒になりながら掘り進めると、硬い岩盤に当たる。


「ダイナマイトだ!」

 班長が叫ぶ。


 数人の専門の男達がダイナマイトを仕込む。


「皆離れろ!耳を塞げ!3、2、1、発破!」

 班長が叫ぶ。


 皆、300フィート程離れてから、耳を塞ぎ、目をとじ、口を開けて伏せる。

 爆発。

 耳鳴りで何も聞こえない。


 班長が何か叫んでいる。

 どうやら成功したらしい。

 その後、細かい作業を少年達が行うと、そのまま巨大な採掘機械を設置する。

 機械は蒸気と煙を吐き出しながら、刃の着いた鎖を巻込み、回転させ、鉱石を砕き、切り裂く。

 そうして砕いた物は、自動的にトロッコにコンベアで運ばれていく。


 主たる仕事はこの機械の物で、ジョセフ達人間は、多大な苦労でもって機械に仕える下女はしために過ぎなかった。

 とにかく、この機械が中心であり、この機械のご機嫌伺いとお世話こそが、この暗く蒸し暑く、死と汚れに満ちた穴蔵でのジョセフ達の仕事であった。

 なにせ、この機械一台で人間100人分は働いてくれるが、同時に人間1000人分の値段もする。

 鎖や歯車が熱を持たないように油を注ぎ、この機械陛下の動き易いように足場を整える。

 そのための人間の手足であり、命であった。


「よーし!一端休憩だ!」

 班長が叫ぶ。


 この班では班長しか時計を持っていない。

 いや、他にも持っている者は多くいるが、そんな高価な物をこの穴蔵に持込む者は少なかった。

 ジョセフ達は油とタールで真っ黒な手のまま、各々が持ってきた、同じような昼食を頬張り、水で流し込む。


「よーし!作業再開だ!」

 どれだけの時間休めたかは定かではないが、ほんの半時間も無かった事だけは、何となく体で分った。

 しかし、誰も文句を言わずに作業を再開する。


 また、誰かが歌い出す。

 皆が応える。

 同じ歌を。

 同じリズムで。

 鎚音に合わせ。


 同じように。


「よーし!作業終了だ!」

 休憩前を同じような時間が、同じように過ぎたころ、同じように班長が叫ぶ。


 皆、疲弊し切って、無言で身支度を始める。

 同じように真っ黒になりながら。


 そして、重力の向き以外は来たときと同じようにゴンドラとトロッコを使って排出され、同じように着替え、同じようにタイムカードを切る。

 記録では11時間が経っていた。

 タイムカードが打刻された場所と時間、行きにいた別の班が埋められた事だけが違った。

 他の班にはボーナスが出たようだ。どうやら良いものを掘り当てたらしい。


 それでも、同じ様な格好をした男達が、同じ戸口から出て行き、同じように歩いて行く。

 中にはこのまま遊びに行く者もいるようだ。


 これだけの危険と鬱憤の溜まる仕事である。

 その気を紛らわす為の酒場や娼館には事欠かない。

 だから、街並は他の町と違って、キラキラと輝いて見える。

 どうせ日が昇れば同じなのだが。


 ジョセフは帰りがけにハンバーガーとコーヒー、ウィスキーの小ビンを買い、いつもと違う夕食を取る。

 今日は彼の誕生日なのだ。


 そのまま、いつもと同じ小屋に戻り、いつもと同じ戸を潜り、いつもと同じストーブにコークスをくべると、いつもと同じテーブルで食べる。

 いつもと違うハンバーガーを。


 一通り食べた後、ウィスキーを直接小ビンから呑み、一息いれる。


「何でもない日、万歳」


 ジョセフはそう小さく呟くと、軽く身震いし、毛布を羽織ると、そのまま眠ってしまった。


 明日も同じ朝が始まる。


++


「と、どうだい、マーク?これが本当の『お話』と言うものさ」

 マシューはノートから目を上げると、そう得意げにマークに言う。


「これが『お話』だって?」

 マークは実に不満気に返す。

「僕が折角『市中の英雄』、『現代のアトラス』の英雄譚を描いたのに、君はそれを全く逆のシーシュポス的なプロレタリアート文学にしてしまったじゃないか」

 マークはそのまま不満を続けた。


「何を言っているんだい?僕は最初に言ったじゃないか。『この二枚の絵の並びは、正しく僕達の姿を描いている』ってね」

 マシューが反論する。

「僕達は、自分達の土台が何に依ってできているか、それを自覚する必要があるし、それを自覚する事こそ『哲人』の条件じゃないか」

 そう言って、マシューは自分の磨き抜かれた靴を指差す。


「何を言っているんだ。労働者は、その労力を自身の生活の向上に投資しないからその場に留まっているんじゃないか。少なくともこの合衆国では、生まれの身分に拘らず成功する事ができるんだぜ?」

 マークも反論を続ける。

「それとも何かい?マシュー、まさか君は、あの怠惰な労働者のルサンチマンの権化たる共産主義に屈服したのかい?」

 マークは「共産主義」の部分に充分なアクセント置いて話す。


「まさか?僕だって自由を愛する者の一人だし、だいたい共産主義なんて原理的に不可能な物に与する気はないよ」

 マシューは心外だと言わんばかりに応える。

「ただ、マシュー、君が物事の上澄みしか見たくないようだから、その足元も見るべきだし、それこそが『高貴なる責務ノブレスオブリージュ』だと言いたいだけだよ」


「だとしても、だ、マシュー。君は厭世的に過ぎるね」

「いいや、マーク。君こそ楽観的に過ぎるんだ。いや、享楽的とさえ言っていい」


 2人の紳士の言い争いが続く。


「しかし、マシュー。これでは決着が着かないじゃないか」

「それには僕も同感だね、マーク」


 2人の紳士はここで意見の一致を見る。


「そこで、だ、マシュー。丁度そこにもう一人参加者がいる」

 そう言ってマークはこちらを向く。

「ああ、そうだね、マーク。そこの人は先週も先々週もここにいて、僕達の話を聞いていたね」

 マシューもこちらを向く。


「ねえ、君、そう、そこの、今僕達を見ている君」

「そう、君だよ」

 マークとマシューの視線がこちらに向けられる。


「「君は、どう思ったね?」」


 マークとマシューの声が重なった。

 こちらに向けて。



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絵画的プールゲーム @Pz5

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